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High-/-Quality  作者: hime
【第3章:決戦場】
74/86

第73話:Signs of Evolution

_



(…陸…嘘でしょ…?)



巴月は、紀良と新入生マネージャーの平咲と共に、レースを終えた蘭奈の元へと走っていた。


男子100m予選、第4組目のレース。

羽瀬高の蘭奈、都大附属の村上の一騎打ちは、僅かな差で村上に軍配が上がった。


そのゴール時、突発的な力を加えた事で体勢を崩した蘭奈は、ゴールに流れ込む形で大転倒した。


その後、蘭奈は自力でトラックを後にしたものの、その様子が気になった巴月は、後に控えていた兄、勝馬のレースの事も忘れて一目散に動き出していた。



3人が競技場の入り口に辿り着くと、そこには談笑しながら競技場から出てくる七槻と蘭奈の姿があった。


「…いやぁまじ、あの村上ってやつ、本当イケスカねぇっすわ…。あっ、巴月っ!光季っ!」


皆の心配を他所に、陸は七槻に村上への文句を垂れると、巴月たちの姿に気がついたのか、笑顔で手を振りながらそう呼びかけていた。


蘭奈の姿を見つけるや否や、巴月は黙ったまま珍しく険しい表情をしながら、蘭奈の足元にしゃがみ込んだ。

そして、蘭奈の左足の裾を無理矢理捲りあげる。


競技場のタータンに擦り付けた事で、蘭奈の左足首は、軽い擦り傷を負っていた。


「…だ、大丈夫だ巴月。これくらいどうって事…。」


蘭奈がそう言いかけた時、巴月は徐に蘭奈の左足首を強く指で押してみせた。


「…ってぇ…っ!」


巴月の衝撃の行動に、紀良や七槻はその様子を見てるしかなかったが、痛がる蘭奈の様子に2人の顔色が変わった。


「…おい、巴月…まさか…?」


七槻は、巴月の隣にしゃがみ込んで蘭奈の足の状態を確認すると、巴月の顔を見ながらそう問いかけた。


「…まあ、大きな影響はないかもしれないけど…軽く捻ってる可能性、あるかも。」


巴月はそう呟くと、平咲に声を掛け、協力して蘭奈の左足首の冷却と固定を行った。

初めのうちは「大丈夫だって、何ともねぇよ。」と言っていた蘭奈であったが、巴月が処置を始めた途端、「いってぇぇぇっ!!」と叫び始めていた。


一通りの処置が終わると、蘭奈は七槻と紀良に抱えられながら、一先ず羽瀬高の待機ベンチへと戻っていった。

その3人の後ろを着いて行く巴月に、平咲が話しかけた。



「…凄いですね…巴月先輩。

私にはただ、蘭奈先輩がゴール寸前で足がもつれて転んだようにしか見えてなかったです…。

…捻挫してるかもって、分かってたんですか?」


平咲がそう問いかけながら巴月の顔を見ると、彼女は眉間に皺を寄せながら、不安そうな表情で蘭奈の背中を見ていた。


「…いや?分かってたわけじゃないの。

ただ…私も同じような感じに、なった事あったから。

もしかして…って思ったら、案の定ね。

…準決勝までに、良くなるといいけど…。」


そう言うように、巴月は自らの過去の怪我と重なる姿の蘭奈に、妙な違和感を覚えていた。

それ故にいち早く、適切な処置を行えたのだが…

巴月は再び、複雑な心境へと陥っていた。




_



そんな出来事の裏で、男子棒高跳びは佳境を迎えていた。

バーの高さは5m。

これに挑むのは、羽瀬高から伍代、若越。継聖学院から江國の3名であった。


ここまでの記録は、4m95cm時点にて伍代、若越が同率1位。

同高さを3本目に成功させている江國が3位となっている。



5mの1本目。

第1跳躍者は江國であった。



江國の次に試技を迎える若越であったが、ユニフォーム姿のまま観客席の近くへ向かうと、そこにいた桃木へと声をかけた。


「…桃さん!次、ポール上げるつもりなので、踏切と流れの感じ、見ててもらってもいいですか?」


真剣な表情で確認事項を伝えた若越に対し、桃木はいつも通りの笑顔でグッドサインを出した。


「分かった。…若越くん、焦らなくていいからね!

