第一章 世界が交わった時 Ⅶ
空へと上っていく暖かい風はすでに消えてなくなり、再び辺りには赤々と燃えている炎を除いて、静寂が訪れていた。
風の音も、虫や鳥の声も、人が生活している音も聞こえてこない。聞こえてくるのは二人の『覚醒者』が対峙している緊迫感からくる呼吸音だけだ。先ほどまでこの場にいた悠生たち、およびスピーカーの声の男――シンジとその部下たちもいない。
「仲間を逃がして、お前だけ俺とぶつかる……か。そんなに大事なんだな、ユウキってやつが」
日の出前の澄んだ独特の空を見上げて、トモヤはミユキに対してそう言った。その視線は悠生たちがいた建物の屋上にも向けられている。
「あなたに教える必要はないわね」
じっと視線を上に向けているトモヤに、ミユキはきっぱりと言った。そんな話をしてる場合じゃないぞ、と。
「そうだな。……しかし、俺には重要なことだ。大事にしてる男が目の前で燃えカスになるのをお前に見せてやりてえんだよ」
「外道な趣味ね。それを見た私の表情でも見たいのかしら?」
トモヤの言葉を聞いたミユキはブルッと身体を震わせる。トモヤの口調や態度を見ていれば、それを平然とやりかねないという予想がたつ。
「当り前だろう? ただ殺すことに何の意味がある――?」
しれっとトモヤは言った。
「……あなたは命を絶やすことに意味を求めているの?」
「当然だ! 殺戮衝動でヤってるわけじゃねえぜ? まぁ、昔はそうだったがな――。今はそれじゃ飽き足んねえだよ。そいつの大事なモン奪ってやった表情見て、悲痛な叫びを聞きながら殺してえんだ」
大きく口を開けながら、興奮したようにトモヤはまくしたてる。その声と言葉を聞いて、ミユキはさらに身体の震えを大きくさせる。
「最低な人間なのね、あなた。人を殺すことに何の罪の意識もないの?」
見下したように言うミユキだが、
「そんなもん持ってどうなんだ? 人を殺すことに抵抗感を覚える、とでも? そんな綺麗事なんて聞きたくもねえよ!!」
トモヤは一蹴する。そして、我慢ならないというようにミユキに対して再度突撃をしかけた。
「……っ!?」
しかし、予知していたかのようにミユキはあっさりとそれをかわす。未だに震えている身体のそれは、恐怖に対するものではなく武者震いだったのだ。
「どういう動機であなたが人を殺すのかは知らないが、私は死ぬわけにはいかない――っ。ここで倒れるのはあなたのほうだ!」
ミユキは強くそう宣言した。
「ほざけ、女ァ!!」
それを聞いたトモヤは吠えて、両手に作りだした火球を放ってくる。
トモヤが放った二つの火球は先ほどと同じテニスボール大のものだが、その速度が今までよりも断然に速い。
(速い――!?)
火球の速度が先ほどのものより速いことにミユキは回避行動が遅れる。
「もらった――っ!」
ミユキの反応が遅れたことに、トモヤは勝利の声を上げた。
「まだ、よ!!」
しかし自力での回避ができないと判断したミユキは、自分が立っている地面に上昇気流を生み出す。その風に乗ったミユキは一瞬のうちに三メートルほどの空中まで上がり、火球をかわす。
「な……!? 逃がすかァ!」
空へ飛んでかわしたミユキにトモヤは一瞬驚くが、すぐに追撃の火球を放つ。
その火球も速度とサイズは先ほどのものと同じだ。トモヤは力をセーブしていたわけではないだろう。しかし、ミユキには最初の火球よりも速度が上がっていることに疑問を覚える。
追撃の火球も、さらに空高く上昇することで難なくミユキはかわす。
(火球が主力攻撃なら、それほど脅威じゃない……っ!)
火球をかわしたミユキはそのまま反撃に出る。両手を広げて周囲の風を集め、それを胸の前で細く長く収束させていく。
(風の槍!?)
