第二章 時空を越えて Ⅳ
夜がこれからさらに更けようとしている空の中で、小さくも強く輝いている星たちに紛れるように、飛行機の明かりが移動していっている。点滅しているその光は、目で追っているととても楽しくて、星を見つめるよりも時間の経つ速度を遅く感じさせてくる。
お婆さんにつれられて『岩井内科』からの夜道を歩いていたユウキは、とある一軒家の前に来ていた。
(ここが、悠生の家……)
悠生の家はマンションの一ルームではなく、住宅街にある多くの一軒家と同じような二階建ての家だった。外壁がクリーム色で、現代の匂いを強く感じさせてくる。それなりの庭もあるようで花は見当たらなかったが、一つ大きなイチョウの木が植えられてあった。その脇を緑の植物が家の周囲を囲むように植えられている。
庭の反対側にはガレージがあるがシャッターが下ろされていて、その中を窺い知ることはできない。
玄関の前の柵をキィという鈍い金属の音とともに開けて、ユウキは中へと入っていく。
そして、玄関のドアを開けようとしたユウキは、
「鍵がかかってる」
ことに気付いた。
(家に明かりが点いている様子はない。どこかに出かけているのか、それとも――)
ユウキは二つの可能性を考えるが、すでに確信を持っているに等しかった。
玄関のドアが閉まっているならば、窓もそうだろう。窓を割って侵入すれば、近隣の住居に怪しまれるかもしれない。音を立てずに入るしかなかった。
(仕方ないか)
玄関の前で立ち止まったユウキは、ここで立ち去るわけにはいかない、と考えて、庭の方へ移動する。当然、そこには窓が設けられている。カーテンが掛けられているが、そのすき間から中の様子を窺うことはできた。
「やっぱり真っ暗か」
カーテンの隙間から家の中の様子を窺ったユウキは、窓が閉められていることを確認して、一歩後ろへ下がる。
(力を使うことは極力避けたかったが――)
ユウキは眼を閉じて、意識を自分の身体全体へと集中させる。そして、その身体全体の意識をそのまま思い描いている場所、カーテンの隙間から見えた家の中へと移した。
すると、音もなくユウキの身体がその場から消える。そして、意識した家の中へと移っていた。
「……ふぅ」
ユウキの『覚醒者』としての力――『空間移動』の力を使ったのだ。自身の身体を瞬時に移動させる力で、玄関のドアや窓の鍵を開けることもなく、ユウキは悠生の家に入ることに成功した。
(ここが、こちらの世界の悠生の家)
『空間移動』で移動した先は誰かの部屋らしく、それほどの広さはない。
ベッドが一つと大きな本棚、小さなオフィステーブルの上にノートパソコンが置かれているだけだ。
ユウキは、大きな本棚に仕舞われている本を眺める。
(経済本やエッセイがほとんど……。何かの研究書があるわけでもないか)
期待していたものがないと判断したユウキはそのまま軽く部屋を物色して、部屋を出ていく。
部屋を出ると、すぐそこは廊下だった。それほど長くない廊下には、他に三つの部屋のドアと二階へと繋がるだろう階段が見える。
(物音がしない)
廊下に出たところで、ユウキはそのことに気付いた。それどころか、外から確認した時も思ったように、明かりが点いている様子もない。
「そういえば、真希は悠生の両親は共働きだと言ってたな」
そのことを思い出す。
すっかり太陽が落ちているが、この時間になっても帰ってこないのだろうか。それはユウキには分からないが、家にいないことは好都合だった。
廊下に出たユウキは、ずっと前からの確認したいことのために、家中を歩き回る。一つ一つの部屋を見て回りその都度確認するが、その度に確信は増していった。
そして、最後にリビングにやってきた。
先ほどの部屋の二つ分ほどの広さがあるリビングも同様に明かりは点けられていない。それどころかずっと誰もいなかったのでは、と思えるほど室内の空気が冷たい。ソファには鞄が一つ置かれていて、テーブルには紙切れが置かれていた。
「やっぱり――」
(こちらの世界の俺――悠生は、俺の代わりに向こうの世界に行ったんだな)
リビング、いや家全体の状況を見て、ユウキは確信を実感した。
(真希は、悠生は早退したと聞いてたと言ってた。学校を早退した奴が余程の事じゃない限り、わざわざ家を出るわけがない)
そう。真希はユウキに対して、早退したって聞いてた、と言っていた。
仮病でもない限り、早退した人が家から出かけることはないだろう。病院に行くとしても、この時間では診察も終わっているはずだ。
悠生がこの家にいないということ。それが、悠生が時空移動したユウキの代わりにあちらの世界へ行ったことを告げる。
「――となると、俺は悠生の代わりに学校に行かなきゃならないな」
ずっと前から抱いていた懸念が、現実になる。
そのことに、ユウキは深いため息を吐く。学校にはもう随分行っていないのだ。ましてや、こちらの世界の学校がどのようなモノなのか、ユウキには分からない。とりあえず通う学校は知っておこうとユウキはリビングから悠生の部屋へと行く。
悠生の部屋は二階にあった。先ほど家中を見て回った時に確認はしていて、そのことは知っている。しかし、制服や授業用の教科書など知らないことはまだまだ多い。
