その6
アケットの声を合図に、豚――ゴブリンどもが一斉に攻めかかって来る。
『うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ』
怒声ともつかぬ声を張り上げ、焦げ茶色の波が茂みを割って流れ込んできた。
アケットが正面の一団に切り掛かり、棍棒を受け流しながら鎧ごと膨らんだ腹部を一文字に切り裂く。振り向き様に、背後から肉迫した一匹を屠る。白かった包帯は赤く染まり、鎧を血の雨に濡らしながら剣士は踊る。
五匹のゴブリンがジェイルを取り囲む。完璧とは言い切れないものの、それなりに統制の取れた動きで各個撃破を狙っているのだろう。が、抜き放ったハーケンの一薙ぎで二匹を串刺しにして、残りの三匹を樹木へと叩きつける。
ジェイルが吹き飛ばしたゴブリンを、今度はセラスが魔法で仕留めて行く。木製杖の先端に生み出された炎で焼き、大地から削り取った飛礫をぶつけ、風の衝撃で昏倒させた。
ラットルはと言うと、一匹のゴブリン相手に小枝で怯えながらも交戦している。
「はぁッ」
裂帛というには程遠い掛け声と同時に、ラットルに集中していたゴブリンを銀槍で突くカフィー。
戦い方は師匠に習ったものの、やはり戦い向きではない【神官】の職である上に女性の力では、分厚い肉の塊を軽く傷つけるのが精一杯だった。
「ぐあぁッ」
「きゃぁッ……」
横腹に刺さった銀槍を棍棒で弾かれ、カフィーは痺れるような痛みに怯む。銀槍を取り落としてしまい、ゆっくりとゴブリンに間を詰められる。
ジリジリと、醜悪な顔が迫る。
普通の【神官】ならここで怯えて身動きができなくなるが、カフィーはそんなに脆弱な修道女ではない。
「戦う修道女を舐めないでくださいッ」
手の平に生み出した悪霊を浄化する光で、暗闇に慣れたゴブリンの瞳を焼き潰す。
「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぎゃッ……」
目が眩んでいる間に、銀槍を拾って腹部を一気に貫く。
しばらくもがき苦しんだ後、腕に伝わる重量感で事切れたのが分かる。
「……ほッ。助かりました、カフィーさん。それにしても、修道女の貴方が魔物とは言え命を奪って良いものなんですか?」
安堵の息を吐いたラットルが、最もな疑問をぶつけてくる。
確かに、この世界で信仰される宗教は、例を漏れず命の尊さを謳っている。しかし、カフィーが信仰するのは偶像的な神々ではない。
「私が信仰するのは、人間です。いつの世も、人間に救われ、人間に傷つけられるんです。師匠の受け売りですけどね」
故に、命とは奪うか奪われるか。
「はぁ。でも、やっぱり命を奪うのは慣れませんね……」
僅かな間の戦いとはいえ、疲労の色は隠せずカフィーは地面に尻餅を付く。
離れたところでは、アケットやジェイル、セラスがほとんどのゴブリン達を屍に変えていた。ただ、敵わないと分かっていていつまでも襲い掛かってくるゴブリン達に疑問を感じる。
縄張りを主張しながらも、強力な敵の場合は身を引くことも知っている魔物達だ。不定形生物のような知性のない魔物ならまだしも、これほどまでに食い下がるのはあまり無いことである。
「おかしいですね。私達を別の魔物か何かだと勘違いしたんでしょうか?」
「でも、アケットさんやセラスさんが、態々、魔物の群れに殺気をぶつけるようなことはしないですよね?」
ラットルも同じことを考えていた。
そして、考えている間にゴブリンの大群を殲滅し終える。
「なんだか足りないなぁ」
ゴブリンの屍の山を踏みつけ、アケットがポツリと呟く。
