第二章 『覚醒者』の起源 Ⅳ
悠生の姿を見かけるたびに、『県立「覚醒者」研究所』の所員は安堵の表情を浮かべていた。その表情に応えるたびに、悠生の心は意思と裏腹に苦しくなった。
「…………」
「どうかした?」
浮かない表情をしている悠生に、マユミが訊いた。
「いや、あんだけ大丈夫って言っておいて、こんなに心が痛むなんて――」
「……それが普通よ。ごめんね、こんな役回りさせて――」
「ミユキが気にすることじゃない。俺がそれでいいって頷いたんだ。やりきるさ」
心が痛んでも、意思は曲げない。
自分のため。
そして、ユウキのために。
お互いが元の世界へ帰れるまで演じきる、と。
「……こういうとこ、やっぱり似てるのね――」
小さく呟いた。
「え、何だって?」
「ううん、何でもない」
不思議そうに視線を向ける悠生だが、ミユキは取り合わない。マユミに続いてさっさと行ってしまう。
「なんだ?」
「思うところが色々あるのだろう。きっとミユキにも」
「トモユキさん……」
「ほら、行こう。申し訳ないが、まだまだ会っておかなければならない人はいる」
「……はい」
ミユキが微かに呟いた言葉が気になるが、悠生も二人の後を追いかける。自分の興味よりも、今は不安に思っている人たちを安心させるのが先だと判断したからだ。
その後もマユミに連れられて、悠生は会う人々にユウキは元気だと振舞う。
その姿を見て嬉しそうな顔をする人々は、口々に悠生にどうしていたのかを尋ねてきた。返事は全てミユキやトモユキがして悠生はそれに合わせる形だったが、それでも研究所の人々は満足したようだった。
一通りの挨拶を終えて、悠生は再び最初の部屋に戻ってきていた。
どうやら、この部屋はマユミの研究室のようだ。そのマユミはこの部屋にはいない。悠生の挨拶が終わった後、白衣を着た所員数人が訪れて一緒に何処かへ行っている。
「疲れた?」
「……いや、それほどじゃ――」
「そう? ここの所員も多いからね。さすがに疲れたかと思ったけど……」
「大丈夫だ。もっと大事なのはこれからなんだろ?」
「……そうなるね」
悠生の確認に、ミユキは頷いた。
ユウキが無事だという風に振舞っただけでは終わらない。悠生がこれからもユウキとして『県立「覚醒者」研究所』で『覚醒者』として行動する必要がある。それが最も重要なことだ。
「やるよ。俺は大丈夫だから――」
「……でも」
「ミユキ、彼の決意を受け取ろう。ユウキの代わりをすると言ってくれたのだ」
「……わかった」
トモユキに諭されて、ミユキは小さく言った。
ふと視線を向けると、悠生の瞳からは強い意思が読み取れる。決意するまでに、どれほどの思いが悠生の胸中を渦巻いたのか、ミユキには分からない。ただ分かるのは、悠生がこれまでも見せてきたような決意を改めて示したことだけだ。
「お待たせ」
「マユミ。何かあったの?」
「ちょっと、ね」
マユミは意味深な視線を、悠生へ向ける。
「……?」
視線が向けられていることに悠生は首をかしげるが、すぐにマユミが本題を口にした。
「私は、今日は止めようって言ったんだけど……。あなたを見て、所員たちが止まってた調査の続きをすぐにでもしたいって言ってきてる」
「調査?」
「えぇ。今、ユウキが持つ『覚醒者』としての力である空間移動でどこまで移動できるのか研究してるわ。それは三次元での話じゃない。――つまり、時空を越えれるのか」
「……っ」
「結論から言ってしまえば、可能よ。現に、あなたがここにいるのだから――。けど、所員のみんなはユウキが『時空扉』を使ったことを知らない。知らないまま、その調査を続けてるわ。その調査で『覚醒者』としての力を使用しなければならないけれど、それは私がどうにか偽装するわ。今までのデータを改竄して今回取れたデータとする」