トモヤがそう思ったように、ミユキの手に集められた風は周囲の埃や落ち葉などを纏い、その形が槍だと分かる。風の攻撃は風圧によるものだ。風の槍の先端は周囲の風を集めてさらに凝縮されている。その攻撃力は身体が打撲で済むようなものではないだろう。
「くらえぇえええええええっ!!!」
作りだした風の槍を、ミユキは投擲のように投げつける。
風が壁として襲ってくるのではなく一本の槍として襲ってくるのだ。しかし、それはやはり風であり、風速二○メートル近い強風だった。
「くそ……っ」
自身が放った火球をはるかに超える速度で迫ってくる風の槍を、トモヤは地面を横っ跳びで転がってかわす。
標的を失った風の槍はそのまま地面へと衝突した。その衝撃は凄まじく、風の槍が衝突したコンクリートは簡単に陥没し、地面と衝突した風の槍は余った力を周囲へ衝撃波として放つ。
「な――っ」
その衝撃波が、地面を転がったトモヤを襲った。
衝撃波を受けたトモヤは、その衝撃でさらに数メートルも吹き飛ばされ、背中を電柱にぶつけることで止まる。
「やったか……」
会心の一撃を与えた、とミユキは判断し、慎重に地上へと降りてくる。その視線はいまだトモヤへ向けられているが、警戒はいくらか弱める。
(向こうはちゃんと逃げれてるかな……)
そう思いを馳せるように、どこまでも空高く昇っている炎の黒煙を見上げた。
明かりが点いていないかつての企業オフィスは、壊れた窓ガラスから微かに入ってくる月や星の光で照らされているだけで薄暗い。
もう何年も使っていないだろうオフィスは悲惨な状態であり、何個も並べられているオフィステーブルは荒れ果て、壁際に配置されているロッカーからは異臭までもしてくる。そのロッカーの中には、ずっと放置されていた取引先かどこかの会社名がずらっと記載された書類が束になって置かれていた。一方のオフィステーブルには誰かがここに座って仕事していた名残が残っており、テーブルの上に置かれたマグカップの汚れは経過した時間の長さを如実に表している。
そのような複合オフィスビルのワンフロアに悠生、タクヤ、アオイの三人はいた。
「…………」
「……」
悠生たちは誰も声を発しようとしない。
先ほどの言い合いで、ずっと走っていた体力をさらに消耗させたということもあるが、ユウキを追っている防護スーツに身を包んだ男たちが今も追いかけてきているのだ。その男たちに見つからないように、なるべく声を上げないようにしている。
窓ガラスがなくなった窓から、遠くのほうで鳴り響いている爆発音が聞こえてくる。それは、恐らくトモヤといっていた『覚醒者』とミユキが戦っている音だろう。聞こえてくる爆音にも炎によって焦げた匂いが混じっていそうで、悠生はただじっと自分を守ると言ってくれたミユキの安全を祈る。
(エンジン音は聞こえてこないな)
悠生がミユキの身を心配しているなか、タクヤは通りに面した窓から視線だけを出して、じっと外の様子を窺っていた。
アオイの報告では追手の男たちは装甲車二台で追いかけてきているとのことだった。遠くから爆発音が聞こえてくるほど周囲は静かなのだ。それよりも近くにいるだろう装甲車の駆動音が聞こえてこないことにタクヤは疑問を抱く。
(どこか見当違いの所を走ってるのか?)
