第三章 邂逅 Ⅴ
『市立基橋高校』。
その何度も改築、増築がされた校舎には、一日の間で全く使用されない教室が存在する。その内の一つに、小柄な男子生徒はいた。
男子生徒は、教室に置かれた椅子に座りながら瞼を閉じている。
「破られちゃったか。でも、君が探してるとこに僕はいないんだけどね」
この時間が楽しくて仕方ない、というように小柄な男子生徒は笑っていた。操っていた生徒が一人、彼の能力が及ばなくなってしまったが、そんなことは意に介していないようだ。
それよりも、能力が打ち破られたことに笑っているようにも見える。
(さすが、と言うべきなんだろうね。でも――)
小柄な男子生徒も簡単に見つかるつもりはない。
このゲームの狙いは別のところにあるが、同じ『覚醒者』としてあっさりと負けたくないのだ。ユウキがどれほど力のある『覚醒者』だとしても、計画の一端を担っている者としてのプライドがそう決意させている。
とはいっても。
男子生徒も危ない橋を必要以上に渡るつもりもない。同じ計画を担う者である女がいるが、いくら彼女が指示したことでも危険だと判断すれば、小柄な男子生徒は引き返すつもりだ。
(それじゃ、次の手に移ろうかな)
準備室の扉前で頑なに動かなかったクラスメートの男子生徒を身体ごとぶつかることでようやく動かすことができたユウキは、操っていた誰かを探すために、再び同じ棟を走り回っていた。
「はぁはぁ……」
少し時間を取られはしたが、まだ真希が屋上から飛び降りるまで二〇分以上ある。
ゲームを仕掛けてきた誰かから刺客を送ってきたということは、誰かが隠れているのはこの棟で間違いない、とユウキは目星をつける。
他の校舎よりも一階分高いが、二〇分もあれば全ての教室をとりあえず回ることは難しくない。あとは隠れられそうな場所を重点的に探せばいいだけだ。
そうして。
ユウキは三階の廊下を駆けていく。
この階には他に準備室はない。あとはクラス教室が並んでいるだけである。トイレ――女子トイレも躊躇することなく――の個室まで探したユウキは、
(この階じゃない……)
そう判断した。
上の階か、下の階に誰かは隠れているのだろう。ならば、すぐに移動しなければならない。
「……ッ!?」
行動に移ろうとしたユウキの前に、ぞろぞろとたくさんの生徒が現れた。
「くそっ。またか」
廊下の先から来た生徒たちを見て、ユウキはうんざりする。
ユウキの目の前には約二〇人の生徒が壁を作って現れた。生徒たちの目は一様にして不気味に光っている。全員が、誰かに操られているようだ。
生徒の一人が口を開く。
「君が制限時間内に僕を探すってだけじゃ、面白味がないだろう? この建物にいるってのが、どうやら気付かれたっぽいからね。ゲームの難易度を上げようかなって思ってね。この建物に二〇人の生徒を用意したよ。彼らから逃げながら僕を探してもらうよ」
内容を聞くまでもなく、声の調子から操られていることは明らかだった。
「……それだけか?」
「うん、そうだよ。ただし、この人たちには君を何としても止めろって命令をした。僕の想像もつかない手段を使うかもしれないね。君がどれだけ多対一に優れているのか、見させてもらうよ」
そして。
ゲームはさらに難解なものへと変わった。
操っている誰かの声を合図にして、一斉に生徒たちはユウキへ飛びかかり、襲いかかってきた。
「ち――っ!」
慌てて、ユウキも廊下を引き返す。
いくらユウキといえど、二〇人の生徒を突破することは難しい。ユウキの『覚醒者』としての力は殴り合いの喧嘩などには大きな力にならないのだ。そのため、ユウキは迂回して校舎を探すことにした。
(くそっ)
胸中で悪態を吐く。
二〇人の生徒はユウキの後を恐ろしく速く追いかけてくる。とても生身の人間の速度とは思えない。これも誰かの命令の影響なのだろうか。分からないが、立ち止まっている場合ではないことは確かだ。
廊下を走った先には階段が見えた。
「……ッ!」
迷うことなくユウキは下の階へ降りていく。
飛ぶようにして階段を降りるユウキだが、ちらりと後ろを振り返ると追ってくる生徒の数が減っていることに気付いた。
(どうして?)
