第58話:Conversion & Evolution
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関東大会から数ヶ月が経った。
季節は冬を迎え始め、肌寒い日々が訪れる。
若越は、昼休みに3年生の教室へと向かっていた。
(…確か…。)
「…ん?若越?」
誰かを探している様子の若越にそう声をかけたのは、泊麻であった。
「あっ、泊麻先輩。こんにちは。」
知った声のする方を向いた若越は、咄嗟にそう言って挨拶をした。
「…よっ…って、何してんの?」
「室井先輩に用があって…先輩、何組でしたっけ?」
若越がそう質問すると、泊麻は少し笑顔を見せながら手招きした。
「1組。着いておいで。」
3年1組の教室に着くと、泊麻は迷わず教室に足を踏み入れた。
若越は戸惑いながら廊下で待っていると、席に座っていた室井に、泊麻はサッと声を掛けて廊下にいる若越を指さした。
室井は、少し睨むような顔で若越を見たものの、泊麻と共に若越の元にやって来た。
「…何だ?若越。俺に用って…。」
室井は無愛想に、若越にそう言った。
若越は、それに動じずに室井に問いかける。
「…今日の放課後、お話ししたい事があります。
グラウンドに、来て頂けませんか?」
若越は室井の目を真っ直ぐ見ながら、そう言った。
突然の事に室井は不思議そうな顔をしたが、分かった。と言って自分の席へと戻ってしまった。
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放課後。
今日の陸上部の部活メニューは、各自自主練であった。
2年生たちが修学旅行中という事もあり、1年生はそれぞれ自分のメニューを考えてこなしたり、ゆっくりストレッチや調整の時間に充てていた。
そんな中、若越はグラウンドで室井が来るのを待っていた。
「…悪い、遅くなった。」
ふと、若越の背後から声がした。
若越が振り返ると、そこには室井がいた。
「大丈夫です。寧ろ、受験勉強期間にすみません。」
若越はそう言って、軽く一礼をした。
「…構わん。それで、俺に話ってのは何だ?」
「…先輩に言われた事が、漸く分かった気がします。」
若越はそう言うと、新人戦での試合内容や自身が思っていた事、そして、関東大会での出来事を話した。
「…俺は、まだまだ弱いって改めて思いました。
伍代先輩に突っかかって、過去の実力に胡座をかいて、強い自分を繕っているだけだったんだって。
…神様なんていない。
信じられるのは、夢見た結果を掴む為に、頑張った自分の努力のみ。
…俺は、途中で雨にビビってポールを下げました。
それが結果、調整しきれなくて失敗に繋がった…。
自分に負けてたんだって、漸く分かりました。
もっと、もっと強くならないと、俺は伍代先輩には勝てない。
…いや、先輩どころか、他のライバル達にも。
その為に、自分に甘えて負ける訳にはいかない。
"驕り"ってのは、そう言う事だったんじゃないかって、9ヶ月経ってやっと分かりました…。」
室井は、若越の言葉をただ黙って頷きながら聞いていた。
そして、若越が最後までそう言い終えると、大きく深呼吸をした。
「…すまんが、正直俺には、お前の考えてる事が理解できない。」
思いがけない室井の言葉に、若越はえっ?と疑問の顔をした。
「…正確に言えば、理解し切ることが出来ない。
何故なら、俺はお前のような境遇にはないから。と言った方が正しい。
…お父さんの件があって、それでも尚、お前は棒高跳びを辞めなかった。
それが如何なる理由であろうと、そう決断できるお前は、決して弱くはない。
寧ろ、俺より遥かに強いと思っていた。
…それでも、そう簡単に勝って行ける程、高校生の舞台ってのは甘くない。
それは、俺自身も身をもって感じてきた。
だからこそ、手遅れになる前に、如何しても俺はお前に強くなって欲しかった。
乗り越えて欲しかったんだ。お前の成長を遮る、大きな壁を。
でも、気づくことが出来たんだな。それも、自分の力で。」
室井はそう言うと、突然大きな掌で若越の頭に手を置いた。そして、ワサワサとその頭を撫でた。
「…安心しろ。お前はもう、最初の頃から大きく成長している。
それに今回の試合を経て、これから更に成長できる。
お前の話を聞いて、俺はそれが確信となった。」
室井はそう言って若越の頭を撫でたと思えば、そう言い終わるとその手を離し、今度はグラウンドへ視線を送った。
自主練と言いながらも、今日も蘭奈は紀良を引っ張りながら全力で走り込みに打ち込んでいる。
その蘭奈に、へばりながらも必死に食らいつく紀良。
そして、そんな2人の背中を呆れたように見ながらも、2人のメニューについて行く高津。
そして、そんな3人の練習をサポートする巴月。
室井と若越の目には、その光景が映っていた。
「…改めて聞く。お前の目標は何だ?」
