その2
背徳都市〔ハイオン〕と呼ばれる街に着いてから、直ぐに取っていた宿に戻ったのは、日が暮れてからのこと。
昼過ぎから誰かにつけられていたのはなんとなく気付いていたが、まさか宿までついてくるとは思って居なかった。いや、追跡者の正体と、目的を考えれば予測のできたことだろう。
昼間の三人が、炎の魔法を喰らわせたことに憤ったのは、逆恨みも甚だしい。
『街を案内してあげよう』
などという甘言に乗った自分も悪いのだろうが、それでも如何わしい店に売り飛ばそうとしたことを差し引いても、非は向こうにある。
街を探索している間は、人通りの多いところを通って警戒したにしても、仕掛けてくるのが遅い。どうも、寝込みでも狙わなければ女一人、相手にできない奴らのようだ。
まあ、昼間は不意を突いて魔法を喰らわせたが、今度は上手くいくか分からない。ゆえに、気付いていないフリをして三人を誘き寄せた。予約していた部屋に戻り、部屋に一つしかない上げ戸の窓を開け、入り口のドアの前に立って待ち伏せする。
扉を開けた瞬間に、風の魔法をぶつけて返り討ちにしよう、という算段だ。
ドアに向けて構えた木製杖の先端に、窓から吹き込んできた風が集う。ただ、風が部屋中に吹き荒れていた所為で、もう一人の追跡者の存在を失念していた。
目が見えずとも、微かな息遣いや足音などを五感が感じ取って、人の存在を知ることができる。その五感に引っかからず、気配を消して窓から侵入してきた。出来る限り宿屋に迷惑をかけない方法を選んだのが失敗だった。そして、失敗が僅かな隙を侵入者に与え、逃げるチャンスを掴めたのも事実。
「セラス、後ろだッ!」
直ぐ背後から聞こえてきた声に、セラスと呼ばれた少女は身を翻す。侵入者が漏らした小妖精の溜息ほどの動揺を頼りに、杖の渦巻いた先端を向けて風を解き放つ。同時に侵入者が、構えていた短剣を放り投げる。
集う風に阻まれ狙いを定められなかった、投擲しようとしていた短剣。
『チッ……』
セラスと侵入者が舌打ちする。
両者が両者とも、攻撃を回避しようとしたために短剣も風も的を逸れてしまったのだ。風が窓の外に吹き出してゆき、短剣も入り口の扉に突き刺さる。
「セラス、ここじゃ魔法が使い辛い。外に出るぞ」
背後から聞こえてくる声に、セラスは暗黙の内に了承して駆け出す。部屋の扉を勢い良く開き、ドアの前にいた三人の男達を怯ませる。
「うおッ。ま、待てッ! 逃げられると思うな!」
命を狙われながら、待てと言われて待つ馬鹿はいない。
「月並み過ぎて面白くねぇぞ」
セラスのものではない声が、男達に言い残す。
「あぁ……もう、黙っててッ。こんなときに挑発してどうするのよ」
口の減らない声の主に文句を言う。軽口もそうだが、今からセラスがしようとしていることにお喋りは厳禁。階段を駆け下りようとせず、十数段を一気に飛び降りる。
しかし、注意を怠っていた。
誰が上ってくるかもわからぬ階段を、飛び下りようなどとするのは愚策中の愚策。そこに、包帯を顔に巻いた剣士風の人物が唇を吊り上げて佇んでいようなどと、盲目の少女に気付けるものか。ただ、誰かがそこにいる、という漠然とした気配だけを感じ取る。
「退いてッ!」
間に合うわけのない忠告。接触事故は免れないと、咄嗟――ある種の脊髄反射――に目を閉じた瞬間、腹部を包み込むように柔らかい衝撃が訪れる。
決して、人と人がぶつかり合った衝撃ではない。
恐る恐る目を開けようとしたところで、今度は、
「ジェイル、この娘と雑魚は任せた。デカイのは、私がやる」
そんな台詞と同時に放り投げられる。
既に、何が起こっているのか理解できなくなったセラス。
気付けば包帯の剣士に受け止められ、放り投げられた先で別の誰かに抱きかかえられている。体では分かっていても、そんなことを軽々とやられたなどと誰が思おうか。
「喧嘩は何度もやってきたが、殺し合いは初めてだ」
そして、先刻の誰かが呟いた物騒な一言。ただ、どこか口調と似合わぬ優しい響きを残す。
続けて三人の男が階段を下りてきて、階段の前の人物と睨み合う。
「用事があるのは、あの娘だろ? 邪魔はするなよ?」
その言葉に、男達は生唾を飲み込む。睨み合った人物が発した言葉は、父親が子供に向かって『仕事があるからあっちで遊んでなさい』と言うぐらいの声音だ。それなのに、三人の男を黙らせた上、問答無用で矛先をこちらに向けさせる。
