第82話:Confession
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男子棒高跳び予選。
Aブロック
バーの高さは4m80cmに上がり、1本目を終了した時点で成功者は伍代のみ。
(…クソっ…100のせいや…。…さっきから横風が強すぎるわ…。)
左右に大きく向きを変える吹き流しを睨みながら、助走路にて2本目に挑む双葉川は、焦りを通り越して最早苛立ちを隠せずにいた。
Bブロック
こちらもバーの高さが4m80cmに上がっているものの、このブロックでの1本目の成功者はいない。
(…"エコパの魔物"ってやつだな…。このスタジアム…本当に風読めないんだよなぁ…。
…草薙の方が余っ程マシだよ…。)
双葉川同様、横風に足止めを食らっているのは、Bブロックの助走路に立つ青海である。
静岡県で主に県大会以上で使用されるのが、このエコパスタジアムと、静岡市内にある草薙総合運動場陸上競技場の2箇所である。
(…いつまで待ってても埒あかない…。)
青海は風の隙を見極めて、ポールの先を持ち上げた。
その光景に、棒高跳びピットは愚か観客席もざわめきはじめた。
「…行きまぁぁぁっす!!!!」
Aブロックの控えテントで待機する森川は、青海の闘志溢れる声に思わず笑みを浮かべた。
(…見せてやれ、青海。…"ホーム"の底力って奴を…っ!)
「「「はぁぁぁぁぁぁい!!!!」」」
掛け声と共に、青海は一気に助走路を駆け抜けた。
まだ完璧とは言い難い、何とも付け焼き刃的な力技ではあるが、彼の気迫が横風をも凌駕する。
高く上がった青海の身体は、バーの上に投げ出される形で跳ね上がった。
それでも、高さに十分な余裕があった事で、2本目を確実にクリアしていった。
大きな歓声が、第3コーナーの観客席から青海に送られた。
(…やるじゃん、青海の奴。こりゃ負けてられねぇな。)
控えベンチの若越は、"青"と"赤"のテーピングの巻かれた"相棒"を手に、青海の跳躍を見届けていた。
青海の跳躍成功を見届けると、若越は"相棒"を手にして、近くのスペースでポールを持った走り込みを行った。
Aブロックの双葉川は、横風を攻略できずに2本目も失敗。
そこからは、風も穏やかに安定するようになり、
Aブロックでは霧島、万ヶ峯、大ヶ樹が続けてクリア。
Bブロックでは千賀、宙一、桐暮が次々と4m80cmをクリアし、決勝へと駒を進めた。
残すは、Aブロック志木、森川、Bブロック若越、江國の模様となった…。
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観客席では、有嶋、桃木、弓ヶ屋、睦小路、綺瀬、周藤、綿井の羽瀬高陣営が、伍代と若越の競技を見守っていた。
そこへレースを終えた七槻が、一足早く跳躍陣営の方に合流する。
「…拝璃はまあって感じか。…あとは、若越か…。」
「「…部長っ!お疲れ様ですっ!」」
後輩部員たちは一斉に立ち上がり、七槻の健闘を讃えた。
「…やめろよお前ら…。まあでも、ありがとな。
これで何とか、拝璃に追いついたってところよ。」
七槻が照れ隠ししながらそう言うと、彼の背後から腕を回してくる人影が現れた。
「…いやぁ、流石だねぇ勝馬くん。
羽瀬高部長は、歴代みんな強いよなぁ!」
「…っ!希美さん!?」
七槻がそう叫んだ。
彼の背後から現れたのは、お洒落な私服に身を包んだ伍代の姉、伍代 希美であった。
「…いやぁ、久しぶり~。
こっちもまあまあ忙しくてさぁ。
…でも、拝璃の最後のインターハイだからね。
のぞみですっ飛ばして来ちゃったよ~!…あっ、掛川はのぞみ止まらなかったね。あはは…。」
相変わらず、希美はハイテンションで愉快な人物であった。
「のんちゃんっ!来てくれたんですねっ!」
希美の登場に、唯一目を輝かせていたのは、桃木であった。
「あったりまえでしょー?玻菜がどうしても見に来てくれって私に連絡してくるくらいなんだから…。
…ってか、えっ!玻菜、隣にいる方って…。」
楽しそうに話をしていた希美の顔つきが、一気に変わった。
桃木の隣にいる有嶋の姿に、希美は目を丸くした。
「…あっ、初めまして。今年から羽瀬高陸上部、跳躍ブロックのコーチしてます、有嶋です。
ご活躍は度々拝見してますよ、伍代さん。
うちの商品もご贔屓頂いているみたいで、ありがとうございます。」
有嶋が丁寧にそう挨拶すると、希美は目を輝かせながら小走りで有嶋の隣の空いてる席に座った。
「えっ!うそーっ!初めまして!