「じゃあ、俺はどうすれば?」
「改竄したデータを研究者たちはさらに精査する。その後に、あなたを含めて精査したデータの原因と結果を探る報告会といったところかしら。健診もするかもね。久しぶりに研究所に来たことになってるわけだし――」
「健診?」
「定期健診があるって言ったでしょ」とミユキが答えた。
「あ、あぁ、そっか」
「そう。そのためには能力を使わなければならないけれど、これも私がデータを用意するわ」
データはこれまでのものを改竄して利用するのなら、悠生がしなければならないことは特にない。
しかし。
「あなたには、その場に同席してもらいたいの」
「俺も一緒に?」
「えぇ、そうよ。というよりは、あなたがいないと話にならないわ。みんなはあなたを『覚醒者』だと思ってる。能力使用時の身体の変化や感覚の違いなんかを、実際に聞きたいのよ」
「けど……」
そんなもの悠生には全く分からない。『覚醒者』ではない悠生に、能力を使った時の感覚を尋ねられても答えられるはずないのだ。
「もちろん分かってるわ。おおよそ『覚醒者』の人たちが言いそうな受け答えを教えてる。あなたはそれっぽく言ってくれればいいから」
「……それなら」
大丈夫だろう。
自分が話すことでボロが出やしないか不安はあるが、その時はマユミやトモユキがフォローしてくれるのだろう。
「決まりね。私はもう少し打ち合わせしてくるわ。また呼びに来るわね」
「私もついていこう。所長にも少し話をしたいからね」
忙しなくマユミは研究室から出ていこうとする。
その後をトモユキも追いかけた。出る間際に「すぐに戻るよ」と言い残して、トモユキは研究室の扉を閉めていく。
「……ふぅ」
「どうしたの?」
「いや。なんだかすごいことになってきたなって――」
「そう、ね。悠生くんは『ルーム』で待ってるだけでもよかったのに、研究所まできて、ユウキの代わりもするって頷くんだもんね」
「『賞金稼ぎ(ゴールドハンター)』の時もそうだったけど、じっとしてらんないんだよ。みんなが良くしてくれてるのにさ」
やっぱり、とミユキは思う。
これまでも何度かあった感覚だ。
その口をついて出てくる言葉の端々。決意したことには揺るがない行動。それだけじゃない。『ルーム』で暮らしている時に見かける些細なこと。
それらの悠生の言動に、ミユキはユウキの面影を感じる。
DNAレベルで悠生とユウキは同じ。だからといって、辿ってきた出来事や育った環境が明確な違いを個性として作るはずだ。
それでも。
先ほどと同じように、ミユキは悠生の中にユウキを感じる。
似ている場所を敏感に感じ取ってしまう。
(……後悔してるのかな――)
『時空扉』を使ったこと。
ユウキを助けるために時空を越えさせたこと。
今さらのように抱いた感情に、ミユキは視線を伏せた。
「どうした?」
すると、今度は悠生が心配そうに尋ねてきた。
「う、ううん。何でもないわ」
「……?」
「わ、私も少し出ていくね。カツユキさんもマサキさんもまだ入院中だろうし、二人の様子見てくる」
「あ、あぁ……」
「研究所の中は安全だと思うけど、勝手に回らないほうがいいよ。マユミが怒るだろうから――」
「わ、わかった」
悠生が頷いたのを確認して、ミユキも研究室から出ていった。
急にミユキの様子が変わったことに悠生は戸惑う。
(……言いたくないこと、かな)
何をミユキが思っているのか、悠生は分からない。悠生が決意するまでの覚悟の仕方が、ミユキに分からないのと同じように、悠生には分からないのだ。
ミユキたちが出ていった後、室内を見回していた悠生はふとガラス張りの棚に目を向けた。その中に、やたらと古そうな雑誌を見つけたのだ。
(これは?)
