第一章 高校生活 Ⅵ
「はぁ~…」
深いため息が零れる。
午後の最初の授業が終わって、ユウキは自分の机でぐでっとうつ伏せになっていた。
(授業ってこんなに疲れるもんだったっっけ?)
小一時間も席についたまま授業を受けるのは、ユウキにとって実に一年ぶりなのだ。もう二週間近く授業を受けているが、一年ものブランクはやはり大きかった。
「元気ないな」
「……拓矢か。ずっと座ってるのも退屈だな」
「まぁな。でも、それが学生だろ?」
「……そうなんだよな。久しぶりな感覚だよ、これ」
「久しぶり?」
不思議に思った拓矢はオウム返しに尋ねた。
「あ、そうそう! 最近怠けてたからさ」
はは、と笑いながらお茶を濁した。
「ふぅ~ん。テスト終わって余裕かましてるな~。こっちは夏休みの課題に恐々してるってのに」
ドカッと前の席に勝手に座る拓矢。
「恐々って。ちょっと多い宿題だろ?」
夏休み前のテストは、すでに終わっていた。
ユウキがこちらの世界に来て数日後にいきなりテストが始まり、夏休み前の授業ですでにいくつかのテストは返ってきていた。
「それがめんどくさいんだって。部活もあるしさ」
「そういや拓矢も真希も部活あるんだったな」
「いまさらだな、おい」
ユウキのテストの出来はさほど良くなかったが、追試は免れることができた。学校にはもう一年以上通っていなかったユウキだが、『ルーム』でタクヤたちと高校生としての勉強をそれなりにしていたのだ。
「弱小校でもほぼ毎日練習あるからな」
「大変だな」
「それでも楽しいんだよ。悠生も何かやりゃいいのに」
「今はちょっと忙しいからな。部活やってる暇ないな」
「そんなに忙しいのか?」
「ま、まぁな」
何度か言っているユウキの忙しいに、拓矢は疑問を持つ。
部活をやっていないユウキが拓矢以上に夏休みの間忙しくしているとは考えにくい。拓矢や真希にも話していない用事には何か深い理由がありそうだ、と拓矢は考えたのだ。
「ふ~ん」
曖昧な反応を見せる。ユウキの返事には納得していないかのようだ。
「ま、いっか」とユウキに聞こえないように拓矢は呟いた。
「?」
拓矢の反応を不思議に思っていると、一人の女子生徒が近づいてきた。クラスメートだが、ユウキが会話した記憶がない女子生徒だ。
「上村くん、ちょっといい?」
「ん? あ、あぁ」
ユウキは戸惑いながらも頷いた。
拓矢も不思議そうな視線を向けてきたが、ユウキは会話したことのないクラスメートの女子生徒についていく。
女子生徒は教室から出て、人気のない廊下でようやく振り返った。
「上村くん、これ」
そう言って、女子生徒はある物をユウキに渡した。
「これは?」
「お昼休みに三年生の人が来て、上村くんに渡してくれって」
「三年生?」
何だろう、とユウキは思いながらも受け取る。
女子生徒から受け取ったそれは、小さな紙切れだった。もっと言えば、ルーズリーフの切れ端だった。
「……っ!?」
それを見たユウキは身体を硬直させる。
ルーズリーフの切れ端には、文字が書かれていた。
元の世界へ帰りたいか?
と、殴り書きの小さな文字で。
(な、んで……!?)
元の世界。
つまり、時空移動する前にユウキがいた世界へ戻りたいか。
問いかけられている文字に、ユウキは困惑する。
(誰かが、俺が時空を越えたことを知ってる!?)
困惑しているユウキに、さらに言葉が投げかけられた。
「こっちの世界に『覚醒者』が君一人だって思わないことだよ」
「……っ!?」
不意に聞こえてきた声に、視線を上げる。
目の前にいるのは、女子生徒だけだ。その女子生徒の口から、『覚醒者』という単語が飛びだしてきたのだ。
「な、なんで、知って――!?」
女子生徒の口から『覚醒者』と出てきたことに、ユウキはさらに驚いた。
何よりも、女子生徒の雰囲気が変わっている。話しかけてきた時のような暖かさがなくなって、こちらを萎縮させるかのような威圧感さえ覚えるほどだ。
「ふふ、驚いた? 案外間抜けなんだね、ユウキって。それとも久しぶりの高校生活を満喫しすぎてるのかな?」
「な、なに!?」
神経を逆なでするような言葉に、ユウキは簡単に逆上する。
「……お前は誰だ?」
「向こうの世界じゃ『覚醒者』が周りにたくさんいただろう? 普段から神経を尖らせていたんだろう? こっちの世界は君には温いんじゃないかな?」
雰囲気が変わった女子生徒はユウキの質問を無視して、さらに言葉を投げかける。
(温い……?)
女子生徒の言葉が、ユウキの胸に引っかかる。
こちらの世界は温い。
それは間違いではない。
女子生徒の言うように、『覚醒者』がいる向こうの世界は張り詰めた空気が街のそこら中に蔓延っていた。その空気は『覚醒者』だからこそ、より感じられるものだった。
しかし。
こちらの世界には『覚醒者』はいない。いつ『覚醒者』に襲われるか。いつ『賞金稼ぎ』に襲われるか。そういった緊張感は、こちらの世界では感じられない。また、『覚醒者』たちが持つ独特の雰囲気も、やはり感じられない。
「違う?」
女子生徒は、不気味に笑う。
「そ、そんなことはない」
「本当にそうなのかな? こっちの世界はこんなにも平和だ。『覚醒者』同士の戦いに明け暮れていた君なら、この世界の空気は生暖かいはずだ」
「なんで、俺のこと……」
次々と投げかけられる言葉に、ユウキは言葉を返せない。
女子生徒の瞳が不気味に光っている。その瞳の奥に、別の誰かがいて、女子生徒を通じてユウキを見つめているような錯覚を抱く。
「学校に通えなくなったのも、原因は君にあるんじゃないのかな?」
「……っ!?」
一言。
たった一言で、ユウキは完全に言葉を失った。
「……お前は誰だ?」
もう一度尋ねる。
「知りたければ、探すといいよ。じゃあね」
次の瞬間。
女子生徒からは、それまでの違和感が消えた。圧倒するかのような気配が消え、女子生徒は元の柔和な表情へ戻る。
「……? どうかしたの、上村くん?」
「……っ!?」
(戻った?)
唐突に違和感が消えたことに、ユウキは身構える。
「い、いや、何でもない。……ありがとうな、これ」
「う、うん。どういたしまして――」
元の様子に戻った女子生徒は、教室へと帰っていく。
その後ろ姿を、ユウキは困惑した表情のまま見つめていた。