第二章 時空を越えて Ⅴ
太陽の日差しが強い。
その日差しを遮るものは何もなくて、通りには建物の影が全くなかった。そのような太陽に照らされている通りを多くの学生が歩いている。今の時刻は七時過ぎ。これから新しい一日が始まろうとしている時間だ。
その学生の中に、周囲の学生と同じ制服を着たユウキが歩いていた。
彼は昨日見つけた制服を着て高校に通うために、多くの学生に紛れながら歩いている。その視線は周囲をきょろきょろと見ているようで挙動不審にも見えたが、実際は周囲を同じように歩いている学生の顔を見ているのだ。
(同じ制服着てる人を追いかければいいって考えは最高だと思ったが、学年が同じとまでは限らないんだよなぁ……)
昨日、ユウキは悠生の代わりとして高校に通うために、悠生が通っている高校を調べようとしていたところで疲れを感じて眠っていた。起きた時には、すでに学校へ行かなければいけない時間になっていて、朝に調べる時間もなくこうして周囲の学生と同じ方向についていっているのだ。
(誕生日も同じだとして一六歳の七月だから、今は二年生だろうけど――)
学年が分かったところで、教室や下駄箱がすぐに分かるものではない。そのことに、ユウキは家を出てから気付いたのだ。
(学校が見えてきたな。まずいぞ……)
太陽に照らされている通りを曲がったところで、鉄柵に囲まれたグラウンドが見えた。柵のすぐそばに植えられている木々の向こうには綺麗な校舎も見える。あれが、悠生が通っている『市立基橋高校』だろう。
通うべき高校が見つかったことには安堵感を抱くが、さらに待ちかまえている問題にユウキは頭を抱える。
(どうしよう……)
同じように周囲を歩いていた学生は、戸惑うこともなくグラウンドを横にして、高校へと歩いている。同じように歩いていると校門が見えてきた。
校門に差し掛かったところで、その問題はより具現化する。
鉄柵から見えていた校舎は、校門から見ると想像していたよりもはるかに大きいことに気付いたのだ。校門から見ただけでも校舎が五つあるのが分かる。その一つ一つが四階を超える階層で、それだけでもかなり大きな高校なのだと判断できる。
その校舎へ向けて、歩いていた学生が続々と校門を越えていく。それらの学生をユウキはぼうっと間抜けそうに見つめている。校門をくぐってからどうするかを考えているのだ。そこに、男子生徒の声が聞こえてくる。
「おう、悠生じゃん! 何やってんの、こんなとこに突っ立って?」
掛けられた声にユウキは振り返ると、そこには拓矢の姿があった。その後ろに真希と葵もいる。
「タク……ヤ……?」
振り返った先にいた顔が、自分が昔から知っていた顔でユウキは言葉が詰まってしまう。
「ん? どうした?」
ユウキが驚いていることに気付いていない。いや、驚く理由に気付いていない拓矢はどうしたのかと首をかしげた。
「い、いや、なんでもない……」
真希の時も相当驚いたユウキだが、拓矢の顔を見た時のそれははるかに度合いが違った。あちらの世界でいつも一緒と言えるほどに長い時間を拓矢と葵と過ごしてきたのだ。その顔をこちらの世界で見た時の衝撃は計り知れない。頭では別の人物だと分かっていても、どうしても信じられない気持ちが湧きあがってしまう。
「? なんかよく分からんけど、さっさと教室行こうぜ! もう少ししたらSHR始まるぞ」
ユウキの反応がおかしいことに気付きながらも、それほど気にしていない拓矢はぼうっと突っ立っていたユウキを急かした。校舎の大時計を見れば、時刻は八時前であり、SHRが始まる一五分前だった。
「あ、あぁ」
急かされたユウキは、拓矢の後を追う。その後を真希と葵もついてくる。真希がクラスメートであることは、真希の父親がそう言っていたことから知っている。最悪真希についていけば、教室が分からないということもなさそうだ。
拓矢を追いかけているユウキは歩調を緩めて、真希のそれに合わせる。
「昨日はありがとうな」
「お礼はもういいって。それより昨日は家に帰ってから、安静にした?」
「あぁ。気付いたら、ベッドで寝てたよ」
それは間違いではない。
朝起きたら、悠生の部屋のベッドで突っ伏せるように眠っていた。ユウキは、眠る前の記憶がすぐに戻らなかったくらいだ。
「そっか。見る感じ元気そうね」
「もう体調は大丈夫さ。走っても問題ないしな」
それはよかったね、と真希は笑顔で言ってくる。その真希についていくように、ユウキは校門からまっすぐ行ったところにある一際大きな校舎の入り口を入っていく。そこに、それぞれの学年の下駄箱があるようだ。
そのまま真希についていっているユウキは、三階まで吹き抜けになっている場所に下駄箱がずらっと並べられているのを見て、壮観だと感じた。真希はその内の一つに寄っていく。見れば下駄箱に『二年生』というプレートが貼られていた。
(真希以外も同じクラスなのか……?)
