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High-/-Quality  作者: hime
【第2章:推進】
56/80

第55話:Hit by Rain

_


少しずつ、雨の降るペースが早まっているように感じる。

グラウンドも、目で見て分かるくらいに濡れ始め、選手たちの過酷な状況が観客にも伝わっていた。



トラック競技も、スターターピストルの音が不安定となり、時折競技が中断されていた。


棒高跳びは、依然競技が継続されている。



「…若越くん…。」


憔悴し切った若越の様子を見つめる桃木の心配な気持ちが、声となってそう呟かれた。


蘭奈たち1年生も、2度目の彼の敗戦にショックを隠せずにいた。


「…跳哉の奴、また棒高跳び辞めるとか言うんじゃねぇよなぁ…?」


流石の蘭奈も、若越の様子に嫌な予感を感じていた。

それと同時に、インターハイ支部予選後に彼に放った言葉を改めて思い返し、蘭奈は僅かに後悔しているようでもあった。


(…あんな偉そうな事言って、結局あいつの為に"仲間"として何をしてあげたらいいのか、さっぱり分からねぇ…。)


蘭奈が珍しく悩み顔を見せていると、巴月がグラウンドを見ながら呟いた。


「…大丈夫。跳哉くんなら…今の跳哉くんなら、必ず…。」


「…何でそんな事が言えるんだ?跳哉が背負ってる物の大きさは、俺たちには分かりやしねぇっ!

…それなのに…何であいつが大丈夫って言えるんだ…!」


「…辞めろ、蘭。そんな事言い始めたらキリがねぇ。」


巴月の言葉に、蘭奈は理解ができなかったのか感情のままそう言い返したが、紀良が冷静にそれを静止する。


「…1番悔しいのはあいつだ。…それに、そんなあいつと同じ立場に立ててない俺は、もっと悔しい…。」


紀良の言葉に、巴月も蘭奈も何も言えず、黙り込んでしまった。


「…光季の言う通りね。こればっかりは、彼に乗り越えてもらうしかない試練なのかもしれないね…。」


その隣で一部始終を聞いていた高津がそう言った。

グラウンドでは、4m80cmの跳躍が行われようとしていた…。



_


雨音が静かに耳を打つ中、水滴がトラックを濡らし、マットにも小さな水たまりを作っている。

観客席からのどよめきとため息が、雨に紛れてゆっくりと広がっていった。



「4m80cm、1回目。」



この状況の中でも、競技は淡々と続く。


石橋が、助走路に入った。

1つ、2つと雨粒が、彼の体に落ちてくる。

石橋の呼吸が、雨音に混ざりながら荒い音を立てていた。


(…まだ動く前だっていうのに…雨で疲労感が増してきたぜ…。)


焦る気持ちは、苦悶な表情に表れていた。

乱れる視界の中、石橋は眉を顰めてただ一点バーのみを見つめている。



(…行くしかねぇか。)

「…行きますっ!」


思いは同時に、声となって空気を震わす。

雨音を掻き消す程の声量で、石橋は曇った空気を一蹴するような叫び声を上げた。



地面を蹴る度、水の跳ねる音がする。

掴みきれない地面の感触。しかし、スピードは乗れていた。


石橋は体を振り上げ、バーの上を目指して一直線に体を進める。



「…っ!」


しかしその時、石橋の目に雨粒が入り込んできた。

その瞬間、両目を瞑ってしまった石橋は僅かに体制を崩した。


乱れた腕が何かに触れた感触で、石橋は再び目を開いた。

眼の前には、自分の肉体と同じスピードで落下してくるバーがあった。



バシャッ…!


