第四章 流れに逆らう意思 Ⅵ
少し時間を遡って。
マサキとアオイは八階建ての百貨店の屋上にいた。
屋上には大きな貯水槽がある程度で他に大きなモノもなく、周囲の建物よりも一段高い百貨店の屋上からはこの街が一望できる。しかし、今はそのような気も起こらない。
なぜなら、二人は貯水槽前のフェンスに鎖で繋げられており、身動きが取れない状態であるからだ。
そして、その二人の前に防護スーツに身を包んだ男が三人いた。三人の男の手にはそれぞれ拳銃やアサルトライフルが持たれている。
その内の一人が喋る。
「お前たちを餌にして、大物が釣れるといいのだが――」
その声はスピーカーの声の男――シンジのものである。
「罠だと分かっていて、あいつが来るわけないじゃない!」
「そうかな? 仲間を見殺しにはできない性格だと聞いているが?」
歯向かってくるアオイにも、シンジは冷静に言葉を返した。
「そ、それは……」
アオイの反応を見向きもせずに、シンジはじっと戦いが繰り広げられている商店街を見つめている。そこからは今も大きな音が響いている。
「トモヤと戦っている『覚醒者』もなかなかの力量を持っているようだな。あいつが苦戦するとは思ってもいなかったが」
「『風』系は『炎』系には弱いのが道理ですからね」
「その優劣を信じているわけではないが、トモヤにはすぐに障害を排除してもらいたいものだ。こちらへやってくるユウキはもっと厄介なのだから――」
シンジの言葉を聞いて不安になった部下の一人は、
「トモヤ氏が間に合わない場合は?」
「その場合は我らで対応するしかあるまい。昨日の夜と何ら変わらんよ。向こうが『覚醒者』だと分かっただけで、な」
部下の不安を解消することはしない。
それは、シンジにも恐怖という感情はあるためだ。『覚醒者』でもないシンジにはトモヤとミユキの戦いに割って入ることなど容易には出来ない。いくら屈強な身体と意思を持っていても、圧倒的な人知を越えた力にはなかなか敵わないのである。
「ユウキが『覚醒者』だということも先日知ったばかりなのですが、対処できますでしょうか?」
「奴が特別な存在であることは初めから知っていた。『覚醒者』だという予想もしていたが、力の種類の特定までは出来ていなかったから、それは仕方あるまい。しかし、そのおかげで『時空扉』の使用にはユウキが必要な理由がわかったのだ。それだけで昨日の追走戦にも意味がある」
それまでシンジは『時空扉』の使用のためにはユウキが必要という情報しかしらなかった。ユウキの何が必要なのか、それを昨日の追走戦で理解したのである。
相変わらずシンジはじっと商店街を見つめている。吹き飛んだアーケードの奥には、トモヤの姿もちらりと見えた。
ちらりと見えたトモヤは攻撃の手を緩めているようで、じっと商店街の一方向を見ているようだ。何が起こっているのかシンジには分からないが、一方的な戦闘にはなっていないことは予想できた。
「さて、向こうはまだ決着がつかないようだな」
商店街での二人の『覚醒者』の戦いの一部始終を見ていたシンジは、改めてマサキたちのほうへ振り向く。
それまで何度か歯向かっていたアオイとは対照的に、マサキはじっとシンジを睨んでいる。何かを考え込んでいるようにも見えた。
「単にトモヤが遊んでいることも考えられるが、それにしても……。まぁ、計画に支障をきたさなければいいか。それよりも、遅いじゃないか」
独り言のようにシンジはぽつぽつと喋っている。
その言葉にマサキもアオイも反応を見せない。何かのタイミングを待っているかのように、二人でちらちらと目線を合わせながらじっとしているだけだ。
「こいつらの言うように来ないということは?」
「昨日の戦いでユウキは、女だけを囮にして逃げていた。自身の安全を選べば、まずここには来ないだろうが。やはり仲間を見殺しにするような奴には見えないのだよ。奴は必ず来る!」
自信を持って言うシンジの目はぎらぎらと燃えている。自分の言葉に絶対的な確信を持っているようだ。
その確信がどこから来るのか、部下の男たちには分からないが、シンジが言うことが本当ならば対策を立てておかねばならない。男たちは最初の追走戦以降、ユウキとは戦っていないのだ。
「具体的な力は?」
「奴の力は『空間移動』で間違いない。そうだろう?」
断言するように言ったシンジは、鎖でフェンスと繋げられているマサキたちに問いかけた。しかし、二人が喋ることはもちろんない。
「ほら、無言ってことが肯定しているようなものだ。『時空扉』の使用は単なる『覚醒者』じゃできない。そして『時空扉』の開発者とその名が差す意味を考えれば、使用できそうな力のタイプとその最も身近な『覚醒者』は容易に想像できる」
「……くそ――っ」
シンジの言葉にアオイは歯噛みをしてしまう。
「アオイ、やめるんだ。その反応が奴の言葉を認めてしまう」
「もう遅い。やはり私の想像通りだな。厄介な力だよ、まったく……」
「『空間移動』ですか。我々の銃は役に立ちますかね?」
「いや、全くだろう。発砲してからでもその速度で勝る力だとは。しかし……」
と、シンジは話を止める。
(なら昨日の夜、二度目の遭遇時になぜ力を使わずに女を残して走って逃げた? 力の使用には何か制限があるのか? そこらの理由は分からんが、何かあるな――)
ユウキの『覚醒者』としての力を見抜けられたアオイは、さらにきつくシンジを睨んでいる。まずあり得ないことだが、このままでは鎖を腕力だけで引きちぎってしまいそうなほどの形相である。
そのアオイの視線に気付いていながら無視しているシンジは、部下の男二人のほうへ向く。
「ユウキが現れた場合、人質を取っている意味はさほどないだろう。その力ですぐに鎖から解放されるだろうからな。奴が現れたら、すぐに殺せ。その動揺をつくぞ」
「はっ!」
またしても冷淡で冷酷な指示を出すシンジだが、部下の男は指示に従う。それぞれマサキとアオイに銃口を向けた状態で待っている。
そのまま数分ほど時間が流れる。
その間、誰も声を発しない。
シンジは百貨店の屋上の端からじっと下の様子を伺っており、二人の部下は依然としてマサキとアオイに銃口を向けたままでいる。銃口を向けられているマサキとアオイは、その緊張感から口で息をしているほどである。
一分一秒経つのが、あまりに遅く感じられる。
マサキは、早く助けにきてくれ、と必死に願う。その反面、ミユキにせよ悠生にせよ――この場に来たら、向けられている銃口から死へと繋がる銃弾が撃たれると考えると、来ないでくれ、とも考えてしまう弱い自分がいることにも気付いていた。
どちらが良いのか、正確な判断が出来ない。それほどまでに緊張感は高まっていた。