疑問に思うが、「そんな場合じゃない」とユウキは先を急いだ。
「待てぇ!」と後ろからかけられる声を無視して、ユウキは二階の廊下を全速力で駆け抜ける。この状況では教室を一つ一つ調べていくというのはとても無理だ。あと二〇分あると余裕に思っていたユウキだが、操られている二〇人の生徒をどうにかしなければ、誰かを探すことなど不可能だった。
「見つけたー!!」
「なっ!」
廊下を全力で走っていたユウキの前に、三人の生徒が姿を現した。別の階段から先回りをしていたようだ。
「ずる賢いな、くそっ」
慌てて足を止めるが、後ろからも依然として生徒が追いかけてきている。
前には三人の生徒。後ろからはそれよりもっと多い数の生徒。どちらが突破しやすいかなど、明白だ。
意を決したユウキは前から迫る生徒に向かって、駆け出した。
(三人くらいなら――)
『覚醒者』である部分を除けば、ユウキも人間であることは変わらない。かなり腕が立つというわけではないが、『賞金稼ぎ』や他の『覚醒者』から狙われることもあり、一応護身術を身に付けている。
「ふっ!」
襲いかかる生徒三人の手を、身体をいなしながらユウキは躱していく。操られているとはいっても、ただの高校生だ。三人程度では『眠る街』などで死地をくぐり抜けてきたユウキを捕まえることは難しかった。
生徒たちの魔の手を回避しているユウキだが、決して反撃はしない。先ほどもそうだったが、ユウキが反撃したことで操られている生徒が怪我をするかもしれない。彼らにこれ以上の被害を及ぼしたくないのだ。
「やっぱり甘いんだね」
そこへ。
生徒の口から言葉が投げかけられた。
「どういう意味だ!」
「そのままだよ。生温い生活に慣れちゃったのかな?」
生徒の口を介して発せられる言葉が、ユウキの脳を直接揺さぶる。ユウキの判断を鈍らせる。
「しまっ――」
気付いた時には遅かった。
後ろから追いかけてきた生徒が、ユウキを捕まえる。三人がかりで両腕を封じられて、ユウキは身動きが取れない。そこに、目の前の生徒が大きく腕を振りかぶった。
ドス、という鈍い音が響く。
「がっは……ッ」
勢いがついた拳が、ユウキの鳩尾を正確に突いていた。続けざまに、ユウキは二発も食らってしまう。
鳩尾を殴られて、吐き気を催す。ここで蹲っていたら、さらにタコ殴りにされ、二〇分はあっという間に経ってしまうだろう。
(こん、なところで――)
やられるわけにはいかない。
脳裏に言葉が響く。
生徒を操った誰かの言葉だ。
「この建物に二〇人の生徒を用意したよ」
その言葉に、ユウキはハッとした。
(ってことは――)
ユウキはすぐに意識を集中させる。両腕を掴まれていて、簡単には振りほどけない状況だが、そんなこと関係なかった。
さきほどユウキを殴った生徒がもう一度拳を振りかぶる。全体重を乗せようとしているのか、振りかぶる動作は大きい。その瞬間を、ユウキは逃さなかった。
(今だ――っ!)
