パンデモニウムへ II
結鶴がわざわざ2LDKの部屋を借りているのはリベラに客室を与えるわけはなく、彼女に工房として使用する一室が必要だからだ。2048年の今現在を近未来と呼ぶのはいかがなものかと思うが、結鶴のこの工房と名づくけどラボに近い部屋は未来感そのものだ。
柔らかい黄色のライトに照らされているのはいつもお手伝いロボットにホコリ一つも見当たらないまで清潔された工房には白い機器と投影式のモニターがズラリと並べている。デスクを数台並べた作業台にも、専用の置き場となる白い木製の棚の上にも白い箱のような機械たちが置かれている。道具や資料を置くための木製の白い収納家具はぎっしりと積まれている。さらには半透明の医療ポッドまである。中で横になれるこの治療と検査用の医療ポッドは耳にするだけで卒倒するような値段だが、結鶴曰く必要な投資である。機械と機械をつなぐ数々のケーブルだけがこの部屋の調和を乱している。
見た目がスマホと大差ないCADを取ってきた結鶴は工房に陣取るリベラを見て、気が変わった。CADをテーブルに置きながらリベラに指示を出した。
「ちょうどいい。義肢の調子も見させて」
「うえ…」
そうと聞いて、ただ酒が飲みたいだけのリベラは舌を出しながら抗議した。が。
「はやく」
結鶴の無慈悲な催促によってビール缶を床に置き、雑乱に部屋をまたぐ大量のケーブルを避けながら医療ポッドの中に横たわった。
検査や治療に抵触があるわけではない。リベラは医療ポッドそのものが苦手だ。とくに「プッシャー」って音とともにポッドが閉鎖するときが一番堪える。昔はポッドに入るたびにただをこねていたが、姉貴肌に目覚めてからは克服とまでにはいかないが我慢が上手になったといったところだ。
その間に結鶴は各モニターとコンピューターを起こし、乱暴に白いオフィスチェアに座り込む。このあたりがものすごく「研究者」らしいが、本人は「研究者の柄ではない」と否定し続けている。本当は誰かの譲りなんかじゃないの?とリベラに揶揄されそうなところだが、結鶴は知らぬ存ぜぬで通している。
モニターリングされたリベラの身体図では、四肢と胴体の色と構造が明らかに違っていた。
そう、リベラの胴体の関節から始まる四肢は全て魔法工学によって製造された義肢である。魔法工学とは一括りに冒険者たちによる冒険行為に関する工学の総称である。スキルの設計と術式の構築、CADの製造とメンテナンス、防具や装備品の製造とメンテナンスなどが含まれている。この名称に疑問を抱いている君へ説明しよう。今ではスキルと一括りに呼んでいるが、大災害前は冒険者の異能を「科学」と正反対の意味を持つ「魔法能力」と呼んでいただめ、魔法工学という名もその副産物である。実際、冒険者が扱うスキルは魔力を駆使して術式を構築して魔法を使用する、というプロセスと一致しているため、案外的確な名称でもあった。冒険者が異能を行使する際に駆使する特殊のエネルギーを「霊子」に命名し、それにまつわる学科もすべて「霊子」で命名する意見はあったが、あまりのくだらなさに国境を超える冒険者管理組織「冒険者ギルド」によって却下された。冒険者が扱う異能力、すなわちスキルの仕組みはある程度の解析が行われ、プログラミング化されているため、電気信号の代わりに魔力で演算する専用コンピューターやCADといった外部の演算装置でもコントロールできる。専用のプログラミング言語やソフトウェアまで開発されている。大災害前はもっと高度に発展していたが、魔法工学を含む冒険者に関する全てのことが大災害によって壊滅したため、その技術ももちろん失われている。リベラの場合、彼女の四肢は全て冒険者が異能力を駆使する際に消耗するエナジー、つまりは魔力を動力として駆動する冒険者専用の義肢になっていて、球体関節人形みたいな状態である。冒険者用の義肢である以上、強度はもちろん、専用のCADでコントロールを補助する必要まである。結鶴が今チェックしているのは、義肢と胴体の接合具合と、CADに保存されたデーターだ。義肢のステータスや、ランタイムログは全てCADによって記録されている。神経信号を義肢に内蔵された疑似神経信号に変換して転送するソフトまで搭載されいている。これらから義肢の調子や使い勝手が分かる。