背中にじんわりと水分を感じ、石橋は不快感を覚えた。

ゆっくりとマットから体を起こすと、審判員の赤旗が石橋の視界に飛び込む。

またも、不快感を感じていた。


(…クソッ…ビビってたら、輝に置いていかれる…でも、こんな中全力出し切れねぇ…。)


ポールを拾い上げた左手と拳を作った右手が、血管が浮き出る程に強く握りしめられていた。

石橋は、やりようのない悔しさを滲ませながら、ピットを離れた。



その様子を視界に入れながら、霧島はゆっくりと息を整えていた。

前髪を伝う雫を右腕で払いのけると、横目で控えテントで呆然とする若越を睨みつけた。


(…精々そっから羨ましそうに見てれば良い。)


霧島は、胸中で若越をそう嘲笑うと、視線を正面に移した。


雨は強くはなっていなかったが、治まる様子にも見えなかった。

肌に打ち付ける雨粒を、気にする様子を一切見せずに霧島がポールを構えた。


走り出した霧島は、見ている者が分かる程度には確実に地面を捉えながら駆け抜けた。

石橋が消極的な心理から、力強い走りが出来なかったのに対し、霧島の走りは彼の気持ちの強さを見事に体現していた。


踏み切りも申し分ない。

軽やかに跳ね上がる体を、湾曲したポールの推進力が更に上に運び込む。

素早いターンで腹部の下にバーを捉えるが、高さはギリギリだ。


(…チッ…浮かねぇ…。)


右腕の脇から肘にかけた位置が、バーに触れる。

フワッと浮き上がったバー諸共、霧島の体は重力のままマットに落ちていった。


背中が湿っていくのを感じ、霧島は素早くマットの上に立ち上がった。

そして、マットに転がるポールを拾いながら、彼は静かに視線を落とした。


(…チクショー…。)


俯く霧島の脳裏には、彼の過去が蘇っていた。



_


中学1年の春。

父親の知り合いが顧問を務める中学校の陸上部に入部した霧島は、入部早々顧問から棒高跳びを進められた。

霧島は、断る理由もなく顧問に言われるがまま棒高跳びを始めた。


棒高跳びを始めて2ヶ月程で、霧島は既に3m50cmのバーを越えていた。

普通は2ヶ月程度であれば、早くてもポールを曲げて跳べるようになるレベルであった。



「流石、(げん)の息子だな!父親譲りの跳躍力、いやそれ以上の可能性がある!」



顧問がそう言うように、顧問と霧島の父、霧島 元は中学、高校と同じ陸上部に所属していた。

顧問は今でも半ば生徒に恐れられる程、強靭な肉体を持ち合わせており、中学では砲丸投げ、高校では砲丸投げと円盤投げの選手であった。

対する霧島 元は、中学では走り幅跳びで全国大会出場、高校では三段跳びでインターハイ全国5位の実力者であった。


そんな父親をも凌駕する実力という顧問の言葉を信じて、霧島は更に棒高跳びでの実力を上げていった。


「才能あるな、霧島。4mもすぐ見えてくるぞ。」


中学1年の秋に初めて出場した公式大会の地区予選で、霧島は3m90cmを記録した。

強豪千葉エリアとはいえ、同級生の選手たちは良くても3m30cmが精一杯の中、霧島は異次元の実力を兼ね揃えていた。


コーチの言葉や自分の実力の高さに、霧島は胸を躍らせた。

しかし、その翌年…。



『若越2世、4m50cmを記録!』



全国にその名が知れ渡る、同い年の天才が現れた。

"若越"という名は、霧島も耳にした事はあった。

日本の実業団選手での上位実力者の1人。"木村アスリートクラブの若越 浮地郎"といえば、棒高跳びをやっている人間の大多数が知っていた。


その息子、若越 跳哉という同級生の選手が、東京でその名を轟かせている。



顧問に見せられた若越の跳躍の動画に、霧島は思わず画面に食いつくように凝視した。


(…これが…同じ年の選手なのか?)