(ユウキが来るにしろ、あの女が来るにしろ、人質はすぐに抹殺する。それからゆっくり捕えてやろう。問題はその後――だ)
シンジはそう考えていた。
じっとしているシンジの視線は商店街の入り口へ向けられている。壊された商店街のアーケードからは商店街の中の一部しか見ることが出来ず、トモヤの戦闘状況を確認することは難しい。警察の動きを把握する方を優先したのである。
百貨店の屋上から、百貨店あるいは商店街の敷地をすぐに抜けることはあまりに難しい。すでに商店街は消防隊員が多数入っているだろう。消火が終われば、警察官も商店街に入っていくだろう。百貨店の屋上での騒動が発見されるのも時間の問題だ。
(逃走経路を確保する余裕はないな。昨日でこちらの人員を失いすぎたか)
昨日の追走戦でユウキとミユキによって部下を多くやられたことを、シンジは悔やむ。一夜の戦いで二桁を超える部下をやられたのである。
それを悔やむことは今さらであるが、部下が二人しかいないというような今の状況でなければ、ユウキを捕まえる作戦を立てるのももっとやりようがあったのは間違いない。
(これも、たられば……でしかないが)
人質を取っている今の状況で、もっと効率良くできる方法があったことを悔やむのは筋違いでしかない。そう考えたシンジは、改めて人質のマサキとアオイへ振り返る。
そして、一つ気になることを言った。
「下の戦いの音が聞こえなくなったな。君らを助けにきたあの女はトモヤにやられたのではないかな?」
シンジの言う通りだった。
それまで聞こえていた商店街での二人の『覚醒者』が戦っている音が聞こえなくなっている。
決着がついたのだろうか。
それは、ここにいる誰も分からない。しかし、シンジは『炎』の『覚醒者』の勝利を確信しているようで、ニヤリと嫌な笑みを浮かべている。
「そ、そんな……」
「……ぐっ」
ミユキが敗れたことを想像して、マサキとアオイは苦い声を上げた。
ミユキが負けたのだと想像も信じることもしたくはない。しかし、ミユキは『炎』の『覚醒者』に一度敗れていることが、その想像を膨らませる。
想像に屈したマサキとアオイは顔を俯かせた。
『ルーム』の『覚醒者』の中でもミユキは、言い方は良くないかもしれないが好戦的な性格をしている方である。『覚醒者』同士の戦いにおいても絶対の自信を持っている。そのミユキが負けたのであれば、他の仲間でも歯が立たない可能性があった。
「あとはユウキが現れるのを待つだけか。退屈な時間ももうすぐ終わるな」
勝ち誇った表情をしているシンジは、勝利宣言のように言った。
昨日の段階でユウキと『時空扉』の両方を手に入れているはずで少し遠回りをしたが、これで念願が叶えられる、と思うと笑みが止まらないのである。
そのまま、シンジはマサキとアオイへ近づいていく。勝ち誇ったような表情はそのままであり、近づいてくるシンジの表情にマサキとアオイは嫌悪感を露わにする。しかし、シンジはそれを意に介していないようで、構わず近づく。
「……君たちも、すぐに女と同じ場所へつれていってやろう」
シンジはフェンスに鎖で繋げられている二人に対して、そのままの表情で言った。
その表情はトモヤの言動と同様に、人の神経を逆なでしてくる。いつまでも見たいとは到底思えない不快な表情である。
その表情を見たくなくて、アオイが視線を背けたその時、轟音が響いた。
「……!?」
「な、なにっ?」
「な、なんだ!?」
突然響きてきた轟音に、百貨店の屋上にいる皆がそれぞれの反応で驚いた。
音は百貨店の屋上から響いたものではない。音は、地上から聞こえてきたのである。聞こえてきた轟音にシンジは慌てて屋上の端まで走り、地上を見下ろす。
「な、なんだ、あれは――っ!?」
そこには、竜巻が発生していた。
竜巻は商店街から発生している。商店街を覆うアーケードや建物の一部を壊しており、その勢いはどんどん強くなってきている。勢いを強くしている竜巻はそのまま上空へと昇っていき、その高さは百貨店の屋上に匹敵するほどまでになった。
「あの竜巻は……」
いち早く気付いたのはアオイだった。
アオイが気付いたのに続いて、マサキも竜巻の中に人影があることに気付く。そして気付いた二人は、
「「ミユキ――っ!!!」」
と、大声でその名前を叫んだ。
そう。竜巻を作っているのは、風を操ることができるミユキで間違いなく、シンジの言っていたことは間違いだったのである。
マサキとアオイが叫んだことに、屋上の端で身を乗り出しながら竜巻を凝視していたシンジは驚いて振り返る。
「ミユキ……だと!?」
シンジは、その名前を知っている。その名前が差す人物を。
トモヤが倒したと信じて疑わなかった『覚醒者』の女である。しかし、彼女は倒されてはいなかった。
百貨店の屋上まで達する高さになった竜巻は次の瞬間、その勢いを殺すこともなくこちらへ向かってきた。
巨大な竜巻が迫ってきていることに、百貨店の屋上にいた皆は再度驚く。竜巻の最も近くにいたシンジは慌てて屋上の端から離れたほどである。
(竜巻の中に人がいる……? 能力で出したものか――っ)
屋上の端から離れて、シンジはようやく竜巻が自然発生でないことに気付いた。
そう気付いた時には、竜巻は百貨店の横に到達していた。
百貨店の横に着いた竜巻は、次第にその勢いを失っていく。轟音を発していた風が消えていくに従って、竜巻の中にいたミユキの姿が露わになっていく。そして、竜巻が完全に消滅するとともに、ミユキは百貨店の屋上に降り立った。
「……すぐに助けるから!」
屋上に降りたミユキは捕まっているマサキとアオイに告げた。その視線はシンジの奥に捕まっている二人に向けられている。
急に現れたミユキに、シンジは拳銃を向けるが、それよりも早くミユキの『覚醒者』としての力が炸裂した。
百貨店の屋上に強烈な風が吹き荒れる。
風速二〇メートルを越える強風は人を地面から引きはがす。不意に起こった強風に足が浮くシンジやその部下の男二人、マサキとアオイは驚愕の表情を見せる。
ここは八階建ての百貨店の屋上である。この高さから地面へと落ちたらひとたまりもない。その恐怖を感じて、屋上にいたメンツはそれぞれ必死に踏ん張ろうと手近なモノを握る。
フェンスに繋がれていたマサキとアオイは屋上から落ちるというほど吹き飛ばされる感覚は感じないが、それでも身体が不安定になるのを感じて必死にフェンスにしがみつく。同様に、二人の銃口を向けていた部下の男たちもフェンスにしがみついている。シンジだけ屋内へ通じるドアのドアノブを握っていた。
(まずはマサ兄たちを狙ってる二人から――)
屋上にいたみんなが体勢を崩したのを確認して、ミユキは突撃をしかける。ミユキが第一歩を走りだした時には強風も治まる。
「風が……」
(女の力か……っ!)