そう考えるが、確証はなかった。
タクヤの目は窓の外の通りに向けられており、とてつもなく速く目線はあちこちへと動いている。一刻も早く追手の男たちの場所を把握しようとしているのだが、上手くいっていないのだ。
そんなタクヤの行動に気付いてか、悠生の近くのオフィスチェアに座っているアオイも目を閉じて『覚醒者』としての力を使って、装甲車を探している。しかし成果はなかった。
「…………」
(居づらい……なんだ、この空気)
タクヤもアオイもじっとしていて声を上げないため、同じ場にいる悠生は先ほどの言い合いによる気まずさを強く感じていた。
普段ならしないような相手の胸ぐらを掴むということまでしてしまった悠生は、タクヤやアオイの顔をまっすぐ見ることができないでいる。二人の様子をちらちらと横目で見ているだけである。
その視線に気付いているのか気付いていないのか、二人は悠生のことを今は放っている。それが悠生の気まずさを余計に助長しているのだ。
「……はぁ――」
(これからどうなるんだろ……)
時間も持て余している悠生は、ぼうっとこれからのことを考えてみる。
こちらの世界へ飛ばされてから一日どころか半日も経っていないのだが、ゆっくりとする時間すらなかった。眠気はないが、身体の疲労は随分と溜まっている。この廃れたオフィスがオアシスに感じられるほどだ。
(俺一人じゃ何もできない――か)
考えてみたこれからのことは、最悪な結果ばかり浮かんで、自分一人じゃどうしようもないことを悠生は実感した。
「な、なぁ!」
そう感じた悠生は、思い切って二人に声を掛けた。
「……?」
「どうした?」
目を閉じていたアオイはぱちっと目を開けて視線を向けてきて、窓の外を見ていたタクヤは振り返って尋ねてきた。
「いつまでここにいるんだ?」
「言っただろ。奴らが通りすぎるのを待ってから、だ」
悠生の質問に、タクヤは何度も言わせんなと呆れた。
しかし、このオフィスに身を潜めてからすでに三〇分近く経っている。追手の男たちが装甲車で移動しているのなら、とっくに通り過ぎているだろう。それなのにまだ隠れている必要があるのか、悠生には疑問だった。
「もう行ったんじゃないか?」
その疑問を率直に口にした。
「それは分からない。爆発音は聞こえてるのに、エンジン音が聞こえてこないんだよ。安全が確認できないと移動はできない。こっちは無力に等しいんだから――」
タクヤは冷静にどうするべきかを説明した。
タクヤもアオイも『覚醒者』としての直接的な戦う力はミユキや先ほどのトモヤよりもないのだ。銃を持った相手にはミユキのように真正面から立ち向かうなんてことはできない。
「あと一○分待つ。それでも現状が変わらないなら、ここを出て、裏地を通って逃げよう」
「……あ、あぁ、分か――」
タクヤの判断に悠生が頷こうとしたところで、ずっと黙っていたアオイが声を上げる。
「追手がビルに近づいている――っ!!」
声を上げたアオイは、先ほどと同じように両目を閉じていた。
「……!?」
「そ、そんな――!?」
アオイの言葉に、悠生とタクヤはそれぞれ驚いた。
特に、タクヤの驚きは大きい。ずっと窓の外の通りを見ていて、追手の男たちの気配をまるで感じなかったのだ。
「途中で車を捨てたみたい。歩いて私たちを探してる!」
驚いている二人に、アオイは続けて追手の様子を伝える。おそらくこの周囲を飛んでいる鳥と視界共有をしているのだろう。その視野は人間のものよりもはるかに広い。
「最初に装甲車で追ったのはフェイントか!?」
「私たちが路地に入ったからかも――」
どちらにせよ悠生たちがビルに隠れてから三〇分以上も時間が経っている。もうすぐそこまで追い付かれているだろう。
「どうするんだ?」
二人の会話を聞いていた悠生が尋ねた。
「このビルから出るしかないだろうな。俺たちがここに入ってからかなり経ってる。奴らも俺たちのだいたいの位置を把握したかもしれない。とりあえず『ルーム』までは辿りつかないと」
アオイの報告を聞いたタクヤは頭を掻きながら、しまった、というように答えた。
追手が装甲車に乗っているという最初の報告で、タクヤは追手の男たちは移動速度を優先したのだと判断した。
その判断は間違いではないだろう。ミユキの力で先に逃げることに成功した悠生たちに追いつくためには、悠生たちよりも速い移動手段でなければならない。この街のことを知らなければ尚更である。しかし、追手の男たちはタクヤの思惑通りには動いていない。
(『ルーム』……?)
