第三章 邂逅 Ⅵ
「どうした?」
と、尋ねたのはカツユキだ。
ここは『国立「覚醒者」研究所』の病棟にある一室だ。
先日の『覚醒者』と『賞金稼ぎ』の争いで怪我を負ったカツユキとマサキが入院している病室である。二時間ほど前にも病室に顔を見せに来たミユキが、また訪れたことにカツユキもマサキも驚いているのだ。
「何かあったわけじゃないけど……」
「悠生くんに何かあったの?」
今度は優しい声色で、マサキが訊く。
「今から健診して、報告会に出るみたいで、私は一緒には行けないから」
「それで、ここで暇つぶしってか?」
「そ、そういうわけじゃないです。けど……」
「そんな嫌味な言い方やめてくださいよ、カツユキさん」
呆れた物言いをしたのはマサキだ。
対して、カツユキは悪びれた様子もない。
「悪い悪い。俺たちは横になってるしかないからな。話し相手が増えるなら歓迎さ」
「まったくもう」
完全に愛想をつかしたマサキは、ベッドで寝がえりを打って顔を背けた。
「ありゃ、嫌われちゃった」
どこまでも暢気なカツユキである。
「…………」
「それで、何か心配ごとか?」
急に、カツユキの表情が歳相応のものに変わった。
「……ど、どうして?」
「あのな。どんくらい一緒にいると思ってんだ? それに俺は一応みんなの中じゃ一番年上なんだ。心遣いくらいするさ」
ミユキが悠生に対して掛けた言葉。
それと似たような口調で言われたことに、ミユキは自然と涙を流した。
「み、ミユキ!?」
突然泣きだしたことに、さすがにカツユキも慌てる。おろおろとしているとそっぽを向いたはずのマサキが口を挟んだ。
「泣かしたんですか?」
「なわけあるか! だ、だろ?」
「か、カツユキさんの、せいじゃ、ないです……。わ、私……ただ、か、確認したかった、だけで」
嗚咽混じりの懺悔だった。
「だけなのに……、ゆ、悠生くんにはひ、酷いこと、を……」
「……」
ミユキよりも年上の二人は、彼女が全てを吐き終わるまで慰めの言葉もかけない。当然泣きじゃくりながら話しだしたことに狼狽しているわけではない。ミユキの溜まったものを先に出させようとしているのだ。
「わ、私、最低だ……」
「――悠生くんに酷いことをしたの?」
起き上がったマサキが、ミユキの傍まで寄って尋ねる。傷ついた妹を慰めている兄のような姿だった。
「……う、うん」
「どんなこと?」
「悠生くんを元気づけようって思ったんだけど、内心は確かめたくて……」
「何を確かめたかったの?」
「……に、似てるとこ」
その一言で、カツユキもマサキもぴんときた。
それはミユキだけでなく二人も感じていたから。いや、二人だけではない。『ルーム』にいるみんなが等しく感じていたことだ。一番仲の良かったミユキが悠生とユウキがあまりに似ていることを敏感に感じて、確かめようとしてもおかしくはなかった。
そして。
ミユキは二人の似ているところを確認しにいったのだ。二人のお気に入りの場所に、悠生を連れていくことで確認しようとしたのだ。
「それで、悠生くんに酷いことをしたって?」
「う、うん」
ミユキが泣きじゃくりながら話すことを、マサキは優しい表情で聞き続ける。ベッドで横になっていたカツユキも身体を起こしていた。
「わ、私、どうした、ら――」
「……彼がどう思っているのかはミユキにも、僕たちにも分からない。ミユキが彼とユキが似ていることを確認したことを、彼自身が気付いているのかも分からない」
「きっと気付いてないぜ、あの小僧」とカツユキがふざけて口にしたことは無視する。
「けどね。ミユキが彼を傷つけた――酷いことをしたって思ってるのなら、きちんと謝るべきだよ。そして、真摯に話し合うべきだよ」
「……マ、サキ、さん……」
微笑を見せたマサキの言葉で、ようやくミユキも落ち着いてきた。
「大丈夫?」
「……う、うん」
「うん。良かった」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。ミユキも一人で抱え込まなくたっていいんだよ。僕たちだって、悠生くんがユウキに似ていることは分かってるんだから。そのことを、一人で悩まなくていいんだよ」
「……うん」
小さく頷く。
それを確認して、マサキもホッとした。
「ったく。何気にしてんだか」
「カツユキさん!」
無神経な言葉に、マサキは声を荒げる。
「小僧は向こうの世界のユウキなんだろ? そりゃ似てるさ」
「だからって、そんな言い方――」
「小僧も気にしてんのかもしれないけど、俺たちだって過敏に気にする必要はねぇよ。おんなじ人間なんだ。違うのは力があるかどうかってとこだけだろ」
「…………」
ミユキは何も言葉を返せない。
「小僧もユウキの代わりをするって言ったんだろ? なら、同じように接すればいいんだよ。お前がユウキにしてたみたいに。小僧もそれを望んでると思うぜ?」
