その3
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ」
周囲に気配を張り巡らしていたところで、女性のものであろう悲鳴が空気を切り裂く。
人のものではない殺意――もしくは敵意――否、捕食という欲望にこそ気付いていた。この悲鳴は、多分、そんな死に囚われた者の断末魔だろう。
続けて、
「ぐッ、ふッ……」
という命の糸が切れた苦悶の声。
見知らぬ女性の死を悼みたいと同時に、感謝の念がセラスの脳裏を過ぎる。
大よその状況は掴んでいたものの、何が行われているかはわからなかった。けれど、女性の死が全貌を掴ませてくれる。
人間同士が殺し合う闘技場ではなく、人より大きな異形と生き残りを賭けた戦いなのだと、視覚の闇に映る白い靄が微かながらに見えた。
「なんて、酷い……」
完全に事切れないうちに異形の何かに捕食されて行く、女性の声を聞く。目を背けたくなりながらも、セラスにはその最後を看取ることさえできないのだ。
数分で、異形が一人目を食して、セラスに標的を変えたのがわかった。
その瞬間、直ぐにセラスはもう一人の出場者に向けて走る。
決して囮にしようと言うわけではない。ただ、自分にはなくとも武器を手にしていることは一人目の時に分かっている。
「こ、こっちに来ないでッ」
女性の制止する声さえ振り切り、側に駆け寄る。
「どうしてッ? どうして私のところに来るの……? 私まで、狙われちゃうじゃないッ!」
セラスより幾場か年上であろう、女性の拒絶する言葉が胸に突き刺さる。
生き残りたいのは誰でも同じなのに、どうして彼女は救われようのない一縷の望みに賭けようという。
『これは貴女への贈り物』
何故か、聞き覚えのある台詞がセラスを納得させる。
今なら、少なからずその言葉の意味を理解できるような気がする。セラスの目が光を失ったのも、この醜い世界を少しでも覆い隠そうとした、からだと思える。
けれど、見たくないから光を失ったわけではない。ジョニーが伝えてくれる『 』の皆の容姿を、自分の目で確かめたい。もっと、この世界を網膜に焼きつけたい。
敵わぬ願いに胸焦がれ、女性の拒絶が許せず、セラスは彼女の胸元を掴み上げ怒鳴ってやった。
「たった数分だけ生き延びて何になるのッ! 生き残りたいのなら、私の目に成りなさい!」
ジョニーが居ない今、正確に敵の居場所を見つけられるのは女性だけ。
そして、持っているはずなのだ。一人目の犠牲者と同様に、剣か何かの武器を。
「渡して。杖がなくちゃたいした魔法は使えないけど、それでどうにかなるはずよ」
生き残りを賭けた戦いである以上、相手の武器を奪ったり譲渡してはいけないというルールはないだろう。
ただ、魔法と杖には相性というものがある。
杖は魔法の力を増幅させる触媒で、各種魔法の属性と杖の材質に合う合わないがある。【魔法使い】が使える魔法は火、水、土、風の四種類だ。この四種類は自然の中から生まれた属性とされ、木製の杖によって増幅される。続いて【魔法使い】が使えない、雷、氷、光、闇の四種類は自然を凌駕しているためか、金属の杖によって増幅される。
だから、セラスが女性から手渡された剣に、自身の魔法を増幅させる木製の部分など皆無なのだ。まともな使い方さえ分からない武器を持てば、必然的に戦闘能力は低くなる。
セラスは唐突に、剣の切っ先でローブの裾を膝丈ほどまで切り裂き、布切れを右腕に巻いてゆく。続けて、焚き火程度しか起こせなくなった炎の魔法を生み出して、ジリジリと剣身を赤く焼き始めた。
ビガーモスが十メートルまで近付いても、セラスは剣身を焼き続ける。
「ッ……!」
赤熱を帯びた剣が柄まで熱を伝導させ、布を巻きつけて保護した掌を蝕むかのように焼いていく。
熱い――いや、冷たい。痺れているようにさえ感じる。肉の焦げた臭いが、嗅覚を刺激して記憶の片隅に残ったあの光景を思い出させる。
消えゆく村。
今まで炎の塊だったものから、人形が生まれ出て恨めし気にこちらへ歩み寄ってくる。焼け焦げた屍が立ち上がり、苦悶の声を喉から発してセラスを焦熱へと引きずり込もうとする。
違う、これは幻覚だ。一人だけ生き残ってしまった罪悪感が生み出した、ただの妄想なのだ。
なのに、どうして腕を掴まれる感触が伝わるのだろう。体が引きずられるのは、本当に幻覚だからなのか。
「い、いや……。どうして? 私だけが、生き残ったから? 私は悪くない。私は、悪くな……」
意識が遠くなり、力を失って膝が二つに折れ曲がる。
細やかな砂のベッドが体を抱擁するより早く、誰かの手がセラスを受け止めてくれる。
屍達の手ではない。もっと温かく、血の通った人間の手だ。直ぐに剣の持ち主だった女性だと分かる。
「お願い、私も生きたい。だから私にも戦わせて。これをどうしたら良いの?」
「……すみません、あんなに怒鳴って置いて、こんな様じゃ目も当てられませんね。ホント、私って助けられてばかりいるなぁ」
「そんなことないと思うわ。さぁ、もうそこまで近付いてきてるわよ」
「分かりました。それでは、奴が隙を見せたら――」
叱咤していたはずの女性に助けられ、気恥ずかしいもののセラスは次の指示を出す。
ビガ―モスが足の射程圏内に入り、獲物を捕食しようと四足を大きく開いた。
「――投げてッ」
こちらの読み通り、隙を作ってくれたビガーモスに女性が剣を投げつける。女性の手を焼きながらも飛翔した赤き剣身は、致命傷にこそならなかったもののビガーモスの体に突き刺さる。
その瞬間、セラスは作り出していた水の球体を剣にぶつける。
高熱を帯びた金属は、過激な熱膨張と収縮に耐えきれず、その肉体を一気に分散させるのだ。剣を突き刺され、赤熱に焼かれ、傷口を広げられる。
流石の巨体も、その痛みには耐えられずに苦悶を乗せた咆哮を発する。呻き、悶え、醜い巨体を縦横無尽に振り回す。
しかし、それでさえ化け物を止めるだけの威力は持たなかった。逆に化け物の怒りを買い、己の身を危険に曝しただけだ。無論、セラスはこれで倒せなかった時の対抗手段は考えていない。
完全な手詰まり。
浅黒い緑の肉体が鎌首をもたげ、捕えることを忘れた異形が無数の牙を持ってして襲いかかってくる。
『いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ――』
遊技場に、二人の悲鳴が木霊する。
ふぅ。久しぶりに投稿できました。
ちょっとやっつけな感じになってしまい、全体的に違和感のある文章になってしまったと思います。さて、セラスの運命や如何に? まぁ、こんな時に次回へ続く!は生存フラグなんですけどね(笑)。
最近、ちょっとずつ『盲目の復讐者』も読者が増えてきて嬉しい限りです。