「おいおい、助けるつもりなのか、そうじゃないのか、はっきりしろよ」
「女を守るのは男の仕事だ。それに、女の子を四人掛り弄ぶというのは仁義に反してるだろ? 一人は俺が受け持ってやろうと言っているんだ、ありがたくその三人と遊んでいろ」
「ありがたかねぇよッ!」
知り合いらしき人物と、ジェイルという昼間の男との掛け合い。
「あ、あのぉ……」
「邪魔になるからお外に出ていな、お嬢ちゃん」
声を掛けようとすれば、この様だ。
彼らは店内で一暴れしようと決めているのか、剣呑な雰囲気に我先へと逃げ出した客など目には映っていない。その様子を見て、溜息一つで片付けようとする宿屋の店主も肝が据わっている。
「あまり店を壊すなよ」
「そいつはアケットに言ってくれ、って、もう行っちまったか」
店主の憂いなどなんのその、アケット呼ばれた人物は既に階段を上って二階に消えていた。
「お嬢ちゃんも、そこにいると巻き込まれるぞ」
留まって男を手助けしようとしていたセラスは、店主に腕を引っ張られて無理やり外に連れ出される。
それを見て、三人組が慌ててセラスを追ってくる。
「待ちやがれッ。その娘をこちらに渡せッ!」
三人組の一人が、昼間の男と擦れ違おうとした瞬間、木製の何かが砕けるような音。
「ゴヘッ……!」
ジェイルが、椅子を放り投げてぶつけたのだ。顔面に椅子の背もたれを受けて、三人組の一人が撃沈する。
残りの二人は、ジェイルを素通りできないと分かり曲剣を抜く。
「それで良い。任された仕事を放り出すと、アケットに怒られるんだわ」
そして、ジェイルが背中の『L』字をした長物を抜き取りながら、口角を吊り上げた。
「武器を取ったってことは――」
巻かれていた布が取り外され、俗にハーケンと呼ぶ登山用の器具を大きくしたような得物が姿を見せる。
「――殺されても文句は言えねぇぜ!」
言い切ると同時に、一歩を踏み出してハーケンを横薙ぎに振るう。
勝負は一瞬。
男は受け止める暇も避ける暇もなく米神を貫かれ、白い脳髄が真紅に染まって床に散る。返す刃が、最初の男を連れて二人目の男――これも頭――を串刺しにした。
ハーケンの刃に脳漿を奪われ、涙腺や鼻腔から鮮血を垂らして事切れる男。その顔は刹那の恐怖に固まり、虚ろな目だけが大きく見開かれている。痛みこそ無かっただろうが、恐怖という感情のみで死ぬとすればこんな顔になるのだろう。
血と脳漿の混じりあった形容しがたい匂いに、咽返りそうになっていると、先刻、椅子をぶつけられて昏倒していた男が意識を取り戻した。セラスは、目の前の惨状から意識を逸らすこともできず、ただ呆然と事の成り行きを見守る。
「く、クソが……。もう許さねぇ。ぶっ殺して……え?」
悪態を突きながら体を起こしたが、唐突に言葉を中断する。男は何が起こったのか、理解できないと言いたげにジェイルを見ただろう。続けて、視点が九十度ほど反転して天井を見上げている。
起き上がろうとしたところで、燕返しにハーケンで腹部を貫かれ、弧を描きながらテーブルの上へ。周囲から見ていた人間には、そうとしか映らない。
最後にジェイルが、テーブルに刺さったハーケンを手放して、左手を胸部に運びながらのお辞儀。
「馬鹿三人の生串刺し、一丁上がりでございます」
テーブルを染めて行く赤ワイン仕立てのスープ。活きの良い三匹の馬と鹿が完璧なレアで串に刺され、野菜スティックが頂上を飾る。フルコースのメインディッシュの如きメニュー。本当の料理ならば、流石と言える手際だ。
しかし、セラスの口から漏れた言葉は賛辞ではなかった。
「む、惨い……」
嗚咽とも、腹腔の気持ち悪さとも異なる何かが、喉の奥から込み上げてくる。
そこでようやく、意識の方が先に惨劇の気配から逃げ出した。
あぁ、いきなりの残酷描写で読者さん達が引いてる……。
ホント、コメディでもない限りは私の小説に残酷描写が絶えないでしょうねぇ。どうしてこんな荒んだ性格になってしまったのか、自分でも検討が付きません。
まあ、こんな小説ですが、これからも宜しくお願いします。
次回からは、少しずつ世界観の説明に入っていくので、残酷描写等は少なめでやや長くなります。章が進む度に節の量が増えるのは仕方ない。