第52話:Towards Hope
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蘭奈は、まるで閃光のように駆け抜けていった。
大園、磐本を即座に抜き去ると、他を寄せ付けない走りであっという間に100mを駆け抜けていく。
「…あれが…蘭奈…ねぇ…。」
第3コーナーの入口付近でその行方を追っていた泊麻は、思わずそう呟いた。
「…あれが、噂の1年生くん?」
その泊麻に、共に駆け抜けたサッカー部の元キャプテンで同級生の香田が声を掛けた。
「…あいつだけじゃねぇよ。今年の1年共、もしかしたら大化けして"羽瀬高"の名前背負って全国で活躍するかもな…。」
「束咲、珍しいじゃん。前まで伍代くらいかなぁなんて言ってたのに。」
「…伍代はもちろん、やってくれる奴だ。
ただ、その先は必ず、あいつらが時代を築いていく。そんな気がするぜ…。」
泊麻は珍しく、目を輝かせながらそう答えた。
彼の期待が現実となるかどうか…それはまだ、先の話…。
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部活動対抗リレーは、男女共に陸上部が優勝を勝ち取った。
運営を担う生徒会は、陸上部の勝率に頭を抱えながらも、来年度のハンデについて再び課題視していた…。
最終種目の選抜リレーでは、各学年1、4、6組の東軍と2、3、5組の西軍に分かれて行われた。
こちらは毎年、3年生のくじ引きによって振り分けが決まる。
選抜リレーは、クラスの振り分けによって陸上部が集中した西軍が勝利。
大いに盛り上がった体育祭も、閉幕を迎えた…。
体育祭の後片付けを行なっていた若越の元に、同じく片付けを行なっていた桃木が現れた。
「お疲れ様、若越くん。いやぁ流石だったね!徒競走もクラスリレーも選抜リレーも、大活躍だったね。」
桃木はそう言って若越を褒めながら、若越にグッドサインを送った。
「桃さんもお疲れ様です。…そんな、全然…。徒競走も、流石に陸には勝てなかったですし。
クラスリレーも、高津と巴月がいたのがラッキーでした。来年、同じようにいくかは…。」
若越がそう答えていると、遮るように桃木が話し始めた。
「…でも、楽しそうでよかった。普段、部活とか試合とかだと、色々悩んだり苦労してる感じに見えたから。今日は楽しそうにしてる様子が見れて良かったよ!」
桃木にそう言われ、若越は頬を赤らめた。
(…桃さん…そこまで俺の事見ててくれたんだ…。)
「昨日まで試合だったし、今日もたくさん走ったと思うから、関東大会まであまり無理しないでね。
どっかの誰かみたいに、大事な時に怪我して成績悪いとか勘弁してよね?」
桃木は恐らく、インターハイでの伍代の事を思い出していたのだろう。少し怒りながら頬を膨らませてそう言った。
しかし若越にとっては、その姿すら愛おしく感じていた。
「…玻菜ちゃーん!ちょっとこっち手伝ってもらってもいいー?」
すると、サッカー部の2年生の女子マネージャーらしき人物が、そう桃木を呼んだ。
「分かったー!行くねーっ!