タクヤの言葉の中に、悠生は気になる単語を見つけた。
会話の内容から言葉の意味を考えると、今悠生たちが向かっているところの名前なのだろうが、それが一体どこでどのくらい時間がかかるのか悠生には分からない。
「……そうね。じっとしてるだけじゃいけないわよね」
タクヤの考えにアオイも頷いた。
アオイもタクヤと同様に『ルーム』まで逃げることができれば、大丈夫だと考えている。そして、それは間違いではないだろう。今居る場所よりも『ルーム』の方が安全であることは間違いないのだから。
「そこに行くまでにはどれくらいかかるんだ?」
二人の会話を聞いているだけだった悠生が、間に割って入って質問した。
「そうだな……、どれだけ急いでも小一時間はかかるだろうな」
「そんなに!?」
「あぁ。今、居る場所は街の外れにある『眠る街』だ。そこから俺たちが向かっているのは街の中心により近いところにある『ルーム』だ」
悠生に、タクヤが短く説明を行った。それを聞いた悠生はまたしても聞き慣れない単語に疑問を抱くのだが、それをさらに追究している時間はなかった。それまで座っていたタクヤとアオイが立ちあがったのだ。
「移動するぞ。ここにはもういられない」
立ち上がったタクヤは、壊れた窓から外の景色を見つめる。そこから見える空は白んでいっていた。
ここは全壊半壊の状態の建物ばかりの街の、ある通りだ。
その通りをスピーカーの声の男――シンジは歩いていた。シンジの周囲には防護スーツに身を包んだ五人の男が同様に歩いている。五人の男はそれぞれ手にアサルトライフルを持っており、こまめに周囲へ視線を配っている。
「反応は?」
シンジは、隣を歩いている部下に尋ねた。尋ねられた部下は手に持っている機械のディスプレイをじっと見つめている。
「先ほどの地点よりかなり移動した地点で、新しい反応がありました」
「そうか」と部下の報告を聞いて、シンジは短く唸った。
(こちらが近づいていることにやっと気付いたみたいだな)
シンジは冷静に悠生たちが動いたことを分析する。そして、悠生たちにも感知タイプの『覚醒者』がいるのだろう、と踏んだ。
「向こうには、『風』の女以外にも『覚醒者』がいるみたいだな。我々の動きに気付いたのもそいつだろう。こちらも手を打つぞ」
周囲をついてきている五人の男たちに、シンジは指示を出す。その指示を受けた男たちは、それぞれ散り散りに走りだしていく。
散り散りに走りだした部下の男たちを見て、シンジはニヤリと笑う。
悠生たちは隠れていた廃墟と化した複合オフィスビルから出て、目指している『ルーム』へ向けて、廃墟の街を東へと走っていた。
複合オフィスビルで休憩も兼ねて隠れていたことで、体力はだいぶ戻っている。しかし、小一時間もかかる『ルーム』までずっと走りっぱなしというわけにはいかない。追手をどこかで撒かなければならなかった。
「アオイ! ここらへんで入り組んだ地形のとこあるか?」
先頭を走っているタクヤが、後ろを走っているアオイを振り返らずに尋ねた。
「入り組んだ?」
タクヤの質問の意味が分からずにアオイは聞き返したが、『覚醒者』としての力を使ってすぐに探し始める。
「ここから北へ数百メートル行ったところに、ショッピングモールがあるけど?」
「ショッピングモール……」
(使えるか?)
