その1
白い瞳は赤く染まり、少女の知る矮小な世界は炎に飲まれる。
白い瞳は青く染まり、少女の見る歪んだ空間は水に包まれる。
白い髪は土に汚れ、少女が遊んだ大地は崩れて隆起した。
白い髪は風に靡き、少女が駆けた草原は刈られ消失した。
白い服は焼け焦げ、少女を温めた空に雷鳴が鳴り響く。
白い服は凍り付き、少女を冷した川に氷塊が流れ着く。
白い心は射光にて、少女に注ぐ燦々とした太陽は無い。
白い心は暗黒にて、少女に笑む煌々とした月光は無い。
ただ一つの魔が、一瞬にして彼女の世界を、空間を、大地を、草原を、空を、川を、太陽を、月光を、消し去った。
膝を折る少女。
恐怖に震えた体は言うことを聞かず、哀愁で流れる涙は留まることを知らない。何かを見詰めようにも、瞳は既に光を取り込まない。永遠の闇が少女を包み込み、手に触れる全てが無機質にさえ感じる。
焼けた人間の匂い、苦痛に呻く村人の声、肌を掠める冷風、口内に広がる不愉快な酸味、正面に佇む誰かの気配。残りの五感を頼りに、少女は何かを求めようと足掻く。
「……誰? お願い、皆を助けて。私、目が見えなくて」
最初に求めたのは、前に佇む誰かの助け。
「これは貴女への贈り物」
少女の懇願を一蹴する、妙にずれた返答。
女のような声でありながら、男の声にも聞こえてしまう。
「お願い。村が、私の村が焼けちゃう……ッ」
誰かの細い足に縋り付いて、少女は助けを求める。
「無理だ。これは裁き。運命に導かれた必然。いや、もしかしたら偶然かも知れない」
「どういうこと……? どうして、どうして助けてくれないのッ? ねぇ、あなたしか居ないの!」
的を射ない誰かの言葉に、少女は絶望を覚えた。
耳朶を撫でる声は優しくもあり、そして厳しくもある。何のために、どうしてこんな世界を自分に与えたのか、少女の理解が及ぶところではない。
ただ、少女は誓った。
「許さない。絶対に、許さないッ!」
復讐を。
この闇を少女に贈った彼の者に、必ず復讐をしてやると――。
――小鳥の囀りが、夜明けを伝える。
いったい何時ごろなのかは分からないが、まだ涼しい空気が火照った体を優しく冷してくれる。光が無くとも、自分が洗いたての布団に寝転がっているのがわかる。喉の渇きが、思っているほど長く寝ていないことを知らせている。
体を優しく包み込むシーツの感触に、思わず二度目の微睡に誘おうとする。
しかし、昨夜、自分に起こったことを思い出して体を起こした。
「あぁッ、こ、ここは? 誰か、誰か居ませんかッ?」
「う、ウゥ……ン。あら、起きたの? 大丈夫、私がここに居ますから」
まるで聖母に抱かれているかのような、癒しを体現したソプラノの声が聞こえてくる。
反響する声で、そこが石造りの部屋であることを理解する。木の軋む音に、一つしかないベッドを占有していたのだと分かった。
「あ、あの……。ここは、どこですか?」
「可哀そうに、こんなところへ連れて来られて。でも、大丈夫。捕って食べようなんてことはないから」
頬を撫でるのは、少し皸た、それでも柔らかく温かさと冷たさを持った手の平。そして、ソプラノの声が口にした台詞で、セラスは自分の置かれた状況を察する。
男達に襲われ、助けに入ってきた二人――ジェイルとアケットに出会った。確か、ジェイルが三人を殺したところまでは覚えている。ならば、その後がどうなったのか。
現状から考えるに、残りの一人、相当の腕を持った襲撃者が二人を倒し――殺し――て、自分はそのままここに連れてこられた。どうして自分が殺されずに済んだのかは知らないが、男達の目的からして売春宿に売られたか、もしくは奴隷として売られるために監禁されているか。
「私の、私の所為で、二人の……。こんなことになるのなら、助けてもらわなくても良かったのに……」
己の軽率な行動に責任を痛感して、セラスは胸元を握り締めて嗚咽を漏らす。
「あ、あぁぁ、待ってくださいッ。済みません、元気がなかったみたいなので、少しからかってしまいました。いえ、お二人は無事ですよ?」
「え?」
名も知らぬ聖母の狼狽する声に、セラスは意表を突かれて間抜けな声を出す。
「いえ、その、ですねぇ。お二人――えっと、アケットさんとジェイルさんが貴女を連れてきまして、目を覚ます様子がなかったのでこちらの部屋にご案内したんですよ。それで、何度か同じうわ言を繰り返していましたから、少し看病に、と」
「……それじゃあ、あの人達は無事なんですか? 先刻のも、単なる冗談なんですか?」
「えぇ、あの二人は、殺しても死ぬようなタマじゃありませんよ。良くも悪くも、素直な方なのですね、セラスさんは」
ようやく本当の状況を飲み込めたセラスを、ソプラノの声――たぶん、女性がクスクスと笑いを漏らす。とりあえず、第一印象はそうなってしまったらしい。
目の前の女性がどういう人物なのか、大方のところを把握したところで、セラスは次に気になっていたことを尋ねる。
「それで、ここは何処なんでしょうか?」
「それについては、ゆっくりとお話しましょう。朝食を作りますから、こちらへ。あの――」
「――大丈夫です、一人で歩けますから」
助けが必要なほどではなく、女性の助けを断る。セラスは目が見えないとは思えないほどの綺麗な足取りで、ベッドから下りて手探りで壁を伝い扉の前に着く。
「凄いですね……。アケットさんやお師匠様――あ、私の師匠なのですが、お二人ぐらいになると目を瞑っていても人の位置が分かるんですのね」
「そんなに凄いことじゃありません。生きるために、目的のために、どうしても必要だったから身に着けたんです」
「目的ですか。もしかして、復讐ですか」
はっきりと、濁ることのない声音で尋ねてくる女性。
上手い具合に誘導されたことに気付き、セラスはしばし呆れと驚愕に言葉を失う。
「あ、すみません。私が気にするようなことじゃないのでしょうが、一応、聞いておきたかったもので。その、うわ言やうなされ方が尋常では無いと……」
もう、隠しても無駄なのではないか、全てを見透かされているような視線にセラスは観念した。
「分かりました。助けてもらったお礼もありますし、何も説明せずに出て行くわけにはいきませんよね」
部屋を女性と一緒に出たところで、すっかり忘れさっていた人物の声を聞く。