第三章 邂逅 Ⅶ
目の前にいたのは、吉田拓矢だった。
ユウキ――厳密には、こちらの世界の悠生――のクラスメートだ。
今日拓矢と最後に会ったのは二年七組の教室である。放課後、ユウキが一人で教室にいた所に、部活が終わった様子の拓矢が戻ってきた時だ。その時の拓矢はすでに操られていたようで、「ゲームをしないか?」と最初に拓矢を介して誰かが口にしていた。
その後、拓矢は意識を失った。
その拓矢が、今ユウキの目の前にいた。
「ど、どうして――」
発した声が震えていた。
椅子に座っている拓矢は眠っているのか、何も言葉を返さない。目も閉じられていた。
(拓矢が犯人なのか?)
疑ってしまう。
このゲームを仕掛けてきたのは拓矢なのか。真希を人質に取ったのは拓矢なのか。拓矢なのならば、なぜこんなことを仕掛けてきたのか。
様々な疑問が頭の中を駆け巡る。
しかし。
冷静に考えてみれば、拓矢が黒幕ということはあり得なかった。
(『覚醒者』は向こうの世界にしか存在しない。『覚醒者』のタクヤはちゃんと向こうの世界にいるし、拓矢が犯人なわけがない)
そうなのだ。
両方の世界に『覚醒者』は存在しない。それは、これまでこちらの世界で暮らしてきたユウキが『覚醒者』の気配を感じなかったことから確信している。そして、向こうの世界にはユウキの仲間であるタクヤが『覚醒者』だ。こちらの世界の拓矢が『覚醒者』であり、今回の犯人ということはあり得ない。
では。
誰が犯人なのか。
そして。
犯人はどこにいるのか。
疑問はやはり脳内を駆け巡る。
「ゲームはまだ終わっていないよ」
そこへ、声がかけられた。
「……っ!?」
いきなり聞こえてきた声に飛びあがるように驚く。声を発したのは椅子に座っている拓矢だった。開かれた目は、それまでユウキを襲ってきた生徒たちと変わらない。不気味に光っている目が、一直線にユウキを見据えている。
「お、お前……」
「あと五分だ。さぁ、どうする?」
「ご、五分……っ!?」
壁に掛けられている時計を見る。
生徒たちを操っている『覚醒者』からゲームが仕掛けられて、もう四五分が経とうとしていた。
「そ、んな……」
少なからず確信を持っていたここも外れだった。あと五分で、また探すのはとても不可能だ。全力で走って、この階を探しまわれるかどうかだろう。しかし、この階に他に隠れられそうな所は思い浮かばない。
屋外の扉から入れる倉庫は、部活中の生徒の目に触れる可能性がある。ゲームを挑んできた誰かがそこから見つかるヘマをするとは考えられない。と、ユウキは倉庫を候補から除外した。
(あとは、どこだ……?)
必死に考える。
けれど、早くと思う思考とは裏腹に頭の回転は速くならない。焦りがその表情にも次第に出てきた。
「もう無理だよ。君じゃ僕は見つけられない」
声が木霊する。
耳元で囁かれているような錯覚を覚える。
(落ち着け! 場所さえ思い浮かべば……)
後は『空間移動』ですぐに移動できる。
そう。隠れている場所が分かれば、簡単なのだ。
一階にはいない。
二階はクラスの教室がずらっと並んでいるだけだ。クラス教室にはいないと確信できている。
三階の授業準備室はすでに探した。
四階も二階同様にクラス教室があるだけだ。
拓矢たちを操った誰かは、この棟にいると暗に示している。
残る場所は――、
(……屋上、か?)
