その3
ジェイルに外へ連れ出され、しばらく人が疎らな道を進んだところで、ようやくセラスとジョニーは解放された。
「……はぁ、はぁ」
肩で息をしながら呼吸を整えるジェイル。
正直、どうしてジェイルがそんなに慌てたのかセラス達には検討が付かない。
「あの、私、何か悪いことでも言いましたか?」
恐る恐る、セラスはジェイルに問いかける。
自信過剰というわけでもなかろうが、それでもアケットのことを心配したのが悪いことだったろうか。いや、もしかしたらもっと根底にある何かに触れてしまったのではないか。
「お前、どうしてアケットが女だと分かった?」
呼吸を整え終わったジェイルが、やっとのことで紡いだのはその問。
急にそれがどうしたというのか、セラスにはしばらく理解ができなかった。
「いえ、ただ、男のような喋り方をしていても、やっぱり声や雰囲気、他には宿屋で助けられた時に男性とは違う匂い――とでも言うんでしょうか、そうしたもので……」
目が見えない分、大方の本質を見抜く力が磨かれている。目で見て分からないことも、他の五感が補ってくれる。
故に、男のフリをしたアケットの本質を見抜けたのだ。
「悪いというわけじゃないんだが、アケットは自分が女であることを嫌っている、って言うと酷い言い方だろうな。けど、目指すものが目指すものである以上、女伊達らになめられたくないって言うのが本心だ」
それを聞いて、セラスは自分の言葉の重みに気付く。
例えそれが事実だとしても、世の中には口にして良いことと悪いことがある。今回は、完璧にその辺りの配慮を怠ったセラスの失敗だろう。
「そう、だったんですか……。私、謝ってきますッ」
「止めとけ。まだ、あれは正体がばれたことを驚いていた顔だ。怒っちゃいないから、行くだけ逆効果だよ」
ジェイルに制止され、セラスは戻ろうとしていた足を止める。
留めてきたジェイルの言葉に嘘はなく、セラスもアケットから驚きこそ感じても怒りは感じなかった。それに、セラスよりもアケットのことを知るジェイルが言うのだから、怒っていないというのは確かなのだろう。
「分かりました。では、ちょっと街を見て回りましょう。ご教授、お願いしますッ」
今はアケットのことを置いて、自分のすべきことを考える。
こうして、少女は一日目の仕事を始めた。
最初は、特に何をするでもなく街を回って、住民との交流を深めながら派閥同士の抗争が起こっていないかを確かめる。
ジェイルの話によると、現在は『 《ヌル》』と『バンガード』の諍いを除けば大きな問題は起きていない。このまま穏便に事が済めば助かるらしいが、下手をすれば『 』が他の派閥を敵に回し、全面戦争という形になりかねないとか。
「今、この街で名を上げているのは五個の派閥だ。一応、『 』も含まれるが、それを除いて簡単に説明しておく」
「えっと、確か『バンガード』というのが娼婦や売春宿を纏めているんでしたね」
「あぁ。それから、武具の密輸なんかをしているのが『アバレスト』という派閥がある。次に、麻薬やら非合法の薬を配っているのが『メルディシャス』だ。最後に、カジノや賭場を経営している『カウガ』かな」
「で、大方、『バンガード』と『メルディシャス』が手を組んでいて、『アバレスト』と『カウガ』当りが協力し合う形で経済的、戦力的なバランスを取ってるっていう状況か」
「大当たりだ、ジョニー。付け加えるなら、『 』は『メルディシャス』と『カウガ』と仲が良い。武器密輸のために、王国軍や盗賊から護衛したり、大きな賭場が開かれた時は俺達がボディーガードに入ったり、手助けしてる」
一通りの説明を聞き、〔ハイオン〕がどのような状況なのか把握する。
たぶん、ジェイル達も無意味に『バンガード』と事を構えたいとは思っていないのだろう。ただ、『バンガード』の自分勝手な行動が――と言うよりも実質的な〔ハイオン〕の支配権を得たいがために、『 』との睨み合いに発展してしまったのだろう。
しかし、思うところもある。
