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High-/-Quality  作者: hime
【第4章:新時代】
98/99

第97話:Underdogs

それは以前、夏休みに若越と弓ヶ屋が横浜を訪れた時の事…。



「…じゃあ、俺こっちだから。

今日はありがとうね。」


そう言って、若越が帰りの電車に向かおうとした時、弓ヶ屋は黙って若越の手に小さな紙袋の取手を引っ掛けた。


「…えっ…?」


戸惑う若越に、弓ヶ屋は微笑んだ。


「…実は私…こっそり調べてみたんです。

棒高跳びの事、もっと知りたくて。

…きっと、競技の役に立つんじゃないかなって思って、買ってみました。

よかったら…使ってみてくださいっ!

今日はありがとうございました。」


弓ヶ屋はそう言うと、逃げるようにして足早に改札を越えて行った。

彼女の行動に呆気に取られていた若越が、恐る恐る紙袋の中を覗いてみると、そこには"KIMURAスポーツ"を象徴する"K"のロゴの赤い刺繍が入った、オレンジ色のリストバンドが入っていた。


加えて、小さなポストカードも入っており、若越はそれをゆっくりと取り出した。


そこには、こう記されていた。



"跳哉さんへ


もしかしたら、跳哉さんには邪魔になってしまうかもしれませんが…。

実は、有嶋コーチに棒高跳びの選手が使えそうなアイテムをお伺いして、こちらのリストバンドを紹介してもらいました。

跳躍の時、手首にポールが当たって痣になる事もあるって聞いたので。

跳哉さんも、いつも跳躍の時にテーピング巻いてるのを思い出したので、私はピッタリだと思いました。

もし、跳躍の邪魔になってしまうようでしたら、全然気にせずいつも通りにしてください。

私にできる事は、こんな事しかないかもしれませんが…。

これからも、跳哉さんのお役に立てるようにがんばります!


千聖"




(…弓ヶ屋…いつの間に…。)


若越はすぐにその紙袋とポストカードを持っていたバッグにしまうと、ゆっくりと帰路に向かって行った。





弓ヶ屋に向けて挙げた左手を下ろすと、若越は手首に着けたリストバンドの"K"の文字を見つめた。


(…"KIMURA"のって事は…さては新作だな?

…ったく、侑介さんって人は。)


若越は、呆れながらも満足そうに左手首を見つめ、左手を強く握りしめた。


(…弓ヶ屋もここまでしてくれるんだ。

勝つしか、ないよな。…なぁ?父さん。)


若越は心の中でそう呟くと、秋の晴天が広がる空を見上げた。



_



一方その頃、トラックでは…。

女子100m予選、全9組のうち第5組までがレースを終えていた。

全てのレースの結果から、タイムレースにて総合順位が出される100m。

チャンスは1本のみ。たった1本の走りの記録が、次へと繋げる為の唯一の手掛かりであった。


第2組にて出走した橋本は、13秒09にて予選5着。後続の結果を待つも、入賞は危うい状況であった。

第5組にて出走した高津は、12秒64にて予選1着。上位入賞を狙えるタイムであった。



そして第7組、第6レーン。

水色のセパレートタイプの"羽瀬高"ユニフォームに身を包んだ西澤は、誰よりも自信に満ち溢れていた。


(…新金岡中のエース…堺の中学女王の力、東京の連中に叩き込んだるわっ!

うちが…東京でも天下取ったるんや、覚悟しときやっ!)


西澤の鋭い視線が、ゴールのその先を捉える。



その姿を、ホームストレート側の観客席から、十橈氣、二重橋、畠ヶ井、綺瀬、綿井、巴月、平咲が見守っていた。


「…芹那、一段と気合い入ってるようね…。」


彼女の姿を心配そうに見ながら、畠ヶ井がそう呟いた。


「…まあ実力的にも、勝機はある気はするけどな。

西澤が俺たち1年の突破口を開いてくれる…そんな気はするぜ。」


畠ヶ井に合わせて二重橋がそう言うと、十橈氣は皆に聞こえる程の大きなため息を吐いた。


「…ったく、甘ぇんだよ。

そんな気持ちじゃ、すぐに出鼻くじかれちまう…。

あいつがそれを証明してくれるんじゃねぇか?

…負けてびーびー泣く顔が嫌でも浮かぶぜ。」


自信満々にそう罵倒する十橈氣を、皆不満そうに見ていたが、綺瀬だけは怪しげな笑みを浮かべていた。


「…そうかしら?案外負けて悔しがるのは、(ひで)くんかもしれないよ?」



『…On Your Marks…。』



綺瀬がそう言うと同時に、出走の合図がアナウンスされた。

十橈氣はチッ。と舌打ちをして綺瀬を睨みつけたが、それ以上は何も言わずに黙ってトラックを見つめていた…。



パァァァァン!!!!