アオイの報告を聞いて、タクヤは一瞬の間に判断する。
「このままずっと走りっぱなしってわけにもいかない。そこで奴らを撒くぞ!」
そう言って、大通りを走っていたタクヤは急に北へと進路を変えた。その急な方向転換に後ろをついていっていた悠生とアオイは驚くが、タクヤに倣って北へと進路を変える。
大通りから北へと続く道路へ曲がると四、五ブロック先に、かつてのショッピングモールの建物が見えた。先ほどまで隠れていた複合オフィスビルよりも敷地も広く、入り組んでいる建物である。追手を撒くには有効だろう。
曲がった通りの先にショッピングモールがあることを確認したタクヤは、さらに走る速度を速めた。
「ちょ――!?」
急に一段階ギアを上げたように速く走り始めたタクヤにアオイは声を出して驚くが、そのさらに後ろで銃の発砲音が響く。
「な、なんだ――!?」
「?」
聞こえてきた発砲音に、悠生とアオイは驚いて振り返る。すると、悠生たちを追いかけていた防護スーツに身を包んだ追手の男の一人がそこにはいた。その手にはアサルトライフルが握られている。どうやら、そのライフルを撃ってきたようだ。
「な、あいつ――」
「追いつかれた!?」
追手の男がそこまで追いついてきたことに悠生とアオイは驚いて、走っていた足を止めてしまう。そこに、
「走れ――!!!」
急に速く走ったタクヤは、後ろを振り返った二人に大声で言った。
「う、うん」とその声に我に返った悠生とアオイは再び前を向いて、ショッピングモールへと全速力で走る。
「逃がすか!」
振り返ってきた悠生とアオイが再び走りだしたのを見て、追手の男も追撃の射撃を行うのを止めて追いかけていく。
(逃げ切れるか――)
悠生とアオイが追い付いてから再び一緒に走りだしたタクヤは、ちらっと追手の男の位置を確認して下唇を噛んだ。
目の前に見えるショッピングモールは数百メートル先にある。その距離がキロを越えるような途方もない距離に感じてくる。一直線であるため少しでも走る速度を緩めれば、ライフルの射程圏内に入ってしまう。それだけは避けなければならない。
追い付いてきた悠生とアオイとともに走りだしたタクヤは、
「ショッピングモールはさっきのビルと違って、出入り口が無数にある。中に入ったら二手に分かれるぞ。アオイはそいつと行け」
と言った。
「いいの?」
無茶な作戦だと感じたアオイは尋ね返した。
「目的地は決まってる。そこで合流するんだ!」
「……わかった。君もそれでいいよね?」
タクヤの決意を聞いたアオイは頷いて、悠生にも確認を行う。
「あぁ。俺は構わない」
悠生も、タクヤの言葉に賛同する。今の自分じゃ最良の選択ができない、と分かっているのだ。
追いかけてきている男よりも、悠生たちは百数十メートル前を走っている。このままの距離でショッピングモールに入ることができれば追手を撒けるだろうと、タクヤは安心する。追手の男もアサルトライフルを構え直しているうちに射程距離から逃げられると判断して、そのまま追ってきていた。
悠生たちの目の前に見えているショッピングモールは、六階層でかつては二〇〇店ものショップが入っている地域最大のショピングモールだったが、今では壊れたショップの看板や立体駐車場、瓦礫ばかりの敷地内に変わっていた。
その廃れたショッピングモールに、悠生たちは入っていく。
後ろから追いかけてきている男の姿は、通りの二ブロック先に見える。安全な距離とは言い切れないが、すぐにアサルトライフルで狙われることもないだろう。
「汚いな……」
ショッピングモールの敷地内は遠くから見えていた以上に瓦礫が散乱しており、今もなお強い異臭を放っている。
フロントガラスどころか天井がなくなった自動車、水やジュースなどが溢れ出て汚くなっている自動販売機、泥にまみれたポップコーン等のスナックを販売していた屋台。そのどれからも人がいた気配を感じられない。
「もうずっと、このまま放置されてたから――」
呟いたタクヤに、アオイもうっすらと悲しそうな声を出す。
二人がこの光景を見て何を感じているのか、何を抱いているのか、分からない悠生はただただ自分がいた世界と違う光景に目を見開くばかりだ。
「いったん建物の中に入ろう。そこから分かれるぞ!」
「うん」
気を取り直して、三人はショッピングモールの建物へと再び走りだす。後ろを追いかけてきている男ももうすぐショッピングモールの敷地に入るころだった。
このショッピングモールの廃墟は複数の建物に分けられているわけではなく、一つの大きな建物にまとめられている。
悠生たちはその建物へ、一番近い入り口から入っていく。
ショッピングモールは六階まで吹き抜けの通路が曲がって先が見えなくなるまで続いており、その左右に数多くのショップが入っている形になっていた。活気があったころは連日多くの人で賑わっていただろう建物内も、今は照明もついておらずもの静かである。
「どっちに別れる?」
そのショッピングモールの建物一階に入ったアオイは、隣にいるタクヤに尋ねた。