グラウンドの光景を目にしながら、室井は若越にそう問いかけた。
若越もその光景を見ていたものの、その視線はもっと先へと向いているようであった。
「…『誰よりも、高い空を跳ぶ。』事が、俺の目標です。
…それは、父親の目標でもありました。
その父親のようになる為に…いや、その父親を越えられるように…。
俺の今の目標は、『5m越えの記録で、インターハイを優勝』する事。
…その為に、俺はもう負けたくない。…父親の事故を、負けた言い訳にしたくない。
それに、自分の過去の栄光に縋って、チャンスを逃したくない…。
…最後のインターハイまでに、なんて甘い考えをするつもりはないです。
次のインターハイに向けて、俺は目標達成を意識していくつもりです。」
若越の決意の言葉に、室井はただただ真っ直ぐ視線を向けたまま、息を吐いた。
「…やってみせろよ?若越。
そう言ったからには、努力を怠ってはいけない。
辛くなったら、横にいる仲間を思い出せ。共に戦っている、ライバルの顔を思い出せ。
…そして、そいつらに負けない気持ちを思い出せ。
必ず、"決戦の舞台"で信じる事が出来る、自分自身を持ち合わせて挑むんだ。
…そうすれば必ず、夢は現実となる。
それは俺が、お前たちの前で証明してみせた筈だ。」
室井はそう言うと、クルッと振り返って帰路に向かおうとした。
「…色々、厳しい事を言ってすまなかった。
でも、こうして正しい方向に向かって進もうとしてくれている事で、俺は安心したよ。」
室井はそう言い残すと、若越の元を後にした。
「…室井先輩っ!ありがとうございましたっ!
…先輩に、いい結果見てもらえるように…俺、負けませんっ!」
若越は、室井の後ろ姿に向かってそう叫んだ。
室井は振り返る事なく、静かに右手を挙げてそれに答えた。
そして、小さく一言呟いて帰っていった。
「…負けんなよ、若越…。
勝ってみせろ…伍代…拝璃に…。」
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程なくして、2年生が修学旅行から帰ってきた。
それと同時に、学期末テストもやってきた。
今回も、1年生たちは皆で集まって勉強会をした甲斐あってか、誰も落第点を取る事なく、冬休みを迎える事となった。
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冬休みが始まって、すぐの部活動にて…。
練習が終わると、七槻が全員を集合させた。
「…お疲れ様です。
えー、2年生はご存知かと思いますが、今年も我々羽瀬高陸上部は"冬の合同合宿"に参加します。」
七槻がそう言うと、2年生の伍代、音木、丑枝たちは急に残念そうな顔をした。
「…はぁ…やってきたか…この季節が…。」
「…もう行く前から憂鬱かも…。」
伍代と丑枝がそう呟くと、音木も深いため息を吐いた。
「…おいコラ2年、1年の前で暗い顔すんなって。
それに拝璃、今年はいい知らせがあるぜ。」
七槻は部長らしくピシャリと叱ると、ニヤリと笑みを浮かべながらそう言った。
「ん?いい知らせ?」
「…今年は、例年の参加校に追加して…"東洋台北高"が参加する。」
七槻がそう言うと、伍代は打って変わって目を輝かせて笑顔になった。
「え?マジ!?…何だよ、そうならそうと早く言ってくれよ~。
あっ、森川に連絡しておこっと。」
伍代は、急に上機嫌になりながらそう言った。
"東洋台北高"といえば、インターハイ全国大会予選に、伍代と共に出場していた森川がいる。
その事に、伍代は急に一変して喜びを見せていた。
「…だから今すぐ言ったんだろうがよく…。
まあいいや。1年、今から合宿案内配るから、よく目を通しておけよ。
当日の集合は、ここグラウンドに朝6時。いいか?遅刻すんなよ?」
七槻はそう言うと、1年生分の合宿の案内が書いたプリントを巴月に手渡した。
巴月がそれを丁寧に全員に配ると、1年生はその内容に釘付けになっていた。
「…ふぅん、東洋台北かぁ…どんな強い選手がいるか楽しみだぜっ!」
蘭奈は相変わらずの陽気さで、既にライバルたちへの闘志を燃やしていた。
「…いやお前、先輩たちの反応見たろ?絶対やばいって…。」
その蘭奈に、紀良はそう囁いた。
「でも、下田の海に行けるんでしょ?場所的に。
それはちょっと楽しみかも。」
高津は意外にも、興味の反応を示していた。
(…東洋台北…森川さんがいるのか…。それに、他の学校の選手たちも…。)
若越はただ黙って、用紙に目を通していた。
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合宿当日。
朝6時に羽瀬高陸上部メンバーが勢揃いすると、一同はシャトルバスで静岡県下田市へと向かった。
3泊4日、年末の冬季強化合宿が始まろうとしていた。
…否、"年末恒例、下田鬼合宿"と若越たちが知るのに、そう時間は要さなかった…。




