第一章 世界が交わった時 Ⅸ
トモヤが電話をした十数分後。
スピーカーの声の男とその部下の男数人が、最初に悠生たちを囲んだ場所へ戻ってきていた。
「どこほっつき歩いてたんだよ、シンジ」
ミユキを倒したトモヤは後からこの場に現れたスピーカーの声の男に対して、呆れたとでも言うように軽く突っかかった。
「何を言う? お前がその女を対処するから、こちらはユウキを追いかけるという算段だったろう。速攻で倒すんじゃなかったのか?」
「あ~うっせえなァ。ちょっと手間取っただけだっつの」
スピーカーの声の男の指摘にもトモヤは何食わぬ顔で返した。
ミユキを倒すのに時間がかかったことをそれほど気にしていないトモヤは、地面に倒れているミユキに近づく。そのミユキは地面に倒れたまま気絶しているみたいで、ぴくりとも動かない。
「なぜ殺さない? あれほど殺意を剥き出しにしていたのに」
「心変わりだっつの。大した理由はねえよ」
そう言い訳をしたトモヤだが、スピーカーの声の男はそれで納得しない。戦闘前は残虐なまでの殺意と敵意を剥き出しにしておきながら、相手が気絶したら殺さないというのは、大した理由があったからだろう。
そのことに気付いていながら、スピーカーの声の男は追及することはしない。
「まぁ、我々は構わないが――」
「それでそっちはどうなったんだ?」
会話の話題を変えるようななんてことのない素振りで、トモヤは尋ねた。
「君から電話を受け取った直後に逃げられた」
「はァ? 何やってんだよ。俺がいないと何もできないってのか?」
「……予想外のことが起こった故だ。ユウキを取り逃がしたことは大きいが、まだ打つ手はある。それよりも――」
その後の言葉はトモヤが引き継ぐ。
「それよりも、欲しかったものの一つはこれだろ?」
そう言って、トモヤは倒れて気絶したミユキのバッグから鈍い銀色の光沢を放っている円盤状の機械――『時空扉』を取り出す。トモヤが取り出した『時空扉』を見て、スピーカーの声の男はニヤリと微笑む。
「よく分かってるじゃないか」
トモヤが差しだした『時空扉』をスピーカーの声の男は受け取って、言った。
「こいつが鞄を必死に守りながら戦ってるのは最初から分かってた。何か大事なモンが入ってるんだろうなってのは気付いてたさ」
「そう。これが我々の悲願の実現への第一歩になる」
「……あんたら何を考えてるのか俺は知らねえが、給料くれるならそのために戦うだけだ。その結果で、誰がどうなろうが知ったこっちゃねえよ」
スピーカーの声の男たちが企てている計画を、トモヤは知らない。金で雇われてユウキあるいは、この『時空扉』を手に入れるようにと命令されただけである。それ以上のことを知りたいとも思っていなかった。
トモヤの契約を実行するだけだ、という言葉を聞いて、スピーカーの声の男は鼻で笑う。
(素直に命令に従う奴じゃないが、これだけの強力なカードだ。そう簡単に手放せれるものか。支払う金額に見合うよう、みっちり働いてもらうぞ)
街路樹の木々や周囲の建物から焼き焦げた独特の匂いが漂っている。
それらの匂いは緩やかに吹いている風に乗って、遠くまで運ばれていく。その匂いを嗅いだミユキは、ゆっくりと意識を戻していく。
「…………」
瞼を開けると、世界が横になった形で廃れた街の景色が広がっていた。
(……気絶してた……?)
意識を取り戻したミユキは、それまでトモヤという『覚醒者』と戦っていたことを思い出す。トモヤに敗れたことを思い出したミユキは、なんとか立ち上がろうと両腕に力を入れる。
「ぐ……っ」
歯を食いしばるミユキだが腕に力を入れようとすると、プルプルと震えて上手く力が入らない。膝を立てるだけで精一杯だった。
「……ふぅ――」
ミユキは深呼吸をして、呼吸を整えた。そして、上半身を一気に起こした。その時にビキビキという身体が軋む音が耳に届く。
(だいぶ骨がやられてるな……)
そのことに気付いたミユキは、身体を支えるように腰へ手を当てる。そこで腰元にあった鞄の口が開いていることに気付いた。
「……!?」
戦闘中――いや、逃げている時からずっと閉じていたバッグの口が開いていたことにミユキは驚いた。無論、自分が開けたわけではない。
慌てたミユキは、開けたバッグの中を漁りだす。そして、気付いた。
「そんな、『時空扉』が――」
口が開いていたバッグからは『時空扉』が無くなっていた。気絶した後にトモヤが奪ったのだと、ミユキはすぐに気付く。
(『時空扉』を奪われるなんて、私は何をやってるんだ……!)
『時空扉』を奪われたことに、ミユキは自分の弱さに激怒する。また愚かさも呪う。相手の狙いがユウキだと思っていたばかりに、『時空扉』をタクヤたちに託すことをしなかった。いや、思い付かなかったのだ。
トモヤに敗れた今、それを嘆いていても仕方がなかった。しかし、ミユキは自分の無力さや甘さを痛感せずにはいられない。これでは何のために悠生をタクヤたちに任せて逃がした意味がなくなってしまう。
(そうだ! 悠生は無事に『ルーム』まで着いたのかな……)
悠生をタクヤとアオイに託したことを思い出して、悠生たちが目指していた『家』――『ルーム』に無事に着いたのだろうか、とミユキは心配になる。
『時空扉』は失ったが、ユウキの時空移動によりこちらの世界へ来た悠生がまだいる。彼がいる限り、スピーカーの声の男もトモヤも再度狙ってくるだろう。
「まだ、ここでゲームオーバーじゃない――!!」
強烈な日差しが雲一つない晴天から届けられている。
歩いているだけで汗が滴り落ちそうな気温の中を、悠生は必死に、ミユキが言った『家』――『ルーム』に向けて歩いていた。その隣にはカツユキ、アオイ、そしてカツユキが助け出したタクヤが同様に歩いている。
すでに太陽は昇っており、それまでの静かな夜の気配は全く見えない。
周囲には、これから会社へ出勤するというサラリーマンや学校に向かっている学生の姿もちらほらと見える。
彼らにとっては、新しい一日は今始まったばかりである。
「はぁはぁ……」
しかし夜中の間走り回っていた悠生たちには、それらの人のような元気さがなかった。疲労困憊な表情が全てを物語っている。
その悠生たちの前に、一つの建物が見えてきた。
「これが?」
「あぁ、そうだ。これが俺たちの家、『ルーム』だ」
尋ねた悠生にタクヤは『ルーム』を見上げながら、答えた。
振り返ると、手で太陽を覆いたくなるほど強い日差しが差している。
その日差しに照らされている通りを遠くまで見通すが、ミユキの姿は見えない。ずっと先にある大きな高層ビル群が見えるだけである。
「ミユキ……」
悠生の口から零れた言葉は、誰にも届くことなく風に掻き消されていく。