この無法地帯である〔ハイオン〕を、一つの組織が支配したところで何らかの利があるのだろうか。確かに、莫大な金が手元に転がり込んでくるわけだが、〔ハイオン〕の歴史を考えれば愚直な利益だ。
「昔は、一つの組織が統括していた。けれど、その所為で派閥ができて、お互いに睨み合う形になってしまった。それじゃあ、また同じことを繰り返すのでは?」
「おぉ~と、その辺についてはこの生き字引、ジョニー様が説明してやるぜッ!」
セラスの抱いた疑問に、ジョニーが口を割って入れてくる。
「それはなぁ、この世界に広がる四大陸に、魔王という名の邪悪が現れたからさぁ。もとは〔ハイオン〕が所属する双竜の大陸を支配する王国〔ガルニシス〕の直轄地としてあったのが、魔王の誕生と共に無法地帯を手放した。王国軍からも、周囲の領主からも見放された背徳都市は、更にその無秩序を加速させたわけだ。
ただ、もしどこかの組織が〔ハイオン〕を統括して、王国の直轄地に戻るようなことがあれば……」
「その組織が、〔ハイオン〕の領主として名乗りを上げることができる……ってこと」
ジョニーの言葉を継いだジェイルの台詞で説明を終える。
「あれ? でも、魔王云々というのは単なる説話なんじゃありませんでしたか? 今から百年以上も前に、魔王が世界を震撼させて空を闇に覆った。という話ですよね? 何十人という歴戦の勇士達が魔王を討伐して、世界に平和が戻った。でも、一つの街を一薙ぎで破壊できる巨大な魔物なんて、俄かに信じられませんよね」
祖父母から聞いていた伝記譚を思い出し、嘲笑めいた笑いを漏らしてしまう。
そんなセラスの言葉に応えたのは、背後から聞こえてくる聞き覚えのない声だった。優しさを含んだ、この街では珍しい温和な男声。
「いえ、確かに半分は説話ですが、魔王は実在しました。僕も説話でしか聞いたことはありませんが、魔王が居たという根拠は世界中に残されています」
誰か、と思い振り返ってみても、目の見えないセラスには何処の誰かなど分かるわけがない。
「おぉ、ラットル。儲かってるか?」
「ご無沙汰しています、ジェイルさん。まあ、ボチボチと言ったところでしょうか」
ジェイルがラットルと呼ぶ青年。
「そうか。おっと、紹介が遅れたな。こっちは、新しく内で働くことになったセラスだ。訳有りで目が不自由なんだが、気にしないでやってくれ。それから、こっちが付き人の――」
「――俺は案山子のジョニー。それ以上でもそれ以下でもねぇ」
「ご紹介、承りましてありがとうございます。僕はラットル。この街の『アバレスト』と言う組織で【具学師】として働く者です」
一通りの自己紹介を淡々と終える。
【具学師】というのは、武具や道具の識別、または管理を主とする職のことだ。
「ラットルは、『アバレスト』でも随一の【具学師】で、な。武具の運搬なんかの、護衛をたまに引き受けるんだよ。うん? もしかして、今回もその件か?」
「はい。随一というのは、少し言い過ぎだと思いますが……護衛のお仕事を頼みたく、探していました。今回は、港町〔イルトニア〕まで密輸品を運搬するのが仕事です」
「それなら、カフィーに伝えておいてくれれば良いのによ。急ぎなのか?」
「一応、お訪ねしたんですが。アケットさんの驚き様を見たのでは……」
そんなジェイルとラットルの会話を聞いていると、セラスの心の底で何かが疼く。自分にはない何かをジェイルに感じ、それを良いことに彼を欺いているラットル。ジェイルを、このまま黙って放っておくわけには行かない、そんな言い知れぬ不安だった。
はたして、アケットが男だと思っていた読者様は何人ほどいらっしゃったでしょうか?
たぶん、これまでにアケットの三人称を『彼女』や『女性』と表記した記憶はないので、別に嘘をついていたわけじゃありませんよ。さてさて、アケットが女だとわかったところで、何人かの読者様は考えていらっしゃるでしょう。
そう、これから少しずつアケットとセラス、ジェイルの三角関係が……。あぁ、別に昼ドラみたいな修羅場にはならないので期待するだけ無駄ですよ?
そんなわけで、更新遅れてごめんなさいです。
では、次回の更新は来週になりそう……。