その4
どうしてだろうか。
自分の行動理由に疑問を抱く。
携えていた槍を、投擲してビガーモスに突き立てた理由を、自己分析する。
「解答なし……」
逡巡の後、カイナは小さく呟いた。
自問自答を繰り返しても答えは出ず、周囲の視線を集めながらカイナは闘技場へと飛び下りる。
『…………』
セラスと囚人の女性が、静かにこちらを見据えてくる。
「逃げるぞ。直ぐに追っ手がくる」
詳しい説明などできず、カイナは二人を連れて闘技場の入り口に向かう。入り口に構えた鉄格子を吸血鬼の持ち前の怪力で蹴り破り、地下牢に続く階段を下りた。
地下の最下層には牢獄があり、その途中で見張りの詰め所と、闘技場の観客席に出る階段がある。また、観客席に向かわず楕円形の通路を抜ければ外に出られるという構造をしている。
途中の詰め所で、急にセラスがブレーキを掛けた。
「どうした? 急がなくては……」
「待ってください。ジョニーが、私の仲間が居るんです。彼は、一人じゃ動けないもので」
急かすカイナの言葉に、セラスが必死に抗議してくる。
ジョニーという名前は聞き覚えがないが、一人――ひとつだけ覚えがある。
まさか、この状況で案山子ごときを助けようと言い出すのだ。
「貴女がセラスさんだったんですか。ジョニーさんなら、この下の地下牢に居ます」
どうやら、囚人の女は案山子と知り合っていたらしい。
「すみません。私はジョニーを連れてきますから、この人と一緒に逃げてください。私は、後で追いつきますから」
なぜ、セラスは自分の命よりも案山子を優先するのか。
人間の中で過ごしながらも、一歩ずれたところで傍観していたカイナにとって、仲間だとか友人といった絆を理解することはできなかった。
こうして、セラスや女性を助けたことさえ、単なる気紛れの一部だったのだろう。
ならば、態々、ここでセラスを待ってやる義理などない。
「居たぞッ!」
結論付けたところで、追手の衛兵達が殺到してくる。
「チッ……」
予想よりも早い追跡に、カイナは舌打ちをする。
闘技場側の階段と、地上に出る階段から追手がやってくるのだ。不本意ながら、挟撃を避けるために地下へ下りる方が正しいと判断した。
地上へ向かっていた踵を返して、状況を察したセラス達と共に地下へ向かう。
続々と兵士達が地下までついてくるため、カイナ達が地下牢の奥へ到着するまでに牢獄いっぱいに人がひしめき合ってしまう。
どうやら、その牢獄の囚人は助けた女性が最後の一人だったらしい。どの牢獄からも人の気配がしない。
「退け! 退かんか! ふぅ……」
そんな人混みの中から、小柄な黒ローブの男が抜け出してくる。どうやら、小太りなためか人混みを通り抜けるのもやっとのようだ。
カイナには、その小太りな男に見覚えがあった。
この牢獄の所長を務める領主だ。
禿頭でありながら濃い褐色の髭を顎に生やした、ドワーフ族の末裔に位置する男。確か、名前は。
「アンベル、とか言ったか?」
「名前を覚えていてくれてありがとう、脱獄者諸君。如何にも、私が地獄の猛犬〔ヘールヴァウンディア〕が所長、アンベル……」
「ごたくは良い。命が惜しければ、道を開けて俺達を解放しろ」
アンベルと呼んだ男と交渉を試みるカイナ。
しかし、アンベルの浮かべた厭らしい笑みに、カイナはそいつの腹の底を悟る。
「私は犯罪者に恩赦を掛けるつもりはない。脱獄者なら、尚更、容赦するわけにはいかないのだよ。この黒金の大陸を守るために、ね」
嘘をつけ。
ここに囚われている囚人のほとんどが、簡単な罰金で済むような軽犯罪者だ。
目的こそ調べてはいないものの、賭けのために軽犯罪者を闘技場で戦わせる以外に、ここでは何らかの陰謀が進められているのだろう。
それを露見させないために、脱獄者は容赦なく捕えて殺す。
「ドワーフ族は、豪気ながらも気の優しい種族と聞いていたが……文献に間違えがあるようだな」
「そうですよ。ドワーフは気前の良い種族さ。吸血鬼でさえ、日の下に晒してジワジワと嬲り殺すぐらいに、ねぇ。さぁ、捕えなさいッ!」
軽口の応酬で時間を稼ぎ、退路を探そうという穏便な心意気は通じないらしい。
号令と共に、兵士達がカイナ達に向けて襲いかかる。
「獲物以外を殺すというのは気が引けるが、刃を向けるのならば致し方がない」
セラスと女性を背後に下がらせ、カイナは襲い来る兵士達に肉迫する。
一瞬の走行過程も置かずに、脚力のみでトップスピードに入る。筋肉のバネを最大限に伸縮させ、大地との反作用を爆発力に転化した吸血鬼の走力。他の魔物に類を見ない再生能力を生かし、筋肉と骨が砕けることさえ厭わずに振るわれる腕は、鞭の如く弧を描いて空を裂く。
武器など無くとも、脆弱な人間の頭を吹き飛ばすぐらいはできる。素手だけで肉を抉り取り、足の一振りで胴体を二つに分かつことも、肘打ちで胸骨を粉々に砕くことさえ容易い。
近接戦闘で、吸血鬼に勝てる人間などいない。闇の眷属の中でならば、魔王に次ぐ力を持つとまで言われている。
そう信じて来た誇りが、ある一人を前にして崩れ去った。
アケットという名の、包帯を取られることに異様なこだわりを持つ双剣の剣士。
「誇っても良いぞ、人間。私をこれほどまでに、熱く滾らせたのはお前が初めてだ。逃げずに戦えッ。私をもっと楽しませてみろ!」
思えば思うほど、焦がれれば焦がれるほど、吸血鬼の本能が目覚めてくる。
目の前の雑多な雑魚どもではなく、アケットの血肉を食らいたいと、溢れる脳内麻薬が殺戮衝動へと帰化させる。
気が付けば、ほとんどの兵士が遁走し、残っているのはセラスと女性、アンベルの三人がカイナを見据えて尻餅をついているだけだ。
「……チッ。つまらん」
沈静化してくる頭で、些か度が過ぎたと反省する。
所詮、雇われただけの有象無象な兵士など、カイナの歯牙に掛ける価値などなかったのだ。
悪態を吐き捨てながら歩き去ろうとするカイナの後ろを、未だに怯えながらもついてくるセラス達。
まあ、目的は果たした。もう二度と奴らも追ってきたりはしないだろう。
「ジョニー、どこなの?」
セラスの呼ぶ声に、地下へ下りて来た当初の目的を思い出す。
「あの、案山子さんの居場所を教えなさいよ」
怯えたアンベルに、セラスが見下ろすように訪ねている。虎の威と言いたいところだが、これまで散々、怖い目にあわされたのだから何も言うまい。
「か、案山子と杖なら、上の詰め所に仕舞ってある――」
あっさりとジョニーの居場所を聞き出し、三人が上に向かおうとした時だ。
カイナは、殺意と悪意がおかしな化学反応を起こしたことに気付く。吸血鬼特有の嗅覚が、振り返るよりも早くその化合物の香りを捉える。
遅れながら、あけましておめでとうございます。今年も『盲目の復讐者』をよろしくお願いします。
時節の挨拶はそれだけです。言葉を並べるより、今は簡潔にお伝えしたく存じました。それでは、今年も良いお年であることを願います。