第81話:Like Threading A Needle
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『…On Your Marks……Set…。』
パァァァァン!!!!
鳴り響く号砲。
それを合図に、競技場全体を揺らすような大歓声。
「…これが…全国の舞台…。」
圧倒的な実力。その景色をただただ目を丸くしながら、九藤はスタンドの観客席から見つめていた。
その隣で、同じような表情で二重橋も興奮しながら見ていた。
「…すげぇよなぁ…。かっこいいよなぁ…。」
その2人の様子に、隣に座っていた十橈氣は腕を組み浅く腰掛けながら苛立ちを隠せずにいた。
「…ちっ…うるせぇなぁお前ら…。
浮き足立ってんじゃねぇよ…。」
不機嫌な態度をあからさまに出す十橈氣に、前の席に座っていた橋本が振り返りながら注意した。
「…ちょっと、こんなところで喧嘩しないでよ?いろんな人いるんだから、恥ずかしいでしょ?」
真面目な橋本の対応は、十橈氣に更に油を注いだ。
「…あぁ?うるせぇなぁお前も。いい子ぶってんじゃねぇよ。」
十橈氣はそう言って、前の席の橋本の背もたれを蹴ろうと足を上げた。
しかし、その足をスッと手を出して紀良が静止した。
「…いい加減にしろ、十橈氣。別に、九藤も二重橋も悪い事はしてねぇ。
それに、2人はちゃんとこの場所で、大切な事を吸収しようとしている。
お前も、2人を見習ったらどうだ?」
十橈氣は、紀良に止められた事が更に気に食わなかったものの、流石に先輩に注意された事で大人しくはなった。
「…はぁ。…男子ってなんでこうも、いつまで経っても"ガキ"なんやろうな。なぁ?結綺ちゃん。」
一連の光景を見ながら、西澤はそう言って苦言を呈し、隣に座る畠ヶ井に同意を求めた。
「…え、ええ…。そうね…。」
畠ヶ井も返事に困りながら、苦笑いした。
わちゃわちゃと騒がしい1年生たちの様子を横目に、珍しく蘭奈は真剣な眼差しで競技場を見ていた。
その隣には、何やら少し元気のない巴月の姿もあった。
その2人の様子を、高津は不思議そうに後ろから眺めている。
「…ねね、光季。2人、なんかあった?」
十橈氣に注意し、少し不機嫌そうな紀良の耳元で、高津は囁きながらそう問いかけた。
その声に、紀良は急に機嫌を取り戻しながら、目の前の蘭奈と巴月の後ろ姿を見た。
「…さぁ?喧嘩でもしたんじゃない?」
「…でも、だとしたら隣にいるの違くない?」
高津も怪しげに、蘭奈と巴月の後ろ姿を見つめた。
「…まあ、まあなぁ…。とにかく、今は試合に集中しようぜ。
勝馬さん、伍代さん、若がもうすぐ来るからな…。」
紀良はそう言って、方向を試合に集中させた。
紀良の言う通り、間も無く3人の出番が訪れようとしていた…。
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サブグラウンドでのウォーミングアップを終え、いよいよ伍代と若越はグラウンドの棒高跳びピットに移動した。
第3コーナー内側に設置された、2つの棒高跳びピット。
昨年同様、2組に分かれて予選を行い、4m80cmの標準記録の突破或いは各組上位6位までが決勝へと進出する。