「だとしても――」
「お前もだよ」
「……どういう?」
「小僧を特別扱いする必要はねぇってこと。元の世界に帰るために助けはするけど、同じ『ルーム』の仲間って考えればいいんだよ」
その通りだ。
ミユキは、悠生をこちらの世界に巻き込んでしまって申し訳ないと思っている。思っているからこそ、悠生を元の世界へ帰すまで守らなければならないと考えている。『覚醒者』ではない悠生を守る対象として少なからず見ているのだ。
(私、勝手に悠生くんを……)
しかし。
悠生は自分の覚悟や決意を見せている。タクヤを助けに行った時にも、ユウキの代わりをすると決めた時も。ただ『ルーム』でじっとしていて、守っていればいいだけと考えてはいけないのだ。
悠生にも意思があるのだから。
「そ、そっか」
「分かったか? 俺たちが思ってるほど、あの小僧は弱いやつじゃねぇんだよ。それこそ、ユウキに似てるんだからな」
「――うん。ありがとう、カツユキさん」
一方。
悠生とマユミの元には、ようやく健診の結果が届いていた。
看護師から受け取ったカルテをマユミはじっと長いこと見つめている。何か思うことでもあるのだろうか、数回口を開いては閉じていた。
「何か問題が?」
「いえ、健康そのものよ」
「……?」
マユミの返事は何かをはぐらかしたように感じた。カルテを見て何かを言いたそうにしていたので、悠生の身体についてなのは間違いないだろう。気になった悠生だが、カルテを見ても何も分からないので追及することはしなかった。
「すぐに報告会よ」
「分かった」
悠生が頷いたことを確認して、マユミはまた研究所の廊下を歩きだす。
今までしたことのない健診もあったため、悠生は少しぐったりとしていた。しかし、本番はこれからである。より一層、気を引き締めなければならない。
緩んだ緊張を締め直していると、
「そういえば、トモユキさんは?」
「さっき連絡があったわ。所長と一緒に、先に会議室に向かったそうよ。私たちも会議室に行くわ」
「了解」
報告会が行われる会議室は、それほど離れた場所ではなかった。
研究所の廊下を何度か曲がっていくと、廊下の先にたくさんの人がいる。マユミと同じように白衣を着ていることから、彼らも研究員なのだろう。たくさんいた研究員たちはみな、同じ部屋に入っていく。
「あそこよ」
「そこで報告会?」
近づいて見れば、『第二会議室』という札が扉の横に掛けられていた。
「えぇ、そうよ。所長や各『覚醒者』の研究チームの班長が集まってるわ。そこで、本来ならユウキについてる研究チームがみんなの前で報告するの」
「…………」
「緊張してきた?」
「しないやつなんているのか?」
「確かにそうね。でも、どんな緊張する場だって、回数をこなせば慣れてくるものよ」
「ってことは、これからも報告会には出なきゃいけないのか」
「――あなたが元の世界に帰って、ユウキがこっちの世界に戻ってくるまで、ね」
(ようは、早く『時空扉』を取り戻せってことか)
「それじゃ、行くわよ」
マユミに続いて、悠生も会議室へ入っていく。
会議室はそれなりの広さがあった。学校などでよく見られる長机がいくつも並べられている。そして、それぞれの机に各『覚醒者』の研究チームがついていた。一番奥の机にはタケダ所長が座っている。
「遅かったな」
厳格そのものを表しているような顔をしているタケダ所長は、遅れて入ってきたマユミと悠生に鋭い視線を向けた。
「健診の結果が長引いたので」
「まぁ、いいだろう。――それでは、報告会を始めようか」
悠生たちが席についたことを確認して、タケダ所長が開始の合図を取る。
それぞれの机には今回のユウキの調査結果報告書――マユミが用意した偽のデータ――が配布されている。それを元にして報告会は進められていく。
「それでは、ユウキを担当しているマユミから報告をしてくれ」
「はい。――久しぶりにユウキが研究所に来てくれたということで、以前に行った調査から再度行いました。結果は報告書に記載されている通り、以前のデータとそれほど変化はありません。彼の力である『空間移動』は彼自身の体調が大きく作用しますが、良好と見て取れます」
マユミが報告している間、研究員たちは手元の報告書に目を落としている。対して、緊張している悠生は心を落ち着かせようと深呼吸を何度も繰り返していた。
「彼の力ですが、『空間移動』の限界はおよそ五〇メートル。また、彼以外の人や物を移動させるにも、その限界はプラス五〇〇グラムに留まりました。この結果から『覚醒者』としての力の成長は見受けられませんでした」
「……となると、今回の調査で一番成長しているのはミユキ、ということか」
ぽつりと呟いたのは悠生たちから左側の机についている研究員だった。札をみれば、マサキを担当している研究チームのようだ。
