第66話:Starting Line
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5月に入ると、少し暑く感じる程に気温が上がった。
吹き流れる風が、微かに心地よく感じる。
ー世田谷陸上競技場。
今年もここで、インターハイ陸上競技の東京都第4支部予選が開催される。
「っしゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!
目指す先は"全国優勝ぉぉぉぉぉぉ"、ただひとぉぉぉぉぉぉぉっつ!!!!」
…朝一から相変わらずの大声で、蘭奈は今回もいつも通りに張り切っていた。
「…ほら、うるさいって陸。1年生とか他校の人が引いてるでしょ?」
3回目ともなると、若越や紀良は蘭奈の事を少し放置するようになっていた。
それにより、冷静に注意する役目は巴月が担っている。
「…蘭奈先輩…かっけぇっす…っ!」
まるで神でも現れたかのように、両手を胸の前でガッチリ握りしめて、二重橋は蘭奈の事を拝みながら、目を輝かせてそう言った。
(…なんでこうも、うるさい人ばっかり…。)
その様子を、十橈氣は1年生ながら呆れながら見ていると、そこに3年生が現れた。
「…相変わらずうるっせぇなぁ?お前は。
…んで?今年はちゃんといけんだろうな?」
七槻は迷惑そうに耳を掻きながらそう言って、眉間に皺を寄せながら、蘭奈に鋭い視線を向けた。
「…当ったり前っすよ。勝馬さんをも喰らうつもりですからね?今年は。」
鬼のような形相の七槻に対し、全く怖気付く様子を見せない蘭奈は、寧ろ笑みを浮かべながらそう宣言した。
「…まあ、遠慮はすんな。2年生のお前らは、今年が1番チャンスの年かもしれないからな。」
引けを取らない蘭奈の態度に圧倒されながらも、七槻はそう言った。
その言葉に、紀良が続く。
「…チャンス…?どういう意味ですか?」
「…俺たちは今回がラストチャンス。泣いても笑っても終わりだからな。
偉大な先輩のお言葉を拝借するなら…
『2年の今年は"挑戦"の舞台。去年成し得なかった事を思い出して、それを今年は記録にする場所』って事だ。
俺たち3年は、"悔いのないように全身全霊で挑む。"…それだけだ。」
紀良の疑問に対して、音木はそう答えた。
七槻や伍代、丑枝は音木の言葉に、皆静かに頷いた。
そんな音木の言葉に付け足すように、共に現れた桃木が、1年生に向けて話し始めた。
「1年生は、先輩の競技を見たり、周りの選手たちを見て、今後の目標をイメージする事。
追いかける背中、目指す先を見つける事。
そして何より、先輩の背中から目離さない事。
先輩たちが必ず、"羽瀬高の意地"を見せてくれるはずだから。」
桃木はそう言うと、2、3年生の面々を見渡してウインクをした。
皆黙って頷いたり、「任せろ!」と言ってそれに応える。
羽瀬高陸上部の全員が集合すると、その場で円陣の形をとった。
そしてそこで、渡樫監督と有嶋コーチからの激励を受け取った。
最後に、部長である七槻が改めて皆に話し始めた。
「…拝璃、満、彩芽。
分かってると思うが、泣いても笑ってもこれが最後の大一番だ。悔いは残さず記録を残せ。
…若越、蘭奈、紀良、高津。
俺たちの事は気にするな。自分自身と向き合って、新人戦よりもいい記録出してこい。
行けるところまで、一緒に上、行こうぜ。
そして、桃木、巴月。
最後まで世話になるが、これまで貰ったサポート以上に返せる結果を、俺たちは掴み取ってみせる。
応援頼んだぜ。」
七槻は2、3年生1人1人の目を見ながら、その思いを伝えた。
そして、その視線を今度は1年生に向けた。
「1年。さっき桃木が言ってた通り、今日は俺たちを応援するだけじゃねぇ。
半年後、1年後の自分の目標を必ず見つけるんだ。
俺たち先輩の姿でもいいし、他の学校にも素晴らしい選手が山程いる。
今後は、お前たちもその1部となって戦う事を忘れずに、何か小さな1つでもいい。学ぶ時間にする事。
…まあ、それでも俺たちはお前らが思ってる以上に活躍してみせる。何てったって、"羽瀬高の意地"背負ってるからな。」
3年生たちは七槻の言葉を胸に刻み、
2年生たちは覚悟の目をした。
1年生たちは、まだ何処か全てを理解できている様子では無かったが、それでも七槻の本気の思いをしっかりと受け取った。
そして、七槻が大きく息を吸う。
「…っし、行くぞぉぉぉぉぉぉっ!