ピストルの合図と共に、トラックの8人の選手が一斉に飛び出した。


低い体勢から身体を起き上がらせた頃には、集団から一歩前に西澤は飛び出していた。



「行けぇぇぇ!西澤ぁぁぁ!!!」


「芹那ぁぁぁっ!!ファイトォォォッ!」



僅か6秒程で、西澤は既に50mラインを通過した。

上半身が全くブレずに、下半身と両腕だけがひたすら動き続ける彼女の走りは、残りの7人の選手と比べても違いが明確である。


結局、真っ先にゴールラインを越えたのは、西澤であった。


ゴール横の電光掲示板は、"12.49"と示している。


「…高津先輩より速ぇじゃん…。あいつ、口だけじゃねぇんだな…。」


その記録と彼女の走りに、二重橋は目を丸くしながら驚いてそう呟いた。


「…まあ、あの子は中学時代、大阪では結構名が知れてたらしいからね。

何せあの子のお兄さんは、大阪学院大学2年で今年のインカレチャンピオンの、西澤 龍悟(にしざわ りょうご)

2年前のインターハイで、10秒00の現高校生記録を叩き出して優勝した、今日本で1番注目されてる選手よ?」


綺瀬がそう言うと、二重橋と畠ヶ井はえっ!と大きく驚いていた。

黙って知らんぷりをしていた十橈氣も、その名前にピクッと僅かに反応を示した。


「…すげぇ…。そんな奴が同じチームにいたなんて…。」


二重橋はそう呟き、思いがけない現実にただただ圧倒されていた。


「…ま、本人あんまりその事言われるの好きじゃないみたいだから、あの子の前でお兄さんの話はしないであげてね。…私も何でか知らないけど。」


綺瀬は、口元に人差し指を置きながらそう言った。


4人の1列後ろに座っている、マネージャーの巴月と平咲は、前列の会話を他所に慌ただしく記録をまとめていた。


「…大変そうっすね。」


その様子を見ながら、綿井はボソッとそう呟いた。

巴月は素早く、手元のタブレット端末を操作しながら、今し方終了した女子100m予選の全ての結果を、表計算シートに入力していた。


「ま、これが私たちの仕事だからね。

何でも、監督から直々にお願いされてるから。

やらない訳にはいかないの。」


巴月は、綿井に優しくそう答えた。


「今すぐは分かんないけど、いつかこの記録が役に立つ日が来るかも知れないからね。

あっ、明日の槍投げもしっかり記録するからね!

頑張ってね、マーク。」


続けて、平咲も手元のパンフレットにメモを記入しながらそう言った。


「…あっ…うん。」


綿井は急にどこか不安そうな表情をしながら、歯切れの悪い返事をした。






「…お疲れ様。流石ね、芹那。」


レースを終えた高津は、トラック脇のスペースでスパイクの紐を緩める西澤を、そう言って讃えた。


「ありがとうございます。先輩も、お疲れ様です。

都大会も負けへんつもりなんで、宜しく頼みますね。」


レースを終えてから時間が経っているにも関わらず、まだ少し呼吸が乱れている高津に対し、先程レースを終えたばかりの西澤は、既に平常を保ちながらそう答えた。


「…まだ結果はこれからでしょ?

