第59話:Reinforcement Training
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「…あれ?伍代じゃん。久しぶり。」
ここは、静岡県下田市のとある海岸。
年末を目前に控えた頃、羽瀬高陸上部は"冬の合同合宿"に参加していた。
羽瀬高陸上部メンバーが到着すると、そう声を掛けたのは、黒地にピンク色の文字で"東洋台北"と書かれたTシャツ姿の、少し細身で色黒の好青年であった。
「…おお!森川っ!会えるの楽しみにしてたぜっ!」
伍代は馴染みの青年にそう言って答えた。
若越も、彼の姿を見てすぐにその人物が誰なのか分かった。
インターハイ全国大会、4m95cmの記録で7位入賞をした静岡は東洋台北高の、森川 雄晴であった。
「…お前、足大丈夫なの?肉離れやらかしたんだら?」
「…ああ、まあ大したことはないよ。まだ本調子ではないけど、ぼちぼちやってるよ。」
伍代の怪我の事は、森川も知っているようであった。
「…それよりさ、伍代。隣の彼が例の子?」
森川はそう言って、若越に視線を移した。
若越は、緊張からかビクッと反応した。
「…若越…跳哉です。」
「ははっ、知ってるよ。君の事を知らない奴は、棒高跳び選手の中では少ないんじゃない?君の事も、君のお父さんの事も俺は知ってるよ。なぁ?青海。」
森川は、そう言って彼の少し後ろにいた部員に声を掛けた。
彼は、若越と同じくらいの体型で目に掛かるくらいの天然パーマの黒髪の少年であった。
「紹介するよ。俺の後輩、青海 弧玉。1年生だ。」
森川がそう紹介すると、青海は軽く頭を下げた。
「…青海です。棒高の実力は、森川先輩に到底及びませんが…。以後お見知り置きを。」
青海は人見知りなのか、軽くそう挨拶をしただけで、後は黙って伍代と若越の姿を眺めていた…。
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"冬の合同合宿"では、全国各地から集まった陸上強豪校が一同に会し、次のシーズンに向けた強化トレーニングを行う最早名物イベントとして語り継がれていた。
羽瀬高は、中でも少ない部員数ではあったものの、先代顧問のコネクションもあって毎年この合宿に参加していた。
「…まだまだぁぁぁぁ!!51本目、行くぞっ!!」
「「「おおぉぉぉぉぉぉ!!!」」」
強豪校の部員が声を上げ、参加部員がそれに応えるように声を出した。
初日にも関わらず、序盤から砂浜100m往復走100本のメニューが与えられていた。
「…っしゃぁぁぁぁ!!!!やってやるぜぇぇぇぇぇ!!!!」
強豪校の部員に負けじと、蘭奈がそう叫んだ。
既に短いインターバルの中、50本も100mの砂浜を走っているにも関わらず、蘭奈はいつも通りのハイテンションをキープしていた。
足場の悪い砂浜を駆ける事で、選手部員たちは普段の土やタータン製の競技場のトラックを走る時に比べて、比にならない程の体力消費と足腰の力を必要とされる。
既に半数以上の部員たちは今にも倒れそうな程、フラフラであった。
(…っクソッ…。足の力が思うように入らねぇ…。)
51本目の1組目が走り出している頃、全体の中盤辺りにいた若越もその1人であった。
両膝に手をついて、肩で大きく息をしながら疲労感を覚える両足に意識を向けていた。
パンッ!
ふと、その若越の背中に誰かの手が触れた。
若越は驚いて顔を上げると、そこには青海がいた。
「…まだだよ、若越くん。ここで負けてちゃ、俺らは森川先輩たちには追いつけない…。」
そう言う青海も、既に額から大量の汗を流しながら、肩を上下に揺らして大きく呼吸をしていた。
若越は、そんな青海の姿に感銘を受けた。
(…こいつ…。)
「…ああ、そうだな。」
若越はそう言うと、大きく深呼吸をして体勢を立て直した。
「…ラストぉぉぉぉぉぉ!!!!気合い入れていくぞっ!!!!」
「っしゃぁぁぁぁ!!!!かかってこいやぁぁぁぁぁ!!!!!」
部員たちを先導していた、強豪校の部員の掛け声のすぐ後に、蘭奈が声を上げた。
「…行こうぜ、青海っ!」
「…もちろん、若越っ!」
若越と青海の2人は、激しい呼吸をしながらも、互いの肩を支え合いながら、100m先のゴールに視線を送って互いを刺激しあった。
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その後も初日のトレーニングは続き、日が暮れた頃に漸く初日の全てのメニューが終わった。
各校、別の宿舎への宿泊となっており、羽瀬高陸上部も宿舎へと向かう準備をしていた。
「…若越。」
荷物をまとめていた若越にそう声をかけたのは、青海であった。
「…青海…。初日、お疲れ様。」
「若越もな。…なぁ、良かったら、連絡先交換しないか?