江國くんとか拝璃の事、気にしないでリラックスしていけば、若越くんなら越えられるよっ!」


そう言う桃木の言葉は、若越の耳だけでなく心にもしっかり届いていた。


「…任せてください。5m、越えてみせます。

それに…伍代先輩にも、勝ってみせます。」


若越はそう言うと、フィールド内へと戻って行った。

その後ろ姿を見ながら、桃木は祈るように両手を胸の前で固く結ぶ。


(…若越くん…1年経って随分逞しくなったというか…。)


そう思った時、ふと桃木の脳内に以前交わされた睦小路と弓ヶ屋との会話が浮かんできた。



『…ぶっちゃけ桃木先輩はあの2人、どっちが好きなんですか?』



(…ごめんね、睦小路ちゃん。あの時、ちょっと嘘ついちゃった。

…私が…好きなのは…。)





桃木との会話を終え、フィールドへと戻って行く若越の姿を、少し上から見ていた弓ヶ屋、睦小路、綺瀬、綿井、周藤。


「…来たね…5m。」


睦小路は少し前に身を乗り出すように、興味深そうに呟いた。

その睦小路の後ろに座って見ていた周藤は、何やらスマートフォンを素早く操作すると、目を丸くしながら皆に言った。


「…まじかよ…。

今大体の場所が、それぞれの都道府県大会をやってるところなんだけど…。

地区予選時点での、高校生男子棒高跳びの今季全国ランク、1位タイで5mの伍代先輩。3位が4m95cmの若越先輩って…。

とんでもない先輩たちを見てるんだ…俺たち…。」


周藤が告げた記録に、綺瀬や綿井は感心していた。

しかし、弓ヶ屋は不安そうな顔になっていた…。


(…えっ…若越さんって…そんな凄い人なの…?

なんか…こんな私なんかが…。)


弓ヶ屋にとって、聞き馴染みのなかった全国ランクの数字や記録に、彼女は突如一気に現実味を感じていた。

それと同時に、"部活動の先輩後輩"、"好きな人"という立ち位置であった若越が、急に遠い存在の人のように感じられ、大きな不安感に襲われていた。


(…若越さん…私、若越さんがこんな凄い人なんて知らなかった…。

…でも、私…先輩の事…憧れててもいいですか…?

先輩の事…好きでいてもいいですか…?)




5mの1本目。

江國はバーを落とし、2本目を迎える事となった。


そして、次の跳躍者は…。



『…若越くん、焦らなくていいからね!』

『若越くんなら越えられるよっ!』



(…桃さんがそう言うなら…跳べる気がします。)


助走路に立ち、5mという今すぐ掴み取りたい目標を目の前にした若越は、脳内で何度も桃木から貰った言葉を繰り返していた。


桃木からの期待に、若越の心音はいつもより早いペースを刻んでいたが、本人にとって今程が1番気持ちよく感じられていた。

その心音のペースに合わせて、若越の全身に血が廻る。目つきが険しくなり、鼓膜に入る音が小さくなっていく。

呼吸は僅かに早くなるものの、全身に余計な力は一切入っていなかった。


背後から、強い追い風を感じる。



「…行きまっすっ!!!」



「「「はぁぁぁぁい!」」」



迷いは捨て、若越は力強く走り出した。

いつものペースでいいリズムを刻みながら、速い助走で駆け抜けて行く。


ポールを勢いよく突き出し、左足で地面を思いっきり蹴ると、そのまま流れに合わせて若越は両足を大きく振り上げた。


ポールの曲がり具合が、直前の跳躍に比べて劣っているようにも見えたが、ポールの反発力と体の上がり方は僅かに向上していた。


ポールから放たれた若越の体は、5mのバーの上を越えていくが、僅かに腹部がバーと接触した。

それが決定打となり、バーは縦に揺れ動くと、若越の体が落下するのと並行して、マットに向かって落下して行った。



溜息と悲鳴が混ざったような落胆の声が、若越を取り巻く。



(…アレを…試してみるか…。)



_



都大会から2週間程前。



バフッ!!!



跳躍練習を行っていた若越は、ポールを扱いきれずに勢いよくマットへと投げ出された。

マットの上で大の字で寝転がる若越は、目の前に広がる青空を眺めながら、どこか不満そうな顔をしている。



(…行けるはずなんだけどなぁ…まだどこかで、躊躇してる感覚は否めない…。)



若越は心の中でそう呟くと、隣に転がるポールを見つめた。

それは、これまで若越が使ってきたポールより、更に反発力の強いポール。

中学時代ですら使った事のないポールであったが、若越は"5m"という大きな壁を目の前に、"新しい武器"を使いこなせるようになる道を選んだ。



気を取り直し、そのポールを手に取ってマットを降りた若越は、踏み切り足の位置を確認した。


「…今のは…10cmくらい遠かったです。

わっ、私…全然素人なのに、先輩にこんな事言うの変かもしれませんが…踏み切り前の3歩くらいで、助走が少しだけ失速してる感じが、見ててしました…。」


若越に恐る恐るそう告げたのは、新人マネージャーの弓ヶ屋であった。

全くの素人ではあったが、少しずつ練習の様子を見ているうちに、彼女にも何かが見えるようになっていた。


弓ヶ屋のアドバイスに、若越は納得するものの、自分の力不足さを実感し落胆した。


「…なるほどなぁ…。踏み切り直前でビビってる感覚は、確かにある…。ありがとな、弓ヶ屋さん。」


若越はそう言うと、早くも再び助走開始位置へと向かって行った。



(…わ、私ったら…先輩になんて偉そうな事を…。

でっ…でも…先輩に…名前、呼んでもらえた…。)