羽瀬高ぉぉぉぉぉぉ!!!」
「「「「おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」」」」
七槻の叫びに応えるように、全員が声を出した。
1年生たちは突然の出来事に、何とか共に声を出した為僅かにバラつきが生まれた。
しかし、その圧迫感は周囲にしっかりと届いていた。
周辺の他校選手たちの鋭い目線が、一瞬にして羽瀬高の面々に集中する。
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殆ど同じ頃、男子棒高跳び決勝と男子100m予選が競技場にて開催された。
スタートラインに仁王立ちする蘭奈。
助走路で、ポールに手を掛けて風を待つ若越。
2組後ろで、後輩の背中を見つめる七槻。
控えテントから、期待と祈りの眼差しを向ける伍代。
ホームストレート側のスタンド席では、巴月と1年生たちが固唾を飲んでトラックを見つめている。
第3コーナー側の観客席では、桃木、弓ヶ屋、睦小路、綺瀬が棒高跳びの競技を見守っている。
交錯する想い、闘志、風。
先に静寂にメスを入れたのは、乾いたピストルの爆発音であった。
スターティングブロックを力強く蹴る8つの音。
その音から真っ先に距離を取ったのは、蘭奈であった。
「…蘭奈先輩ぃぃ!ファイトぉぉぉぉ!!」
「いっけぇぇ!!陸ぅぅぅ!!」
仲間たちの歓声に包まれながら、蘭奈は100mの距離を駆け抜ける。
懸命に両腕を振り、足を素早く切り替えながら地面を蹴る。
しかし、その姿勢は崩す事なく、真っ直ぐにゴールの先を見据えていた。
100mのレースがスタートすると、僅かながら風が乱れ吹いた。
棒高跳びピットに据えられた吹き流しが、勢いよく若越に追い風を知らせる。
若越の目の前に聳え立つのは、4m85cmのバー。
「…行きますっ!」
背中に風を感じながら、若越はその歩を踏み出した。
それは何処か、仲間が作り出したような。仲間の、決して目に見えて分かる訳ではない無意識のエールのような、そんな風に背中を押されて。
駆け出す助走は1歩1歩確実に、その地を捉えてスピードアップしていく。
その加速が、身体に纏わり着いて動きを鈍らせていた過去の出来事を、少しずつ剥がしているかのように。
(…悔しい思いは散々味わった…もう、後悔は残さないっ!)
16歩目にして、若越は力強く地面を蹴り抜いた。
突き出すポールに振り払われないように、両手はがっちりとポールを握りしめている。
(…勝つんだっ!今度こそっ!)
上下反転した若越の足が、バーの上をスルリと越えていく。
それに合わせるように、上半身もバーの上を通過した。
一糸乱れぬバーをその目で確認しながら、若越の体はふと重力を帯びながらマットへと落下していった。
若越の跳躍成功を讃える、グラウンドの拍手歓声が次第に大きくなった。
それは、およそ100m対岸でレースの結果が出た事が原因である。
右拳を高らかに突き上げながら、100mのゴールラインを走り去っていたのは、蘭奈であった。
彼のその姿から察せる通り、蘭奈は誰よりも先にゴールラインを越えた。
グラウンドに設置された電光掲示板に表示された結果は…
"1.蘭奈 陸 羽瀬高 10.69"
競技場は、歓声と響めき声が入り混じりながら響き渡った。
その様子から、若越にもレースの結果が届いたようだ。
若越はそっと視線を100mのゴール付近に向けた。
自分と同じ、スカイブルーのユニフォームを着た蘭奈らしき人物も、同じように棒高跳びのピット方面を見ていた。
(…まずは一勝。まだまだこっから、ぶちかますぜ?跳哉。)
(…流石だな。俺だって、まだまだこっから始まんだっ!)




