第79話:Make up Mind
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全国大会を賭けた激戦も、終盤戦に突入した。
男子棒高跳びも佳境を迎える中、トラックでは男子100mの決勝が行われようとしていた。
(満と拝璃が全国決めたんだ…。
俺が決めないわけにはいかねぇ…っ!)
スタートラインの後ろで静かに号砲を待つ七槻には、まるで某有名ファンタジーバトル漫画
の主人公を彷彿とさせるような、激しく黄色のオーラが纏われているように見えた。
今にも髪が逆立ち、黄金色に輝き出しそうな迫力がある。
そして、またもその隣のレーンにいたのは、都大付属の村上であった。
準決勝の屈辱からか、チラチラと横目で七槻を睨んでいる。
(…準決で手を抜いたつもりはなかったけど…何なんだよこの人…。
実力ってよりも…オーラで圧倒される…。
…でももう、負けるわけにはいかねぇ…っ!)
『…On Your Marks…。』
静寂に包まれる競技場で、8人の決勝出場者の闘志だけが、激しくぶつかり合っていた。
『…Set…。』
パァァァァン!!!!
ガシャァァァン!!!!
スタートの号砲と同時に、8人がブロックを蹴り出した音が、競技場全体を一気に騒がしくさせる合図となった。
僅か10秒…それは、高校生たちの運命を決めるのには短くも長い瞬間である。
集団はほぼ一直線。
しかし、50mを越えた辺りで、4人の選手がその均衡を破った。
(…俺は負けねぇ…負けられねぇんだぁぁぁぁぁぁっ!!)
七槻はギアを一段階上げ、更なる加速に移った。
それでも、彼の体勢は崩れない。
それが、彼が積み上げてきた物の"強さ"であった。
(…置いて行かれて…たまるかぁぁぁぁぁっ!!)
今度は、村上も必死に食らいついていた。
加速していく七槻を横目に、村上もその長身を活かしたダイナミックな走りをみせている。
初夏の昼下がりの、少し生暖かい風。
それに負けない、青春の覚悟を決めた高校生たちの走りの風が、競技場に勢いよく吹き荒れた…。
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男子棒高跳びは、バーの高さが5m10cmに上がった。
5m05cmという選択肢もあったにも関わらず、残る伍代、若越、江國の総意で5m10cmとなった。
…江國はともかく、伍代と若越はここで勝負を決めようとしていた。
早々に出発した江國も、流石に1回目での成功とはならなかった。
何度も首をかしげながら、彼は脳内で次の成功イメージを掻き立てていた。
続いて、助走路に立つ若越の表情は険しかった。
"5m"という大きな壁を越えた喜びに浸っている暇は、まだなかった。
"伍代 拝璃"という、もう1つ越えなければいけない壁がまだ彼の目の前にいる。
僅かな追い風が、優しく若越の背中に感じられた。
(…追い風。勝負を決めよう…。)
若越の視界の片隅に、江國と伍代の姿が見える…。
若越は大きく息を吸うと、意を決して目を大きく見開いた。
「…行きまぁぁぁっす!!」
しかし、そう簡単に次々と壁を越えられはしなかった。
高く浮いた若越の身体は、あと5cmバーに届かなかった。
歓喜の空気も束の間、落胆の声が響き渡る…。
その会場の空気も、この男には無害のように見えた。
助走路に現れた伍代に、緊張の様子はまるでない。
(…下手したら…若越は食らいついて来るかもな…。
…だとすると…。)
伍代はそのようなことを脳内で考えながら、ポールの先を持ち上げた。
「…行きまぁぁぁすっ!!」
どこまで来ても、伍代のスタンスは微塵も変わらなかった。
軽々しくも、確実にスピードの乗った助走。
その勢いを真っ向から乗せた、力強い踏み切り。
誰もが見惚れてしまうような完璧な跳躍の動き。
しかし、空中で僅かに伍代の身体がバーに触れた。
バーの落下に、審判員の赤旗。
伍代は自らの失敗を認識すると、清々しい笑顔と大きな声で宣言した。
「…うん、よし。すみませーん!2本目以降パスで!
次、5m20でいきまーす!!」
その常軌を逸した選択に、若越は酷く動揺した。
(…はぁ?…何言ってんだあの人…。遂に気でも狂ったのか…?)