…って事で、改めてお疲れ様!ゆっくり休んでね!」
桃木は、若越に笑顔でそう言うと、呼ばれた方へと行ってしまった。
「…なーに話してたの?跳哉くん?」
そこへ、背後からそう言ってカラーコーンを持った巴月が現れた。
若越はビクッと驚いたが、振り返って巴月だと分かると少しため息を吐いた。
「…何だ巴月か…。」
若越はそう呟いて安堵した。
「何だって何よー。ごめんね?愛しの桃木先輩との楽しい時間の余韻を邪魔してー。」
若越の様子に、巴月はそう言ってわざとらしく怒ったような素振りを見せた。
「…そんなんじゃねぇって。」
若越は照れ隠しの為か、そう否定した。
「…跳哉くん。その気持ち、伝えてみたら?本人に。」
巴月が突然そう言うので、若越は驚いた。
「…えっ…。」
「…いつまでも思っているだけじゃ、本人に伝わらないよ?」
巴月はそう言うと、視線を桃木がいる方に向けた。
現状、若越の桃木に対する思いを明確に知っているのは、巴月だけであった。
それに、体育祭の途中で巴月が若越に告げた自身の過去。それはある意味、現在の若越に対する巴月なりのアドバイスのようにも思えた。
「…私は出来なかったから。あの時。」
そう言う巴月の脳裏には、恐らく未だに過去のトラウマが残り続けていた。
「…それは、分かってるつもり。だけど、今はまだ違う気がするんだ…。何というか…。」
巴月の心情を気遣いながら、言葉を選びながら若越がそう言う様子が、巴月にも見て分かった。
「でも俺、やっぱり好きなんだ。…桃さんのこと。
だから、ちゃんと結果出したい。欲を言えば、伍代先輩にちゃんと勝って、想いを伝えたい。
…そう思ってる。」
若越は照れながらそう本心を打ち明けると、巴月が持つカラーコーンを掴んだ。
「…俺、片付けておくよ。」
そう言って、巴月の腕からカラーコーンを引き抜くと、若越はそれを持ってグラウンドの備品倉庫へと行ってしまった。
その後ろ姿を、巴月はただ呆然と見つめていた…。
(…跳哉くんはやっぱり、桃木先輩の事が好きなんだよね…。
…私にああするのは、本当は桃木先輩にした方がいいと思うけど…。でも、その優しさを嬉しいと思ってしまう自分がいる…。
…あれ…何で…?私…跳哉くんの事…。)
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体育祭から、2週間程経った週末…。
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「…はぁ?若越が7位!?…拝璃は?」
「…まだ跳んでる…。けど、4m95時点だと明伯の大ヶ樹が1位だ…。」
「継聖の江國も、まだ残ってます…。このままだと、伍代先輩は3位…。」
「…何やってんだよ…拝璃…若越ぇ…。」
七槻が慌ててスタンド席の羽瀬高メンバーの元に合流すると、音木、紀良からそう試合の経過報告がされた。
そこには、不安そうに棒高跳びピットを見つめる、巴月や高津、丑枝たちもいた…。
そこへ、伍代との会話を終えた桃木が、皆の元に戻ってきた。
「…伍代さん…何て…?」
巴月は恐る恐る、桃木にそう問いかけた。
桃木は不安そうな表情のまま、巴月の問いかけにため息を吐いてから言った。
「…3本目…パスするって。」
関東大会は、不穏な空気に包まれていた…。
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埼玉県で行われている、今年の新人戦関東大会。
インターハイでは、それぞれ茨城、栃木、群馬、埼玉の北関東、千葉、東京、神奈川、山梨の南関東と別々の括りでの試合進行となるのだが、
新人戦では実質南北合同。全国大会が無い分、"関東大会"として新人戦大会の最上位大会となる。
8都県で行われるだけあり、他のエリアに比べるとかなり全国大会に近いレベルで争われる大会でもあった。
各都県の各種目、上位3名ずつ。開催県である埼玉からは上位6名が出場して行われる。
棒高跳びも、例外ではなかった。
東京都からは、伍代、江國、若越の上位3名が出場。
他県からも、神奈川からは明伯高校から大ヶ樹と石橋、千葉からは日高高校から霧島など、上位の実力者が勢揃いしていた。
「…しっかしまぁ、やっぱり関東って感じだよな。
面構えが都大会とは全然違う…。」
紀良は、周囲の選手たちを見回しながら、そう言っていた。