興味本位で雑誌を取り出してみる。
雑誌の表紙に大きなゴシック体で『「始まりの覚醒者」が残した一五日間に隠された謎』と見出しが書かれていた。
(『始まりの覚醒者』……)
以前トモユキたちから聞いていたが、詳しい話は分からずじまいだったその存在。
世界中に『覚醒者』が存在する発端になった人物だと予想していたが、その人物自体のことを悠生は全く知らなかった。
「…………」
ゴクッと一度喉を鳴らす。
雑誌を持つ手が震えるが、悠生は恐る恐る表紙を捲っていく。この記事の中に知りたいことが書かれていると思うと、好奇心を止めることはできなかった。
『一九九七年三月一七日に全世界に報道された「覚醒者」の存在。その存在が公表されてから、早くて今年で一〇年が経とうとしている。「覚醒者」の存在の報道は、私たちに大きな衝撃をもたらした。
すでに読者は周知のことと思われるが、「覚醒者」とは人知を超えた力を有する者のことを指している。人知を超えた力とは何か。身体から火を発するであったり、触れずに物体を破壊したり、相手の心を読めたりと、その力は多種多様である。また、それぞれの力は一つに限定されている訳ではなく、同じ力を振るう「覚醒者」の存在も確認されている。
「覚醒者」の出現以後、世界の情勢は大きく変わっている。顕著に見られるのが「覚醒者」の軍事利用だ。現在でも中央アジアへ多数のアメリカ軍所属「覚醒者」が派遣されていることからも分かる通り、彼らの力は前線でこそ活きている。しかし、「覚醒者」の軍事利用が問題視されているという事実もある。「人知を超えた」という冠言葉が付けられていることからも、その力は人では敵いようがない。ライフルに撃たれても死ぬ事のない「覚醒者」までいる始末である。その力を使用するということは、一〇〇匹のライオンが一人の人間を襲うことに等しい。
戦争紛争、果ては地域間の抗争にまで「覚醒者」たちは動員されていった。その結果、溜まりに溜まった復讐の念から生まれたのが「覚醒者」の排斥運動である。この排斥運動はすでに鎮静化されているとはいえ、未だ世界全体にその思想が残っていることは間違いない。研究所に入れない「覚醒者」の多くが、「眠る街」を住処としていることからもそれは明らかである。
さて、ここまで「覚醒者」の歴史について軽く触れてきた。
だが、なぜ「覚醒者」は唐突に世界に現れたのか。この問題は一○年経とうとしている現在も解明されていない。
その解明に大きく関わってくるのが、「始まりの覚醒者」なのだ。
「始まりの覚醒者」の存在は一九九七年三月一七日の日本時間午後五時に国際連合(以下、国連と略す)の本部があるスイスのジュネーブで発表された。スイスの国営放送が放送したのが最初とされている。
「我々は、信じられない事象を発見した。人類の新たな進化とも言える出来事である。有史以来、人類は様々な発展を繰り返してきたが、人間という種族自体がここまで大きく発展したことはないだろう。そこで、我々は進化という単語を用いた。この進化が我々人類にどのような影響を及ぼすかはまだ不明であるが、すでに東洋の国では由々しき事態を招いているという事実もある。つまり、進化を果たした人間による事件の発生だ」
これは、国連が発表した内容の冒頭部分を抜粋したものである。
この発表をもって、世間に「覚醒者」=進化を果たした人間の存在が認識されていくようになる。そして、この発表で触れられた人物こそが「始まりの覚醒者」である。
「始まりの覚醒者」が起こした出来事は、すでに読者も周知の事実だろう。
一九九七年三月一七日から同年の四月一日までの一五日間の出来事を総じて「終わりのエイプリルフール」と日本では呼んでいる。この年の四月一日を境に、世界が一変したことを指している。そして、この日以後、世間で「始まりの覚醒者」の名前を見ることはなくなった。
この一五日間に、何があったのかを全て知ることは到底叶わない。当時、「始まりの覚醒者」と近しかったとされる人物はその多くがすでに亡くなり、生き残ったと言われている親族もその所在は不明である。警察関係者に関しても同様で、取材をしても皆一様に「終わりのエイプリルフール」のことは口にしようとしない。緘口令でも敷かれているのだろうか、と勘繰りたくなるが、恐らくは純粋に知らないのだろう。
「始まりの覚醒者」のその後を知る者がいるかいないかは別として、「終わりのエイプリルフール」後から、それまで身を潜めていただろう多くの「覚醒者」が世に産声を発している。「始まりの覚醒者」を親とするように――。