じっとドアノブに捕まっていたシンジは、百貨店の屋上を目にも止まらぬ速度で走っているミユキを見て、気付く。そのミユキの狙いが部下の男たちだと気付いたシンジは慌てて拳銃を発砲するが、ミユキには当たらない。
風の後押しを受けた突撃は、一瞬の間に屋上の端から反対の端にある貯水槽前のフェンスまで到達する。ミユキの突撃の衝撃を受けたフェンスは簡単にひしゃげてしまい、フェンスに捕まっていた部下の男二人はさらに体勢を崩す。
「ぐ……っ」
「き、きさま――っ!」
体勢を崩した部下の男二人はミユキへ向けて、アサルトライフルの銃口を向けるが、次の行動に移っていたミユキの姿はすでに別の所にあった。
「な!? い、いない……っ」
「上だ!」
その言葉の通り、移動していたミユキは貯水槽の上に立っていた。
(気絶させるだけで十分。殺しまではしない)
貯水槽の上に立ったミユキは、頭上に掲げた手のひらに流れている風を集めている。集めたその風の風圧で、相手を地面に叩きつけることにより意識を混濁させるのだ。
「くそ! 撃ちまくれ――っ!!」
ミユキの手のひらに風が集められているのが視認できるほどであり、その脅威を感じた部下の男の一人が同僚に叫びながら、アサルトライフルの引鉄を引く。
発砲音が断続的に周囲へ響きわたる。
一つではないその音は肌に突き刺さり、強烈な不快感を与えてくる。その不快感を嫌うように、ミユキは頭上で集めた風を、手を一気に振り降ろすことで、部下の男たちへ向けて放つ。
その単純な動きだけだった。
それだけで、部下の男たちは簡単に沈黙する。発砲された銃弾も分厚い風の壁に方向を狂わされ、ミユキへは当たらなかった。そして、その分厚い風の壁はハンマーのごとく部下の男たちを地面へと叩きつける。
それだけで部下の男二人は気を失った。
「倒した! 今助けるっ」
部下の男二人が倒れたことを確認したミユキは、貯水槽の上から飛び降りる。そのままひしゃげたフェンスに鎖で縛られているマサキとアオイを解放しようと、二人をフェンスに繋いでいる鎖を手に取る。
「どうだ?」
「壊そうと思えばできるけど、二人も怪我をするかもしれない……。鍵を奪わないと」
鎖の鍵を探そうと気絶させた部下の男二人を見やると、
「君が探しているのはこれだろう?」
と声がかけられた。
声のほうを振り返ると、屋内へと通じるドアの前に立っているシンジが拳銃を持っていないほうの手に、鈍い銀色をしている鍵を握っていた。
「それ……」
「簡単にはあげられないな。ユウキと取引、ではどうだろうか?」
「それに応じる気はないわ。マサ兄たちもユウキもあなたたちには渡さない。それに奪われた『時空扉』も返してもらう!」
「……それを俺がだまって見てるとでも思ってんのかァ?」
「……っ!?」
シンジに向けて言った言葉は、別の声で返された。
その声の主は、ゆっくりと百貨店の屋上に姿を見せる。
それはトモヤだった。
トモヤはシンジの奥のドアから姿を現した。その様子は少し疲れているようで、額に汗がついている。
「遅かったじゃないか、トモヤ?」
「……ったく。俺はその女みたく空を飛べるわけじゃないからな。必死に走ってきたってのによ、なんだその言い方ァ?」
その言葉通りで、トモヤの息は荒くなっている。
右手の甲で額の汗をぬぐったトモヤは再びキッ、とミユキを睨む。
「俺から照準を変えたってことか?」
「あなたと馬鹿正直に戦う必要は私にはないわ。捕まった仲間と奪われたモノさえ取り戻せればいい」
「だから、それを俺がだまって見てると思ってんのかァって言ってんだよォ――っ!」
叫んだトモヤは、その全身から炎を発する。
その炎は近くにいたシンジの存在も気にせずに、一気に屋上へと広がっていく。
(ったく。見境なしか)
トモヤが発した炎に巻き込まれないように、シンジは屋内のドアの向こうへと姿を隠す。
「ここは任せたぞ! 私は『時空扉』のほうへ行く」
「またそれか……。まァ、いい。あの女は俺がヤってやる」
シンジがこの場を離れることに一瞬うんざりするトモヤだが、自身の標的をシンジに取られなかったことにやる気を失うことはない。
(ユウキはいないが、それなりの奴を喰えるってことはありがてェ。情けをかけたとはいえ、二回も逃がすわけにはいかないからなァ)
そのミユキはトモヤが発した炎に飲みこまれないように、屋上の端まで移動していた。その側には依然としてフェンスに繋げられていたマサキとアオイもいる。しかし鎖は壊せていないようで、捕えられていたフェンスを風の力で壊して移動させただけである。
「大丈夫?」
「あ、あぁ。けどミユキ一人で相手にできる奴じゃ――」
「ううん。あいつがどんな攻撃をしてくるかはだいたい分かってる。私は大丈夫だよ」
一人で戦おうとするミユキを心配するマサキだが、ミユキはそれでも立ち向かう。
一度目は完全に敗北した。二度目は優先するべきモノを変えた。三度目はその内の一つを為すために戦わなければならない。その覚悟と決意のためにも、ミユキは立ち向かうのだ。
「いいぜェ、そうこなくっちゃなァ!」
一撃目を簡単にかわされたトモヤだが、ミユキが真っ向から立ち向かう姿勢を見せたことに、さらに牙を剥く。
両手の平に作りだした火球を断続的に、ミユキへ向けて放つ。
それぞれの火球は一定の軌道ではなく様々な軌道を描きながら、恐ろしい速度でミユキへ迫っていく。
しかし、
「何度も同じ手は喰らわない!」
その言葉とともに、ミユキは右手を開いて前に差し出す。それだけで自身の前に、分厚い風の壁を作りだした。
放たれた火球はその壁に阻まれ、その向きを変えられる。そして、風の壁にぶつかった火球は小規模の爆発を起こして霧散した。その爆発の煽りをマサキとアオイは受けて体勢を崩すが、ミユキはじっと身構えている。
そして反撃とばかりに、ロケットのような突撃を行う。
「……っ!?」
(またそれか-――っ)
火球の爆発の陰から飛び出してきたミユキに一瞬反応が遅れるトモヤだが、すぐにカウンターに移る。
自身の右手に炎を纏い、カウンターのパンチを突撃してくるミユキに打ち込むつもりだ。反応が鈍るほどの速度で突撃をしているミユキは、トモヤのカウンターパンチには気付けない。炎を纏った拳をまともに食らうだけだ。
その拳が、ミユキの鳩尾付近に直撃する。
「もらったっ!」
ドスッ、という鈍い音が響くが、ミユキの突撃はそこで止まらなかった。
(な……にっ!?)
ミユキの動きが止まらなかったトモヤは驚愕の表情を見せるが、その一瞬をミユキは見逃さない。突撃の速度を利用したミユキの回し蹴りが、トモヤの頭を正確に捉える。
「が……っ」
上段の回し蹴りをもろに受けたトモヤはそのまま吹き飛ばされ、百貨店の屋上の数段高くなっている端のコンクリートにぶつかる。
数メートルも吹き飛ばされたミユキの回し蹴りの威力は風による後押しを受けており強力である。本来なら、まともに立つことはおろか、脳が揺さぶられ意識さえしっかりと保っていられないだろう。しかし、トモヤは平然と立ち上がる。
(風の槍の衝撃波を受けた時も立ち上がってたけど、本当に頑丈なんだな……)
と、立ち上がったトモヤを見て、ミユキは暢気に思ってしまうほどに、トモヤの身体の屈強さはすごい。年齢相応の体型からはとても思えないほどである。
そう思ったミユキは、改めて目の前の『覚醒者』に集中する。
簡単に倒せる相手ではない、と。
「くそ……。頭から血流れてんじゃねぇか」
立ち上がったトモヤは左手で頭のこめかみの辺りを押さえている。その指の端から、血の赤い色が見えた。どうやらコンクリートの角で切ったみたいだ。
どの程度切れているかにもよるが、常人ならその傷で頭がふらふらしてまともに立ち上がることは困難である。一五歳程度の容姿ながら、その部分に『覚醒者』としての性格を垣間見る。
「……やってくれたな――っ!」
頭から血を流しているトモヤはその痛みも気にせずに、今度は俺の番だ、とばかりに突撃をやり返す。
アフターバーナーによる高推力を得た高速移動である。
その速度は、風の後押しを受けたミユキの突撃のそれと変わらない。それほど広くない屋上をあっという間の速度でトモヤは駆け抜ける。その突撃を、ミユキはかわすこともしない。
そのままミユキの身体にトモヤの拳が当たる……はずだった。
しかし、その拳はミユキへは届かない。
「な……んだと――」
トモヤの拳は、ミユキの身体の数センチ前で止まっていた。
もちろん自分で寸止めしたわけではない。強制的に拳が止められたのだ。
自分の攻撃がミユキの身体へ届かないことに驚いているトモヤは、拳とミユキの身体の間に何かがあることに気付く。
(……透明な壁。また風か!)
そう判断したときには、目の前に風の槍が迫っていた。
「あ……っ!?」
風の槍を目で視認した時にはもう遅い。
鼻先数センチまで迫った風の槍をかわすことは叶わない。
「くらえぇえええええええええええええ――っ!!!」
いつか聞いたような声を上げながら、ミユキは頭上高くに掲げた右手を振り降ろす。振り降ろされた手の動きに従って、風の槍がトモヤに直撃する。
風の槍は次の瞬間には、周囲へ衝撃波をまき散らすように霧散し、すさまじい衝撃をトモヤへ与える。
「がぁあああああああ!」
周囲へ放たれた衝撃波は、周囲にいる気絶した部下の男二人を数メートル吹き飛ばし、マサキとアオイの身体も簡単によろけさせる。
そして、その衝撃を受けたトモヤは全身を襲う痛みに叫びながら、また吹き飛ぶ。
再び吹き飛ばされたトモヤは身体に走る激痛に耐えながらも空中で体勢を整え、反撃に転じようとする。再び屋上にいるミユキへ殺意と敵意を剥き出しにした視線を送るが、その場にはすでにいなかった。
(どこに……?)
