第三章 家 ~ルーム~ Ⅰ
『ルーム』。
それは、ファミリーマンション二つ分の部屋の壁をくり抜き、中を改装したユウキたちが暮らしている家のことだ。四LDKの部屋を二つ合わせているため、『ルーム』はかなりの広さを持っている。
この『ルーム』にユウキ、ミユキ、タクヤ、アオイたちは暮らしている。四人であれば四LDKでも十分な広さだが、二つ分も部屋を合わせているのは理由がある。
『ルーム』の、二〇畳ほどの広さを持つリビングには、『ルーム』に帰ってきた悠生たちがいる。
そのリビングの中の様子を、ドア越しに『覚醒者』の『ミホ』が見ていた。
中学一年生のミホは、腰まで届きそうな髪をツインテールにして束ねている。プリーツスカートから覗く足は軽く内股立ちになっていて、薄手のパーカーを着ている。
ミホが覗いているリビングでは、『ルーム』に戻ってきたミユキにタクヤが怒鳴っていた。
「まだ、やってんの?」
そこに、カツユキが尋ねた。
一方のカツユキはミホとは一回り以上は違うだろう風貌をしていて、口に煙草を咥えている。どうやら寝起きらしく、ぼさぼさの茶髪があちこちにはねていた。
「みたい。なんで、タクヤはあんなに怒ってるの?」
「ん~。それは、ミホは知らなくていいよ」
まだ幼いミホに、カツユキはタクヤが怒っている理由を言わない。そしてミホと同じように、リビングの様子を窺う。
「あ~。まぁ、タクヤが怒る理由も分からないでもないけどなぁ~」
のんびりとした口調で、カツユキは言った。その目はまだ脳が覚醒していないみたいで、半開きだ。
「だから、なんで怒ってるの?」
純粋な疑問をミホは再度尋ねた。リビングのドア越しでも、タクヤの怒鳴り声はよく聞こえてくる。そのタクヤに、ミホはびくびくと身体を震わせていた。
「知らなくていいことも、世の中にはたくさんあるんだよ。ミホは気にしなくても大丈夫、さ」
カツユキはタクヤのことを気にしているミホの頭を撫でながら、優しく答えた。依然として気になっているミホは頬を膨らませて拗ねるが、カツユキはニッと笑っているだけだ。
リビングからはまだタクヤの声が響いてきている。
「お前が、一人でやるったんだろうが! それなのに『時空扉』を奪われただと!? 俺たちが必死にこいつを守ったのに、お前は何をやってくれたんだよ!」
その怒号は『ルーム』に帰ってきたミユキに向けられ、声は止まらない。
同じリビングにいるアオイは茫然とその光景を見つめている。誰も声をかけることができない。
いや、しない。
「お、おい……」
そのアオイたちを見た悠生は、辺り構わず怒鳴り散らしているタクヤに対して、落ち着かせようと声をかけた。
「ご、ごめん……」
「何のためにお前は一人であの場に残ったんだよ! 俺たちを逃がすためだけだったのか!? 違うだろ――!!!」
しかし、タクヤは悠生の声が届いていないようで、変わらずにミユキに怒鳴っている。悠生が視界に入っていないようだ。勇気を出して声をかけた悠生も、無視された後は何もできずにただ怒鳴られているミユキを見つめることしかできなかった。
「……」
そのミユキは、自分がしてしまった失態を悔やんでいるようで、タクヤに怒鳴られていることも重なってシュンとしている。
時間は遡る。
ミユキが『ルーム』に戻ってきたのは、悠生たちが『ルーム』についてから数時間が経った後だった。
すでに『ルーム』に辿りついた悠生たちはとても疲れた表情をしたままミユキの帰りを待っていた。すぐに休むことも考えたが、ミユキのことが心配だったのだ。
しばらくそのまま眠らずにミユキの帰りを待っていると、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。
玄関のドアが開いた音を聞いて、悠生たちは玄関まで走っていった。
「……ミユキっ!」
玄関まで慌ててきた悠生たちの姿を見て、『ルーム』に帰ってきたミユキは悠生の無事を確認して安心したように床に崩れ落ちる。
「遅くなってごめん……」
涙ぐみながら、ミユキは遅くなったことを謝った。
「ううん、ミユキが無事で良かったよ」
床に崩れ落ちたミユキを抱きしめるように腰を落としたアオイも、涙ぐみながらミユキの無事を喜んだ。
無事に『ルーム』に帰ってきたミユキを見て、悠生も安心してほっとした表情を見せる。ミユキだけを置いて、戦闘から逃げたことがずっと心に残っていたのだ。その顔はひどくやつれて見える。それほど疲労が身体に溜まっているのである。