「始まりの覚醒者」の真実。
そして「終わりのエイプリルフール」の真相を知ることこそが、「覚醒者」という存在を、その出現の意味を知る唯一の手段なのではないだろうか』
そこで、記事は終わっていた。
最後の一文の左を見ると『関連記事はP一五ページから』と小さく記載されている。
「こ、これは……」
記事を読んで、悠生は目を丸くしている。
(終わりのエイプリルフール……)
世界では、『エイプリル・エンド』とも言われている――『始まりの覚醒者』が失踪した出来事である。
『始まりの覚醒者』のその後を知る者はいない。いたとしても、その所在が分からない。そう記事には書かれていた。
「……また古い雑誌を見つけたものね」
不意に声をかけてきたのは、マユミだった。再び話し合いを終えて、部屋に戻ってきたようだ。
驚いた様子の悠生を気にしないで、マユミは話を続ける。
「三年前の雑誌よ。少しおもしろい意見が書かれた記事があったから、残してたんだけど。どこに仕舞ったのか忘れてたら、まさかここにあったとはね」
「この『始まりの覚醒者』の記事は――?」
少し震える声で悠生は訊いた。
「事実よ。『始まりの覚醒者』は実在した。私は会ったことないけどね。――というよりも、会ったことある人を探すほうが難しいわ。もう一三年も前の話なんだから」
昔を懐かしむような、感慨深い声でマユミは答えた。
「『終わりのエイプリルフール』から世間で『覚醒者』が一斉に姿を現すようになった。もちろん、なぜなのかは誰も分からない。『覚醒者』はその前からもっといたのか、『始まりの覚醒者』がいなくなったから――あるいは、死んだから出てきたのか」
それすらもね、とマユミは付け加えた。
「じゃ、じゃあ――『覚醒者』がなんで生まれたのかを知ることはできないのか?」
「それはもう無理よ。可能性があるとすれば、国連の機関に保管されてるだろうデータを見ることか、一三年前にタイムスリップするしかないわね」
どちらも非現実的な手段だった。
一介の高校生である悠生が国連機関のデータなど見ることはまず叶わない。ましてや、タイムスリップするなど不可能だ。
(時空を越えたことはあるけど、それは俺の力じゃないし――)
と、一人心の内で項垂れる。ようやく手掛かりらしいものに辿りついたのに、その先に進めないことに強いもどかしさを悠生は感じた。
落胆している悠生を見て、マユミはガラガラとホワイトボードを目の前に移動させてきた。
「それじゃ、あなたに少し講義をしようか」
と、マユミは楽しむような口調で言った。
「講義?」
「そう。時空を越えてやってきたあなたに、『覚醒者』という存在がどのようなものなのか。『始まりの覚醒者』とは一体何者なのか」
そう言って、マユミは何も書かれていないホワイトボードにマジックを走らせていく。
マユミがホワイトボードに書いていく文字を見ながら、悠生は姿勢を正すように椅子に座り直した。なぜ、いきなり講義を始めようと言うのか分からなかったが、ちゃんと聞いておくべきだと思ったからだ。
「さて、その雑誌にも書いてあったように、『覚醒者』の存在が世界に公表されたのは一九九七年三月一七日。これは世界の誰もが知ってることよ。学校の教科書にすら、載せられているわ」
話し始めたマユミとホワイトボードに、悠生は視線を交互に巡らせる。
「けれど、それは世界が公表した日であって、正確な『覚醒者』の出現日じゃない。それはどの研究者も学者も確信してる。『覚醒者』はその日よりずっと前から存在していたのだ、ってね」
「あなたはどう思うんだ?」
「もちろん、私もそう思ってるわ。雑誌の記事にも書いてあったでしょ? すでに東洋の国では由々しき事態を招いているという事実もある、って。その東洋の国が、日本のことよ」
「え……っ!?」
「つまり、『始まりの覚醒者』は日本人よ。名前は公表されていないけど、大多数の人がそう信じてるわ。それで、国連が発表した声明の中には、その一文があった。すでに、ってことは前から『覚醒者』の存在を認識していたってことよね?」
マユミは、悠生にも確信を持たせるような口調で尋ねた。
「た、たしかにそういうことに――」
「そう。国連は声明発表の前から――どれくらい前からなのかは分からないけど、『覚醒者』の存在を知っていた。存在を知って、即日に発表を行ったわけじゃないの。発表が遅くなった理由も、もちろん分からないわ。その理由を知っている人ももうほとんどいないのかもしれないけど……」