Aブロックには…。
「…初めまして。お会いできて光栄です。
僕は福岡国際高校の、万ヶ峯 エジルです。
宜しゅうお願いいたします。
今日、間近で跳躍ば見られるっち聞いて、
正直、ずっと楽しみにしとりました。」
早速、伍代に話しかけに行ったのは、万ヶ峯であった。
初の全国大会の舞台にも関わらず、早くも自身を売り込もうと、万ヶ峯は得意の人見知りしない性格を利用し、様々な選手と話をしていた。
「初めまして。福岡に強い子がいるって噂は聞いてたけど…まさかこんなイケメンくんだったなんてね…。こちらこそ、楽しみにしてるよ。」
伍代は万ヶ峯の美しいルックスを、つま先から頭頂部の端から端までしっかり見渡すと、関心しながらそう言った。
「…おーい、伍代久しぶりー!」
「…おぉっ!森川っ!」
万ヶ峯の挨拶に、間髪入れずに割り込んで伍代に声を掛けたのは、地元静岡県の東洋台北高校、森川であった。
森川が伍代に声を掛けたのを確認し、万ヶ峯は伍代の元をスッと離れて行った。
(…南関で5m20…。
成長力もカリスマ性も、ほんと底ん知れん…。
伍代さんも若越も、羽瀬高は化け物が"2人"もおるとか…正直、反則やろ…。
…誰がこの2人の足止めば出来るっちゃろか…。
全国の頂点までの道は、ばり茨道になりそうばい…。)
各々が全国の頂点を目指す中、計り知れないレベルの強者の集まりに、万ヶ峯は針穴に糸を通すかのような難しさを感じていた。
そんなAブロックには、
東京都 羽瀬高 伍代 拝璃
静岡県 東洋台北高 森川 雄晴
香川県 九皇院第一高 志木 聖
香川県 九皇院第一高 双葉川 麟
神奈川県 明伯高 大ヶ樹 輝
福岡県 福岡国際高 万ヶ峯 エジル
千葉県 日高高 霧島 零
以下数名の選手が集っていた。
一方、Bブロックには…。
「…揃いも揃うて…まーた俺ら九皇院第一に負けに来たんか。
どいつもこいつも、ほんま学習せんのぉ。
…最強は俺らや。
九皇院第一や言うとるやろがっ!」
我先にと、控えベンチを広々堂々と占拠しながら、桐暮は現れた宙一や江國、若越たちに向かって大声でそう挑発した。
「…てめぇ…。」
宙一が、挑発的な桐暮の態度に怒りを覚えた瞬間…。
「…うるさかですね。ここ、日本平動物園の猿山かと思いました。
ボス猿が、キーキー喚いとるごたる。
…まあ…その元気がいつまで続くとか、楽しみにしとりますけどね。」
千賀がそう言って、手に持っていたバックを勢いよくベンチへと投げ置いた。
そして、眉間に皺を寄せながら、勢いよく桐暮を睨みつけた。
「…おい、誰に向かって口聞いとんや…?」
桐暮が今にも立ち上がり、千賀に詰め寄ろうとした時…。
「…やっぱ凄いな、全国って。
中学の頃は、みんなこんなに元気じゃなかったからなぁ…。
それともあれか?俺たち南関勢にビビって、イキっちゃってんのかなぁ?
なぁ?江國。」
そう言って、丁寧にベンチへと荷物を置いた若越は、隣にいた江國に珍しくそのように話しかけた。
「…興味ないね。」
江國はいつも通り、冷静且つ淡白であった。
若越と江國の煽りと静かな圧が効いたのか、桐暮と千賀は大人しくなってしまった。
(…こいつ…若越 跳哉って奴か…っ!)
