第60話:Graduation
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3月1日
体に刺さるような寒さが和らぎ、少しずつ春の兆しを感じられる季節。
校内の桜の木も、少しずつその蕾が顔を出していた。
『…卒業証書、授与。』
羽瀬高では、卒業式が行われた。
司会の教員がそう告げると、卒業生は1人ずつ体育館の舞台の上の教壇で、校長先生から卒業証書を受け取った。
泊麻、室井、諸橋、紡井、橋本、聖野、坂下…。
陸上部の先輩の姿を、在校生の若越たちは見守っていた。
皆、晴々しい顔をしている。
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卒業式を終えると、卒業生は3年間を共にした友人やお世話になった教員、後輩たちと写真を撮ったり、高校生として最後の時間を過ごしていた。
「ご卒業おめでとうございます!…これまで、本当にありがとうございましたっ!」
陸上部の面々も、グラウンドに集まっていた。
七槻たち在校生から、室井たち卒業生へとそれぞれ大きな花束が渡された。
「…こちらこそ、これまで共にしてくれてありがとう。
俺たちはそれぞれの道へ進むが、これからもお前たちの活躍を期待している。」
室井がそう言うと、諸橋、紡井、橋本は後輩である桃木や丑枝たちと涙を流しながら抱き合い、泊麻は寂しそうな顔をする七槻や音木を宥めていた。
「…ま、俺が偉そうな事言える立場じゃねぇけど…後悔しないように、残された時間を精一杯過ごせば、必ず明るい道が進めると思うぜ。」
泊麻はそう言うと、七槻と音木の頭に手を置いた。
「"羽瀬高のエース"七槻 勝馬。"羽瀬高の秀才スプリンター"音木 満康。
…そして、"羽瀬高の希望"伍代 拝璃。
お前たちの姿を見て、後輩の奴らが後に続く。
…後輩たちも甘くはねぇぞ。負けんなよ。」
泊麻はそう言い残すと、名残惜しそうにグラウンドを去っていった。
卒業後、彼は都内の大学へと進学する。
語学の勉強に励み、将来世界を股にかけた仕事に着く事が目標であった。
「…七槻。お前が率いる"羽瀬高陸上部"、その行く末には本当に期待している。
だが、プレッシャーに感じる事はない。
お前たちらしく、精一杯やり切った結果を、俺は楽しみにしている。」
室井は、七槻にそう言った。
「…先輩の期待を、いい意味で裏切る事ができるよう、全身全霊挑みます。」
七槻は、室井をまっすぐ見つめながらそう宣言して室井と握手を交わした。
そして、室井も泊麻に続いてグラウンドを後にしようとした時、若越が慌てて室井を呼び止めた。
「…室井先輩。ありがとうございました。
先輩からのお言葉、これからも決して忘れません 。」
若越の顔に迷いは感じられなかった。
室井は満足そうに若越の姿を見ると、大きく空を仰いだ。
「…それは良かった。
俺は、お前らに大したことは教えてあげられなかった。
しかし、お前らには伍代たちがいる。
あいつらは、俺や泊麻よりも活躍する。必ずな。
それに、お前たちの代にも大いに期待している。
近い将来、必ず全国で"羽瀬高"の名を背負って戦ってくれるってな。」
室井はそう言うと、若越に右手を差し出した。
「それに、これで終わりじゃない。
俺は大学でも競技を続けるつもりだ。
これから、大きな大会でまた会える事を期待してるぞ。」
若越は、室井の言葉を心の底から受け取っているように見受けられた。
そして、若越と熱い握手を交わした。
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卒業生との別れを惜しみながら、若越は気づくとトレーニングウェアに着替えて、グラウンドにいた。
すると、そこに同じくトレーニングウェア姿の蘭奈、紀良、高津と、そして巴月の姿もあった。
「…こんな時でも、練習?」
若越の姿に気がついた紀良が、そう声をかけた。
「…こんな時でもって…どの口が言うんだ?それ。」
若越は、皆の姿を見ながら呆れ口調でそう言った。
「…早かったね、1年間。」
春の風に、自慢のポニーテールの毛先を靡かせながら、巴月がそう呟いた。
「ったぁ、なんでこう、時間ってあっという間なんだろうな?
…だから、一瞬たりとも気は抜けねぇ。俺は日々強くなるっ!