…まあでも、芹那の入賞は間違いなさそうね。」


強気な西澤に少し呆れながら、高津はそう言った。

すると、西澤は急に真面目な表情を見せた。


「当たり前やないですか。

うちはこんなとこで"負け犬"になんか、なっとられへんのです。

…せやないと、顔向けできへんのやから。」


強い口調で意味深にそう言う西澤の表情は、少し寂しそうにも見えた。

既に入賞困難が明確な記録の橋本は、西澤の言葉に嫌悪感を抱き、小さく西澤を睨んだ。


「…顔向け…?誰に?」


高津が不思議そうにそう問いかけると、西澤は我に返って普段の明るい表情に戻った。


「…いえ、なんでもないです。気にせんでください。

うちの問題なんで。先輩には関係あらへんです。」


西澤は吐き捨てるようにそう言うと、脱いだスパイクを手に、ランニングシューズに履き替えて足早に控えベンチへと戻って行った。


「…何なんですか、あの言い方…。失礼ですよね?杏珠さん。」


彼女の後ろ姿を睨みながら、橋本は不機嫌そうに高津にそう言った。


「…まあ、そっとしておいてあげよ。

色々あるんでしょ。あの子にも。」


高津は橋本が思う程、西澤の言葉を気にしていなかったのか、少し心配そうにそう言って橋本を宥めた。



_



一方、バックストレート側で行われている男子棒高跳び決勝は、バーの高さが既に5mまで上げられていた。


4m50cmの記録に終わった柏宮の試技後、若越、江國、皇次の3名は、あっという間にこの高さまで成功跳躍を収めていた。


4m95cm時点で、同率1位。

3人とも、この高さを1本目にてクリアした為、勝負の行方は5m以降に委ねられる事となった。


柏宮を含めた4名は、この時点で都大会への参加標準記録を越えている為、自動的に都大会は約束されていた。

それでも、若越、江國、皇次の3人は一切の気の緩みを見せていなかった。



5mの1本目。

第1跳躍者である皇次は、既に助走路にスタンバイしていた。


(…若越と江國(こいつら)に勝てなきゃ…俺はこのままずっと"負け犬"だ…。

…何としてでも…せめてこの支部予選だけでも…こいつらの上を行く…っ!)



春先からのインターハイを経て、皇次には強い対抗心が育っていた。

若越や江國、霧島といった同級生の面々が、次々と全国大会の舞台へと進む姿を目の当たりにし、その悔しさは計り知れない程に膨れ上がっていた。


前年の記録を持ってしても、伍代や森川、桐暮といった面々に敗れ、最後の大一番の戦いにすら参加できなかった兄、宙一の結末も、皇次を焚き付ける強い燃料と化していた。



それからというものの、皇次は夏休みの間にひたすら走力と筋力の強化に励み、その肉体を僅かに大きくすらしている。



(…"負け犬"じゃねぇ。ここまで、全てを放棄して賭けてきた努力と時間を証明する。

…だから、今日こそ"5m"を越えて、若越と江國(あいつら)に並ぶ…。いや、あいつらを越えてみせるっ!)


皇次は、満遍なくタンマグを塗った両掌で、激しく両頬を2回強く叩いた。

その頬は赤くなりながら、タンマグが付着して白くもなっている。


皇次が手に持つポールは、かつて宙一が5mを越えた時に扱っていた物であった。


(…その為に、俺は()()()に拘ってきた…。

…もう負けねぇ。"負け犬"だなんて言わせねぇっ!)



丁度その時、吹き流しが強い追い風を示した。

トラックで行われている男女の100mの影響もあるだろうが、それだけではない。



「…行きまぁぁぁぁぁぁぁっす!!!」


ポールの先を高く持ち上げ、皇次はそう叫んで走り出した。

皇次の合図に答える声は少なく感じられたが、今回はいつも応援してくれる面々も、各々の種目に挑んでいる。

それ故に、皇次の動きがブレる事はなかった。


力強く地面を踏み蹴りながら走る助走は、まるで獲物目掛けて広野を翔る狼の様な、荒々しい殺気を放っていた。


助走の勢いを保ったまま、踏み切りに差し掛かった時、皇次の身体に強い衝撃が走った。



ボックスに突き刺したポールの反発力は、容赦なく皇次に襲いかかる。

しかし、皇次も負けじと踏み切り体勢を保ちながら、大きく身体を振り上げた。


5m上空のバーの上に差し掛かると、皇次はポールを払うように手放し、身体をくの字に曲げながら、バーに触れないようにその上を越えようとした。



しかし、力で押し切った代償がその時に訪れた。



空中で崩れた体勢を立て直せず、皇次はバーを巻き込みながらマットへと落下して行った…。



(…ちっ…まだまだだって言うのかよっ!

…負けねぇ…負けてたまるかっ!)


マットの上でゆっくり身体を起こした皇次は、表情一つ変えずに依然険しい顔でマットを降りた。



続けて、第2跳躍者の若越が助走路に立った。



(…今日は負けない…負ける訳にはいかねぇ。

…重たい荷物は、全て"あの夏"に置いてきた筈だ。

…もう、みっともねぇ姿見せられねぇんだよ。

"伍代 拝璃(あの人)"が残していった、"羽瀬高棒高跳び"の名前…。

…俺はもう、みっともねぇ"負け犬"に食い下がるつもりはねぇ。

あの人がいない以上、プレッシャーはねぇ。

俺を支えてくれる全ての人と、『誰よりも、高い空を跳ぶ。』為に…っ!)



若越の手元には、伍代がインターハイ全国大会で使ったポールが握られていた。

まだ完璧と言うには少し心許ないが、全く使えない訳でもない。



若越の前には、"5m"以上の大きな壁が立ち塞がっていた。




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