一方の弓ヶ屋は、僅かに頬を赤くしながら1人で盛り上がっている様子であった…。



_



(…踏み切りまでの最後の追い込み…ここで失速さえしなければ…。)



若越は、練習でのイメージを思い返しながら、静かにポールをケースへと片付けると、その中から新たに、練習で使用していた"新しいポール"を取り出した。



その時



観客が、何故か一斉に手拍子を始めた。

ハッとした若越が助走路へと視線を送ると、そこでは伍代が、頭の上で大きく手を叩きながら、観客へと手拍子を煽っていた。


観客の手拍子が大きくなると、伍代は意を決してポールの先を高く持ち上げる。



「行きまぁぁぁっす!」



伍代の足が地面に着くリズムに合わせて、観客は手拍子をする。

周囲の空気が、完全に伍代にとっての追い風となっていた。


伍代はいつも通りの速い助走を駆け抜けて、ポールの先を素早くボックスに突き刺すと、左足で強く地面を蹴って"5m"のバーへと跳んでいった。



(…悔しいけど…"圧倒的"…なんだよな…。)



若越の目に映る伍代の姿は、大勢の観客から注目を浴び、大きな声援を受け、視線を釘付けにする"アイドル"のようであった。

それ故に、届きそうで届かない伍代との差。


そんな若越の思いなど知るか知らぬか、伍代はそのまま華麗に5mのバーの上を、最も簡単に越えてみせた。



上がる白旗、一歩先を行く伍代。

劣等感を受けざるを得ない若越であったが、今回は少しだけ違っていた。



(…まだだ。…まだ俺には…"可能性(チャンス)"があるっ!)



その右手に握られた、新たなポールは…。



_




一方、予選を終えて準決勝へと駒を進めた蘭奈であったが、その足には僅かな痛手を負っていた。


同じく準決勝へと駒を進めた七槻は、既に準決勝に向けたウォーミングアップに向かっていた。

蘭奈は、まだ少し痛む足の処置の為に、控えベンチに取り残されたままである。


「…チッ…クソッ…こんな怪我…。」


蘭奈は、少し険しい顔をしながらその痛みに耐えていた。

その彼の足に、巴月が慣れた手つきでテーピングを施してくれている。


「…そんなこと言わないの。本当は準決勝も棄権して、安静にして欲しいところだけど…。」


巴月がそう言いかけると、普段とは少し違った落ち着いた低い声で、蘭奈は言った。


「…なんで止めねぇの?…別に、止めて欲しい訳じゃないけど…なんで、ここまでしてくれるんだ?」


蘭奈のその問いかけに、巴月の手が少し止まった。

巴月は少し考えた後、再び手を動かしながら、続けた。


「…ノアくっ…村上くんに…勝って欲しいから。」


蘭奈にとって、想像もしてなかったその言葉に、彼は思わず目を丸くして「えっ…。」と声を漏らした。

蘭奈は、巴月の過去の出来事の詳細を知らなかった。

それ故に、巴月が何故そう言うのかの理由が、全く思いついていなかった。


「…何か、理由があるのか?」


蘭奈は落ち着いてそう問いかけた。

しかし巴月は、首を横に振りながら、最後の仕上げを施していた。


「…今は言えない…。強いて言うとするなら…私も"負けた"事があるの…。彼に…。」


そう答える巴月の声も、次第に日頃の活発さを失っていた。

そうこうしているうちに、蘭奈の足はテーピングで補強された。

蘭奈は巴月に礼を言うと、ゆっくりと立ち上がり、ウォーミングアップへと向かおうとした。


「…巴月が言いたくないなら、深く聞くつもりはない。

…でも、巴月が望むなら…俺はアイツに、絶対勝ってみせる。」


蘭奈はそう言い残すと、ゆっくりと歩きながらサブトラックのウォーミングアップエリアへと行ってしまった。


その後ろ姿を、巴月は心配そうに見守っていた。



(…陸…ごめんね。陸に押し付けるつもりはなかったの…。

…でも、悔しいから…ノアくんに勝ってね。

"あの頃"の、私の分も…。)





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