その5
密輸品の護衛という仕事は、意外にも順調な旅路を見せる。
人通りが多い街道も通れば、役人や王国軍を警戒して裏道を行くこともあった。しかし、どちらにも遭うことがなければ、山賊等の襲撃を受けることもなく八日目の夜が訪れる。
計画よりも順調な旅路に一向は一日ほど早い到着を見込む。その日は農村さえ見つけることはできなかったものの、これまでにも野宿を経験したことがあったために不満はもれなかった。
「今日はここらで野営と行こう。見張りは、三時間ごとで交代だ。最初は――」
「――では、私が。御者しかしていませんから、それほど疲れていませんし」
森林の開けた場所を野営地を決めると、率先してセラスが最初の見張りを名乗り出てくれた。
きっと、初めての仕事で役に立とうとしてくれているのだろうが、新人にあまり酷な仕事は任せたくない。そんなわけで、最初の見張りはアケットとセラスに決まる。
「次はジェイルとカフィーだな。依頼主に任せるのもなんだが、明け方の二時間ばかりはお願いしても良いか?」
「分かりました。では、それまでゆっくり休ませていただきますね」
「了解。しっかり頼むぜ、新人君」
「僕は構いませんよ。道具の研究で、徹夜でも大丈夫ですから」
順番を決め終え、アケットとセラスを残して三人が眠りに着く。
屈強な背徳都市の住人達とは言っても、八日間に及ぶ旅は意外に体力を削っていた。そのためか三人は数分で眠りにつき、静かな寝息を立て始める。
アケットは、疲れているのを押し隠して頑張るセラスにカーフー豆の煎り薬を入れてやる。薬と名前が付いていながら、実のところは単なる飲み物だ。確かに、神経の高揚を抑える効果はある。
「ほら、あまり気を張っていると疲れるぞ」
「ありがとうございます。本当は私、今回の旅がとても楽しいんです。ずっとジョニーとだけ旅をしてきて、つまらなくはなかったけれど、途中から真新しいものが感じられなくて……」
なにを感慨に更けてしまっているのか、セラスがポツポツと語り出す。
正直、セラスは自分達から見ればまだ若い。というのもおかしいか、アケットさえジェイルより一つか二つ上で、ジェイルがセラスの一つ年上ぐらいだ。精神的な面にしても、苦境に携わってきた期間はそれほど変わらない。
「分からなくもないが、それでも俺達より世界を見てきたんだろ? 色んな街を回って――あぁ、この話はカフィーから聞いたんだが、仇の相手を探してるんだって?」
突っ込んでも言い話なのか分からなかったものの、その話を聞いた時から気になっていた。
セラスの曇った表情が、焚き火の灯りに照らされる。
「……はい。街に居た時に話そうと思っていましたが、アケットさんのことを言ってしまったこともあって、ついつい言いそびれてしまいました」
「そのことなら、気にしてねぇよ。単に驚いただけで、こいつを取らずに女だって気付いた奴は今までに居なかった」
本当のことだ。
自分やジェイルとは違う鋭さを持っているとは感じていたし、何も話していない事情を暴かれたからと言って怒るほど度量の狭い人間ではない。
それはそれとして、今はセラスの事情を聞いてみたかった。
「で、仇っていうのはどんな奴なんだ? やっぱり、〔ハイオン〕に来たのも手がかりがあったからなんだろ? もしかしたら、俺達が知っている奴かも知れねぇ」
「どんな、と言われても上手く答えられないんです。話をした時にはもう目が見えなかったし、その時は今ほど感覚も鋭くなかったので……ただ、一度の魔術で全ての属性を発動できるんです。本当に、地面を虹が走ったようにしか見えませんでした」
辛いだろうが、それでも気丈に語ってくれるセラス。
しかし、申し訳ないことに、アケットはそんな魔術を使える人物を知らない。数年でありながらも〔ハイオン〕にいるほとんどの人物像を把握しているが、何処の組織にもそれほどの優れた――というより、そんな魔術さえ聞いたことがなかった。
「一度に、全ての属性を? 相当、上位の魔術だな。上位職か、最上位職だろうが、〔ハイオン〕にもそれぐらいの実力者は片手の指だけで数え切れる」
「私ではなく、ジョニーが可能性を耳にしたんです。とんでもない魔術師が居ると」
職には、通常の人間が就く社会的な職に加え、力を得るための職がある。