俺はまだまだ、跳躍も大したもんじゃないけど…アドバイスとか貰いたい。」
青海はそう言うと、手に持ったスマートフォンを差し出した。
若越にとって、高校生になって初めての出来事に、少し戸惑っていたものの、青海の提案を快く引き受けた。
互いに連絡先を送り合うと、青海は礼を言って東洋台北の宿舎に帰ろうとした。
「…ありがと、若越。あと3日間、大変だけど頑張ろうぜ。」
「…ああ、もちろん。」
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2日目、午前中は基礎トレーニングがメインとなった。
午後からは、専門種目毎に分かれて、より専門分野に特化したトレーニングを行った。
3日目、一同は2日目までの海岸を少し離れ、別の海岸に集合した。
そこで、一同が目にしたのは…。
「…何なんだよ…これ…。」
その光景に、紀良が思わずそう口にした。
流石の蘭奈も、目の前の光景に空いた口が塞がってはいなかった。
若越も、険しい表情を見せている…。
「…これはな、この合宿のメインイベントと言っても過言ではない…。
その名も…"サンドスキー・ラン"だ。」
後輩たちにそう説明する七槻も、その光景に苦い顔をしていた。
冬の強い季節風によって砂が吹き上げられて、自然と作り上げられたという"サンドスキー場"。
幅約100m、長さ45m、傾斜30度の"砂の斜面"が、一同の前に広がっていた。
「今からここを100本駆け上がる。
インターバルは15分の計3セット。」
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3セット目の90本を越えた頃、流石の部員たちの勢いもかなり衰えていた。
「91本目ーっ!!!」
他校のマネージャーが、そう叫びながら手を叩いた。
1組目の部員たちが走り出すも、スタートはバラバラ。もう足を前に出す事も精一杯の様子であった。
その姿を見上げながら、2組目には蘭奈、若越、青海、伍代、森川、七槻らの姿があった。
全員、スタートの合図に耳を傾けているものの、気を抜けば今にも倒れそうな程になっていた。
その時…。
「…まだまだぁぁぁぁ!!!!行くぞぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
そう声を上げたのは、若越であった。
肉体はもちろん、精神的にもかなり追い込まれていた筈であったが、その声には確かな勢いがあった。
「…っしゃぁぁぁぁ!!!!負けねぇ!!!!」
その声に釣られて、蘭奈も叫んだ。
「…かかってこいやぁぁぁぁ!!!」
蘭奈の声に続き、青海も声を上げた。
「…後輩っちに、負けてらんねぇ!!!!」
青海に続けて、森川もそう叫んだ。
「「…っしゃぁぁぁぁ!!!行くぞっ!!!!」」
最後に、七槻と伍代が声を合わせてそう叫ぶと、スタートの合図が出された。
ここまで既に、かなりの本数を走ってきたにも関わらず、彼らはスタートの合図を寸分たりともズラさずに、互いに負けじと全力で走り出した。
ラスト1本、最後の1組が砂坂を駆け上がると、殆どの部員がその場に座り込んで、全く動けずにいた。
「…お前ら、よくやったっ!午前のメニューはこれで終わり。
午後からは、各校宿舎にてストレッチ等、体のメンテナンスを行うようにっ!」
部員たちを労うように、代表顧問がそう言った。
「…お疲れ、青海。」
大の字でその場に寝転がり、大きく全身で呼吸をしていた青海に、いち早く立ち上がっていた若越が、手を差し伸べてそう言った。
青海はその声に気がつくと、スッと手を差し出した。
若越はその腕を強く引き上げ、青海を立ち上がらせた。
「…サンキュー、若越。」
そこへ、伍代がやって来た。
「…いやぁ、中々しぶとく着いてきたなぁ。流石、森川の後輩なだけあるな!」
伍代がそう言うと、そこへ森川も合流した。
「…それを言うなら、若越くんもだよ。
あの声出し、痺れたぜ。…こりゃ、次のインハイも一筋縄じゃ行かなそうだなぁ…!」
森川がそう言うと、4人は互いに顔を見合わせて笑い合った。
冬晴れの清々しい日差しが、砂と汗で汚れた4人の姿を、輝かしく照らしていた…。
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その日の夜、夕食を終えてひと時の自由時間を過ごしていた若越のスマートフォンに、メッセージが届いた。