不意に、ユウキの姿が消えた。
「……っ!?」
「――なっ?」
殴ろうとしていた生徒。ユウキを捕まえていた生徒たちはいきなり対象が消えたことに驚く。掴まれていた両腕を振りほどいて逃げたわけではない。そこにあったはずのユウキの身体が消えたのだ。
状況を操っている生徒を介して見届けた小柄な男子生徒は、小さく呟く。
「――上手く逃げられた、か」
それでも。
余裕の表情は消えない。
クラス教室が多くある教室棟。
その一階にユウキの姿はあった。
「……はぁはぁ」
慎重に周囲を窺う。
しかし、生徒や先生はいなかった。
(やっぱり――)
生徒を操っていた誰かは、二〇人の生徒を用意したと言っていた。この棟から移動する気もないようで、ここで決着をつけるつもりなのだろう。そのために二〇人の生徒を操り、他の生徒を排除した。今、この教室棟にはユウキと操られている二〇人の生徒、黒幕の誰か、しかいない。
他に誰もいないのなら、『覚醒者』としての力を使うリスクを考えなくて済む。ユウキも全力でやれるのだ。
それでも。
「……久しぶりに使うと、違和感があるな」
『覚醒者』の――人知を超えた力を使うのは、約二週間ぶりだった。『時空扉』を使用して、こちらの世界に来る直前に使って以来、全く使ってこなかった。そのせいか、一回の『空間移動』でかなりの体力を消耗してしまったのだ。
(何回も使えない、か)
元の感覚が戻るまでは、力を多く使うことは危険だろうとユウキは判断する。ゆっくりと身体に慣れさせるしかない。
ともあれ。
これで、操られていた生徒たちからは逃げられた。
「一階には確か準備室や倉庫が――」
下駄箱へと通じている廊下の反対側は先生の準備室や体育館、グラウンドへ通じる出口と倉庫がある。準備室や倉庫は、やはり教室よりは隠れやすい場所だろう。
そこをまず探そうと歩きだしたユウキの耳に、ばたばたと慌ただしい足音が聞こえてきた。足音は廊下の先から聞こえてくる。
「――ちっ。もうかよ」
三階にいた生徒とは別の生徒が追いかけてきたようだ。
身体に違和感が生じる『空間移動』は連続で使うことはできない。あくまで奥の手なのだ。廊下の先にある準備室や倉庫を目指すなら、正面突破をはかるよりも、迂回したほうが確実だろう。
下駄箱へ通じる廊下の反対側へユウキは駆け出す。
(二階からなら――)
一度二階に上がり、廊下の端にある階段から一階を目指す。それなら目の前から来る生徒と遭遇することもない。
より安全な策を選択したユウキだったが、彼を追いかけている生徒は1階にいる者が全てではない。
「見つけた!!」
駆け足で階段を上ったところで、さらに上から声が聞こえてきた。三階にいた一〇人を越える生徒たちが降りてきていたのだ。
「――くそっ」
また慌てて、ユウキは廊下を走る。
そのあとを再び一〇人の生徒が追いかけていった。
(あと一〇分――)
追手から逃げながら、ユウキは教室に掛けられている時計をちらっと見る。ゲームを仕掛けられてから、四〇分を越えようとしていた。あと一〇分で真希は屋上から落ちてしまう。急がなければならなかった。
準備室を塞いでいた生徒を気絶させたように、意識を混濁させて力が及ばなくなるようにする手段もある。
(一人ずつ相手にしてる暇はない!)