次こそ、俺は全国の舞台で戦うんだっ!」
蘭奈は、流れる時の早さに嘆きながらも、力強くそう宣言した。
「…私も、強くなってみせるよ。折角こんなにも、いい環境で出来んだから。」
蘭奈の宣言を受けて、高津もそう宣言した。
2人は、そのまま紀良の顔を見た。
「…え、何?俺も?…まあでも、毎日楽しいよ。お陰様で。
…だから、この楽しい毎日が続けられるように、お前らに置いていかれないように、俺ももっと強くなってみせるよ。」
紀良は、初めは嫌そうにしたものの、しっかりとそう言った。
「…私は、みんなが強くなれるように、全力でサポートする。
…だから見せてよ。皆んなが強くなった姿を。」
蘭奈、高津、紀良の宣言を受けた巴月は、マネージャーの立場からそう目標宣言をした。
巴月がそう言い終わると、4人は若越の方を見た。
若越は既に、何処か遠くの空に視線を送っていた。
「…俺は、『誰よりも、高い空を跳ぶ。』変わんないし、変える気もない。
ただ、その為にまず達成しなきゃいけない目標…それは…『5m越えでインターハイ優勝』。
…勝つんだ、ライバルに…伍代先輩に、必ず。」
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その日の帰り道、若越は1年間を振り返っていた。
入学早々、伍代に激しい勧誘を受けた事。
そして、その伍代との勝負に負けた事。
自分の力を過信して、ライバルたちに屈辱的に負けた事。
そして、更なる高みにはより多くのライバルが存在する事。
桃木の事。蘭奈や紀良、巴月の事。
伍代や七槻、音木の事。
室井や泊麻、諸橋や紡井の事。
そして、自分がまだまだ発揮しきれてない、まだ見ぬ高みを目指す為の力の事。
1年間に若越に起きた色々な事を考えているうちに、気がつけば若越はお寺の墓地を訪れていた。
"若越家之墓"と書かれた墓石の前にやって来ると、若越はお寺の近所で買ってきた花と線香を供えた。
(…父さん、ごめん。
ずっと言えなかったけど、俺、棒高辞めかけた。
母さんに、不安になって欲しくなかった。
棒高で、父さんの事を思い出して悲しくなるのが嫌だった。
父さんに教えて貰った事、これまで頑張った事を無駄にしたくない気持ちは、もちろんあった。
だけど、俺がどんなに棒高頑張った所で、父さんが帰ってきてくれるなんて事、無いから…。)
両手を合わせて静かに目を閉じた若越は、墓石の前で父親に語りかけるようにそう心の中で呟いた。
(…けど、父さんも知ってると思うけど…。
伍代 拝璃ってすげぇ人が先輩にいてね。…勝てなかったんだよ、俺。
終わりにするって決めたのに、その覚悟を決めた跳躍ができなかった。
だから最初は、その後悔を払拭する為にまた棒高やり始めたつもりだった。
…だけど、また負けたんだ。最初のインターハイ。記録無しの予選落ち。ダッセェよな。
先輩たちやライバルたちは、俺の知らない世界にどんどん進んで行った。
悔しかったんだ、あの時間。
父さんがいたのに。父さんにずっと、日本で1番凄い選手に沢山教えて貰ってきたのに、俺はその舞台に立つことすらできなかった。
…だから、決めたんだよ。
『誰よりも、高い空を跳ぶ。』って、父さんの目標だったんだろ?
確かに父さんは、日本で1番高い空を跳んだよね。
だけど、父さんが目指してたのは…多分その先の事だよね。今なら分かる気がする。
だから任せてよ。俺がその夢、必ず叶える。
その為にまず、父さんと同じように高校生で1番高い空を跳ぶ。
インターハイで優勝する。
見ててよ、父さん。父さんが今いる、高すぎる空から。
来年すぐ勝てるかは分かんないけど、俺に残されたチャンスはあと2回ある。
…若越 浮地郎の名前は、棒高やってる人なら誰でも知ってるはずだよね。
今度は、"若越 跳哉"の名前を全国に知らしめるから。
必ず見ててよね。
俺はまだ、父さんの辿り着いた高すぎる空には行けないから。
何十年かしたら、その時また会えたら、沢山話せるくらいの経験をしてくるよ。
ありがとう、父さん。
そして、絶対に父さんよりも凄い選手になってみせるから。)
若越は静かに目を開けた。
すると、少し柔らかな風が若越の背後から吹いてくるのを彼は感じた。
"運命の追い風"。若しくは"父親からの後押し"。
果たして、その風の行末は…。
若越は、父親の墓前のあるお寺から、家に帰る為に駅に向かった。
ヴーッ!ヴーッ!
その時、ポケットに入れたスマートフォンの振動を感じた。
スマートフォンを取り出すと、そこには見覚えのある電話番号が表示されていた。
「…もしもし、若越ですが…。」
若越は、恐る恐る電話に出た。
見覚えのある番号だが、名前が表示されていなかったので身近な人間ではない。
しかし、電話口からの声に、若越は漸くその人物が誰なのか理解した。
『…久しぶり、跳哉。元気してたか?
ごめんな?こんな時間に、急に電話して。
前に会ったのは、浮地郎の葬式の時だったっけな…。
…それはそうと、話しておきたい事があるんだ…。』
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第2章:推進 完結
次回、第3章:決戦場 始動
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