「…お疲れ様、若越くん。」
羽瀬高の宿舎の玄関先に座って待っていた若越の元に、桃木が現れた。
「…お疲れ様です、桃さん。」
若越が桃木の姿に気づき、慌てて立ちあがろうとすると、彼女は「座ってて。」と言って、若越えの隣に腰掛けた。
「…どう?合宿。流石にここまで来るとかなり疲れたでしょ?」
宿舎の玄関先の、小さな街頭に照らされた桃木の顔を見て、若越は自らの頬の赤らみが気になった。
「…そうっすね。これは結構キますね。」
若越は、咄嗟に自分の顔を隠すように、両手で両足の脹脛を叩いてみせた。
「明日で最後だから、無理せず…って言いたいところだけど。
最後まで気を抜かずに、頑張ってね。
今日の若越くんの姿見てたらね…私、若越くんならきっと凄い景色を見せてくれるんだろうなって、改めてそう思っちゃった。」
「…えっ…?」
「…若越くんが入部して、まだ9ヶ月くらいしか経ってないのに、なんかもう凄い成長力だなぁって。
日々、見る度に進化していく若越くんの成長が、私凄い楽しいの。
…まるで、ずっと隠されていた大きな翼が、少しずつその姿を見せていく?みたいな?」
桃木の言葉を間に受けて、若越は思わず両手を背中に回して、肩甲骨辺りを手で摩った。
「…ふふっ、例えばの話し。
でも、何だろうね。若越くんの成長の仕方、拝璃とは全然違って…って、当たり前なんだけどね。
ずっと、拝璃が強くなっていく姿ばっかり見てきたからか、今こうして、別の子が成長していく姿を目の前で見られるのが、私の楽しみでもあるの。
…ありがとう、陸上部に入ってくれて。
棒高跳び、続けてくれて。」
桃木がそう言うと、若越は大きく手を振って答えた。
「…いやいやいや、そんなそんなそんな、お礼を頂くことじゃないです。
俺自身が勝手に決めて、勝手にやってる事なんで…。
…でも、ありがとうはこちらこそです。
棒高やってる時、どうしても、頭の片隅には父親の事が離れずにあります。
片隅というか、もはや奥底にあって…これはもう何しても変わらないし、変えられない事なんだなって。
今、そう思えるようになったのは、羽瀬高陸上部に入ったからなのかもしれません。
先輩たちに出会えた事、仲間たちに出会えた事…そして、ライバルたちに出会えた事。
あの日、一瞬でも父親の事を忘れて、あの時の勝負に全力で勝ちに行ってたら、今の、今までの経験は出来なかったって思ったら、今思えばちょっと勿体無かったかなって、そう思ってます。
…あんな最初だったのに、俺を受け入れてくれた羽瀬高陸上部に、もう感謝の気持ちでいっぱいです。」
若越はそう言うと、唐突に立ち上がった。
そして、行く数多の星が輝く夜空に手を伸ばした。
「…だからこそ、もう負けられない。
強くなって、勝って、この感謝を形にしなきゃいけない。
あと俺が出来てない経験は、"勝利"です。
…青海や森川さんみたいな、全国のライバルたち。
それに、宙一さん、皇次、江國…そして、伍代先輩。
…今度こそ、彼らに"勝利"する。
『誰よりも、高い空を跳ぶ。』って目標、必ず叶えてみせます。」
若越はそう言うと、ふと我に返って桃木の方に振り向いた。
桃木は、優しい笑顔で若越を見ていた。
「…信じてるよ。若越くんが、目標を"超える"のを。」
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4日目、最後のメニューは砂浜100m走を10本5セット。
そして、最終メニューは、"全力400m走"1本。
部員たちは、最後の力を振り絞り、己の限界のその先目掛けて走り出した。
3泊4日の全てのメニューを終えると、各校はそれぞれの地へと帰っていった。
「…次会うのは、インターハイ全国大会の舞台で。
約束な?」
青海は、若越との別れ際にそう挨拶した。
「もちろん。次会う時はライバルだ。」
若越はそう言って、新たな仲間に別れを告げた。
「…楽しみにしてるぜ。待ってるよ。」
2人の会話を聞いていた森川はそう言った。
「…ん?待ってる…?」
森川の言葉に、伍代は不思議そうな顔をした。
「…なんだ、知らないのか?来年のインハイ、全国の舞台はここ、静岡だ。
…エコパの舞台で、全員揃って勝負しようぜ。」
森川はそう言うと、青海と共に帰って行った。
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