視界から消えたミユキを探そうと隠れるものがそれほどない屋上を見回すが、いない。どこにいるのか、と疑問に思った時、不意にトモヤの空が影で塗りつぶされる。
その影に気付いた時には、トモヤの頭に強い衝撃がふりかかった。
「……ぐ――っ!」
(う、上からだと!?)
ミユキの踵落としが、トモヤの脳天を直撃したのだ。
踵落としを食らったトモヤは、そのまま空中から百貨店の屋上へと叩きつけられる。屋上のコンクリートに、その衝撃を受けた亀裂が走る。再びコンクリートに身体を強打したトモヤの顔面には流れている血がさらに増える。
「がっは―……っ」
屋上のコンクリートに叩きつけられたトモヤは、口から血を吐く。そして、そのまま動かなくなった。
その様子をじっと見ていたミユキも、自身が作りだした風から屋上へと降りる。
「ふう……」
トモヤが動かないことを確認して、ミユキはマサキとアオイの元へ駆け寄る。
「大丈夫か?」
「さっきも言ったでしょ。私なら大丈夫よ、マサ兄。風の槍の衝撃は?」
「だいぶ受けたけど、身体はなんともない。あいつらも、とりあえずは死んじゃいないだろう」
マサキはそう言って、屋上の端に倒れている部下の男二人に視線を向ける。
二人は鎖でフェンスに繋げられたままであり、自由に手を動かすことができない。屋上で二人を守りながら戦うことはミユキにとっても難しいことであり、その選択は取りたくない。そのために二人を鎖から解放しなければならない。
「あの男が見せた鍵が全てとは限らないし、部下の人たちが鍵を持ってるとも限らない。別の方法でマサ兄とアオイをこの場から逃がすわ」
その鎖の鍵は、シンジが見せていた。しかし、すでにこの場にはいない。百貨店の屋上に倒れている部下の二人も持っているかもしれないが、すぐには分からない。鍵を探している所を、トモヤに狙われる可能性もあった。
そのためミユキは二人だけでも逃がそうと、その手に風を集め始める。
「しかし……」
「商店街には警察も来てる。ここの騒動ももう警察は気付いてるでしょうし、その内警察がくるわ。事情を話せば助けてくれるでしょうけど、そうしない方がいいっていうのも私は分かる。それにシンジって男がいなくなったのも不気味だけど、ここじゃ二人を巻き込みかねない」
「俺たちも加勢したほうが――」
「ううん。二人は彼のことをお願い。あの人は絶対に守らなければならないもの」
マサキたちの助けを、ミユキは必要としない。
自分の優勢よりも、為さなければならないことの一つを成し遂げようとするためである。そのためにマサキとアオイをこの場から逃がすのだ。
ミユキは集めた風を百貨店の屋上から二人逃がすために使おうと、風へさらに意識を集中させようとする。
その時、
「ミユキ! う、後ろだ!!」
マサキが叫んだ。
「っ!?」
その声にミユキはすぐさま振り返る。
そこにいたのは、今にも立ち上がろうと片膝に手を当てて、踏ん張っているトモヤだった。その全身は様が変わっていた。そのことにミユキたちは驚く。
「身体が……赤い……!?」
「な、なんだ、あの色は――?」
ミユキたちには、トモヤの身体は赤く発光しているように見えた。
もちろん実際には発行しているわけではない。そのように見えたのは、トモヤが『覚醒者』としての力を、怒りを引鉄にして全力で発しているからだ。
「殺してやる……。お前は絶対に殺してるからなァ――!!!」
トモヤが有している人知を超えた力は、『炎』。
その象徴の色は、赤。
怒りを引鉄にして放たれる力は、火炎。
叫び声とともにトモヤが全身から放った火炎は、周囲へすさまじい熱を伴い、暴れる竜のように周囲のモノを呑みこもうとしていく。
そして、力の暴走による爆発が引き起こされた。
爆風はさらに火炎と衝撃波を周囲へまき散らす。
その標的は一つに定まらない。
「危ない!」
声を上げたのは、アオイ。
その視線の先には、力の奔流が生み出す衝撃波がミユキたちへと迫っていた。このままでは火炎に呑みこまれるよりも先に、衝撃波に吹き飛ばされてしまう。ミユキたちが立っている場所は、二人がミユキとトモヤの戦闘に巻き込まれないように、と離れた百貨店の屋上の端である。
その場所で前方から迫る衝撃波に吹き飛ばされるとどうなるかは、一目瞭然だ。
(まずい!)
今までで一番の危険を感じたミユキは、両手を前に差し出す。マサキとアオイを逃がすために集めた風を、全て衝撃波と火炎への防御へと回すのだ。
「二人とも、私の陰に!」
慌てたミユキは後ろにいるマサキとアオイに大声で伝える。
ミユキの声を聞いたマサキとアオイは、慌ててミユキの背中へと隠れる。その直後、トモヤの衝撃波が、目に見える形でミユキたちの脇を通り抜けていった。
「ミユキ……っ!」
自身の身体から数センチ離れた所を衝撃波が通り過ぎていったことに、マサキは驚愕の表情を浮かべる。衝撃波を受ければ、間違いなく百貨店の屋上から吹き飛ばされ、あとは地上へ真っ逆さまである。その光景が脳裡に浮かんだのだ。
「分かってる!」
ミユキが集めた風の壁よりもトモヤの力の方が、勢いが強いのだ。
そのため風の壁を押しのけて、衝撃波が襲いかかってくる。ぎりぎりで身体に当たらないのは、ミユキが身体の前を集中して力を入れているからだろうか。後ろにいるマサキとアオイには分からないが、横を通りすぎていく衝撃波を見ると恐怖の色が顔に浮かんだ。
一方、両手を前に突き出して風の壁を維持することに集中しているミユキは思う。
(衝撃波はなんとかなるかもしれないけど……炎は――)
そう。
力の暴走による衝撃波はミユキが集めた風でもかろうじて防ぐことができる。しかし、トモヤが放った火炎はそうはいかない。
力の相性、のためである。
『炎』は『風』に煽られることで、その勢いをさらに増す。誰もが知っているその結果により、迫りくる火炎はそれまでの火球では越えられなかったミユキが展開させている風の壁を越えようとしてくる。
「や、やば――っ!?」
ミユキが反応した時にはもう遅い。
迫る火炎は、風の壁と衝突する。そして、再び爆発が引き起こされた。
火炎との衝突により、風の壁はいとも容易く消失する。ミユキの力により収束されていた風が、周囲へ拡散されたのだ。拡散された風が迫る火炎の方向を変化させたことで、ミユキたちは直接火炎に呑みこまれることはなかった。
しかし、その熱気と爆風はミユキたちを容赦なく襲う。
「熱……っ」
炎の熱気に耐えられずミユキの陰にいたマサキが、その熱気から逃げようと身体を反らす。だが、彼が立っているその後ろは足場がなく、段差があるだけだ。
マサキが身体を反らした直後には、
「「あぶないっ!!」」
と、ミユキとアオイが必死に手を伸ばしていた。
上半身が後ろへと傾いているマサキの手を、二人は必死に掴もうとする。
その一瞬が、驚くほどに長く感じる。ふらふらと漂うマサキの手を掴もうと手を伸ばしても、身体を反らし衝撃波に煽られている彼の身体は安定しておらず、その手をなかなか掴めない。空中で掠めるばかりだ。
衝撃波の影響は、マサキだけが受けているわけではない。それは、マサキの手を掴もうと手を伸ばしているミユキとアオイも同じである。
(もう……ちょっとなのに――)
届きそうで届かないマサキの手に、ミユキは焦る。
このままでは三人とも地上へと真っ逆さまに落ちてしまう。それだけは避けなければならない。そう強く思うほど手に力が入り、マサキの手を掴むことが出来なかった。
焦りはさらに加速する。
吹き荒れる風と襲いかかる炎とその熱にミユキたちは囲まれながら、百貨店の屋上から落ちることを防ぐために必死になっていた。必死に伸ばした手は、マサキの手に触れそうになるほど力が入り、その指まで届かない。
もどかしさと焦りばかりが溜まっていくのはアオイも同じようで、彼女も空中で必死に手を伸ばしていた。
それでも、二人は諦めない。
『ルーム』の仲間であるマサキを絶対に助ける、と強い意志を込めた瞳でさらに手を伸ばす。自分自身も落ちそうになるほど身を乗り出していることも気にせずに。
そして。
アオイの手が、マサキの手に届いた。
「掴んだ……っ!」
その言葉とともに、アオイはマサキの身体を手ごと力いっぱい引っ張る。そのアオイの腰を掴んで、ミユキも力を合わせる。アオイの腰を掴んだミユキは、マサキにも力を振り絞ってもらうよう叫ぶ。
「マサ兄ぃ!!」
