第96話:Opening Fanfare
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パァァァァァァァァン!!!!!!!!
秋の乾いた空気に響くピストルの号砲が、新時代の戦いの幕開けを告げる、ファンファーレのように。
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「…今日から新人戦が始まります。
初の公式戦を迎える1年生たちは、実力を存分に発揮して、これからの指標を作ってください。
俺たち2年生は、先輩たちのように上を目指して。
各々、やるべき事はしっかりと持って、この新人戦、"羽瀬高"の名前背負って全力で挑みましょう。」
部長である紀良の言葉に、羽瀬高陸上部一同はそれぞれ大きく頷いたり、覚悟を決めた表情をしていた。
…十橈氣、ただ1人を除いては…。
「…緊張するなぁ…。」
九藤は、久々の公式戦の空気に、武者震いを隠せずにいた。
「…ふっ、精々仲良しこよしの円満クラブの雰囲気で、お遊戯会の本番を楽しむんだな。」
九藤の呟きに、十橈氣はすかさずそう煽り文句を言ってみせた。
「ふぅん、十橈氣くんはさぞ、大そうな自信がお有りのようやなぁ?」
九藤を煽る十橈氣に、思わず西澤はそう言って十橈氣を煽った。
火に油を注ぐ西澤の発言に、畠ヶ井は慌てて西澤ん宥めた。
「…やめなよ、芹ちゃん。そんな事言っても、何にもならないって。」
しかし、畠ヶ井の静止も虚しく、十橈氣と西澤は更にデットヒートしてしまった…。
「…あぁ?うるせぇよ関西女。
…俺はお前らとは違う。同じレベルで話しかけてくんじゃねぇよ。」
「関西女ぁ?よう言うで、ホンマ。
…まあ精々あんたのその大口で、自分の首絞めんとええなぁ。」
十橈氣と西澤は、そう言い合うと互いに激しく睨み合った。
その様子を横目に見ていた綿井は、隣にいた周藤に話しかけた。
「…くだらねぇな、あいつら。まあ、気にする事はねぇよな。」
呆れた表情でそう言う綿井に、周藤は無関心なのか、栄養補給ゼリーを飲みながら答えた。
「…んー、興味ないね。僕らはやれる事をやるだけだから。」
…早くも険悪なムードの1年生たちは、初戦を前に仲間内で火花を散らしていた…。
一方、2年生はというと。
「…っしゃぁっ!今回は100に4継に、全部勝って関東優勝してやるぜっ!」
早くも気合い全開の蘭奈を、いつもの如く若越、紀良、高津、巴月が呆れたように見ていた。
「…ったく、相変わらずだなぁ…にしても、関東なんて気が早ぇって。
まずはこの支部予選、そして都大会を確実に突破していく事、だな。」
気合い十分の蘭奈に対し、紀良は冷静に目の前の壁と向き合っているようであった。
「…光季の言う通りね。上級生の代が抜けたからって、まだまだ侮れる相手じゃないわ。
まずは、この東京エリアで上位に食い込んでいく事が、必須条件なんだから。」
高津もそう言って、冷静に目の前の戦いに挑もうとしていた。
「みんなの活躍、楽しみにしてるね。
…とは言っても、私は応援とサポートする事しか出来ないけど…。
必要な事があったら、何でも言ってね!」
戦いに挑む選手たちの姿を見て、巴月はそう言った。
巴月は、直接戦いに参加する事はないものの、同じチームの一員として、一緒に戦うモチベーションは既に出来上がっているようであった。
「…ありがとう、巴月。頼もしいよ。
まあ、怪我なく事故なく、悔いなくって所かな。
…新人戦、必ず勝ち進んで『誰よりも、高い空』に、少しでも近づいてやる…っ!」
若越はそう言うと、突然拳を前に突き出した。
「…チーム"羽瀬高"、1人でも多く上に行こう。
互いにライバルな時もあるけど、それ以上に"仲間"だ。」
柄にもなく、若越がそう言った事で、4人は驚いた表情を見せた。
それでも、真っ先に拳を突き合わせたのは、蘭奈であった。
「もちろんだぜ、跳哉っ!今回は、置いて行かれるような真似はごめんだぜ。
俺も絶対、関東優勝してやるっ!」
続けて、紀良と高津も拳を合わせた。
「俺だって、置いて行かれる訳にはいかない。
…少しでも上に、少しでも記録上げてやるっ!」
「…私だって、負けないから。いつまでも、あんたたちの背中を見てるのは勘弁だね。」
最後に、4人の合わさる拳の上に、巴月が手を開いて被せた。
「みんな、応援してるから。全力で行ってらっしゃいっ!」
こうして、新時代の羽瀬高陸上部は、"新人戦"という戦いに挑む事となった…。
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まずその戦いに挑むのは、男子100m、女子100m、男子棒高跳び、男子円盤投げ、女子走り幅跳びに出場する面々であった。