考えられなくもない。
真希が人質に取られた時に屋上に上がったが、隣の棟の屋上には誰もいなかった。しかし、ユウキが階段を降りた後に屋上に上がれば、ユウキには分からない。そして、屋上でじっとしていれば下から確認することはできない。
何も遮蔽物がない場所だから、と除外していたユウキの頭は一気に冷静さを取り戻していく。
「お、どこか勘付いたのかい?」
「…………」
返事は返さない。
次の瞬間には、ユウキの姿はまた消えていた。
『覚醒者』の人知を越えた力を使って、ユウキは屋上へ通じる四階の階段に移動していた。
「この上に――」
いるはずだ。
先ほどは目の前の階段を、一階へと駆け降りた。その時はまったく意識しなかった屋上に、ユウキは歩を進めていく。
(これで真希を……)
助けられる。
時間的にも、ユウキの身体的にも他の場所を探す余裕はもうなかった。四度目の『空間移動』でどっと疲れが身体を襲っている。屋上にもいないということは考えたくなかった。
このまま倒れて眠りたい衝動を必死に抑えて、ユウキは足を動かす。
「あ……」
そこで。
ユウキは気付いた。
「……二つ」
階段を上ると、そこには扉が二つあった。
左の扉は「屋上へ」と書かれた札が掛けられている。ユウキの目的は屋上へと通じる左の扉だ。しかし、反対の扉はどこに繋がっているのだろうか。札も掛けられておらず、扉もかなり汚れていた。
片方が先へ続いている扉で、もう片方が泥水に通じている扉のように思えた。二つの内どちらかを駆け抜けろと言われている気になる。
「…………」
(どっちだ)
もう時間もない。
ここで立ち止まってはいられない。
考え込んではいられない。
左右の壁にある扉を交互に見て、ユウキは右の扉に手を伸ばした。
ドアノブを掴んだ手に力を入れる。
キィ、と軋んだ音を響かせて、扉を開ける。
すると、ユウキの顔にむわっとした空気が押し寄せた。
「な、ご、ごほっ」
突然のことに、ユウキは咳き込む。
扉の先は、屋上ではなかった。
「ここは――」
そこは小さな部屋のようだ。いや、倉庫と言ったほうが正しいかもしれない。明かりが付けられていない倉庫は異様に薄暗い。そんな倉庫には長机やパイプ椅子、使い古されたロッカーなど学校でよく見るものがたくさん仕舞ってあった。
やけに埃が目立つところだった。
(普段は使われてないのか……)
ここには人はいられないだろうな、とあまりの汚さに顔を引きつらせる。
そして、扉を閉めようとした。
その時、
「ようこそ、ユウキ」
いきなり歓迎の言葉をかけられた。
「……ッ!?」
ユウキは慌てて振り返る。
声の主は小柄な青年だった。
「ドアを閉めようとするなんて思わなかったよ。もしかして気付いてなかった?」
そう軽口を言う青年は倉庫にたくさんあるパイプ椅子を広げて座っていた。埃が目立つほどの汚さも気にしていないようだ。ユウキよりも小柄だが、一応生徒のようで三年生の上履きを履いている。学年はユウキの一つ上のようだ。
「……お前が、黒幕か」
小柄な男子生徒の言葉は無視して、ユウキは核心をつく。
「今回のことはそうだね。あれだけの数の生徒を用意したのに、あっさり突破されるとは思いもしなかったよ。さすが『覚醒者』といったところかな」
(……今回の?)
「何が目的だ?」
「ゲームだよ」
暢気に答える小柄な男子生徒。
その返答にユウキは納得しない。
「そんなわけないだろ? 俺を始末することか?」
こちらの世界にやってくる前、ユウキはある集団に狙われていた。理由は明らかになっていないが、奴らの仲間かと疑う。
「あぁ、違う違う。向こうの世界で、ユウキが誰に狙われているかとか僕らは関係ないよ」
「僕ら?」
小柄な男子生徒が言ったことに、ユウキは敏感に反応した。
「そうさ」
「どういうことだ?」
「言えないな」
「力づくでもいいんだぞ?」
「それでも口を割ることはできない。『覚醒者』ってのはいろんな人から狙われるからね。仲間の情報を売るなんてことはできないし、覚悟はしてるよ」
小柄な男子生徒は、自らのことを『覚醒者』と述べた。あれだけの生徒を操っていた力は、やはり『覚醒者』としてのもののようだ。
「なんで俺以外の『覚醒者』がこっちにいる?」
「なんでだろうね」
「とぼけるなよ!」
「じゃあ、聞こう。なんで君以外の『覚醒者』がこっちの世界にいないものだと考えてたの?」
「そ、それは……」
言葉に詰まる。
「『眠る街』がないから? 『賞金稼ぎ』がいないから? 『覚醒者』の気配を感じていなかったから?」
小柄な男子生徒は、風貌からは似つかわしくない鋭い視線を向ける。ユウキを試しているかのようだ。
「…………」
「答えられない、か。本当に生温くなったんだね」
「て、てめぇ」
「本当のことだろう? だから、僕は君にゲームを仕掛けたんだから」
「そ、それって――」
失言をしたかのように小柄な男子生徒は「おっと」と言葉を濁した。
「これ以上は言えないな。僕もまだ死にたくないからね」
「お、おい。お前に命令してる奴がいるのか!?」
「さぁ、どうだろうね」
小柄な男子生徒はやはりはぐらかす。
パイプ椅子から立ち上がった小柄な男子生徒はゆっくりと扉のほうへ歩き出した。
「さて。ゲームは君の勝ちだ。ぎりぎりだったし、最後は僕が折れてあげたようなものだけど、まぁいいだろう」
「…………」
「君の友達は屋上で眠ってるよ。早く助けに行ってあげることだね」
扉を開けて、小柄な男子生徒は倉庫から出ていく。
その後を、ユウキは追いかけることができなかった。
(……あいつは、俺を試した……?)
生温くなったから、ゲームを仕掛けた。
その言葉の意図を、ユウキは理解できない。
(どういうことだ?)
倉庫の中を見回しても手掛かりになりそうな物は何もない。小柄な男子生徒はここでじっと座って、ユウキを待っていただけのようだ。
「いや、今は真希を――」
そんなことを考えている場合じゃない。
屋上では小柄な男子生徒に操られ、死に直面しかけていた真希がまだいる。今、一番に優先するべきことは真希の安全だ。
考え直したユウキは倉庫を飛び出して、屋上へと駆けだした。