名前を叫ばれたマサキも掴まれたアオイの手首をもう片方の手で掴み、段になっている屋上の端から仰け反り落ちそうになっている足に、踏ん張るように力を入れる。
そして、ミユキとアオイは後ろへ倒れ込むようにマサキの身体を引っ張った。
「た、助かった――」
「はぁはぁ……」
百貨店の屋上から落ちそうになるのをミユキとアオイに助けられたマサキは、屋上に腰を落として顔面を蒼白にさせている。同様に、ミユキとアオイも息を切らしていた。
そこへ、暴走した力を行使するトモヤが突っ込んでくる。トモヤの行動に対する反応で、その身体からは炎が荒れ狂うように放たれる。
ミユキたちは屋上のコンクリートに腰を落とした状態であり、咄嗟の行動ができない。トモヤが突撃してきていることに気付いたのも、鼻先に近づいた時だった。
「ぁああああああああああ――っ」
連続した叫び声が屋上に木霊する。それは、トモヤの突撃を受けたミユキたちの声である。トモヤの狙いはミユキだったため、身体を襲う痛みに叫んだミユキの声が特に響いた。
トモヤの突撃によりコンクリートは盛大に砕け、周囲に埃を巻きあげる。巻き上げられたコンクリートと埃で、一瞬視界が遮られる。
「ミユキ……っ!!」
砕けたコンクリートが顔面に飛んでくるのを鎖に繋がれていない方の手で防ぎながら、マサキはミユキに声をかけた。
しかし、返事は返ってこない。
飛び散ったコンクリートと埃の中で、ミユキはトモヤに両手で首を掴まれていた。万力のように首を絞めているのだ。トモヤが力を込める度に、その身体から炎が溢れて放出されていた。
「く……っ」
(い、息が、できない――)
首を絞められているミユキはキッ、とトモヤを睨んでいるが、それで離してくれるわけはない。掴まれている手をどかそうと必死に抵抗をしても、その手を引きはがすことは叶わなかった。
次第に抵抗する力も弱まっていく。
「まずい……っ」
それまで顔面を蒼白にさせていたマサキは、飛び散ったコンクリートの破片と舞い上がった埃の先で、ミユキが首を掴まれているのを見つけて叫んだ。
あのままの状態では、ミユキはいずれ泡を吹いてしまう。抵抗する力が弱くなってきているのはマサキから見ても分かり、危険な状態だとすぐに判断した。そして、すぐに助けようと行動する。
マサキも『覚醒者』であり、戦うことができないわけではない。フェンスに鎖で捕まっており、その状態ではミユキの邪魔にしかならないため二人の戦闘を見つめているだけだった。
そのマサキはミユキを助けるために、声を張り上げてトモヤへ突進する。
「やめろぉおお――!!」
「……あ?」
「ミユキを離せ――っ」
「てめぇはどいてろよォ」
突進してくるマサキを睨みながら、マサキはドスの利いた低い声で言った。
その両手は相変わらずミユキの首を強烈に絞めていたが、マサキをあしらうために片手を離した。炎を纏った裏拳打ちで、ミユキを助けようと身体ごと突進してきたマサキを吹き飛ばす。
「がっは……」
あっさりとマサキは吹き飛ばされてしまった。ミユキほどの戦闘力は持たずとも、彼も『覚醒者』である。そのマサキは触れることすらできずに、容易く返り討ちになってしまった。トモヤの暴走した力は、身体的な力も増大させているようだった。
「マサ兄――っ!」
吹き飛ばされたマサキを心配して、アオイは慌てて駆け寄った。その表情は恐怖で固められていた。
マサキを心配するアオイだが、彼女はミユキを助けるためにマサキのように行動を起こすことが出来なかった。恐いという心理が働いているだけではない。ミユキやマサキですら歯が立たない相手に、直接的な戦闘には向かない自分が立ち向かっても結果が見えている。そのことが行動を起こす意思を奮い立たせないのである。
マサキは裏拳を受けただけであるが、立ち上がることができなかった。急所に当たったようである。
「……マサ兄ぃ!!」
「ぐ……。ア、アオイ――」
必死に声をかけるアオイだが、やはり立ち上がることは無理そうだった。脳が揺らされたのかもしれない。
マサキに声をかけるアオイの声は悲痛なほどに響く。
轟々と音を響かせながら燃える炎の間でもその声は聞こえ、意識が混濁しそうになっているミユキにもしっかりと聞こえていた。
(アオイ……? マサ兄は……?)
聞こえてくる声をはっきりと意識した時、閉じかけられていたミユキの瞼が再び開けられた。
こんな所で死ぬわけにはいかない、と。
「あん? まだお前死んでなか――」
トモヤの言葉が、そこで止まる。
ミユキの瞼が開いたことに気付いたトモヤがしぶといと思いながら、ミユキを顔へ視線を戻すと、ミユキの瞳に強い力が戻っていた。
(な……っ!? こいつ眼に力が戻って――!?)
そのことに、トモヤは驚いた。
全力で首を絞めたのだ。抵抗が弱くなっていたことからも、ミユキの息はとっくに止まっていたと思っていた。
だから、突進してきていたマサキを片手で振り払った。ミユキがもう死んでいると思っていたからの行動である。そして、片手は今もミユキの首から離されたままだった。当然両手で振るう力よりも片手で振るう力は劣る。仕留めきれていなかったミユキに、もう一度首を絞めようとしても、首を掴んだままの片手だけでは力が足りなかった。
その瞬間を、ミユキは見逃さない。
手による抵抗だけではく急速に集めた風を合わせてぶつけることで、一気にトモヤの身体を自身から引きはがしたのだ。
「が……っ!?」
集められた風を受けたトモヤの身体は、一瞬空中に浮かぶ。トモヤにぶつけられた風は短時間で集められたもので集中が足りなかったのか、トモヤの身体にダメージを与えることはできなかった。しかし、空中に浮かんだトモヤの身体は、そのまま数メートルも上がって、ミユキが逃れる時間を十分に作らせた。
トモヤの手から逃れたミユキは、四つん這いの状態で呼吸を必死に整える。
「……はぁはぁ――。ん、は……っ」
首を強い力で絞められていたのだ。肺の中の酸素不足は著しく、一時的に身体が思うように動かせない。踏ん張って起き上がることが出来なかった。
そのままの体勢で、ちらりと横を見る。
そこには百貨店の屋上に倒れているマサキと傍で必死に声をかけているアオイがいた。アオイの目には涙が浮かんでいるのが分かる。
「……ア、オイ……。マサ……兄は――?」
「ミ、ミユキ……っ。し、死んではないけど、意識がしっかりしてなくて……」
ミユキの声に気付いたアオイは、涙を堪えているような声で言った。
どうやらマサキは軽い脳震盪のようだ。それでは意識は定まらないし、起き上がることは到底できない。
「……そう……。離れてて――、あいつはまだ倒してないっ」
マサキの状態を聞いたミユキは、マサキがまだ死んだわけではないことにひとまず安心の声を上げた。混濁しそうになっている意識の中、聞こえてきたアオイの声から最悪の事態を予想していたのだ。
安心したミユキはさらに瞳に力を宿して、立ち上がるために歯を食いしばる。
もうこれ以上誰も傷つかせないために。
誰も失わないために。
力を振り絞って立ち上がったミユキの呼吸はさらに乱れるが、それも気にしない。そして、百貨店の屋上に降りてきたトモヤをまっすぐと見据えた。
「あれくらいで、私が死んだって思わないことね」
「てめぇ……っ」
相手を下に見る口調で挑発したミユキに、トモヤは怒りの感情を露わにする。それは仕留めきれなったことに対しての感情でもあった。
一方で、トモヤを挑発したミユキもそれほど余裕があるわけではなかった。首を絞められ、窒息死する寸前だったのだ。身体の器官、特に脳は酸素不足でその機能を低下させている。トモヤを空中へ飛ばすことで回復させる時間を少しでも作ったが、すぐに機能が全回復するわけではなかった。
ミユキとトモヤ、両者が負っているダメージは違う。
ミユキの身体は昨日の戦いでの怪我と先ほどの窒息死狙いの攻撃によるダメージを受けているが、トモヤはミユキの持つ攻撃方法の中でも最上位に値する風の槍を幾度も受けている。蓄積されているダメージも大きく違っていいはずだった。
しかし、トモヤは未だに倒れていない。
その頑丈な身体と暴走した『覚醒者』の力で、ミユキの前に立ちはだかっていた。その身体から放出されている炎は相変わらず、人を簡単に殺せる力である。
そこで、ミユキは一つのことに気付く。気付いたことに、ミユキの思考がだんだんと働いていく。それは酸欠状態からの回復を表している。
(……暴走した力でも、放たれた方向によって炎の威力が違ってる?)