ホームストレート側の走り幅跳びピットには、睦小路の姿があった。
(…久々だなぁ、この感じ…。)
様々な声が響く競技場、地面を踏んだ時のタータンの跳ね返し、照りつける日差しと競技場独特の風、そして、己の限界と更なる大舞台を視野に、集中力を高める選手たち。
「…あれ?茉子ちゃん?」
両手に荷物を抱えながら、久しぶりの競技場の雰囲気を味わっていた睦小路に、白地に黒とピンクのラインの入ったジャージ姿の、少し背の高くスラッとした美少女が声をかけた。
「…あっ!結良さんっ!」
睦小路は彼女の事を知っていたのか、彼女の顔を見るなり笑顔でそう言った。
星崎 結良。
白鳳女子高校陸上部に所属する、2年生の選手であった。
細身ながらに、競技者としてのしっかりとした肉体を持ちつつ、17歳にしては少し大人びたモデルのような人物であった。
小さな顔の顎のラインで揃えられたショートボブヘアの先が、風に靡いて揺れている。
「久しぶりね。羽瀬高入ったんだ、茉子ちゃん。」
そう言う星崎は、大人の余裕を感じる優しい微笑みをしていた。
「はいっ!跳躍で今勢いある羽瀬高で、私も頑張ろうと思って!」
元気よくそう言う睦小路を、星崎は依然微笑ましく眺めていた。
すると、星崎の隣に星崎と同じ柄のジャージを着た小柄な女子選手が現れた。
「…結良さん、この人は…。」
その女子選手は、少し怪しげに睦小路を見ていた。
星崎や睦小路より少し小柄で150cm程の身長の彼女は、長く伸びた髪を後ろでお団子を作りながら1つに括り上げており、前髪が深くかかった奥から、丸く黒い瞳でじっと睦小路を睨むように見つめていた。
「あぁ、鶴ちゃん。紹介するね。
彼女は私の中学の時の後輩の…。」
星崎がそこまで紹介すると、睦小路は何の躊躇いもなく一歩彼女に近づき、右手を差し出した。
「私、羽瀬高1年の睦小路 茉子です。
中学の時、走り幅跳びで結良さんにお世話になってました!
宜しくお願いしますっ!」
睦小路が元気よくそう自己紹介すると、彼女は黙ったまま睦小路をじっと見つめるだけであった。
一息置いて、漸く小さな声で彼女が話し始めた。
「…鶴井 楓嘉。白凰の1年。宜しく。」
鶴井と名乗る彼女は、ボソッとそう言うと睦小路の手を無視してどこかへ行ってしまった。
鶴井の行動を詫びるように、代わりに星崎が睦小路に声を掛ける。
「…ごめんね。鶴ちゃん、ああいう子だから。
それにしても、久々に茉子ちゃんと一緒にできるの、楽しみにしてるよっ!」
星崎は再び眩しい程の笑顔でそう言うと、鶴井の後を追って行ってしまった。
2人の後ろ姿を、睦小路は険しい表情でただじっと見つめていた。
(…結良さんに…鶴井さん…。
…鶴井ってもしかして…千歳中にいた…あの…?)
一方、女子100mに出場する高津、橋本、西澤の3人も、ウォーミングアップと招集を終え、既にグラウンドでスタンバイしていた。
西澤は、余裕そうに腰に両手を据えて、退屈そうに足首を回しながら周囲を見渡した。
「…ふぅん、ま、大したことなさそうやな。」
大口を叩く西澤を、高津は呆れたように見ていた。
「…まぁた、そんな事言って…。
…ま、芹那なら、余裕かもしれないね。」
高津が意味深にそう言うと、橋本が慌てて高津を宥めた。
「ちょ、杏珠さん…。あんまり芹ちゃんを調子に乗らさないでくださいよぉ…。」
橋本は不安もあるのか、酷い困り顔でそう言った。
「そうかな?余裕あるのって大事な事だし。
それに、私たちも個人種目とは別に、"4継"だってあるでしょ?
私、芹那、瑠李、結綺は、自分の種目だけで満足してちゃダメだって。
芹那くらい余裕あるくらいじゃないと、ね。」
高津は不安で怯えている橋本に、そう言ってアドバイスをした。
高津の言葉に、西澤は更に堂々とした態度で橋本に言った。
「ほら、杏さんの言う通りやろ。
うちかて、調子乗っとるだけや思われたら心外やで。
…ここまで積み上げてきたもん、証明しに来たんや。」
西澤の周囲を見る目が変わった。
まるで、獲物を狙う豹のような鋭く突き刺さりそうな視線で、彼女はニヤリと笑みを浮かべた。
「ほな、お手並み拝見といこか。
…全員まとめて、かかってきぃや。
うちが相手したるわ。」
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その頃、同じタイミングで男子棒高跳びに出場する若越と、男子円盤投げに出場する周藤がグラウンドに入った。
「…おっ、円盤もこれからか。
頑張れよ、周藤。」
同じ水色の"羽瀬高"ジャージを着る周藤に、若越は優しくそう声をかけた。
周藤は、1年生にしては逞しい体をペコっと折り曲げ、若越に頭を下げた。
「もちろんっす。先輩程じゃないですが…俺も上目指してがんばりますっ!