リベラの義肢は魔法工学の技術者の手のよって設計・製造されていて、冒険者専門の医師と一緒にメンテナスいている。だったらすべて専門家に任せればいいじゃない?と聞きたいかもしれないが、結鶴の場合、
「数値に異常はないね。あとで義肢の設計図とステータスを私のCADに転送するから、戦闘で義肢が破壊された場合は、私のほうで再構築するよ」
自身が高度な医療スキルの所持者のため、こうして手ずから行うことに責任を感じている。本人曰く、やらないと気がすまないのだ、だそうだ。
構築とは、冒険者が持つ異能力の大まかな表現である。魔力を物質として構築する高次物質化能力、それが冒険者が持つ異能力の正体だ。義肢が壊れても、設計図さえあればそれにそって魔力で構築という名の生成できるというわけだ。設計図はCADに貯蔵されているため、術者が魔力と指令をCADに入力すれば、CADの方で設計図を読み取り、構築の演算を変わりにやってくれる便利な仕組みだ。CADを大まかに一種のOSつき魔法制御補助コンピューターと理解すれば大丈夫だ。
ちなみに、結鶴は義肢のチューニングもある程度できるが、念の為いつも専門の技術者に頼んでいる。結鶴は魔法工学の専攻ではないが、もし戦闘中に義肢に問題に問題が生じた場合、ある程度処理できる力は持っておきたいという念押しだそうだ。
魔力で生成された物質は基本そのまま残るのだが、現実世界への影響を抑えるため、術者はできる限り魔力供給が切断されれば消えるように構築の際に制限を施している。
「バイタルも私のCADに記録したいところだけどあんた飲まない時のほうが少ないし…死ぬわよ」
結鶴はため息を吐きながら「もう起きてていいよ」と言いながらポッドを操作した。
「絶対戦死のほうが先だから大丈夫だ」
とポッドから出たリベラがものすごい勢いで酒の缶に飛びかかった。
「意外ね。てっきり戦闘で命をかけないタイプだと思ってた」
リベラの飲みっぷりに呆れた視線を投げる結鶴。
「かけるじゃなくて…てか私の意思で決められるのそれ? 戦闘に出りゃいつ死んだっておかしくないんじゃない」
それを八つ当たりで返すリベラ。
「…そうとう酔ってるなこれは」
と一息ついて、結鶴はさっき取ってきたCADにケーブルをつけてコンピューターに接続した。
「ちょっと! 酔ってないわよ!」
これでもリベラは口論を続けたいが、
「明日の任務夕方でよかったよ。二日酔いでタンクが倒れるのはごめんだから」
結鶴は「酔った者を相手にしない」とこの茶番に早速終止符をつけた。
これで少し自分の時間を享受できると思った結鶴は椅子から起きて棚から丁寧に収納している特別なCADを取り出そうとするが、リベラが間欠的に我に返るのを恐れた結鶴はその前にリベラをリビングルームに追い出すことにした。
リベラ駆逐こと10分間。ようやく自分の時間を持てる結鶴は丁寧に保存していた一個の碧い宝石のようなCADをコンピューターにつなげ、起こした。
core name: star and frost of void
core type: innate
master: shizuru seisoin
インタフェースに映っているCADデータをじっくり見つめながら、結鶴はまたため息一つついた。
炭酸ドリンクへの愛着からいずれリベラのような酒好きになるじゃないかと思われやすいが、結鶴は嗜好品に対して厳しい姿勢を取っている。特に自我や意識を薄くするものに対して抵抗が強い。だから酒は成年後も口にしないつもりだ。享楽主義のリベラとは正反対の人種である。
料理が好きな結鶴だが、いつも忙しい生活を送っているため手軽料理や作り置きで我慢している。その反動のせいか、飲食店を回ることを趣味としているようだ。