ミユキが気付いたのは、放出されている炎の勢いの違い、だった。
暴走したトモヤの力は本人の感情や行動に反応して、あらゆる方向へ放出されている。しかし、その方向によって明らかに大きさや勢いの違いがあったのだ。
それまで気付かなかったのは、全方向に炎を放出することがなかったからである。
(何が原因……?)
放出されている炎の勢いの違いの理由を、ミユキは考える。そこに活路があるかもしれない。そう思ったからだ。
必死に理由を考えるミユキだが、当然トモヤはその時間を与えてはくれない。
トモヤは手を動かすことで、断続的に放出されている炎を操る。手の動きで、炎の軌道を定めているのだ。
「やっぱり待ってはくれないか――」
トモヤが操った炎が迫るのを見て、ミユキは小さな声で言った。
様々な軌道を描きながら向かってくる炎を、ミユキは風の力で防ぐのではなくて蛇行するようにしてかわしていく。暴走したトモヤの火炎を防ごうとした時も風では防ぎきれなかったことを見て、防御に徹するのは良くないと判断したためである。
「逃がすかァ!」
吠えるトモヤは、さらに追撃の炎を繰り出してきた。
それらの炎は蛇行しているミユキを捉えようと様々な軌道で迫ってくるが、やはり大きさや勢いは統一されていない。極端に弱い炎もあった。
(やっぱり大きさも勢いも違う。何より感じる熱気が違いすぎる……)
それはトモヤが意図的に炎の威力を弱めていることを意味している。
だが、ミユキには何のために炎の威力をわざわざ弱くしているのかが分からない。ミユキを殺すならば、最大火力の炎で焼き殺せばいい。『覚醒者』の力が暴走する前も、トモヤが繰り出す炎は全力だったとミユキは思っている。今さら、その威力を弱める理由が見当たらないのだ。
しかし、実際にトモヤは断続的に放出している炎の一部の威力を弱めていた。その矛盾が、ミユキに無視できない程度の違和感を与えてくる。
(考えられる理由を上げればいい。何が原因なのか――)
昨日の戦いと商店街での戦い。その二つではミユキに対する攻撃は探りながらもあっただろうが、本気だったことは間違いない。
トモヤは百貨店の屋上に戦場を移してから、炎の威力を弱めている。
だが、最初はそうではなかった。トモヤが炎の威力を意図的に弱め出したのは、あるいはミユキがそれに気付いたのは、トモヤの『覚醒者』の力が暴走した後である。百貨店の屋上に移ってから、『覚醒者』の力が暴走する前と後での違い。それらを改めて見直して、ミユキは一つの疑問にたどり着く。
(まさか……弱点って――)
ミユキが抱いた疑問は至極簡単なものだった。そして、それを確かめるためには行動に移るしかない。
そう考えて、それまで迫る炎をかわすことだけに集中していたミユキは反撃に転じようとする。受け身の状態では疑問を問いかけることもできないからである。
まずは迫り続ける炎を止めさせなければ、近寄ることすらできない状態だった。そこでミユキは、トモヤが放つ炎を蛇行することでかわしながら、右手で周囲の風を集める。集めた風で一時的な壁を作り、炎の行く手を少しでも阻もうと考えたのだ。
集めた風でミユキが壁を作ろうとした時、百貨店の屋内へと通じるドアがいきなり開けられた。
ドアを開けて姿を現したのは、悠生だった。
「ミユキっ!!」
屋上に躍り出た悠生は、真っ先にミユキの姿を見て、その名前を叫んだ。
突然現れた悠生とは対照的に、屋上にいた人全ての時間が一瞬止まる。それらの人の視線全てが、悠生に向けられた。
屋内へと通じるドアがいきなり開けられたこと、そして現れた悠生が大声で叫んだことで、ミユキやトモヤの動きは数秒間止まった。
最初に声を発したのは、名前を呼ばれたミユキだった。
「な、あなた……!?」
しかし、ミユキはいきなり現れた悠生を見て、途中で声を失う。
驚いた表情を見せているミユキに、悠生は肩で息をしながら構わず尋ねる。
「何があったんだ? 百貨店から客も店員も一斉に逃げだしているし、商店街はひどい騒ぎになってるし――」
その視線は屋上を一周する。
悠生の視界からは、コンクリートの上に横になっているマサキと静かに状況を見守っていたアオイと二人を庇うように立っているミユキ、そのミユキを相変わらず睨んでいるトモヤ、そして倒れて動かないシンジの部下の男二人が見えた。
それらの人物を見て、悠生は状況を理解しようとする。
しかしそれよりも早く、
「おいおい、目標が目の前に転がりこんできたじゃねぇかよォ!」
トモヤが、悠生に反応した。
アフターバーナーによる突撃が、悠生へと迫る。
突然のことに悠生は反応することも出来ず、トモヤの突撃をまともに受けてしまう。突撃を受けた悠生はそのまま百貨店の屋内へと通じるドアへと吹き飛ばされる。さらにトモヤは悠生の服をしっかりと掴んでおり、逃げられないようにしている。
「危ない――!!」
ミユキが叫ぶが、悠生には回避することができない。
そのままドッカ―ンッ、という大きな音を響かせながら、悠生はドアへとぶつかった。
「が……っ!」
あまりの衝撃に、肺の中の酸素が全て吐きだされる。
悠生の身体がぶつかったドアはひしゃげており、アフターバーナーの煙とドアにぶつかった際の舞い上がった埃などで視界が霞む。
ミユキたちからは、それらの煙で悠生たちが視認できなくなった。
その中で、悠生の声だけが響いてくる。
トモヤは悠生の服を掴んでいた。煙の中でもかまわず攻撃を繰り返しているのだろう。聞こえてくる悠生の声は悲痛なものだった。
(やばい……っ!)