桐暮は、若越の姿を目を細めながら強く睨みつけた。
(…全中優勝経験者…中学記録保持者ってんな…やっぱ伊達やなかやな…。)
自分とは違い、淡々と桐暮を煽り静かにさせてしまった若越に、千賀は驚いて目を丸くした。
…そんなBブロックの選手は
香川県 九皇院第一高 桐暮 那津葉
東京都 継聖学院高 高薙 宙一
東京都 継聖学院高 江國 途識
福岡県 福岡国際高 千賀 光軌
東京都 羽瀬高 若越 跳哉
静岡県 東洋台北高 青海 弧玉
以下数名の選手が集っていた。
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トラックでは、男子100mの予選が始まろうとしていた。
予選は全9組。各組上位2名と、総合タイムで2着以降の上位6名が決勝へと進出。
決勝では、3組に分かれてタイムレースとなる。
その予選、第1組。
第7レーンのスタートラインに、村上が登場した。
(…やっとスタートラインまで来たんだ…。
…問題はここから…。この中を通り抜けなければ…光はない…。)
村上は、眩しさからか目を細めながら真っ直ぐゴールの先を見つめていた。
~
全国大会3日前。
都大附属のグラウンドは、いつも賑やかであった…。
「きゃーっ!!村上せんぱーい!!」
「誠耶くーん!!かっこいいーっ!!」
…最早、村上が少しでも何か動こうものなら、この有り様である。
校内外から絶大な人気を誇る村上には、日常的にギャラリーが付き纏っていた。
オフ日に街を歩けば、何人もの芸能事務所のスカウトに声を掛けられるなど、この男にとっては息をするのと同じである。
「…相変わらずうるせぇなぁ…どうだ?誠耶。調子の程は。」
村上と並走していた不動は、ゴール後の村上にそう声をかけた。
村上が芸能人のような扱いであれば、不動は専属マネージャーのようなものであった。
「…まぁ、今のままで簡単に勝てるなんて思ってないよ。
でも、全国で全開のパフォーマンスをするには、万全の出来ってところかな。」
不動の問いに、村上は汗の滴る前髪を勢いよく掻き上げながらそう答えた。
それだけで、ギャラリーのボルテージは向上している。
「…お前、陸上やってなくても困ることなく人生楽しめそうだよな…。
…てか、何で誠耶って陸上やり続けてんだ?
中学ぐらいからでも、十分芸能関係の誘いだってあっただろ?」
不動は少し呆れ顔でそう言った。
彼らの出会いは高校であった。埼玉県に実家のある不動は、都内の高校に進学することを決意し、それまでは埼玉県の中学校で陸上をやっていた。
その為、村上のことは風の噂程度でしか知らなかった。
その噂の男が同じ学校で同じ部活であることに、不動も最初は驚いていたが、今はもう慣れたものである。
「…芸能なんて、元々微塵も興味ないよ。めんどくさそうだし。
それよりもこうして、蒼や仲間のみんなと切磋琢磨練習して、試合で速い人たちに勝つ方が断然楽しいって思ったからね。…それに…。」
村上はそこまで言いかけると、グラウンドで他の部員のサポートをしている、マネージャーの賀喜原に視線を送った。
言葉半ばで視線を遠くに向けた村上に、釈然としない顔で不動が問いかける。
「…それに…?」
「…約束したからね、陽彩と。
僕は、『誰にも負けない、日本一のスプリンターになる。』…ってね。」
~
村上の視線が、観客席に向いた。
観客席では、両手をぐっと握りしめて笑顔で村上を見ている賀喜原の姿があった。
(…ノア…後少しだよ…。ノアの夢…私たちの夢は、もうすぐそこにあるんだからね…。)
『…On Your Marks…。』
運命の歯車が、その合図で回りだす。
まるで、全体を駆け巡ることで1本の糸から見事な服を作り出すかのように、村上の全身の血管を血液が駆け巡る。
並行して行われている、男子棒高跳び、女子砲丸投げ、男子三段跳びの競技の音だけが、静かに競技場に響き渡っていた。
(…陽彩…君にまだ隠していたことが、1つだけある…。
僕はそれにより、君に謝らなければならない。
…中学生の時、一度だけ君への気持ちが揺らいだことがあった。
"晴れ風の女神"のような、美しくて速い女の子に。
あの子は必ず強くなる。僕はそう思ってたよ。
…でもね、結局あの子もみんなと一緒だった。
僕に対して"憧れの目"が見えた時、僕は漸く気がついたよ。
結局、誰も陽彩のような子はいないんだって。
陽彩は、みんなとは違う。
君はいつも僕と、他のみんなと同じように接してくれるよね。
…僕に必要なのは、僕に憧れて僕を崇めてくれる人たちじゃない。
…蒼や陽彩のような、僕と横並びで一緒に走ってくれる人なんだ。)
覚悟が決まった村上は、スタートラインギリギリに置いた手に視線を送り、両肩に全体重をかけた。
『…Set…。』
所要時間は、僅か10秒程度。
真っ先にゴールラインを駆け抜けたのは、第4レーンの大阪の選手。
村上がゴールラインを越えた時、既にその前に第4レーンの選手を含む4人の選手がゴールラインを越えていた。
村上は失速し、ゴールラインから10m程貼られた場所で立ち止まると、両手を膝について大きく項垂れた。
(…まだダメだってことか…?僕には…あと何が足りないっていうんだ…。
…まだだ。…まだ終わりじゃない…。
必ず…必ず、次にこの舞台に立つ時は…証明する。
…僕が…僕が正しかったことを…証明してみせる…っ!)