「アオイはそいつを連れて『ルーム』の方角へ走れ。俺は反対方向へ走る」
「……わかった。でもタクヤは?」
タクヤの提案に、アオイは短く聞く。
「俺ならなんとかするさ。奴らの目的があくまでもそいつであることは変わらないんだ」
タクヤの心配をするアオイだが、タクヤは大丈夫だ、と言うだけだった。
そこへ、
「追い詰めたぞ!」
悠生たちを追いかけてきた男が、同様にショッピングモールの建物へ入ってきた。会話をしている間に、距離を縮められたみたいだ。
「行け――っ!」
追手の男がアサルトライフルをしっかりと構えているのを見て、タクヤは叫んだ。
それを合図に悠生とアオイ、タクヤはそれぞれ別の方向へ走りだす。不意に二手に分かれてことで、向けていた銃口を動かしてしまった追手の男はどちらを追うか、一瞬迷ってしまう。その間にも悠生たちは一気に距離を広げていく。
『奴ら、二手に分かれました』
戸惑った追手の男は防護スーツを全身に纏ったまま、右耳に手をあてて話し出す。
その行動を振り向きざまにちらっと見たタクヤは、一人しか追手来ていなかったことを思い出して気付く。
(通信……? 奴らバラバラになって探してたな! ――ってことは広範囲で包囲されてるのかもしれない)
追手の男が味方に通信で状況を報告していることに気付いたタクヤは、相手も散り散りになって捜索していることに気付く。そして、すでにショッピングモールの建物内に各方面から追手が入り込んでいるかもしれない。そうであるならば、二手に分かれた意味がまるでない。
先ほどまで悠生たちを追いかけていた男は通信を終えると、アオイと一緒に逃げた悠生ではなくタクヤの方を追いかけ始めた。
「……!?」
(くそ――っ! 俺の方を追いかけさせようとしたのは上手くいったが、他に追手がいたらアオイたちも捕まっちまう)
最悪のケースも考えたタクヤは戻って悠生たちと合流しようと立ち止まったタクヤに、追手の男が襲いかかる。
アサルトライフルの銃口が火を吹き、けたたましい発砲音が、静かな建物内に響きわたる。その銃撃を、タクヤは左手にあった廃れたショップに飛び込むことでかわす。
「ち――っ、外したか!」
銃弾が当たらなかったことを確認した追手の男はさらにタクヤとの距離を詰めてくる。
追手の男が近づいていると気付いたタクヤは床にうつ伏せになった状態から起き上がって、周囲を確認する。
(まずい――っ! 出入り口が一つしかない)
タクヤが飛び込んだ廃れたショップは、かつては洋服店だったようで、それほど広くない部屋内に多くの棚が並べられており、数えきれないほどのハンガーが散らばっていた。そして部屋内がそれほど広くないために、出入り口が一つしか設けられていなかった。
タクヤはその廃れたショップの入り口付近で起き上がる。
後ろからは今も追手の男が追いかけてきている。この位置はすぐに狙われると判断したタクヤはひとまず廃れたショップの奥の棚に背を預けて隠れる。
その後すぐに追手の男が廃れたショップに入ってきた。
「どこに隠れた……?」
それほど広くないショップ内だが、かつては洋服がたくさん並べられていただろう棚がさらにショップ内を狭く見せている。
カシャという機械音を響かせてアサルトライフルを構え直しながら、追手の男は慎重に歩を進める。
(こっちの武器は何もなし。制服で来たのがそもそも間違いだったか……。さてどうする――)
棚の陰に隠れているタクヤはじっと棚のすき間から、追手の男の様子を窺っている。近くにあるのは錆びたハンガーや、洋服としての体をなしていない布きればかりだった。これらのモノが役に立つとは到底思えない。
じりじりと距離を詰めてくる追手の男に、タクヤは背筋が凍る思いをしながら、どうするかの算段を立てる。
(あっちの隙をついて、出口まで逃げるしかない――か)
最も単純で、且つ最も難しい方法を取るしかない、とタクヤは腹をくくる。
一つ一つ棚の陰などをつぶしながら、タクヤが隠れている棚へ向かってきている追手の男の足取りはゆっくりである。そのため自然と流れる一秒一秒が恐ろしく長く感じられ、必死に押し殺している呼吸も何かの拍子に大きな音になりそうだった。
どうせ見つかるなら早くきてくれ、と心の内で思うタクヤだが、追手の男はその願いまで汲み取ってはくれない。追手の男は必ず仕留めるという気概でゆっくりと慎重に歩いていた。
(…………)
チャンスは一度きり。
失敗すれば、それは自身の死を意味する、とタクヤは己の集中をさらに高めようとする。
たっぷりと時間を使ってこちらへ近づいてくる追手の男との距離を正確に測る。あと数歩でタクヤが隠れている棚にやってくるだろう。
(一歩……二歩……三……)
タイミングを合わせるように、タクヤは心の中で相手の足音を数える。さらに床に落ちていたハンガーを一つ手に取り、着実に近づいている追手の男の胸より上の位置を想定して構える。
(……六、今だ――っ!)