しかし、増えた生徒の数は二〇人だ。
一人一人を沈黙化させている時間などない。
結局。
ユウキは追いかけてくる生徒たちを掻い潜って一階を目指さなければならない。
「……ちっ。向こうのほうが速いか」
けれど。
操られている生徒の中には、ユウキよりも速く走る者もいた。単純な競走では勝てそうもなく、みるみる距離が詰められていく。
「よし! 捕まえ――」
(仕方ないっ)
生徒の手がユウキの襟を掴もうとした瞬間、再びユウキの身体は消えていた。『覚醒者』としての力を行使したのだ。
胸の動悸が治まらない。
早鐘を打つように心臓は鳴り響いていた。
『空間移動』の力を行使して、ユウキは校舎の四階に移動していた。廊下の壁にもたれかかっているユウキは苦しそうに胸を押さえている。
「はぁはぁ。――くそ」
乱れた呼吸を整えることに集中する。がくがくと震える足もしばらくは治まりそうになかった。
二回目の移動で、この有り様だ。
『覚醒者』同士の争いで、一日に何度も力を使っていた時には到底及ばない。あの頃の感覚が思い出せないどころか、気だるささえ感じられた。
「まずい……」
このままでは見つかり、簡単に捕まるのを待つだけだ。制限時間は刻一刻と減っていっている。最初は余裕だと思った五〇分だったが、悠長にしていられなくなった。
痙攣している足を叱咤して、なんとか立ち上がる。
だが、この足の状態ではとても一階まで行けそうにない。四階分の階段を駈け足で降りることは難しそうだった。
(あそこが怪しいっていうのに……)
諦めるわけにはいかない。
一階には各教科の先生が使用している準備室や倉庫がある。何よりも怪しい場所だ。まずはそこを探さなければ、とユウキは壁に手をつきながら歩いていく。
額に汗がにじむが、その瞳はまだ力を失っていない。
息を乱しながら、四階にある階段まで歩き切った。階段から下の階を覗くと、この棟にいるだろう二〇人の生徒の姿は見えなかった。しかし、走っている足音や声は微かに聞こえる。下の階でユウキを探しているようだ。
上と下に続いている階段だが、上っても屋上に繋がるだけだ。向かう場所は下の階しかない。
(考えてる場合じゃ……)
意を決して、ユウキは階段を駆け下りていく。
階段を駆け降りる音は、人気のない校舎で異様に大きく響く。その音を聞きつけて、生徒たちがすぐに追いかけてきた。
「待ちやがれ!!」
「誰が待つかよ!」
やたらと筋肉質な生徒が本人のものか操っている者か分からない声で叫ぶが、ユウキは止まらない。
「こっちだ! ユウキを見つけた!」
追いかけてくる生徒は大声で叫び、仲間を次々に呼ぶ。たった四階分の階段を降りるだけだが、あっという間に二〇人の生徒がユウキの前に立ちはだかった。
「こっちには行かせねぇ!」
と、一階で待ちかまえていた生徒が両手を広げて構えてくる。駆け下りてきたユウキをそのまま捕まえるつもりのようだ。
しかし。
(そう簡単に捕まるかよ!)
一〇段近くを残して、ユウキは飛びあがる。
「な……っ!?」
いきなり飛んだユウキを見て、待ちかまえていた生徒は焦る。捕まえようとしていたところを跳躍されたのだ。受け止めようと男がおろおろと見上げていると、またユウキの姿が消えた。
「え……?」
間抜けな声が聞こえたのを、ユウキは背中に感じていた。
飛んだユウキは空中でさらに『空間移動』をして、一気に生徒を越えたのだ。ちらっと後ろを振り返ると、生徒が消えたユウキの姿をきょろきょろと探していた。
『空間移動』したといっても大した距離ではない。追いかけてきている生徒はすぐに気付くだろう。その前に、ユウキは痙攣している足を無理矢理動かして先を急いだ。
「はぁはぁ……。やっと――」
さらに酷くなる動悸に耐えながら、ユウキは一階の廊下の端まで辿りついた。
躱しきった生徒が慌ててこちらへ向かってくるが、それよりも先にユウキは目の前の準備室の扉を開ける。
そこは、歴史を担当している先生の準備室だった。
「…………」
三階の準備室同様に、明かりが付けられていない準備室は暗い。ごちゃごちゃと机や棚が並べられており、物が散乱している様子まで同じだ。
(誰かいる!?)
じっと様子を窺っていたユウキは、椅子が一つ窓のほうへ向けられていることに気付いた。
その椅子には誰かが座っている。背格好からして男のようだ。
二〇人もの生徒を操っている『覚醒者』は自身のことを僕と呼んでいた。犯人は男なのだろう予想していたユウキは、さらに警戒を強める。人を操る力のようだが、他に武器を持っていないとは限らない。
慎重に近づく。
椅子に座っている男は動く気配がない。ユウキが入ってきたことに気付いていないのだろうか。
いや、そんなことはない。
廊下であれだけ騒いでいて、扉も勢いよく開けたのだ。誰かが入ってきたことは分かるはずだ。
散らかっている机を横切って、ユウキは椅子に座っている男の前に立つ。
そこに座っていたのは、
「なっ!? た、拓矢!?」
拓矢だった。