「……その、この国で起こった事態ってのは?」
悠生は震える声で、ユキに質問した。
「当時、日本で起こった過去最大のテロと言われた事件よ。死傷者数は四桁を超え、大小様々な被害、影響を受けた人は世界中で数万にも上る。そう言われた国際空港爆破テロ」
「……っ!?」
耳に届いてきた言葉に、悠生は息を飲んだ。
「空……港爆破……!?」
「えぇ。その犯人とされているのが『始まりの覚醒者』よ」
「……っ!? な、なんで日本人が!?」
「それは分からないわ。犯人が捕まったのかどうか、死んだのかどうかすら分かっていないのだから。何が狙いだったのかも、世間は分からずじまいよ」
淡々と話し続けているマユミの表情は変わらない。
自分が被害者じゃないから、そこに悲しみを覚えないのだろうか。研究者はそういう人種なのだろうか、とすら悠生は思ってしまう。
「随分と懐かしい話をしているな」
そこへ、部屋のドアを開けて、トモユキが入ってきた。
所長のところへ行くと言ってマユミと一緒に研究室を出たが、マユミよりも随分遅くなったようだ。
「トモユキさん……」
部屋に入ってきたトモユキを見つけて、弱々しい声を悠生は上げた。
「話してなくてすまないね。最初に、こちらの世界のことを説明した時に言えば良かったのだろうけど、時間があまりなくてね」
本当に申し訳なさそうなトーンで、トモユキは言葉を返した。
「い、いえ……。俺が暮らしてた世界と違う歴史ばかりで少しショックになっただけです」
「うん、それは正しい反応だよ。もし世界が無数にあったとして、それぞれの世界に同じ人がいたとしても、世界はすべて同じようにはならないと私は思う。人生は選択の繰り返し、だからね。きっと違う選択をそれぞれの世界でしているのだろう」
(選択の繰り返し……)
トモユキが使った表現に、悠生は妙に納得した。
「さて、話を戻そうか」
そう言って、マユミは部屋の緊張感を無理矢理戻した。
「その空港爆破テロで、国連は『覚醒者』の存在を嗅ぎつけた。私はそう思ってる」
「私も同意見だ」とトモユキも頷いた。
「国際空港爆破テロは、一九九七年三月二日。国連は、どうも二週間も発表を渋ってたみたいね。さっきも言ったけど、発表を遅らせた理由は分からないわ。多くの学者が推測してるけど、それらも私は違うと思う」
マユミに代わって、トモユキは学者がしたという推測を一つ一つ説明していく。それらを聞いて、悠生もマユミと同じ意見を抱いた。素人には難しい予想すぎて、どれも現実的な話に聞こえなかったのだ。
「まぁ、推測が当たっているかどうかは我々――特に、君にはさほど重要じゃない。国連が発表を遅らせたことも同様だ。大事なのは、国際空港爆破テロが起こった一九九七年三月二日から国連が発表した三月一七日。そして最後の『始まりの覚醒者』関連のニュースがあった四月一日の間に何があったのか。『始まりの覚醒者』は何をしていたのか、ということだ」
最後の問いを悠生に深く考えさせるように、トモユキは声を強めた。
もちろん、こちらの世界に来て日が浅い悠生には到底思い付かない。捕まらないように隠れていたのでは、とせいぜい思い浮かぶ程度だ。
「その可能性もあるだろうけど、私は薄いと考えてる。『始まりの覚醒者』の目撃情報は国連の発表後、膨大な数に上ったらしいわ。虚実どちらも合わせて、ね。目撃情報の中で最も多かった地域が東南アジアと南半球。特にマレーシアとオーストラリアだった」
「マレーシアとオーストラリア?」
なんで、と悠生は疑問に思う。身を隠すために海外に逃亡したのだろうか。
しかし、悠生の予想は当たっていないようだった。マユミがホワイトボードに書き慣れていると思わせる速度で世界地図を書いていく。
「日本での国際空港爆破テロの一週間後になる一九九七年三月九日にマレーシアの山村で山が崩れる出来事が起きてる。幸いにも死傷者はいなかったみたいね。この出来事も当初は災害と思われたけれど、山崩れとは到底思えない現象が起きてて、村人が目撃したと証言してる。というよりも、村人も関わってたらしいわ」
「現象?」
マユミの言い回しに、悠生は敏感になる。
ホワイトボードの前に立って説明を続けるマユミと悠生を交互に見つめるように、トモユキは少し距離をとって椅子に腰かけていた。煙草を吸おうと胸ポケットに伸ばしていた手が、そのままの形で止まっている。