悠生の声を聞いたミユキは、素早く手首を返して集めていた風を操る。その風で、屋上に漂う煙を全て吹き飛ばした。
すると風で消えた煙の中から、トモヤに殴りかかられている悠生が出てきた。悠生は口の中を切ったのだろうか、唇から血が流れていた。
「……やらせない!」
悠生へのこれ以上の攻撃はさせない、とミユキは突風をトモヤに放つ。
悠生の胸ぐらを掴み、まさに顔面を殴ろうとしていたトモヤは、ピンポイントで狙われた攻撃で、悠生から距離を取るように吹き飛ばされる。
「ち……っ。邪魔しやがって」
突風による攻撃はトモヤへ当たることはなかったが、悠生から引き離すことには成功した。
トモヤを悠生から離したミユキは慌てて、悠生の元へ駆け寄る。
「大丈夫?」
「……あ、あぁ」
唇から流れている血を左手の甲で拭いながら、悠生は答えた。
「なんで……なんで、ここに来たの!?」
悠生の身体が無事なのを確認して、ミユキは彼がここに来た理由を尋ねた。その瞳はきつく悠生を睨んでいる。
ミユキが怒るのも無理はない。『ルーム』から出るな、としっかりと伝えたのだ。それなのに、悠生は今ここにいる。彼女は、悠生が『ルーム』から出てきたことに怒っているのと同時に、もっときつく言っておけば良かった、と自分にも怒っている。
「…………」
対して、悠生はすぐに答えられない。
質問の答えは、ここに来るまでも何度も自問自答してきた。なぜ『ルーム』を出たのか、なにが出来るのか、何がしたいのか。それらの自問は悠生を前へと進ませ、この場所まで導いた。
しかし、その答えは悠生だけでなく、ミユキたちも巻き込むものだ。
そこで、躊躇が生まれる。
自分の意思でみんなをさらに困らせることになってもいいのか、と。
「……なんで……」
悠生が答えない間、ミユキは顔を俯かせて小さく同じ言葉を繰り返した。その声はそれまでの彼女の声とは違い、弱々しく響く。
必死に守ろうとしているものが、その囲いの中から勝手に出てきたのだ。それも彼女が守るために戦っている最前線に。これでは、ミユキは何のためにユウキを時空移動させ、悠生を守ろうと奔走しているのか分からなくなってしまう。その努力が無駄になりかねない。
そのミユキを納得させるだけの答えになるのか、悠生には自信がなかった。
それでも、言葉を絞り出す。
自分が導き出した答えを。
「……自分の意思で、ここに来たんだ。たしかに俺は『ルーム』にいるべきなんだと思う。けど、どういう理由でも俺を守ろうとみんなが頑張ってくれてるのに、俺だけ閉じこもってるなんてことはできないし、したくないんだ」
言葉は続く。
考えるよりも先に、言葉が口から飛び出す。
それは悠生がこちらの世界で初めて見せた一つの意思であり、自発的な行動だ。その意思を聞いたミユキは、俯かせていた顔を上げて驚く。
「だから『ルーム』から出てきた……っ! 俺に何が出来るのかは分からない。何がしたいのかもまだはっきりとしてないし、上手くは言えない。でも! じっとしてるだけは嫌で、俺もミユキたちと同じ目線でいたいんだ!!」
悠生が見せた意思は明確な言葉と行動によって、ミユキへまっすぐと届けられる。
それを聞いたミユキは言葉を発せない。
「…………」
世界のためを思っての行動だけでなく、彼自身のことも思って『ルーム』から出るな、と言ったのだ。しかし、それはミユキたちが勝手に出した悠生への配慮であり、やはりそこに悠生の意思は汲み取られていない。
その悠生が見せた意思に、ミユキは戸惑う。
それまでの選択が正しかったのか、それさえも自分で判断できないほどに。
「お願いだ。俺も同じ場所にいさせてくれっ」
黙ったままのミユキに、悠生は自身の思いを、意思を、言葉にして伝えた。
「……っ」
その言葉に、ミユキは心が動かされる。
彼の気持ちを汲んでこの場にいさせることが最善なのか、問答無用で『ルーム』へと変えさせるのが最善なのか。その判断が片方へ傾いてしまう。
そして、一度傾いたそれは、重さによって傾くシーソーのように片方に落ちていくだけだった。
「……わかった。けど、あなたも危険に巻き込まれる。その覚悟はある?」
「当り前だ! じゃなきゃ、今俺はここにはいない――っ」
「……その言葉、信じるわ!」
悠生の答えを聞いて、ニコッ、とミユキは笑顔を見せる。
彼がそう望んだのなら、それで構わない。今まで目立った反論もせずに、ついてきてくれていた方が不思議でもある。ならば、今くらいは彼の意思を尊重しよう。
ミユキはそう思って、立ち上がる。
変わらずに目の前にいるトモヤを見据えて。
「あなたは陰に隠れてて。私が戦う」
「わかった」
何も力を持たない悠生が、『覚醒者』と対峙することは自殺行為に等しい。
トモヤは悠生のことをユウキと思っているのだろうが、彼は『覚醒者』であるユウキではない。戦わせることは出来なかった。
しかし、
(ユウキじゃないってこともばれちゃいけない……。まったく難しい注文ね)
そう。
トモヤは、ここにいる悠生はあくまでも『覚醒者』のユウキであり、捕まえることが命じられているユウキだと思っている。時空移動した後に、ユウキの代替でこちらの世界に来た悠生だとは思っていない。それを悟られるわけにはいかないのだ。
立ち上がったミユキの目の前にいるトモヤは二人の様子を窺っているようで、まだ動こうとしない。悠生ではなく――ユウキの力を警戒しているのかもしれない。それはミユキにしてみれば幸運だが、悠生だとばれればすぐに形勢は逆転しかねない。
百貨店の屋上で、ミユキとトモヤはじりじりとお互いの距離を測る。
悠生を陰にするように前に立ったミユキに、トモヤは、
「お前はもう用済みだよ。こっちはユウキを捕まるように命じられてるんでなァ」
「そうはさせない。悠生くんも守るし、マサ兄たちも守る。そして、あなたたちが持っていった『時空扉』も返してもらうわ」
ミユキは、改めて自分が為すべきことを言葉にした。
それらは変わらない。
全ては自分の犯した失態によるものだ。たらればを言っても遅いが、ユウキを助けるのがもう少し早ければ、このような事態にはならなかったかもしれない。喫茶店を出た後すぐに別れなければ、このような事態にはならなかったかもしれない。そのようにミユキは自身の過失を認め、また自己嫌悪していた。
だからこそ、自分が償いとして為すべきことを明確に言葉にする。
そして、償いを必死に行うために行動する。
「だから、それを俺が黙って見てるとでも思ってんのかっつってんだよォ――ッ!!!」
再度、ミユキの意思を聞いたトモヤは吠えた。
そこで終わらない。
一度起こった力の暴走は簡単には治まらない。トモヤの咆哮とともに、その身体から再び火炎が放たれる。放たれた火炎は意思があるようにうねりながら、ミユキと悠生へと迫っていく。
「……っ!?」
「な、また……っ」
迫りくる火炎を前にして、二人は目を見開く。
驚く二人だが、その次のミユキの行動は早かった。ミユキは悠生を守るために防ぐのではなく、かわす行動をしたのだ。
ミユキは自身の背に隠れている悠生の手を取って、風を集めて自身の身体ごと二人を空中へと浮かせる。
「わ……っ!?」
いきなり身体が浮いたことに驚く悠生だが、ミユキはその反応を無視して、一気にその場から移動した。
放たれた火炎は先ほどまで二人がいた百貨店の屋内へと通じるドアへぶつかる。ドアへと衝突した火炎はそのままドアを呑みこんで、屋内への逃げ道を失くしてしまう。
それでもミユキは、これまで以上に焦ることはなかった。
風の力で空を渡って火炎から逃れた二人は、屋上の端にいたマサキとアオイの傍に降り立つ。相変わらずマサキは屋上に横になっており、アオイが傍で見守っていた。
「悠生くんもここにいて。あいつは私が倒す」
しっかりと悠生の手を握っていたミユキは、悠生もマサキとアオイのようになるべく巻き込まれないように屋上の端にいることを勧めた。