追手の男の身体が、棚から現れた所を狙って、ハンガーの尖ったフック部分を相手の首元へ押しつける。
「な……っ!?」
いきなりタクヤが現れたこと、そして針金製のハンガーの先が向かってきていることに驚いた追手の男は無意識に身を仰け反らせる。
そのスキをタクヤは逃さない。追手の男の重心が移動したのを見て、さらに足払いをかけて床に倒す。
「ぐ――っ」
背中を打った男は一瞬身体が硬直してしまう。その間に、タクヤはたった一つしかない出口へ向かって走りだしていた。
「……くそ、 逃がすかぁ!」
走り去ろうとしているタクヤを見て、追手の男は仰向けに倒れた状態で、アサルトライフルを構える。そして、その銃口をタクヤの後頭部に向けた。
次の瞬間には、タクヤの脳天めがけて、ライフルの引鉄が引かれる――。
一方、タクヤとは別の方向へ逃げていた悠生とアオイは、追手の男が追いかけてこないことに気付いてから、慎重に移動をしていた。
「銃声が聞こえなくなった……?」
「そうみたいね」
それまで聞こえていた銃声が聞こえてこなくなったことを不思議に思い、二人ともタクヤの無事を祈る。しかし、今は立ち止っているわけにはいかない。先へ進まなければならなかった。
悠生とアオイはすでにショッピングモールの別の出口付近まで来ていた。何度も周囲を確認したためそれなりの時間がかかってしまったが、ショッピングモールから無事に出られれば追手を撒けたことになる。
そう信じている悠生はアオイの前を、先が見えないほどに曲がっているショッピングモールの通路を、注意を払いながら歩く。
「この街を抜けられたら、本当に安全なんだろうか……」
不意に悠生の口から、不安な気持ちが零れた。
まだこちらの世界のことを右も左も分からない悠生は、この現状を打破しても本当に安全なのだろうかと不安に思っている。その気持ちは簡単には拭えない。
「…………」
そのような気持ちを抱いている悠生に、アオイは何の言葉もかけてあげられない。悠生の感じている不安を思ってみても、その解消はアオイには叶わない。
「……そ、それは――」
「いい。口に出して、不安を吐きだしたかっただけさ。たぶんどこに行っても、完璧な安全なんてないんだろ?」
何かを悟ったように悠生は尋ねた。
『ルーム』へ向かっているのはここよりも安全であり、その単語の差す意味からもそこがミユキたちの家だからだろう。そこが完璧な安全を保障できる所とは限らない。
そう分かったような口調だった。
「…………」
アオイは何も言葉を返せない。
その沈黙が肯定であるということも分かっていながら、悠生を少しでも安心させられるような――声に出して言える言葉を持っていなかった。
再び無言になり、二人はただただ歩く。
緩やかに曲がった通路では、先が見えない。それはゴールのない道程を走っている悠生の現状を端的に表しているようだった。
そのまま歩いていると、天井の吹き抜けが一段と高くなっているホールのような丸いスペースに出てきた。見上げると六階建ての建物の一番高い階まで吹き抜けになっているようだ。その階を繋げるようにいくつものエレベーターがあるが、今はどれも稼働していない。
一階部分を歩いていた悠生とアオイの前には、休憩用に設置されていただろうベンチが幾つも並べられている。しかし壊れていたり、錆びていたりととても座れるような状態ではなかった。
「あ、出口だっ」
そして、通路側のホールの反対に、開きっぱなしになった自動ドアがあることに悠生は気付いた。
これで外に出られる、これで少しは安全になる、と思った悠生は出口へ向けて一直線に走る。その後をアオイも追いかけようとして気付いた。
