その3
鈍くも甲高い軋みを上げる階段を上り、薄暗い二階の廊下にたどり着く。
柱に掲げられたランタンの光だけが微かに周囲を照らす。廊下を歩くたびに、下手くそな弦楽器だけの協奏曲が響く。
「いつまで隠れているつもりだ? あまり観察されるというのは好かんのだが。まさか殺し屋が、私の趣味は人間観察です、なんて言うんじゃないだろうな」
二階に来てから、一向に姿を見せようとしない人物を、アケットは独り言のように揶揄する。
完全に気配を消し、どこからかこちらを見据えられる。ただのゴロツキとは逸した、絡みつくような敵意。すぐに、相手が正統派の暗殺者であることを悟る。
この世界には、神に仕える者達が定めた二十九の職がある。
【アサシン】という職もその内の一つで、格好こそ剣士ではあるがアケットも【シーフ】の職を持つ。実のところ、【アサシン】は【シーフ】を極めた者だけが、【ローグ】と【アサシン】のどちらかの職に昇格できる。
ようするに、実力は敵の方が上のはず。
「弱いもの苛めをしないと言うなら、それも結構なことだ」
【シーフ】としての腕で【アサシン】の敵に勝てるとは思えないが、持ち前の狭義心と戦闘狂の癖がうずく。
腰の二本の舶刀を抜き、敵の居場所を探ろうと気を配る。そして、不意に廊下の奥へと駆け出す。
「貰ったッ!」
肉食獣の如き直感で、闇に紛れた暗殺者へ切り掛かる。
反撃のつもりか、闇の中から短剣が飛来する。それを片方の舶刀で叩き落し、もう一本で闇に斬撃を繰り出した。袈裟懸けの一撃は虚空を切り、闇の塊が跳躍して再びどこかへ姿を消す。
「こうもあっさりと避けられると、俺も悲しくなるよ。正々堂々とまでは言わんが、正面切って遣り合うのが俺の流儀なんだよ……。ふむ、そのつもりは無いみたいだなッ」
軽口を叩いている間に、背後から数本の短剣が投擲される。
瞬間的に八本の攻撃を見切ったアケットは、上半身を狙ってきた三本を叩き落し、身を屈めて一本を回避する。下半身狙いの残り四本は、一番上方の一本を横に弾くと、跳躍と同時に宙返りを決めてやり過ごす。
「ざっと、こんなもんだ。そんなチマチマした攻撃じゃ、いつまで経っても勝負がつかんぞ」
一筋の乱れもない短剣の投擲も見事だが、それを難なく避けるアケットも同文。
余裕を見せた挑発に、少しずつ敵が乗り始める。カシッとバネ仕掛けの何かが飛び出す音が聞こえ、ランタンの灯りが六本の細い刃を照らし出す。
「鉤爪か……」
闇に浮かぶ六本の刃を見て、アケットは困ったように呟きを漏らした。
戦う者にとって、武器は手足の延長。そう捉える者も少なくは無いが、特に手甲爪型の武器は通常の刀剣よりも自由が利く。なによりも、体術と合わせた変則的な攻撃は動きを見切り難い。
「愛用はそっち、みたいだな。面白くなってきたぜ」
それでも、悪い癖が疼き出す。
「俺はカイナ。あんたみたいな面白い獲物に遭ったのは初めてだ。名前を聞いておこう」
血が滾り始めたところで、唐突に暗殺者――カイナが口を開く。いきなりの自己紹介に、拍子抜けしながらも応える。
「……俺はアケット。しがない仲裁役だ」
「覚えておこう」
「腕ね。聞かない名前だが、新参か?」
「雇われの身だ」
「あっ、そ。ただし、覚えておいてやるのは俺の方だぜッ!」
会話の途中で切り掛かるなど卑怯千万だが、喧嘩を酒の肴に生きてきたアケットの辞書に卑怯なんて言葉は載っていない。
この熱く燃える血潮を、もっと滾らせ、そして冷ましてくれる敵を探し求める。ただ、一つの夢を思い描いて。
懐に飛び込み、横薙ぎに始まり二文字の斬撃。鉤爪に阻まれて残響と火花の競演を演じる。留まることを知らず、アケットの連撃は右へ左へ繰り出されてゆく。手甲爪の変則さに負けない連続攻撃で、反撃を許さず。
威力、速度、技術ともにバランスの取れた剣撃は、正面からの戦いを避けてきた暗殺者にとって疎ましいことこの上ない。故に、剣の道だけで生きてきたアケットは、職の階級で負けていても戦いでは負けないと信じていた。
しかし、その過信が時として危機を招く。
カイナが猛攻に体勢を崩す。
「今度こそ貰ったぁッ!」