伍代の作戦に、まんまと引っかかってしまった若越。
伍代は、僅かな自らの可能性に賭け、自分に食らいついてくる2人の精鋭を一気に引き剥がす"背水の陣"を敷いた。
(…まぁ、江國は分からないけど、若越は確実に動揺するはずだ…。
まぁ後は…可能性に賭けるに全振りってところかなぁ…。)
伍代の表情は余裕そのものであった。
その選択が"吉"となるか"凶"となるか、全ては5m20cmに挑む自らに託された…。
伍代の作戦が功を奏したのか、江國と若越が5m10cmを越えることはなかった。
試技差により、現状伍代と江國が両立1位。若越の3位が決定していた…。
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男子棒高跳びによる、若越の5m成功。男子200mの音木の4位入賞。
…そして…。
トラック競技の合間、競技場では男子100m決勝の表彰式が行われていた。
『…第3位、七槻 勝馬くん。羽瀬、東京。
記録、10秒35。おめでとうございます。』
そのアナウンスが終わると、"3"の表彰台に乗った七槻に表彰状とメダルが授与された。
『第4位、村上 ノア 誠耶くん。都大附属、東京。
記録、10秒42。おめでとうございます。』
続いて、"4"の表彰台に乗った村上に表彰状が授与された。
その村上の表情は、非常に険しかった。
その様子を、観客席から巴月と蘭奈も見守っていた。
巴月は、兄の功績に涙しながら拍手をしていた。
「…逃げるつもりなんて、全く無かった。」
その巴月の隣で、蘭奈は俯きながらそう呟いた。
「…えっ…。」
拍手をする巴月の手が止まった。
「…悔しい。めちゃくちゃ悔しいんだよ。
…あんなところで怪我して…自分の弱さで前に進めなかったのが。
…でも、今の方がもっと悔しい。何であそこにいるのが、俺じゃないのかって…。
…だから、もう充分分かった。屈辱は、これでお終いだ。
次にあそこにいるのは俺だ。…もう2つ上…そこに俺は立つ。
…村上には立たせねぇ…。俺が、俺の足であそこに立ってやる…っ!」
蘭奈は力強くそう言うと、膝の上で強く拳を握りしめていた。
その左手に、巴月がそっと両手を重ねた。
驚いて蘭奈が巴月の顔を見ると、巴月は泣きながら首を横に降った。
「…ううん。そうじゃない、そうじゃないの。
陸は…陸はそんな気持ちにならないで…。
…もっと…もっと今までみたいに我武者羅に、"頂点"だけに手を伸ばす陸でいて…。」
蘭奈の拳に重ねた巴月の手に、雫が零れ落ちた。それは、巴月のものではない。
「…ごめん…そうだよな…。ありがとう、巴月…。」
100mの表彰式が終わったと同時に、競技場をもの凄い歓声が包みこんだ。
観客の誰もが、たった今表彰されていた100mの8名の選手が、競技場にいる選手、補助員、審判員の全てが、一斉に棒高跳びピットに視線を送った。
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追い風の音、競技場のアナウンス、100m決勝出場者に送られる拍手。
全てが心地よいバックグラウンドミュージックとして、助走路の伍代の耳に入り込んでいる。
(…ここが終わりじゃない。"忘れ物"を、取り返しにいかなくちゃ。)
目の前には、5m20cmの高さにあるバー。
伍代は勢いよく、自らの頭上で強く手を叩いた。
観客に、手拍子を煽ったのだ。
BPM55のリズム。
その音が、徐々に一体化していく。
(…今だっ!!!!)