階段を上って悠生の部屋へきたユウキは、もう一度部屋をぐるっと見渡して、まっさきにクローゼットを開ける。思っていた通り、そこには高校の制服が掛けられていた。
(これが、制服)
あちらの世界でユウキが着ていた制服とはデザインがもちろん違っている。ブレザーとズボンが一緒にハンガーに掛けられている横に、赤を基調とした色合いのネクタイもあった。
「あとは、学校の所在と教科書類だな」
制服を確認したユウキは、それらが分かるようなものはないかと悠生の部屋を漁りだす。
ベッドの横に配置されている勉強机の引き出しの中を探したり、クローゼットの下にあった多数の鞄の中を漁るが、出てくるのは教科書ばかりで通っている高校の位置が分かるようなものはなかった。唯一分かったのは、学校用の鞄として使用していただろうリュックの中に時間割があり、そこに学校名が書かれていただけだった。
「……ったく。市立基橋高校なんて名前だけわかっても、場所がわかんないと通えないだろ」
出てくる教科書を次々と放り投げながら、ユウキはそう愚痴る。このままでは埒があかないと思ったユウキは、ネットで調べてやろうとポケットに入ったままの携帯電話を取り出して、画面を開く。
その画面を見たところで、
「電波が入ってる……?」
ことに気付いた。
携帯電話の画面には電波が三本としっかり立っていた。この携帯電話はユウキがあちらの世界で購入したものだ。それなのに電波が通っていることに困惑してしまう。
だが、これで電話をかけることが出来ると活路が見出せたユウキは震えそうになる指で、ミユキの携帯電話の番号を呼びだし、通話ボタンを押して、耳に当てる。
聞こえてきたのは、
『……おかけになった番号は、現在使用されておりませ――』
という短く機械音だった。
「な……っ!?」
(繋がらない?)
何度掛け直しても、聞こえてくるのは同じ機械音のみだった。
(他の番号にしても同じか、あるいは繋がっても出るのは別の誰か――ということか)
そう判断したユウキはこの世界のことを改めて整理する。
(ミユキやタクヤたちに電話は繋がらない。けど電波は通ってるし、向こうの世界で買った携帯は使える)
そのことに気付いたユウキの思考が一気に加速していく。
携帯が使えることに気付いたユウキは、慌てて悠生の部屋の壁に掛けられている時計を見た。
「今は、夜の九時過ぎ……」
(俺がこっちの世界で意識が戻ったのは、六時三〇分過ぎ。真希に助けられてか一日――いや、正確には一日と二時間ほどが経ってたということだから)
真希の父親は、真希がユウキを運んで家に帰ってきたのは学校が終わってからだったと言っていた。
(下校時刻はだいたい五時から六時の間だろう。そして、俺が時空を超える前の時間は日が回って二時過ぎ……三時前くらいか)
そう考えたユウキは日付にそれぞれの世界で違いはないが、時間には差があることに気付く。
「約半日、いや一四~五時間ほど時間がずれているのか……」
ユウキの世界とこちらの世界での月日の違いはないが、ユウキが時空を超える前と後の時間の違いから、その程度の時間差があることを結論づける。
「そして……」
(真希の部屋にあったのは日本円。つまり――)
「こっちの世界での通貨も全く同じ」
ユウキが現在持っている財布の中身も日本円である。携帯電話、そして通貨が使えるということは、生活レベルはこちらの世界とユウキがいた世界は同じということになる。
(同じなら、生きることに苦労はしないか)
携帯電話、そして円が使えることにユウキはほっと安心した。あちらの世界の人間と連絡がとれないということに変わりはないが、この安心感があるとないとでは大きく違ってくる。
「あっちの世界と違うのは『覚醒者』がいないこと、街が平和なこと、同一の人ばかりではないということか」
改めて、こちらの世界とユウキの世界との違いを列挙していく。
ユウキは真希の顔を知っていた。これはあちらの世界のマキを知っていたからだ。しかし真希の両親は知らなかったし、悠生の家を探している途中で出会ったお婆さんも知らなかった。だが、それらの人はユウキ――いや、悠生のことは知っていた。
このことから、あちらの世界とこちらの世界で全ての人がそれぞれ存在しているとは限らないことが分かる。
(となると、ミユキやタクヤたちもどこかにいるかもしれない。いたとしたら、悠生のことは知っているだろうから、俺の助けにはなるかもしれないな……)
そこまで考えたユウキだが、通うべき高校の場所を調べることをすっかり忘れていた。急に加速した思考につられて様々なことを考えた結果、真っ先に調べるべきことが頭からすっぽり抜けていたのだ。
「あ……、眠……」
一気に脳を使ったために、疲れがユウキの身体にどっと出てくる。それはこちらの世界に来てからの精神的疲労と重なって、眠気を一瞬で運んできた。
眠気を感じたユウキはそれまでの思考を止めて、悠生の部屋にあるベッドにばたりと横になる。
ユウキがそれから夢を見るまでに、そう長い時間はかからなかった。