まるでアニメを見ているかのような、現実離れの実力に霧島は驚いた。

彼の跳躍は、その父、浮地郎に負けず劣らずのダイナミック且つ技術や助走力、扱うポールも高いレベルであった。


そんな若越に、霧島は一気に対抗心を燃やした。

周りに評価されてる自分なら、彼と戦えるチャンスがある。と。



そして、中学3年の夏。



霧島は"打倒若越"を目標に、同級生と距離を置きつつも直向きに棒高跳びと向き合った。


顧問もそれに付き合ってくれた。

中学生にしては珍しく、自発的に真摯に取り組む霧島を、顧問も高く評価していた。


そんな霧島に訪れた、全国大会の大きなチャンス。

その出場権を手にした霧島であったが、若越と対面する前に更なる実力を手にしようと挑んだ、全国大会直前の記録会。

そこで、これまでの過剰な練習による足の疲労骨折を発症。


"4m90cm"という記録や若越と戦える全国大会を目前にしながらも、霧島は後の高校生活を考慮し、全国大会を辞退していた。



その後、顧問の推薦もあって陸上の強豪、日高高校へと進学。



中学時代に相対する事が出来なかった若越との勝負だけを胸に、1年生ながら南関東大会へと進んだ霧島。

しかし、そこに若越の姿はなかった。


耳にしたのは、若越の東京都支部予選での敗北。

目にしたのは、観客席にいる彼の姿。



(…やっぱりいたのか…。若越…跳哉…っ!)



その若越の姿を初めて目にした霧島は、対抗心を忘れて思わず笑みが漏れていた。



そして挑んだ、4m80cm。



これは、彼が中学時代に出した自己ベスト記録。

"この記録よりも低い高さに挑む事はしない。"

霧島がそう決めていた理由は、若越にあった。



(…あいつに勝つ為に、もう引き下がってる場合じゃない。怪我なんて以ての外だ。

これから俺が挑むのは、4m80cmのその先だけだ…っ!)



_


霧島は深く息を吐き、マットから降りた。


(…高校入って、1回も試合で失敗した事なかったのに…。)


不満そうな表情をしながら、霧島は2本目を待つ事となった。


 

その後、大ヶ樹、江國、伍代はそれぞれ4m80cmの1本目をクリア。

3人とも、隙のない跳躍で確実に次への一歩を進めていた。




迎える、4m80cmの2本目。




(…っくそ、やっぱ体力もってかれる…っ!)


雨に濡れたユニフォームが肌に張り付き、若干体が冷え始めてきた石橋は、思うように助走のスピードが上がらなかった。


乱れた助走が踏み切るタイミングをズラし、石橋は踏み切れずにそのままマットの上まで走り抜けた。


当然の如く、審判員の赤旗が上がる。



(…あいつらは跳べてる…。なんで俺は…。)


石橋は、マットの上で両膝に手を着いて俯いた。


(…違う。俺は…最初からこいつらとは違う場所にいるんだ…。)


雨粒が、石橋の体を打ち付ける。

「くそっ…!」と吐き捨てながらポールを拾い上げると、石橋は足早に控えテントに戻って濡れた体をタオルで拭いた。


隣には、クリアして若干の余裕を見せる大ヶ樹がいた。


「…焦るな、圭。ここで怪我したら元も子もねぇ。」


「…分かってるよ。」


大ヶ樹の心配した声掛けに、石橋は不機嫌そうにそう答えた。


(…分かってんだよ、そんな事…。俺だって…。)


濡れて冷えた事で、筋肉の硬直も早まってはいたが、それだけではない。

石橋は、キツく胸を締め付けられるような感覚に、苦しい表情を見せた。



_



一方、2本目の跳躍に挑む霧島は、覚悟を決めた表情で助走路に立っていた。



(…江國…途識って言ったか?継聖の奴…。

…悪いが、お前に活躍させる訳にはいかねぇ。

中学時代に若越に譲った頂点、高校では"霧島 零"の名前で染め上げてやるんだからなぁ…っ!)



走り出した霧島の助走は、衰えるどころか寧ろ1本目よりも足取りが良く、スピードも増していた。


力強く踏み込んだ左足が、その身を宙に跳ね上げる。

その跳躍は、僅かながら1本目よりもポールの曲がり方が大きくなっているように見えた。



再び素早く切り返した体は、バーの上を越えた。

その高さは、目視で確認できる程に十分な浮遊があった。


右腕がバーの上を越えると、脱力しながら霧島はマットの上に落下した。

審判員の白旗が上がり、霧島は2本目にて4m80cmをクリアした。



マットの上に立ち上がった霧島は、小さくホッと一息吐いた。

しかし、満足そうな表情はしていなかった。依然その顔は険しい。



(…まだだ。俺はまだ、あれから1歩も踏み出せてない…。0のまま…。今日こそ、1にするんだ…っ!)





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