8 そして、運命の朝
三人は、それぞれの覚悟を胸に、最後になるかもしれない朝食を囲もうとしていた。
そこへ、その静けさを切り裂くような、あまりに不釣り合いな怒鳴り声が門の外から響いてきた。
「ユージン!さあ、出てきなさい!私を一人だけこんなに汚い泥だらけの恰好で放っておくつもりですの?
絶対許しませんわよ!!」
王宮からの役人が来たと覚悟し、ユージンを逃がそうと身構えていた邸内の空気はその一言で粉々に砕け散った。
エレナ、アルベール、モランの三人が門をあけると、そこにはドレスの裾を真っ黒に汚し、体中至る所や顔にまで泥を塗りたくったレティシアが仁王立ちで立っていた。
「ひっ……姫様⁈な、なんというお姿を……!」
「……こっ、これはっ⁈」
エレナが悲鳴に近い声を上げ、慌てて駆け寄る。そこへ、物音を聞きつけたユージンが、死人のような顔で部屋から姿を現した。
「……。……。……おい、何なんだよ。一体…………何の騒ぎ……って。……は?」
ユージンの視界に飛び込んできたのは、見事に体中、泥にまみれたレティシアが笑顔で立っていた。
「見つけましたわ、ユージン!私もアルベール様に教えて頂きましたのよ。泥に浸かっても、その中で自分の人生を作ればいいんですって。だから、私も泥をかぶって、貴方の隣に立つ為に来ましたわ。さ、ユージン、これでお揃いですわね!」
「……………………ぶっ、はははははっ!」
ユージンの口から、腹の底からの爆笑が漏れた。数日間の絶望も、人質としての恐怖も、この王女のあまりの「底抜けの阿呆さ」の前では何の意味も持たなかったのである。
「あははははっ!おま……お前なぁ!泥を被るってのはなぁ、そういう意味じゃねえんだよ!本当にとんでもねえ阿呆だな、あんたは」
「なっ、何ですって⁈私は至って真面目ですわよっ!」
憤慨するレティシアを横目に、アルベールが頭を抱えて唸った。
「……いや、姫様……あれはあくまで、たとえ話でして……本当に泥を塗れと申し上げた訳では……。……ああ、教え方が悪かったか、こりゃあ……」
「……まことに……まことにがっかりですな。…………王室の未来が、本気で危ぶまれます」
モランが絶望したような顔で、天を仰いでいるが、その目元はどこか緩んでいた。
「もう、お二人とも!呆れている場合ではありませんわ!……さあ、姫様、すぐにお風呂場へ。ユージンも、そんなところで笑っていないで手伝いなさい」
エレナが困り果てながらも、テキパキと指示を飛ばす。逃げるための荷物を放り出し、彼女は「いつもの華やかなおかあさん」に戻っていた。
笑い声と困惑、そして湯気の温かさが漂うアルベール邸。軍神の呪いを抱えた青年と、泥まみれの王女の、本当の闘いは此処から始まった。
やっぱりレティシア、やらかしましたね(笑)




