6 軍神の胎動 凍り付く時空
その日のアルベール邸は、静かな月の奇麗な夜であった。窓辺でそれを眺めるユージンは、普段衣服で隠している腕を月光にに晒していた。黄金の刺青は、今はまだ静かに肌の下で微笑んでいる。彼はその穏やかな月の光に、祈るような心地で触れていた。
(……このまま静かに(紋章が)消えてくれねえかな。軍神なんて大層な名前、俺には要らねえんだ……ただ、明日もこの静かな庭で、義父や義母たちと笑って飯が食えればそれでいい)
自分の身体の安定と、何事も無い平和。それだけを願っていたユージンの安寧は、しかし、とおくから響く騒々しい馬蹄のおとによって無残に引き裂かれた。
ガシャリ、と門を開く音が響く。
「ユージン!何処にいますの。すぐに出てきなさい!!」
夜の静寂に似合わない、高飛車で、けれどどこか震えている叫び声。
(……あいつ……まさか本当に来やがったのか⁈)
ユージンは自嘲気味に呟いた。
彼が最も恐れていた「平和を壊す嵐」が、よりにもよって自分が守っていたあの「我がままな王女」としてやってきたのだ。
ユージンは窓を閉めることも出来ず、ただ月の光を背負って立ち尽くしていた。
階下から駆け上がってくる足音は、迷いなく彼の部屋へと向かってくる。それは、彼がどれだけ拒絶しようと決死の覚悟で追いすがってくる、レティシア王女の一度目の襲来だった。
バタン!と、勢いよく扉を開け、部屋に踏み込んできたレティシア王女は、肩を荒く上下させ、ドレスの裾に土を付けたままユージンを指差した。その瞳には、彼が黙って姿を消したことへの怒りと、同時に彼を失ってしまう事への焦燥が混じり合っていた。
「見つけましたわ!こんな辺鄙なところで、月など眺めて何をしているの⁈さあ、今すぐ馬車へ乗り、王宮に戻りなさい!」
「……帰れ……あんたの我がままに付き合ってられるほど、俺は暇じゃねえんっだよっ!」
「我がままですって⁈よくもそんな口を……私がどれだけ心配したか……いえ、私の貴重な時間をどれだけ無駄にさせたのか分かっているの?これは王命です。私の騎士として、私の傍に一生仕えなさい!」
ユージンは右手を強く握りしめた。刺青が熱い。レティシアの言葉が届くたびに、内なる軍神が、「そんな女、捻り潰してしまえ」と甘く囁き、黄金の振動を強めていく。
「……黙れ……一生だと?笑わせるな。俺がいつ、あんたの所有物になったんだ?」
「最初からそうですわ。貴方は私が選んだ、私だけの騎士。私が『戻れ』と言ったら戻り、『戦え』と言えば戦うのが役目でしょう?理由も言わずに逃げ出すなんて、私が許しません!」
(……結局それか。……どいつもこいつも、俺を鎖で繋ぐことしか考えてねえ)
「聞きなさい、ユージン!これは私の__」
「……っふざけるなあっ!!」
ユージンの咆哮と共に、部屋の空気が一変する。身体の紋章が再び動き出し、溢れ出したのは、黒い霧を伴った圧倒的な殺意__軍神ゼノスの具現だった。
「ひぃ……っ⁈」
レティシアが息を呑み、後ずさる。ユージンは怒りに燃える黄金の瞳で彼女を真っ向から射抜く。その背後に立ち上る四本爪を持つ巨神の影は、もはや悲しげな幻影ではない。自分を縛るものすべてを噛み殺そうとする、凶暴な「暴力の意志」そのものだった。
「……見ろよ。これが、あんたの親父、オーギュストが欲しがった『力』だ!……この化け物を飼い慣らして、一体何に使うつもりだ?ああ⁈お前らの気に入らない奴を、片っ端からこれで握りつぶせば満足かっ!!」
ユージンが一歩踏み出すたび、空間が激しく歪み、床が黒く焦げ付いたような色に変わる。
彼はレティシアに詰め寄った。
「……殺してやる……義父たちの命を盾に俺を操れると思うなよ……次にその不快な口を開けたら、この化け物が、お前を真っ二つに引き裂くぞ!!」
書いておきますが、ユージンはレティシアが選んだ騎士ではありません(笑)
いやいや任務に就かされた設定でした。