男子100m予選、最終第9組。
『…On Your Marks…。』
第5レーン、水色の"羽瀬高"ユニフォーム。
七槻の登場だ。
(…全国がゴールじゃねぇ…。
全国で出す結果が…俺の歩んできたゴールなんだ…。)
七槻は頭を下げると、静かに目を閉じて音だけに全ての集中力を注いだ。
瞼の裏に見えてきたのは、中学時代の光景であった。
~
「…勝馬くん…巴月が、全然部活来なくて…。」
中学の都大会を終えて1ヶ月後の部活の時、七槻は同級生の女子部長にそう言われた。
家でも元気な姿を見せていない。
「…足…治ったんだよね?」
その都大会で、妹の巴月は大きく転倒し、捻挫した。
母親と共に病院に通う姿は何度も見ていた。
しかし、それも2週間前を最後に、終わっていたはずだった…。
それからというもの、学校ですれ違っても巴月は目も合わせてこなかった。
家では、帰宅するとすぐに部屋に籠もってしまい、同じ家にいるはずなのにその姿を殆ど見ていなかった。
「…なぁ、満。どう思う?」
痺れを切らし、七槻は親友の音木に妹のことを相談した。
「…どうって言われてもなぁ…。うち、妹いないし。
…まあでも、そっとしておいたら?
年頃の女の子なんだし、色々思い悩むこともあるんでしょ。
…男なら…兄貴なら、黙ってその背中で語ってやりゃいいんだよ。
その方が、ごちゃごちゃ口うるさい兄貴よりかっこいいだろ?」
音木には、3つ歳の離れた兄がいた。
七槻も音木の兄のことはよく知っていたが、兄のいる気持ちは長男の七槻には分からなかった。
音木の兄も大学受験を控えており、家では心ここにあらずだったのであろう。
「…なるほどな。ありがと、満。」
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(…巴月…俺がお前にしてきた事、間違ってなかったか…?
…俺は今でも、お前を羽瀬高に誘ってマネージャーになってもらったことが、本当にお前の為になってるのか分かんねぇ…。
…だから、全国でハッキリさせようじゃねぇか。
俺が巴月を羽瀬高に…陸上部マネージャーに誘った事…巴月がそれを受け入れた選択…。
その全てが間違ってなかったってことを…選んで後悔しなかったって…
俺が今全国で、ハッキリさせてやるよ…っ!!)
パァァァァン!!!!
(…いっぱい笑え…いっぱい悩め…いっぱい泣け…。
俺だって…そうやって全国まで来たんだからなぁ…っ!!!)
七槻は組2着でゴールした。
10秒58。ベストタイムではなかったが、七槻の顔に悔いはなかった。
(…次が最後の"決戦場"…。)
七槻は、青く大きく広がる空を飲み込むように、大きく深呼吸をした。
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一方、男子棒高跳び予選。
こちらは、予想外の事態が訪れており…。
(…嘘でしょ…?…4m80cm、1本目終了時点で…成功者伍代先輩だけ…!?)
観客席から見守る弓ヶ屋の顔が険しくなった…。
夏の暑さのせいではない汗が、弓ヶ屋の首筋にスーッと流れた…。