「足りないって、これだけ暴れれば充分だろ? もう交代の時間だってぇのに、元気な姉ぐふッ――」
「――アケットと呼べ、って言っているだろ。とりあえず、ここから早く離れた方が良さそうだ」
言ってはならない台詞を制止させられるジェイル。
「そうですね……あまり長居しない方が良いと思います」
アケットも何かを感じたのか、夜も明けぬうちに出発の準備を始める。
カフィー達もそれに倣い、荷物を纏めて馬車を走らせる。ひたすら手綱を振るい、目的地に着いたのは街人達が目覚め始める頃だった。
港町〔イルトニア〕。基本は漁港から成り立ち、貿易路や観光に力を入れたのどかな漁村である。街の規模はそれほど大きくないものの、溢れ返る活気や長閑さならば王国〔ガルニシス〕にも劣らぬ。
「少し早いですが、僕は注文の品を届けてきます。港の方にいると思いますので、何かあればそちらに来てください。後は、ゆっくり観光でもしていていただいていれば良いので」
〔イルトニア〕について直ぐに、ラットルは三台の馬車を引いて港へ向かう。
取り残された『 《ヌル》』のメンバーは、手持ち無沙汰になったため朝の漁港を見回ることにした。活気に溢れた港の市場は、珍しい魚介類に限らず骨董品なども置かれている。
色とりどりの垂れ幕、焼けた肌の漁師や店主達。
こんな光景を見ていると、やはり人間というのは醜くもあり美しいとも感じる。
「へぇ、気持ち悪い魚なのに、食べられる物なんですね」
「朝の市場なんて〔ハイオン〕でしか見たことが無かったが、場所によってこんなにも変わるもんなんだな」
「おい、セラス。楽しむのも良いが、転ぶなよ」
「こっちまで足を伸ばしたのは初めてだからなぁ。海なんて、セラスは今まで見たことが無いって言ってたが」
セラスが石畳の道を駆け抜け、アケットが街の様子に感心し、ジェイルが呆れながらも目を輝かせ、ジョニーは感慨深く呟く。
いずれ時間ができれば、こうして皆と一緒に旅行へ行くのも悪くは無いだろう。ただ、今は『バンガード』との一件もあり、しばらくの間は背徳都市に平和など訪れないだろう。
そんな考えが、まさか意外な形で訪れようなどと、カフィーに想像できただろうか。いや、この場に居る誰もが海を渡る旅など考えもしなかった。
「きゃぁッ」
唐突にセラスの悲鳴が上がり、物思いに更けていた皆が意識を連れ戻す。
悲鳴の聞こえた方を見ると、セラスが石畳に尻餅をついて、もがくように後退ろうとしている。単に転んだだけではなく、セラスの前には黒装束の人物が佇んでいる。
「カイナ……」
黒装束が何者か問おうとするよりも早く、アケットが呆れた声音で呟いた。
セラスを助けた時に刃を交えた暗殺者の名は、アケットから聞いている。まさか、【アサシン】であり暗殺を生業とする人物が、こんな白昼堂々と姿を現すとは思って居なかった。
もちろん、市場はカイナの投げたナイフの一刀で騒然となっている。
「大丈夫か、セラス? すまん、ちゃんと言っておくべきだったな」
その中で、アケットだけはカイナの追跡に気付いていたようだ。
一度覚えた気配を、剣の道を歩むアケットが忘れるわけがない。たぶん、〔ハイオン〕で合流したところから、既につけられているのに気付いていたのだろう。
「ジェイル、カフィー。セラスを頼む。合図をしたら、一気に港まで走り抜けろ」
耳元でアケットが囁き、ゆっくりと舶刀に手を掛ける。
緊迫した空気が流れ始め、アケットとカイナの中間地点で殺気同士がぶつかり合う。火花だとか、雷なんて表現が生温い不可視と無感の衝撃が荒れ狂う。
「行けぇッ!」
駆け出すと同時にアケットが叫ぶ。
それを合図にジェイルがセラスを担ぎ上げ、カイナの隣を駆け抜けた。