童子
いつの間にか関白の顔には玉のような汗が浮かび、せっかくの白粉が筋となって流れ落ちて、奇怪な面相を形作っている。
貴族は人前では決して汗を掻くことはしない。という常識からすると、関白のこの様子は、きわめて珍しいことである。
副腎交感興奮物質の匂いが、きつく漂う。関白は恐怖を隠せないでいた。
「それで、どうじゃの? ん?」
「どう、とは?」
女官の反問に、関白は苛々と足踏みをして、両手を戦慄かせた。
「時子の様子じゃよ! 【御門】さまのお機嫌を損ねては、おらんであろうな?」
女官は悠長に首を振った。
「わかりませぬ。【御門】さまのお機嫌斜めならずかどうか、わたくしの知るところではござりませぬゆえ。お知りになりたくば、関白殿ご自身でお確かめになればよろしいのではありませぬか?」
きらり、と女官の目が光る。関白は「うっ!」と肩を竦めた。
さっと一礼し、女官はその場を離れた。それを見送り、関白はがっくりと頭を垂れた。
そうなのだ、これから関白は【御門】と対面しなくてはならないのだ。それを考えると、途轍もなく気が重い。
いや、重いどころか、込み上げる恐怖と戦うだけで精一杯だ。
大極殿の大屋根を見上げる。
つんつん、と袂を引く感触に目を落とすと、そこに一人の童子が立っていた。
髪は角髪にし、水干を身につけている。首からは勾玉の飾りを下げ、腰には細身の脇差を佩いている。年齢は十歳前後か、探るような目付きで関白を見上げている。
「関白太政大臣、藤原義明殿でござりまするな?」
童子は、いやに大人っぽい口調で尋ねた。
がくがくと関白は人形のような仕草で頷いた。両目は飛び出んばかりに見開かれている。毛穴が開き、両足は細かく震えていた。
禿だ!
六波羅蜜探題の、童子たちにより構成されている特殊な一団で【御門】直属の監察組織である。この禿たちに目をつけられた公卿は、密かに闇から闇に葬られる運命にあると囁かれている。
「【御門】さまがお待ちかねでございます。お急ぎになられますよう……」
「わ、判っておる!」
関白は屠所に引かれる豚のような足取りで大極殿に向かった。