分からないユウキはとりあえずクラスメートである真希が近づいた下駄箱に、自身も近づいていく。すると、下駄箱にそれぞれ名前が記されたシールが貼られていることに気付く。
(これがあれば迷わないで済むな)
ほっとした表情をユウキは見せる。校門の前でどうしようかと突っ立っていたことが今さら恥ずかしくなる。
先に上履きに履き替えた真希は、ユウキが履き替えるのを待っていた。
「?」
真希が待っていることに気付いたユウキは何でだろう、と一瞬思うが、同じクラスだから一緒に行こう、という意味だと気付いて、慌てて自分の上履きを探す。ユウキの下駄箱は、苗字がそれほど後ではないということから、真希が近づいた下駄箱の数列後にあった。そして、急いで上履きに履き替える。
「それじゃ、教室行こっか」
ユウキが上履きに履き替えたのを見て、真希は溜めていた言葉を言う。「わかった」と答えたユウキは真希の後を追うように、階段を上がっていった。
『市立基橋高校』
生徒数一五〇〇人を超えるこの高校には、一学年にそれぞれ一三もクラスがある市内、いや県内屈指のマンモス高校として知られている。
住宅街の中にあるため敷地面積はそれほど広くなく、その中に四階建ての校舎――事務棟や特別教室棟も含めた――五つの校舎や体育館、講堂がきつきつに建てられている。
そのような高校に通っている悠生は二年七組で拓矢、真希、葵とクラスメートだったが、今は悠生の代わりにユウキがその教室にいる。
教室では、すでに朝のSHRが始められており、教壇にはこのクラスの担任の教師が立っている。
(この学校にはミユキはいないんだな……)
SHRが行われている教室をざっと見渡したユウキはそう判断した。
クラスメートの真希やこちらの世界の拓矢と葵――教室に来て同じクラスだと気付いた――の姿はあるが、ミユキ――いや、こちらの世界のみゆきの姿だけが見当たらなかった。
教壇では朝のSHRを始めようと教師が話をしている。その話を軽く流しながら、ユウキは視線を動かして、クラスメートの顔を確認していく。
(他に、俺の知り合いはいない――か)
あちらの世界でも深い交友関係を築いている拓矢と葵がクラスメートだということにはユウキも驚いたが、他に教室で見知った顔はいなかった。
「それじゃ、これでSHRを終わりにするぞ~。日直、あいさつを」
「はい。きょうつけ、礼!」
教室の端に座っているメガネの女子生徒の号令に続いて、クラスメートが礼をする。その行動を見て、慌ててユウキも礼をした。
朝のSHRが終わると、教室には再び活気が戻ってくる。それぞれの生徒は一時間目が始まる前に、友達と談笑しながら授業の準備をしていた。
「悠生―っ、トイレいこうぜー!」
教室の光景をじっと見ていたユウキに、遠くの席から拓矢が話しかけてきた。
「あ、あぁ」
突然のことに多少戸惑いながらもユウキは立ちあがって、拓矢とともに教室から出ていく。
「古典の宿題もめんどくさいよな~…、なんで、わざわざノートに古文写して、訳まで自分でやってこなきゃいけないんだよ……」
ユウキと並んで歩いている拓矢は、そのように愚痴をこぼした。そういえば今日は午後に古典の授業があったな、と昨日悠生の家で見た時間割を思い出しながら、
「そ、そうだな……」
と、ユウキは話を合わせるように呟く。
「だよな! 訳なんて授業で正しいの言ってくれるんだし、俺たちがわざわざ家でやる必要もないじゃん」
「ま、まぁテストととかは自分でやんなきゃいけないんだし、それが先生たちの狙いなんだろ?」
上手く話を繋ぐことに意識を向けているユウキは、当たり障りのないことを言った。それほど拓矢の言うことが頭に入ってきていないのだ。自分がいつものように言葉を返せているのかどうか、そのことに必死になっている。
トイレは教室から出た廊下の突き当たりにあり、長い廊下にはすでにたくさんの生徒が行き来している。すれ違う顔全てをユウキはちらっと見るが、やはり知り合いの顔はなかった。
(この学校には他に知り合いはいない……のか?)
もちろん全生徒と教職員を把握したわけではないので断定はできないが、街と同様に『覚醒者』の力の気配もなく、学校も平和そのものである。
「……でさ、宿……さし……ない?」
「え?」
考え事をしていたユウキは不意に聞こえてきた拓矢の言葉が理解できなかった。そして「ごめん、聞こえなかった」とすぐに謝る。
「だから、俺古典の宿題やってきてないから、写さしてくんないかってこと」
「あ、あぁ、そういうこと」
なんだ、とユウキは自然とため息をこぼす。それはずっと緊迫した時間を過ごしてきたために、不意のことに身体が硬直してしまったのだ。
宿題を貸すことは別にユウキは構わないし、何とも思わない。しかし、悠生がちゃんと宿題をしているのかは分からなかった。
「ごめんけど、俺もまだ全部終わってないんだ」
「なんだ、悠生もなのかよ~」
ユウキの言葉を聞いて、拓矢は残念そうに嘆いている。トイレに行こうと誘ったのもおそらくは宿題を借りようとして、だろう。タクヤには随分と借りがあるユウキは、違う人物だと分かっていながらも、良心が痛くなる。
「悪いな……」
小さく、そう謝る。
「いや、いいよ。午後からだし、別の奴に借りるさ」
そう言って拓矢はトイレのドアを開けて、中へ入っていく。
その後を追いかけるユウキは、自身が悠生ではないことに罪悪感や居たたまれない気持ちを抱いた。