序章 交わりの始まり Ⅰ
太陽が沈んでも、街の夜道は数メートル先の世界が分からないというほどに暗くはない。
街を作るビルやマンションの明かり、街灯の明かりが照らしているからだ。
しかし、どんよりとした厚い雲が空を覆っているため、夜空に輝いているはずの月や数えきれない数の星たちはその姿を隠している。街灯などの明かりがあるとはいえ、月や星の輝きがないことはどこか心を不安定なものにする。
そのような夜の街には硬質な質感を与えてくる建物が均等な距離を保って、連続で建てられている。建物を見上げると、圧迫感が身体を強く襲ってきた。
夜の街には人がいる気配がまるでしない。
建物の窓には明かりが灯っており、わいわいと賑やかな声が今にも聞こえてきそうだが、それらの声も街灯だけが虚しく照らす街の雰囲気にすぐに消されてしまう。
「はぁはぁ……」
そのような圧迫感が溢れる街を必死に走っている人影がある。
人影は、どこまでも続くかのような建物の間を縫って行く。
街灯に照らされるその人影はどこかの学校の制服を着ているようで、走っている姿をよく見れば、成人していないようにも見える。
(まだ追いかけてきているか……)
人影は走りながらも、自身の後ろを振り返る。走っている人影は、誰かに追われているかのように必死だった。
視線を前に戻し、さらに先を急いで、人影は走っている足を止めない。荒い息遣いだけが木霊するのは、現代ではとても考えられない。
しかし、実際に周囲からは他に音も聞こえてこず、人影は自分の走る音と呼吸の音だけの街を走っていた。
(出来るだけ遠くへ――)
その一心で、人影はどこまでも走り続ける。
そこへ、
「いつまで逃げるんだよー、ユウキ――っ!! さっさと観念するんだな――っ!!!」
周囲への騒音を顧みない大声が響きわたる。その声はスピーカーを介して、街中に届いているのではないかと思うほどに大きい。
「はぁはぁ……」
(ち……っ、もう追い付いてきやがった――!?)
聞こえてきた声は硬質感漂う街を走っている人影――『ユウキ』を追いかけている。ユウキは追ってきている声の主たちから逃げているのだ。
(なんで追ってきてんだよ……っ!? たく――っ!)
ユウキは自身が追われている理由を知らない。思い当たる節はあるにはあるが、それを確認している暇はない。
「見つけたぞ――っ!」
「な……っ!?」
一直線に大通りを走っていたユウキに対して、大通りと繋がっている右の道から現れた全身を黒い防護スーツで覆っている追手の男たちがライフルを発砲してくる。いきなりライフルで撃たれるユウキだが、咄嗟に大通りに路上駐車されている自動車の陰に隠れる。
「ぜぇぜぇ……。くそ――っ」
(街中で銃の連射とか止めろよな……)
そう、見つかると問答無用に銃で狙い撃ちにされるのだ。その度に、ユウキは自動車や建物、街路樹の陰などに隠れている。
追われているユウキは発砲音に気付いた誰かが、警察に連絡してくれることを祈っている。しかし、周囲には明かりの点いている窓が見当たらない。周囲の建物がマンションから雑居ビルに変わっていたのだ。
「ち……っ! 周りこめ!!」
ユウキが自動車の陰に隠れたところをみた追手の一人は、ついてきている仲間に指示を出す。その指示を聞いた仲間は、迂回して挟み打ちにしようとしているみたいだ。
(向こうは複数か……。正確な数が知りたいな――。てか、捕まえる気なのか、殺す気なのかも分かんねえ……)
「ただやられるわけにはいかない、か――っ!」
じっと隠れているユウキはこのままではやられるだけだと判断して、追手の何人かが大きく通りを迂回しているスキを見て、残った追手の男たちに突撃を行う。
「な……っ!」
(残った追手は五人――か!)
自動車の陰からいきなり飛び出してきたユウキを見て、追手の男たちは一瞬ひるむ。その一瞬をユウキは見逃さない。
「ふ……っ!! 」
「が……っ!?」
短い呼気を吐いてユウキは追手の男の一人を飛びあがっての回し蹴りで吹き飛ばす。大の大人を吹き飛ばすほどの蹴りの威力はとても成人もしていない少年の力には思えない。
しかし、吹き飛ばされた男が、街路樹にぶつかりそのまま気絶したのを見る限り、ユウキをただの少年と思うことはできなかった。
「なっ!? こ、こいつ――っ!」
「くそがきがぁああああっ!」
仲間がやられたことに激昂した男たちが照準も定めないままライフルを発砲する。
「げっ!?」
近距離で撃たれた弾丸はユウキの急所に狙いが定まっていなかったが、流れ弾がユウキの左肩をかすめる。
「ぐぅ……」
かすめただけだったが、裂けた制服の肩口から血が流れる。痛みを感じた瞬間にユウキは一度追手の男たちから距離を取る。
(迂回してる連中がもう少しで、後ろの通りから出てくるか……。さっさと片付けないと――)
焦るユウキだが、実弾を使う相手をさっさと片付けることは容易ではない。
突撃も追手の一人を倒すことしかできず、すでに一度してしまったためにもう一度突撃を行ってもそれほど効果はないだろう。何よりもカウンターを受けやすくなる。それが拳ではなく銃弾なので、常套手段とするべきではない。
一度距離を取ったユウキを追撃するように、追手の男たちは発砲してくる。その追撃も、ユウキは通りに面している建物の陰に隠れてやりすごす。これで前方からの銃撃は凌ぐことができるが、後方からは格好の的になる。
(さて、どうする――)
ほんの一瞬の間に、ユウキは思案を巡らせる。そして、すぐ行動に移す。
「いつまでも隠れてられると思うなよ!!」
ユウキが先ほどまで逃げていた方向である前方からは追手の男が四人いて、建物の陰に隠れているユウキを狙って何度も銃撃を繰り返している。
さらに追手の男たちのうち数人が、ユウキを挟み打ちにしようと大通りを迂回しているだろう。そちらの数は把握していないユウキだが、そのことは気にも留めていない。
「そんなこと全く思ってねえよ」
追手の男の挑発に乗るように、ユウキは躊躇なく隠れている建物の陰から出て、一気に大通りに反対車線まで走る。
「逃がすかぁ!」
その行動を見た追手の男たちはユウキを逃がさないように追いかける。
(やはりついてきた。これで――)
陰から飛び出したユウキは歩道から車道に飛び出し、街路樹を飛び越えて反対車線の歩道まで辿りついた。
「はぁはぁ……、ぐ――っ!?」
街路樹を飛び越えた後の着地の衝撃で、銃弾がかすめた左肩の傷に痛みが走る。
しかし、その痛みに蹲っている場合ではない。視線を上げたユウキは、目の前にある建物の入り口のガラスを突き破るようにして中に入っていく。
「な!? あ、あいつ――」
追手の男たちは、ユウキが入っていった建物を見て、驚きの表情を見せる。
その建物は銀行だった。