「行きまぁぁぁすっ!!!」
ポールの先を持ち上げ、伍代は観客の手拍子に負けないくらいの大声でそう宣言した。
助走の出だしはBPM55のリズム。
そこから徐々にそのスピードを上げていくと、手拍子のリズムも早くなっていく。
手拍子のリズムが最高速となり、ごちゃごちゃになった時。
伍代は勢いよく地面を蹴り、その身を宙に投げ出した。
一瞬の行きを呑む静寂から、競技場全体を巻き込んだ大歓声に変わるまで、ほんの一瞬しか掛からなかった。
滑らかに、静かに、且つダイナミックにバーの上に上がった伍代の身体は、誰にも何にも邪魔されることなく、マットの上へと落下していった。
競技場を包むもの凄い歓声、審判員の白旗、快晴と強く吹く風。
その全てをその身に受けながらマットの上に立つ伍代は、ただ笑顔で右拳を突き上げた。
勝利、チャンス、リベンジ、そして大きな自信。
伍代はその全てを感じながら、大きく広がる青い空を見上げ、その目に焼き付けた…。
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南関東大会を終え、全国大会を目前に控えた最後のオフ日。
若越は、数駅離れた都心部にある大型ショッピングモールに、桃木を連れて訪れていた。
「…全国で使うポールに、新しいテーピング巻こうと思うんですが、桃さん何色がいいと思いますか?」
棚に数多く陳列された、色とりどりのテーピングを眺めながら、隣に立つ桃木に若越はそう問いかけた。
普段の制服姿やジャージ姿とは一変し、年頃の女の子が好みそうなひらひらと裾の舞う白のワンピース姿の桃木に、若越は少し見惚れていた。
「あれ?いつもの白と黒のテーピングじゃなくていいの?」
桃木が真っ直ぐな表情で若越にそう問いかけた。
直近の練習でも、更に上のポールを試用していた若越は、いつも白と黒のテーピングを使っている。
それが、まだ開けて間もない物だった事を桃木も覚えていた。
「…全国は、ちゃんと気合い入れた装備で挑みたいので。
桃さんに…選んで欲しいんです。」
そう言う若越の頬は、少し赤くなっていた。
その様子を、不思議そうに見つめる桃木は、まだ少し納得していない様子であった。
「…これが、最初で最後の大舞台になるので。
みんなと…桃さんと戦える、最後の…。」
ボソボソと、聞き取りづらい声で呟く若越の言葉を最後まで聞く前に、桃木はサッと2つのテーピングを手に取った。
赤と青の、2色のテーピングを。
「…SNSで見たの。
"赤"は情熱とか勇気、"青"は冷静とか誠実って意味があるみたい。
若越くんにピッタリなんじゃないかなって思うけど…どうかな?」
桃木が不安そうに若越の顔を見つめた。
若越は、迷う事なく桃木が持つ2つのテーピングを受け取ると、そのままレジに向かった。
「…ありがとうございます。
これなら、勝てる気がします…。…に。」
最後の言葉は、桃木に聞こえるか聞こえないかの小さな声であった。
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会計を済ますと、2人はチェーンのファミレスに訪れた。
少し遅めの昼食を済ませると、何気ない午後のひと時を共に過ごしていた。
「…桃さんは、これからの進路、どう考えてるんですか?」
2人の束の間の沈黙を破るように、若越は桃木にそう問いかけた。
両手でグラスを持ちながら、桃木はそのグラスを見つめながら、深く考えていた。
「…そうねぇ。2年前の自分なら、きっと悩んでたと思うけど…。
…今はね、やりたい事があるの。」
桃木はそう言うと、グラスをテーブルに置いて、窓の外の景色を見た。
「拝璃とか、若越くんたちの活躍を見てるとね、少し羨ましくなるんだ。
目標に向かって真っ直ぐで、負けたくない相手とか、叶えたい目標に全力で挑んでる姿って、かっこいいなぁって。
…だから、私はこれからも…そんな人たちの側で力になりたいなぁって思ってる。」
初めて語る桃木自身の心中を、若越はただ黙って聞いている事しかできなかった。
「…まだまだ、私は知らない事とかできない事がいっぱいあるなぁって、いつも思わされてるの。
有嶋コーチのアドバイスとか聞いてると、やっぱり経験者って違うなぁって。
でも、私がこれからもっと、知れる事もできる事もいっぱいある気がするの。
…だからね、そういう事をたくさん学んで、アスリートの力になれる仕事がしたいなぁって、最近思うようになったの。
…変…じゃないかな?」
少し恥ずかしそうにそう問いかける桃木の顔は、今まで見た事がなかった。
その表情に、若越の鼓動がみるみる早くなっていく。
「…めちゃくちゃ素敵だと思います。
どんな夢や目標でも、意味や意思があれば変なんてことはありません。
…そんなこと言ったら、『誰よりも、高い空を跳ぶ。』なんて言ってる僕の方が、余程変ですよ。」
若越は少し空気を和ませようと、冗談めいた事も言ってみた。
しかし、自分を全肯定してくれる若越を、桃木はじっと見つめて言った。
「…『誰よりも、高い空を跳ぶ。』…。若越くんのその目標、あと少しで叶いそうじゃない?」
「…いや、まだまだ全然です。僕の前には、まだたくさんの大きな壁があります。
…ただ、その大きな壁を一気に崩すチャンスを掴む事ができました。」
桃木の問いに若越は否定しながらそう答えると、意を決して真っ直ぐ桃木を見た。
「…全国大会、『誰よりも、高い空を跳ぶ。』って目標狙って、優勝を…いや、伍代先輩に勝ちます。」
若越のその表情に曇りはなかった。
桃木は向かい風のような強い勢いを感じ、ただただ目を丸くしていた。
(…楽しみにしてるよ。やっとここまで来れたもんね。)
桃木は、大きな期待を胸に膨らませながら、優しく若越に微笑んだ。