…円盤に転向したのも、その為なんで…。」
周藤はそう意気込んだものの、語尾に連れて不安そうな顔で俯いてしまった。
若越は彼のその表情を見逃さなかったが、今は深く聞くまいとした。
「…そっか。まあ、自分で決めた事なら、貫くしかないな。
俺もそうだったから…。簡単じゃないかもしれないし、壁にぶつかるかもしれないけど、自分を信じて突き進むのみ…ってやつだな。」
若越は、バックストレート側に設置された棒高跳びピットを遠く眺めながら、周藤にそう言った。
「…先輩も…?」
周藤はそう言う若越を不思議そうに見ながら、そう問いかけた。
「…あぁ。まあ、周藤とはちょっと違うかもしれないけど…。
そりゃ俺も、上手くいかない時だってあったし、常に不安な気持ちはあるよ。
…それでも、やるしかないじゃん?ここまで来たら。
俺はいつもそうだよ。不安だし、必ず勝てるなんて保証は全く無い。
…だからこそ、やるしか無いんだよ。突っ走った先に、喉から手が出る程欲しいもんが手に入る未来がある。って信じてな。」
若越はそう言うと、周藤の頭に手を置いてわしゃわしゃと雑に撫でた。
そして、満面の笑みを見せると、グラウンドへと一歩足を進めた。
「…行くぜ、周藤。始めよう、俺たちの時代を。」
グラウンドからの照り返しで、若越の姿は周藤に逆光と共に映った。
その眩しい若越の後ろ姿は、彼の体の大きさよりも大きく、眩しく周藤には映っていた。
不安感に溢れる周藤の心の中で、何かヒビが入るような音を感じた。
「…はいっす!若越先輩っ!」
そう言って、周藤は若越に続いてグラウンド入りした。
新たな時代の空を羽ばたこうとする黄金の大きな羽と、まだ見ぬ時代の大きな空に挑もうとする白く小さな羽が、姿も音もない中大きく開いて…。
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時は進み、男子棒高跳びの競技が始まった。
羽瀬高から若越、そして継聖学院から皇次、江國、柏宮の計4名での試技となった。
若越と継聖学院の3名とは、挨拶の会話を交わしたのみで、それ以外の会話を一切行っていない。
それ故に、棒高跳びピットは異様な静けさに包まれていた。
継聖学院の1年、柏宮が4m60cmの試技を終えるまで、若越の出番はなかった。
若越、皇次は共に4m70cmから、江國に至っては4m80cmからの試技開始を申告していた。
柏宮の試技が行われる中、一頻り体を動かし終えた若越は、観客席の有嶋と弓ヶ屋の元に近づいた。
「…跳哉、どう?調子は。」
有嶋がフランクにそう問いかけると、若越はゆっくり首を回しながら、視線は柏宮の試技に向けながら答えた。
「…とりあえず、感覚的には大分いい感じですね。
あとは、ポールさえ使いこなせればって所ですかね。」
「…まあ、無理はするなよ。言ってもまだ支部予選だ。
下手に高薙や江國に勝負仕掛けるより、次に繋がる感覚を覚えることに集中するんだ。」
有嶋は険しい表情をしながら、グラウンドの若越にそう告げた。
「…分かりました。…でも、支部予選だからって手を抜く気は無いです。
記録には拘っていくんで。」
若越はそう言うと、大丈夫。と伝えるように有嶋に向かって大きく頷いた。
「…そうか。まあ、しっかりな。」
有嶋はそう言うと、少し高い位置の観客席に戻って行った。
残された弓ヶ屋は、少し慌てながらも若越に声をかけた。
「…跳哉さん…っ!」
「…ん?」
弓ヶ屋の声に、若越は反応して彼女の顔を見た。
その刹那、2人の視線がピッタリと重なり合う。
弓ヶ屋は少し見惚れてしまっていたが、すぐに気を取り直して若越に声をかけた。
「…応援してます。」
弓ヶ屋はただ一言、そう若越に告げた。
「…ありがとう。頑張るよ。」
そう言うと、若越は振り返ってピットへと戻って行った。
弓ヶ屋がその背中を目で追っていると、若越がふと左手を挙げた。
その手首には、オレンジ色に赤字のロゴが入ったリストバンドがされていた。
その姿を、弓ヶ屋は目を丸くしながら、ただ呆然と見つめていた。
その彼女の左手首には、黄色に青字のロゴが入った、お揃いのリストバンドが着いていた…。