伍代 希美です!…いつもKIMURAさん関連にはお世話になってますーっ!
こんな所でお会いできるなんて…拝璃あいつ、私に何も言ってくれないので…。」
「…伍代先輩のお姉さんって、伍代さんと全然似てないね…。」
「…そう?そんな事もないよ?
あの人、今インカレで1番強い選手みたいよ。
伍代先輩のお家って、棒高跳び一家らしいから。」
希美の行動にドン引きしていた睦小路が、綺瀬の耳元でそう囁いたが、綺瀬はどうやら彼女の事を知っているようだ。
「…"可憐な女子最強ボウルター、東体の伍代"って、界隈じゃ割と有名人だよ。あの人。」
綺瀬は睦小路にそう言うと、羽瀬高陣営の最前に座る有嶋、桃木、弓ヶ屋と自分たちの間にいる、周藤と綿井に視線を送った。
2人とも、有嶋と必死に話をしている希美に視線が釘付けであった。
「…ほら、男子のお2人は既に夢中みたいよ。
男子って好きだよねぇ…ああいう活発で笑顔が素敵な美人さん。」
綺瀬の小言に、睦小路は苦笑いをする事しか出来なかった。
そんな羽瀬高陣営の様子を他所に、その中でたった1人視線を変えずにじっとフィールドを見つめていたのは、弓ヶ屋であった。
(…若越さん…。)
弓ヶ屋だけは不安そうに、ただただBブロックピットの若越の事を、じっと見つめていた…。
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Bブロックピットの助走路の若越は、前の選手が落としたバーの掛け直しを待ちながら、手元のポールのグリップ部分を見つめていた。
『…"赤"は情熱とか勇気、"青"は冷静とか誠実って意味があるみたい。
若越くんにピッタリなんじゃないかなって思うけど…どうかな?』
(…めちゃくちゃいいっす、桃さん。
この色合い、めちゃくちゃ好きです…。)
桃木の選んだテーピングの色を満足そうに眺める若越。
そのポールを持つ左手の手首には、黒と白のテーピングが巻かれていた。
(…負けられないんだ、俺は…どうしても。
全国大会…これで勝てば、漸く俺は自由になれる気がする…。
…これまで俺を縛りつけてきた過去の呪縛…"全中優勝者"…"中学記録保持者"…。
…俺はもう、高校生だぞ?
絶対、このインターハイ全国大会で結果を出して、過去のこと全部、塗り替えてやる…っ!)
若越は大きく息を吐きながら、目の前の4m80cmのバーを見上げた。
(…それに…全国で勝ったら、絶対桃さんに告白する…。
その為に…伍代先輩は…伍代先輩にだけは、勝たなきゃいけない…だからっ!)
視界の中にいる、Bブロックピットの審判員が白旗を振った。
(…これ跳ばなきゃ、そのスタートラインに立てねぇっ!!)
「行きまぁぁぁっす!!」
若越は大きな声でそう叫ぶと、力強く走り出した。
リズミカル且つスピードのある助走で、一気に助走路を駆け抜けていく。
Aブロックピットで既に軽装に着替えていた伍代は、一瞬で駆け抜けていく若越の姿に静かに笑みを浮かべた。
(…待ってたよ、若越。
…漸くあの時の約束、果たせそうだな。)
『俺が勝ったら、全国インターハイ決勝で羽瀬高背負って勝負する事を約束しろっ!』
『良いっすよ。…それじゃあ、来週の放課後。負けても泣きの試技は無しっすからね。』
伍代は、力強く地面を蹴り、5m付近の高さまで跳んでいく若越の跳躍を見ながら、出会った当初の出来事を鮮明に思い出していた。
(…ちょっと生意気な感じなの、あの時とちっとも変わらないけど…。
…まあ、あの粘り強さと執念の深さ、そして確実に這い上がってくる感じ…やっぱり若越 浮地郎そっくりだよな。
…俺の憧れる姿だよ、若越。)
若越の身体は、5mよりも高く上がっているように見えた。
4m80cmの高さのバーから30cm以上も高い位置を、若越の身体はするりと越えていった。
「…しゃあっ!」
若越は落下道中で既にガッツポーズをしていた。
マットに落下すると、大きな歓声と拍手が観客席から響き渡る。
(…ちっ…越えてきよるんか…しかも、あんな高さで…。
口だけやない実力…"若越"っちゅう名は、伊達やない言うことか……。)
Bブロックピットの助走路で、2本目の跳躍を待つ桐暮は、マットの上の若越の姿を鋭く睨みつけていた。
(…凄か…。やっぱ、生で見る若越の跳躍は違う…。
俺やエジには無か"何か"ば、確かに持っとる…。)
Bブロックの控えテントで見ていた千賀も、若越の跳躍に圧倒されていた。