悠生もそれに頷く。
今は、この場にいること以上のことは望めない。そう自分でも分かっているのだ。悠生がミユキの隣に立つことは彼女の戦闘の迷惑にしかならない。ここに来るまでも考えていたことだが、それはやはり証明されてしまった。
悠生が頷いたのを見て、ミユキは握っていたその手を離す。
そして、トモヤの前にもう一度一人で立った。
「ちっ。お前を先に倒してからってことかよォ。めんどくせェ」
悠生が屋上の端から動かないことを見て、トモヤは一人ずつ倒せということだと解釈する。
言葉ではそう言いながら、しかしトモヤは楽しそうな目を向ける。戦いを求めているようで、口の端をつりあげながら。
「……そう思わなくて結構よ。もう私だけであなたの相手は十分だから」
「あ?」
驚いた声をあげるトモヤに対して、ミユキは速攻をしかける。
風の後押しを利用した突撃である。
これまでも何度も繰り出した攻撃であるためトモヤも避けるなり反撃するなりの行動を取ることは簡単である。しかし、ミユキの言葉に驚いた分の反応が遅れる。そして、ミユキにはその時間だけで十分だった。
反応が遅れたトモヤが回避行動に出る中で、ミユキは突撃の最中で右手に風の槍を作りだす。
「な……っ!?」
そのことに、トモヤはさらに驚いた。
ミユキの突撃はまだトモヤへの距離があった。ただの突撃なら、トモヤもアフターバーナーによってかわすことが苦もなくできる。だが、ミユキは突撃の上に風の槍を作りだした。風の槍はミユキの身体の倍以上ある長さである。その槍の長さの分だけ、二人の距離が一気に縮まる。
さらに、トモヤの驚きはそこで止まらなかった。
それまでは投擲のように投げて攻撃してきた風の槍を、今度は投げなかったのだ。右手の拳にまとう風の槍で数メートルの距離を縮まらせ、トモヤの反応が遅れている所へ風の槍を直にぶつけたのだ。
「がっ! ぁああああああああああ――っ!」
風の槍を再び受けたトモヤは、またしても悲鳴をあげながら吹き飛ばされる。
吹き飛ばされたトモヤは、貯水槽の周りを囲むように設置されているフェンスへとぶつかって止まる。それまで流していた頭の血に加えて、口や腕など様々な場所から血を流していた。
普通なら倒れる出血量である。それでもトモヤは立ちあがろうとする。
「ぐ……、くそがァあああ――っ!!」
意識をまだ保っているトモヤは膝に手を当てて、身体に力を入れる。その際に、暴走した『覚醒者』の力が溢れ出る。
(まだ起き上がろうとするのね。本当に頑丈――)
負けに屈しないトモヤを見て、思わずミユキは感心してしまう。しかし、そこで情けをかけることは出来ない。
「あなたの力はもう身切ったわ」
起き上がろうとしているトモヤに、ミユキは言い放った。これ以上の戦闘は無意味とでも言うように。
「ほざけ、女がァああ――!!」
ミユキの勝利宣言を聞いたトモヤは、その体勢のまま再び吠えた。
吠えたことと共に、トモヤの身体から溢れ出た炎がミユキを襲う。それまでの火炎とは違い、大きさも勢いもまるで違う。百貨店の屋上にいる全ての人を呑みこもうとした火炎ではなく、ミユキのみを対象にした火炎である。その炎は細く、目に見えて鋭い。尚且つ、速かった。
(……私だけを正確に狙って)
しかし、トモヤの攻撃を見ても、もうミユキは動揺しない。
炎がまっすぐ迫ってきているのを見て、即座に回避行動に移る。自身の身体を横殴りの風で無理矢理移動させたのだ。
「……なっ!?」
渾身の一撃がいとも容易くかわされたことに、トモヤは驚愕の表情を浮かべた。
それまでの全体を狙った攻撃ではなく、たった一人を正確に貫くために凝縮し、収束した火炎による攻撃だった。それが、ほんの少しの移動動作で簡単にかわされたのだ。
トモヤが驚いている瞬間に、ミユキの反撃が放たれる。
それまでの風の槍ではなく、かまいたちによる攻撃。しかし、それはトモヤに向けて放たれたものではない。トモヤが身体を預けているフェンスのその奥にある、貯水槽へ向けられていた。
かまいたちの刃が、貯水槽の壁を破る。
その瞬間、ドッパーン、という音とともに大量の水が周囲へばらまかれた。
貯水層から溢れ出た水は、百貨店の屋上へ飛び散っていく。
その最も近くにいたトモヤは当然として、屋上の端にいた悠生たちにも降りかかった。トモヤが放った炎の熱で熱くなっていた屋上の熱が、一気に冷やされていく。そして炎に降りかかった水は、蒸気へと変わっていった。
降りかかった水によって濡れた髪を振って、トモヤはミユキを睨んだ。かまいたちによる攻撃で直接トモヤを狙わなかった理由が分からないのだ。立ち上がることができなかったトモヤは、かまいたちを完全にかわす自信などなかった。倒すことは出来なくても、さらに傷を負わせることは出来たのである。
なのに、そうしなかった理由がトモヤは分からない。
そのトモヤに対して、
「あなたの力は『炎』。もっと言えば身体から炎を作りだす力、つまり『発火』。水に濡れた状態で、はたして力は使えるの?」
と、ミユキは一つの疑問を口にした。
いや、疑問とまでも言えない。トモヤとの戦闘の中で抱いた違和感を確信に変えるためである。トモヤはミユキを攻撃する際に、屋上の一定方向へ出す炎はその威力を弱めていた節があった。『覚醒者』の力が暴走した後のトモヤは断続的に身体から炎が放出されていた。その放出は全方位に対してでありながら、ある方向へは放出されている炎の大きさや勢いが明らかに弱かったのである。そして、その方向とは貯水槽がある方だった。
その違和感が、トモヤの弱点を気付かせたのである。
そしてミユキは、形勢が逆転した、と笑みをこぼす。
それまでトモヤが見せていたような余裕のあるような、また相手を挑発するような、ニヤリとした笑みを。
「……くそやろうがァ!!」
「吠えるってことは間違いないみたね」
トモヤの反応を見て、ミユキはこれで仕留める、とさらに風の槍を作りだす。
その風の槍は先ほどのトモヤの火炎と同様で、渾身の一撃である。倒すというよりも、殺すという二文字がぴったりと当てはまる一撃必殺の攻撃だ。
「あなたの敗北要因は、あの男たちがこの場所を選んだこと。そして、あなたがその素振りを見せたこと。それだけで、私には十分だったわ」
それだけで、十分。
その一言に、トモヤの怒りが再熱する。
しかし、トモヤの身体から炎が放出されることはなかった。やはり水に濡れると『覚醒者』としての力が発揮できないようだ。
そのことをしっかり見届けたミユキは、作りだした風の槍を今度は投擲のように投げる。投げられた風の槍は、一直線にトモヤへと迫っていく。先ほどのかまいたちとは違い、正確にその身体を狙っている。
「ち……っ!」
(くそ……、身体が思うように動かねえ――)
先ほどまでと同じ中腰のような体勢で貯水槽前のフェンスに寄り掛かっているトモヤは、満足に身体を動かすことができない。風の槍を何度も受けた傷と暴走した力の反動で、身体に重いダメージがあったのだ。
迫る風の槍を前にして、トモヤには為す術がなかった。
そして、風の槍は狙いを寸分違わず捉える。
トモヤの胸に風の槍が突き刺さった。
「がぁあああああああああああ――っ!!」
トモヤの胸に突き刺さった風の槍は骨を砕き、その身体をさらに押し飛ばす。風の槍を受けた絶叫が、百貨店の屋上に響きわたった。
風の槍はトモヤに直撃したことで、周囲に衝撃波をまき散らしながら消えていく。衝撃波が放たれた中心点で今度こそトモヤが倒れたのを確認しながら、ミユキは強烈な風になびく髪を手で押さえた。
これで倒した、と改めて強敵を見つめながら。
流れる風と衝撃波によって、百貨店の屋上から昇っていた黒煙は、さらに空高く昇っていっていた。不快な感覚を与えてくる独特の焦げた臭いも、次第に風によって浄化されていく。
二人の『覚醒者』の戦いは、終わったのだ。