「怪我してるのか!?」
アオイの肩に頭を乗せて止まらない涙を流しているミユキが、片手を脇腹に当てているのを見たタクヤは慌てる。タクヤたちもそれなりの怪我をしているが、ミユキのはそれ以上だと服の上からでも分かったのだ。
「あ、うん。ちょっと――」
そう言うミユキだが、その顔は時々痛さで歪む。
ミユキの怪我にアオイも気づき、肩に手を回してリビングまで運ぶ。リビングにはカツユキの姿があった。その手には救急箱が抱えられている。
「……無事に帰ってきたんだな、良かった」
「カツユキさん――」
アオイの肩を借りて歩いているミユキを見て、カツユキもほっと胸をなでおろす。この場で年長者であるカツユキは誰よりもミユキの身を案じていたのだ。
「応急的な処置しかできないが、何もしないよりマシだろう。アオイ、包帯を巻いてあげてくれ」
「は、はい」
ミユキの応急処置をするため、ミユキは一度リビングのソファに座る。そして、上半身の服を脱ぎ始める。
「ほら、男どもは一度廊下に出ろ!」
その場に残っていた悠生とタクヤに対して、カツユキは背中を押して廊下へと歩かせる。
リビングから出る間際に、ちらっと見たミユキの表情は無事に帰ってこられたのに、とても悔しそうに見えた。
ミユキの応急処置が終わってから、再びリビングに戻ってきた悠生とタクヤは経緯を尋ねたのだが、そこでミユキは『時空扉』を奪われたことを告白した。それに対して、悠生に並んで重要なモノを奪われてしまったミユキの過失を責めているのだ。
「お前が残ったのはこいつを――ユウキを狙う奴らを無力化させるためじゃなかったのかよ! それだけの意思を見せただろうが!!」
「…………」
タクヤの声は止まらない。
そのタクヤに、ミユキは謝る言葉以外は返せない。それぞれの気持ちが分かるカツユキやアオイは二人のやり取り(タクヤが一方的に責めているだけだが)を見つめているだけだ。
「任せろって言ったじゃねえか……。それなのに、なんで負けてんだよ――」
尻すぼみしていく声がまた震えていることに、悠生は気付く。タクヤが責めているのは本当にミユキなのか。それとも……。
それは悠生には分からないが、アオイたちは理解しているのだろう。だから、止めることはしない。
(ミユキを責めることは、何もできなかった自分の無力さを呪う別のアプローチ……だけとは限らないんだろうが。ま、なんとも不器用な奴だよな~)
そのようなことを考えながら、リビングのドアのガラスから様子を見ているカツユキは、ミホに部屋に戻ってなさい、と言って、リビングから遠ざける。
そして、そろそろ止めるか、とリビングへ入っていく。
「おい、タクヤ。それくらいにしとけよ。ミユキだって自分の過失を認めてんだ」
「けど――」
「『時空扉』を失ったことはたしかに痛いが。あれ単体じゃ何もできないただの鉄くずさ。お前らが、そこの坊主を守ったことだけでも俺たちには大きな意味がある」
「…………。けど、俺は――」
まだ何か言おうとするタクヤに、さらに声がかけられる。
「それ以上はやめなさい、タクヤ」
その声は新たにリビングに入ってきた大人の男のものだった。
「トモユキさん……」
大人の男――『トモユキ』は、ジーンズにカジュアルなシャツを着ていて、休日のお父さんという印象を抱かせてくる風貌をしていた。綺麗に整えられた短髪が端整な顔立ちをより際立たせている。さらに、その目には黒縁眼鏡がかけられている。
その眼鏡の奥の瞳はまっすぐタクヤを見据えていた。
「大体の事情は察した。大声で怒鳴って……。マンションの廊下からでも聞こえていたぞ」
リビングに入ってきたトモユキは手に提げていた小さめのバッグをテーブルに置いて、改めてタクヤのほうへ向き直る。
鋭い視線がタクヤに向けられる。
「君がミユキを責める気持ちも分かる。君が自分に憤るのも分かる。それらの感情が全くの無意味だとは私も思わない。それが後々の糧になることはあるからな。しかし、今は過去の出来事に一憂している場合ではないだろう?」
諭すように言う声だが、その内容からはその意識や感情があるのかは分からない。
「さらなる緊急事態だ。『時空扉』が失われたのなら、奴らが次に取る行動は明白。我らもさらに対処しなければならないぞ」
その視線はタクヤだけではなくミユキやアオイ、カツユキにも向けられる。
そして、それらの人は一様に悠生へと視線を動かした。