「待って――!!!」
走りだした悠生の足元に、耳をつんざくような音とともに銃弾が撃ち込まれた。
「なっ!?」
銃弾が飛んできた方向を見上げると、ホールが見えるショッピングモールの二階の通路に、追手の男と同じ防護スーツを纏った男が数人、アサルトライフルを構えていた。
(増援……っ)
不意に現れた追手の男たちを見て、アオイは一瞬そう判断する。しかし、
(いや、最初から追手は一○人だった。ばらばらになって包囲するように追ってきてたってことね)
タクヤと同様にアオイも気付く。
「そこでおとなしくしてもらおう! 君の命までは取らない」
包囲された悠生は、ギリッと唇を噛む。
追手の男たちは二階だけではなく、悠生が向かっていた出口の自動ドアからも現れて、さらに包囲を強化してくる。
その数は六人。
(二階に四人、出口前に二人。どうやってこの状況を抜ければ――)
囲んでいる追手の数を、顔を動かさずに視線だけでアオイは確認する。
打開策はないに等しかった。
このままでは悠生は男たちに捕らわれ、計画を知られた者としてアオイは抹殺されるしかない。アオイは、どうにかして悠生だけでも逃がせられないか、と考えを巡らせる。しかし、良い案は浮かばない。
(私にもっと使える力があれば……)
そう思ってしまった時点で、アオイが取れる行動はなかった。
ショッピングモールの自動ドアから現れた追手の男たちは悠生を捕まえようと近づき、二階でアサルトライフルを構えている男たちはアオイを殺そうと照準を合わせている。
もはや為す術がない。そうアオイは視線を俯かせてしまい、悠生は近付いてくる追手の男たちを前に立ちすくんでいた。
そこに――、
「何、希望見失ってんだ?」
と声が響きわたった。
「……?」
「――っ!?」
聞こえてきた声に悠生とアオイは驚いて、それぞれ声のした方へ向くと、新たに現れた男が一瞬の間に悠生を捕まえようとしていた追手の男二人を気絶させた。
「な、なにが――」
何が起こったのか、と脳の理解が追い付く前に、男は何もない空中で手を振ると、二階にいた追手の男たちが音もなく床に倒れていく。
その光景を悠生もアオイもただじっと見つめていただけだった。
そして、何事もなかったかのように追手の男たちを無力化した男は、
「わりぃな~、遅くなっちまった」
とニカッとした笑顔とともに、言った。
「カツユキさん!」
その男にアオイは助かったという表情を見せて、駆け寄る。どうやら、アオイの知り合いらしい。
(ってことは味方か――)
悠生はほっと胸をなでおろす。
「どうしてここが?」
「タクヤだよ。あいつが知らせてくれた」
『カツユキ』と呼ばれた男はすらっと高い身長から滲み出る威圧感がまるでなく、のんびりとした口調が柔らかい印象を与えてくる。しかし清潔感はなく、ぼさぼさの茶髪はところどころでハネており、服装もだらんとしたものだった。どうやら成人しているようで、口には煙草が咥えられている。
「タクヤが? いつの間に――」
タクヤの知らせを受けたというカツユキは、倒した追手の男たちをちらりと一瞥して、
「とりあえず今は逃げよう。タクヤの方も俺がさっき助けた。タクヤももうここから離れてる。いつまでもぼうっと突っ立ってるのはよくない」
「うん。走れる?」
カツユキの言葉を受けて、アオイは悠生へ確認を取る。
「あぁ。一刻も早く安全な場所に行きたいからな」
それまでただ指示された通りに行動するだけだった悠生の目に力が宿っている。ミユキの願いもタクヤやアオイの思いも、全てを理解して自分が生き残るための力が――。