空っぽの小箱
空っぽの小箱
その日の午後、いつものようにオフィスを出て、僕は友人と待ち合わせをした。季節外れの風が肌を撫で、まるで新しい旅の始まりを祝福しているようだった。僕たちは、プロジェクトリーダーの座を争っていた。才能に恵まれた彼を打ち負かすことで、僕は初めて自分自身を証明できると信じていた。だから、僕は卑劣な手段を選んだ。彼の評価を下げるような噂を上司に流し、プロジェクトリーダーの座を奪った。その夜、鏡に映る僕の目に宿っていたのは、成功の喜びではなく、ぎらついた欲望の光だった。
「最近、見つけたんだ。未来を画像で教えてくれるアプリ」
彼が差し出したスマートフォンの画面に「Genie」と表示された。そのアプリ名を告げる彼の声は、どこか楽しんでいるようでもあり、同時に張り詰めた糸のような緊張を帯びていた。僕がアプリをインストールした瞬間、僕の個人情報が全て抜き取られたことなど、その時の僕には知る由もなかった。
1日目
僕はGenieを開いた。画面にノイズが走り、古い地図が広げられた手元が現れた。その画像に、一瞬だけ胸騒ぎを覚えたが、すぐに「新しい旅立ちだ」と都合よく解釈した。その日の午後、正式にプロジェクトリーダーに任命された。プロジェクト名は「ユートピア」。僕の心は浮き立った。
2日目
2枚目は埃をかぶった額縁。どこか不吉な気配を感じたが、すぐに「古い思い出を振り返る良い機会だ」と無理に納得した。
3日目
3枚目は夜空の満月。特別な夜を過ごす予兆に違いない、と確信した。
4日目
4枚目は空っぽの小箱。過去を捨て、新たな始まりを迎えるのだと、僕の傲慢な心は囁いた。その日の午後、僕は喜びを噛みしめ、帰路についた。その甘く、しかしどこか後味が悪い感覚は、成功の裏に隠された僕の罪悪感そのものだった。
車を運転し、見慣れた踏切に差し掛かった時、僕はカーナビに通知が表示されるのを見た。Genieアプリは、持ち主のプライベートな情報に無断でアクセスし、そのデータを利用して未来を具現化する、悪意に満ちたアプリだったのだ。
僕はハンドルから手を離さず、ナビの画面をちらりと見た。すると、ナビは自動的にGenieの画像を4分割のタイル状に並べて表示した。
古い地図。埃をかぶった額縁。夜空に浮かぶ満月。空っぽになった小箱。
そのレイアウトを見た瞬間、僕の息が止まった。それらはバラバラの画像ではなかった。4つの断片は、何の操作もせずとも、一枚の踏切の絵を構成していたのだ。
地図が示すのは破滅へと向かう道筋。額縁は全てを失った後に残る空虚。小箱の空っぽな内部は、僕の人生が一瞬で無になることを示していた。僕の劣等感を打ち消すための努力は、すべてが無意味だった。
その時、耳を突き刺す金属音が鳴り響いた。赤信号が点滅する。僕は顔を上げた。ガチャン、と重く冷たい音を立てて、遮断機が降りる。目前に迫る電車のヘッドライトが、僕の車を煌々と照らしていた。地面が震える。空気が引き裂かれるような地鳴りが響く。ナビの画面に映し出された踏切の絵が、まるで現実と同期するようにチカチカと点滅し、これから起こる未来を映し出していた。そして、目の前を走り去る列車の先頭車両には、プロジェクト名と同じ「ユートピア」という文字が不気味に輝いていた。
その瞬間、助手席のスマートフォンが激しく震えた。着信を知らせる画面には、友人の名前が表示されていた。
彼は、僕とは違う並べ方で4枚の画像を組み合わせていた。そこに浮かび上がっていたのは、彼の不幸の予兆。黒い雲が立ち込める空の下、墓石が雨に打たれているという、僕の予兆とは全く異なるものだった。
次の瞬間、目が焼けるような白い光が僕を包み込み、皮膚を焦がすような熱気が襲いかかり、すべての音が消え去った。
僕の人生は、空っぽな小箱だった。
Genieは、その真実を教えてくれたのだ。
すべてを失った僕の頬を、あの日の季節外れの風が再び撫でていくような気がした。