その内の基本的な五種を下位職とし、そこから各々に二つの職が中位職として存在する。そして、各種の中位職二つを極めた者が上位職へ昇格できる。最上位職というのは、中位職の中から特定の組み合わせで職を極めた者が昇格できるのだが、それを極めている者は数少ない。その最もな理由は、職という神々の加護が宣託されてからも解き明かされた組み合わせが少ないことと、ほとんどが本質の異なる職同士ゆえに最上位職を選ぶものが少ないのだ。
故に、誰もが情報をひた隠しにする。最上位職の者の情報を得るのも一苦労なのである。
「まあ、『 』に居れば色々と情報が手に入るから、しばらくはお手伝い感覚で頼む。時化た話はこれぐらいにして、セラスは【魔法使い】だよな? その後はなにをするつもりなんだ?」
これ以上は落ち込ませたくはなく、アケットは別の話を振る。
現在、セラスが極めようとしているのは【魔法使い】の職だ。次に選べるのは【魔術師】か【呪術師】のどちらか。途中で自分の肌に合わないと感じない限り、別の職を選ぶことはないだろう。
「私は、【魔術師】にしようと思います。【呪術師】って、なんだかネチネチとした感じがしません? ふふふッ」
振った話題に食いつき、セラスの顔に笑顔が戻る。
ちなみに、この世界の魔の体系には『魔法』と『魔術』がある。前者は、魔の法則を生み出すもので、火、水、風、土の四元素の形状を変えずに扱う魔の体系を指す。後者は、文字通り魔を扱う術であり、形状の変化や指向性を組み込むことができる。それに加え、闇、光、雷、氷の『異種元素』と人々が呼ぶものが使えるようになる。
闇や光は四元素に含まれず、雷は炎と風、氷は水の形状変化が主とするため、そう呼ばれているとか。
「仇のことを意識しているのか? 確かに、剣で魔法や魔術を相手にするのは辛いな」
「えぇ、私はあまり力がありませんから、魔法か長距離用の武器ぐらいしかありません。長距離武器では、荷物が嵩むと思ったので【魔法使い】にしまぅんぐッ――」
アケットは、周囲に漂い始めた気配に気付き、慌ててセラスの口を塞ぐ。
「――シィッ。どうやら、少し話しに花を咲かせ過ぎたみたいだ。蜜の香に誘われて、羽虫どもが寄ってきやがった」
本当なら、野営地の周りを囲まれた時点で気付いているはずだ。
しかし、話し込んでいたのと、カーフーの濃い香の所為で感覚を鈍らせていた。
「風上を取られたか……。セラス、急いでジェイルとカフィーを起こしてくれ」
「十……二十? いえ、五十匹は居ますね」
セラスも、風上に並ぶ大所帯に気付き、指示通りにジェイルとカフィーを起こしに向かう。疲れてさえいなければ、二人も周囲の気配で目を覚ましていたのだろう。これだから、旅という奴は何が起こるのか判断が付き難い。
「ジェイルさん、カフィーさん。起きてください」
声を潜めて、二人の肩を揺する。
「ぅ、ぅ~ん……。なんだ、もう交代の時間か?」
「静かに。すみません、敵に囲まれてしまいました」
セラスが二人を起こしている間、アケットは二本の舶刀を抜き放ってお客さん達に挨拶へ向かう。
気配からして、人間や野獣ではなさそうだ。
魔物と呼ばれる類の、凶暴な襲撃者達であろう。
魔物とは、それが果たしてどんな存在なのか、まったく研究が進んでいない生態。魔王という魔物の長が居た時代には、我が物顔で人々を襲っていたが、今では野山に出現して己らの領土を主張するか餌を求めて旅人を襲うか、どちらかである。
そして、茂みの中から姿を現したのは、醜い二足歩行の豚だった。
吊り上った大きな鼻に、澱んだ目。口から垂れ流された涎が、旅人から奪ったものであろう襤褸切れのような鎧を滑る。手には、棍棒やら錆びた銅剣やら、纏まりのない武器を持っている。
刺激せずに、このままどこかへ行ってくれればよかったものを、どうやらアケット達は完全に敵として認識されてしまったらしい。
「あぁ、豚ちゃん達か。こんな夜更けに来ても、食べ物はないぜ? お家に帰りなッ!」
遅くなってごめんなさい。クソまみれになりながら夏をエンジョイしているために、なかなか書きあげた今章を投稿できませんでした。
あぁ、もちろんクソまみれとか言っても、そういうキワモノの話じゃありませんよ? 勘違いした人は煩悩を頭から叩き出してきてくださいね。
炎天下の中、牛フンの堆肥の発酵熱が体を苛む。そんな今日この頃。汚物は消毒だぁッーーーー!