Aブロックピットの控えテントでは、間も無く2本目を迎えようとしている森川も、足を止めて若越の跳躍を見届けた。
そして、近くにいた伍代に話しかける。
「…いやぁ、凄いねぇ若越くん。
あんな後輩いたら、伍代もビビっちゃうら?」
森川にそう言われた伍代は、嘲笑うように鼻で笑った。
「…まだまだ、あんなもんじゃないよ。
俺だってまだ全部知らない…あいつの底力は計り知れないよ…。」
そう語る伍代は、どこか自分の事のように誇らしげであった。
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その後、予選は無事に終了し、羽瀬高陣営は宿泊先のホテルへと戻ってきた。
男子棒高跳びは、伍代、森川、志木、大ヶ樹、万ヶ峯、霧島、桐暮、宙一、江國、千賀、青海、そして若越の計12名が、明日の決勝戦へと駒を進める事となった。
若越は部屋に荷物を置くと、ホテルのロビーにて飲み物を買う為に自販機に向かった。
4台程並ぶ自販機から飲み物を選んでいる時、ふと聞き覚えのある声が耳に届いた。
その会話は、若越が聞くべきではない会話にも思えたが、その声は嫌でも耳に入ってきてしまった。
「…お疲れ様、拝璃。どうしたの?急に話って…。」
桃木が伍代にそう言う声がする。
どうやら2人は、自販機の裏側にあるロビーの待合用の椅子にいるようだ。
「…ありがとう。悪いな急に呼び出して。
決勝に行く前に…どうしても"玻菜"に話しておきたい事があって... な。」
伍代が珍しく、桃木の事を"もも"ではなく"玻菜"と呼んだことに、若越は違和感を覚えた。
何か緊張しているのか、改まって深く息を吸っているのが嫌と言うほど伝わってくる。
まるで、伍代の背後でその身に手を当てているかのように、彼の心拍の早さを若越は感じ取っていた。
「…結論から入ると…俺、玻菜の事が好きなんだっ!
出会ってからずっと…今も。」
思わず若越の自販機を押す指が止まった。
それは、若越が想定していない事でもなかった。
伍代が桃木に気があるのではないか、それは巴月に相談していた時から少なからず可能性としては考えていた事であった。
しかし、その事実が確実となった今、改めてその現実が若越に深く突き刺さる。
「…俺の勝手な我儘かもしれないけど…玻菜に、ずっと側にいてほしい。」
伍代がそう言い切ると、静寂が辺りに広がった。
ロビーには少なからず他の宿泊客の姿もあったが、何故かその瞬間は静かになっている感じがした。
その静寂の中に、啜り泣く音が聞こえる。桃木であろう。
(…泣いてる…桃さんが…泣いてる…。)
若越は、自販機の前にしゃがみ込んで俯いた。
蛍光灯が壊れている自販機エリアは、不規則に光ったり暗くなったりしている。
自販機の明かりだけが、若越の姿を照らす光だった。
涙でボヤける目を擦りながら、漸く桃木は顔を上げ、赤くなった目で伍代を見上げた。
「…私ね…拝璃…。
…私も、拝璃の事ずっと好きだよ。
出会ってからずっと…今も…。」
その瞬間、伍代、桃木、若越だけでない。
全ての世界の時間が少しだけ止まったような気がした。
それは、ギアを掛け替える間の、ほんの少しの切り替えの間…のような…。
その止まった時間を、桃木の声が再び動かし始めた。
「…私…ずっと恋愛とか、誰かを好きになる事とか…そういうのよく分かんないって思ってた…。
…でもね…最近漸く気がついたの。
私は既に…"それ"を知っていたんだって…。
…私が好きなのは…拝璃、あなたなんだって。」
その後2人がどうなったのか、何をしてたのか、何を話していたのか。
そして、自分がどうやって今、ホテルの部屋のベランダまで来たのか。
若越に記憶はなかった。
ただ、何も言わずとも、同室の紀良が何か話しかけてくる事は無かった事だけは、ハッキリと覚えていた。
紀良はもう既に寝ているのか、部屋の電気も消えている。
若越はただ、月の明かりだけが照らすベランダで、夜風に身体を預けていた。
(…桃さんは…伍代先輩が好きだったんだ…。
…そして…伍代先輩も桃さんが好き…。
…両想いだったんだな…何で気が付かなかったんだろう…。
…俺はこれから…どうやって…何の為に…誰と戦ったらいいんだ…。)
若越の心の中で、1つの大きな柱が音を立てて崩れ落ちた。
そのぽっかり空いた隙間を通る夜風が、どこか涼しげで気持ちよく、どこか無性に気持ちが悪かった。