その隙を見逃すことなく、裂ぱくの咆哮を上げて、袈裟懸けと逆袈裟からの挟撃をかけた。だが、舶刀と手甲爪が綺麗に噛み合う。
「くれてやらん」
手甲爪の叉で舶刀をカッチリと嵌めて、淡白な声音でカイナが口を開く。
初めて、無表情だったカイナの顔に笑みが浮んだ。
目の前を掠める、強烈な蹴り上げ。
間一髪のところで、アケットは舶刀を手放して回避する。刃物を仕込んでいたわけでもないのに、蹴りが掠めていった鎧に薄っすらと切り傷が走る。
それを見て、背筋に凍りつくような悪寒を感じた。
「まともに当っていたら、顔が真っ二つにワワワッ……」
思わず独り言が出かけたところで、異変に気付いて顔を抑える。はたして偶然か、それとも故意か、顔に巻いていた包帯を切られていた。
慌てて包帯を抑え、顔が露わになるのを防ぐ。
「…………」
殺し合いの最中、包帯を気にするアケットにカイナは怪訝そうな視線を送ってくる。
「来いよ。ちょいと見せられる顔じゃなくてな。あぁ、別に怪我とかでハンデを背負ってるわけじゃないからさ」
言葉の通り、アケットのコンディションは完璧だ。包帯は、単に顔を隠すための道具に過ぎない。
言い訳染みているかもしれないが、本気の戦いの渦中でも包帯だけは外せない。いや、本気ゆえに外せない、と言ったほうが適切だろう。例え武器を奪われ、片腕が塞がっていても譲れない。
「分かった……」
心の底から殺し合う者同士だからこそ、カイナはアケットの願いを聞き入れてくれたのだろう。
カイナが跳躍ぶ。
アケットには、目の前からカイナが消えたように見えた。それでも、暗殺者たるカイナが、最後に獲物をどう仕留めてくるかは分かっていた。
背後に生まれ出る殺意の塊。手甲爪がランタンの灯りを照り返す。
刹那の銀光。
首筋に獣の爪が食い込むかという瞬間、振り返り様にアケットが手刀を振るう。
誰もが無謀な勝負だと感じる。
吹き飛ぶ腕。
ランタンを赤く染める血。
「…………」
肘から先が無くなった二の腕だけが虚空を切り、カイナが呆然とその結果を見送る。
「悪いね。【シーフ】なんて遣ってるけど、これでも【剣闘士】を極めた身だ」
隠し玉が見事に功を奏して、アケットはこれまでに無いほど口角を吊り上げる。
【剣士】の職を極めた者が、【騎士】と【剣闘士】から選んで昇格できる職。剣の道を究めた職として、刃物を持たずとも物体を切断できる技法も存在する。
「気剣か……。カマイタチだけでこれほどの威力とは。どうやら、分が悪くなったのは俺の方らしいな」
切り飛ばされた腕を拾い上げ、カイナがゆっくりと後退する。
「まだ終わっちゃいないぜッ! ちィッ……」
逃がすまいとアケットが追撃をかけるが、カイナの投擲した短剣に行く手を阻まれる。
短剣を避けている隙に、カイナは客室の奥に消えてしまう。
「逃げ足の速い奴だなぁ」
追いかけても利はないと考え、アケットは踵を返す。床に放り出されっぱなし舶刀を拾い上げ、腰に納める。
切られた包帯を結び直してみるが、やはり取り替えないといけないようだ。
とりあえず撃退することに成功したアケットは、階段を下りたところで溜息を吐いたのは言うまでもない。
「カフィーに、後でお叱りだな……」
「あぁ、この馬鹿どもが悪いとしても、こっちの件だけは甘んじるよ」
アケットとジェイルは、後に落ちる雷を覚悟して食堂を出た。
その帰り道のこと、己の理解のおよばるそれに対してアケットが恐る恐る口を開く。
「……で、それは何なんだ?」
ジェイルの背中で寝こけている、純白の少女を指差して問う。
「何って、気絶しちまったから放っておくわけにも行かないだろ。宿屋に置いとくより、俺達が連れ帰った方が安全だろうし」
「いや、娘の方はどうでも良い。問題はそっちの――」
少女を連れて行くことに関してまったく問題はない。
ただ、少女の背中に担がれている人形とも呼べない人形。
「――俺は案山子のジョニー。それ以上でもそれ以下でもない」
自らジョニーと名乗る案山子。
「さぁ、な。外じゃこういうのが流行っているんだろ?」
考えるのも面倒なのか、ジェイルが素っ気無い返事を返す。
こうして、妙な出会いの夜は過ぎ去って行く。