「森がなくなってたのよ」
「森がなくなった?」
言っていることが理解できなくて、悠生はオウム返ししてしまう。
「そのままの意味よ。山肌を覆っていたはずの木々が削げ落ちたように、ある一帯だけなくなってた。土砂に紛れたという意見もあったけれど、その後調べた土砂からも見つからなかった。なくなった理由が分からないことが、『始まりの覚醒者』が関与してるんじゃないか、って話に繋がっていったわ」
「そんな無茶苦茶な……」
「確かに根拠なんてない。けれど、森がごっそりなくなった理由をほかに説明することもできない。この出来事に『始まりの覚醒者』が関わってたんじゃないのかって考えも、『覚醒者』の存在が広く世界に広まった後だったから、物体消失の力を持つ『覚醒者』もいておかしくないって投げやりな収め方よ」
そこで、マユミは一息入れた。
研究室の脇に置かれている棚からカップを二つ取り出す。取り出したカップにコーヒーを淹れると、一つを悠生に渡した。
「あ、ありがとう……」
「……さて、マレーシアの山崩れの出来事は結局災害として処理されてるわ。死傷者もいなかったから、日本の国際空港爆破テロほど注目されなかった。最も、日本国内はそれどころじゃなかったけどね」
日本では国際空港爆破テロを連日ニュースしていたらしい。
(それもそうか)
国外の災害も少しはニュースで流れていただろう。しかし、それよりも大きな事件が国内で起きているのだ。テレビ局はもとよりメディアはそちらを優先するのが普通だろう。
「そして、国連が『始まりの覚醒者』について発表した一九九七年三月一五日。その日、オーストラリアでは日本同様に『始まりの覚醒者』絡みとされてるテロ事件が起こってる」
「事件?」
「日本での国際空港爆破テロ、マレーシア山村での山崩れ、オーストラリアでのテロ事件。これら三つの出来事を、あなたはどう思う?」
日本、マレーシア、オーストラリア。
起こった事件や出来事の内容はバラバラだが、そのどれにも『始まりの覚醒者』が関わったとされている。国外への逃亡も可能性は低いということらしく、目的は分からない。そもそも逃亡が目的なら、行く先々で問題は起こさないだろう。
そこまで考えて、悠生はふと疑問に思った。
「……あれ、南に向かってる?」
「そう。『始まりの覚醒者』関連の事件や出来事は日を追うにつれ、南になってる。つまり、彼らは日本を出て南を目指してた。目的は分からないけど、ね」
「ちょっと待て、彼らって?」
マユミの言葉に、悠生は敏感に気付いた。
「あら、言わなかった? 『始まりの覚醒者』は数人で動いてたのよ。っていうか、立った1人で空港の爆破とかできないでしょ。例え、意味不明な超現象を起こせる力持ってったって。実行は一人だったとしても、協力者はいたはずよ」
「マユミの考えに私も賛同している。『始まりの覚醒者』を含めた彼らは、日本での事件をきっかけに南半球へ針路を取った。国連の発表後、オーストラリアでは事件が多発している。彼らはそこに長居したと考えるのが普通だろう」
トモユキが補足した。
『始まりの覚醒者』を含めた彼らは、オーストラリアに滞在した。ということは、オーストラリアを目指していたのだろうか。あるいは、そこで捕まったのだろうか。それらも分からない、とマユミは云った。
「『覚醒者』についての発表があった後、確かにオーストラリアで『覚醒者』絡みの事件はいくつか起こってる。彼らがオーストラリアにいたという事実はあるわ。もっと言えば、彼らはオーストラリアを最後に行方をくらましてる」
「最後?」
「『始まりの覚醒者』関連のニュースで最後に放送されたのが、一九九七年四月一日。この日の日本時間、午後三時。アメリカのSWATが『始まりの覚醒者』を日本の国際空港爆破テロ他数件のテロ事件の首謀者として拘束した、というニュースよ」
「拘束……」
「もちろん、それ以降も陰謀論だとかメディアで扱われることはあったわ。けど、『始まりの覚醒者』が関連した事件や出来事は起こらなくなった。だから、四月一日が最後とされてるわ」
そして。
国連が『始まりの覚醒者』について発表した一九九七年三月一七日から、『始まりの覚醒者』を拘束したと放送された一九七七年四月一日までの一五日間を、『エイプリル・エンド』――世界が変わった四月――と呼んでいる。
「……それが、『終わりのエイプリルフール』ってことか――」
「そうよ。当時の私たちにとっては、それまでの世界が嘘のように終わったのよ」