「そのようだな。他には?」
「はい。彼の力に成長が見受けられない以上、現段階での『時空扉』を利用しての時空移動は不可能と結論せざるをえません。『覚醒者』の力が成長する際の、要因はまだ明らかになっていませんが、優先させるべきは彼の力の成長を促進させることだと考えます」
「具体的な方法は?」
「回数をこなすことは当然として、様々な環境下で力を行使することを挙げます。今までの調査では研究所内部や関連施設での調査しか行ってきませんでした。外部――街中での力の行使も必要と考えます」
「一般人に見られる可能性が高い。『覚醒者』に対して、未だ嫌悪感を持つ者の前で力を使うことは止めるべきです」
と、反対したのは別の研究チームの班長だ。
その通りだ、と悠生も思う。
『賞金稼ぎ』たちとの一件でも、多くの人が『覚醒者』をよく思っていないことは分かった。街中で『覚醒者』としての力を使うことは、彼らを逆撫ですることでしかない。または『賞金稼ぎ』がこぞって襲ってくるだろう。
「私も同意見だ。ハコモノと言われているが、ここは国が設立した研究所だ。上の考えだが、これ以上市民の反感を買うことは避けたい」
所長も、マユミが提示した方法は反対した。
「別の方法を考えて、後日報告し直してくれ」
「……わかりました」
残念そうな表情を見せるマユミ。
しかし、ちらっと悠生に見せた顔はニヤリとしたものだった。
(これも計算通りってことか)
悠生も勘付いた。
悠生は『覚醒者』ではない。必要があって、ユウキの代わりをすることになっただけだ。『時空扉』をすぐに使用することや、ユウキの力をすぐに行使するような状況にならないように無茶な方法を提案したようだった。
全ては悠生のためを思って。
「こちらからも質問させてもらおう。半月ぶりに研究所に来たわけだが、調査後に体調の変化などはあったか?」
所長の質問はマユミに対してではない。
悠生に対して、だ。
「い、いえ、特には――」
若干上ずった声で返事してしまった。
何人かの研究員は眉をひそめたが、所長は気にしないで話を進める。
「そうか。力の使用時に何か変化は?」
「……いえ。一瞬気だるくなった程度です」
この返事は、事前にマユミが考えていてくれたものだ。聞いた話では以前にユウキはそのように答えていたらしい。
「ふむ。前と似た症状だな」
「『覚醒者』としての力の使い過ぎかもしれません。彼の力は他の『覚醒者』よりも特に異質ですから」
「そうだな。同じような気だるさが出るのなら、力の使用はなるべく控えるように。調査の際だけ、でもいいかもしれないな」
「わかりました」
マユミと所長のやり取りで、また『覚醒者』としての力を使う場面を減らすようになる。これも所長とマユミが悠生の現状を理解しているからだ。他の研究員が口を挟むこともなく、悠生にとっては良い状況になっていっていた。
そこへ。
「それで、『時空移動計画』についてはどうなさるつもりですか?」
カツユキを担当している研究チームの班長が口を開いた。マユミや悠生にではなく、所長に尋ねたようだ。
「現在のユウキの力では無理だというマユミの判断がある。彼女の判断を尊重するつもりだ」
「この計画は研究所全体においても重要なものですが、援助してくれる国や企業にはどうお答えを?」
「ありのままを。計画については不確定要素が多い。一つずつ要素をつぶしていき、行けると判断したところで最終段階に移行する」
「……わかりました。現状は凍結、ということですね」
「そうなるな」
マユミが挙げた方法は力の使用回数を増やすことだ。しかし、悠生の――ユウキが以前答えた――症状がある以上、慎重になる必要もある。『国立「覚醒者」研究所』は非人道的な研究を行っている機関ではないのだ。『覚醒者』の健康も十分考慮しなければならない。
つまり、無理はさせられないということだった。
「了解です」
研究員も納得したようで、それ以上は追及しなかった。
その後も質問は続いていった。事前に教えられていた答えをそのまま言う悠生だが、彼が思っている以上にまずい展開になることはなかった。マユミの予想はそこまで正確だったのだ。
「……よし。では、当面の方向はこれでいく。他の班も計画については足並みを揃えてくれ」
それぞれのチームの班長が「了解」で応じる。
「報告会は、これで終わりにする」
初めての報告会はようやく終わった。
一時間ほどの長さだったが、悠生は精神的に疲れて、目の前の机に突っ伏したい衝動に駆られた。
「無事に終わったわね」
「そうだな」
「それじゃ、戻るわよ」
「え?」
「長居してたら、他の研究員に何質問されるか分からないわ。さっさと私の研究室に戻るわよ」
「あ、あぁ」
頷いて、悠生も立ち上がる。