それは、目下で行われている、男子棒高跳びの面々に対しても言えた。
「…頼むぜ…跳哉…。」
蘭奈は、助走路に立ち次なる4m70cmの1本目の跳躍を迎える若越に、両手を祈るようにグッと胸の前で握りしめながらそう呟いた。
「…この時点で、北関東勢は群馬のやつ1人。残り6人は南関東勢ってなると…やはり今の南関東勢のレベルは高いな…。」
音木も、冷静にその状況を分析していた。
「しかも、そのうち東京勢はまだ3人残ってる。
ここに高薙兄弟がいるって考えても、全国へのハードルはめちゃくちゃ高いよな。棒高は。」
その隣の七槻も、合わせてそう呟いた。
「…若越くん…。」
共に見ていた高津も、巴月の隣でそう祈るように呟いた。
「…あれ?お前、杏珠か?」
そこに、胸元に"KEISEI"という金文字の入った黒いジャージを上下に纏った、皇次が通りかかってそう声をかけた。
「あっ、高薙っ…!」
「なんだ、お前羽瀬高だったのか。久しぶりだな。」
ただでさえ長身の皇次に見下ろされた高津は、首を真上に見上げながら、彼の顔を驚いたように見ていた。
「そうだよ。若越くんのチームメイト。」
「そうか…。まあ、頑張れよ。」
皇次は一言、そう言い残すと羽瀬高勢の前方に集まっていた継聖学院勢の集まる観客席に行ってしまった。
「杏ちゃん、高薙くんと同じ中学だったんだよね?」
その光景を横目に見ていた巴月が、そう問いかけた。
「やっぱ相変わらずいけ好かないよ、あいつ。
中学の頃の友達が、挙ってあいつの事好きだったけど、みーんなフラれてた。
あいつの何処が良いんだか…。」
高津は、皇次の事を思い出しながら呆れ口調でそう言った。
どうやら、彼女にとってあまり良い思い出のない相手のようであった。
「そ、そうなんだぁ…。側から見てれば、棒高に一生懸命な感じするけどねぇ。」
巴月は、そこまでの言われようの皇次に同情したのか、気遣うようにそう言った。
「それ、私の友達と一緒。みんなあいつの事そういう風に見てて、かっこいいー!…なんてなってた。
…え、まさか、巴月…。」
「…いやいや、流石に私も思わないよ。…だって…。」
高津の問いに反射的にそう答えた巴月は、要らぬ事まで言いかけてしまったが、それに気づいて慌てて言葉を濁らせた。
「…ん?だって?」
しかし、高津はその隙を見逃さなかった。
「…だ、だって…私、ああいう感じの人、タイプじゃないもん。」
「…ふぅん。これは後でゆっくりと、詳しく聞かせてもらう必要がありそうね…。」
巴月はそう答えたが、しまったというような焦りの表情をしていた。
余計な事を少しでも言えば、それに食いついてくる性格の高津に、巴月はまんまと捕まってしまったと、内心後悔していた。
「…ほら、そうこうしてる内に、若越くんが行くよ。」
高津はそう言うと、グラウンドの若越を指差した。
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(…会場の雰囲気?…天気…気候?気温?…いや、そんなんじゃない…。
今日は一段と…何かが…違う…。)
4m70cmのバーを見上げながら、若越は脳裏でそう独り言を呟いていた。
ポールを軽く握る手は、やけに汗で染みる。
タンマグを念入りに掌に馴染ませて、グリップ位置を確認するも、どうもしっくりこない様子であった。
(…落ち着け…。まだ焦る段階じゃない…。)
若越はそう自分に言い聞かせながら、ふと観客席の桃木に視線を送った。
(…桃さん…。)
若越の視線の先の桃木は、不安そうな表情をしていた。
(…こんな所で、あんな表情させてちゃ…ダメだろ…っ!)
若越はそこで、漸く意を決したのか大きく息を吸った。
ポールの先を高く持ち上げると、右足を一歩前に出し、そしてそのまま一歩後ろに下げる。
「…行きますっ!」
一歩下げた右足を再び前に出した時、同時に若越の体も前に進んだ。助走開始だ。
少しゆっくりしたリズムから、テンポを上げて徐々にスピードも上がっていく。
踏み切り位置が見えてきた辺りで、若越はポールの先をボックスに振り下ろした。
ポールの突き刺さる衝撃を感じながら、左足で力強く踏み切る若越は、僅かな違和感を感じた。
(…いつもと…違う…でも…っ!)
両足を振り上げて、バーの上を狙う。
逆さになりながら体を回転させ、浮き上がる肉体をなんとかバーの上に運び込んだ。
(…ダメだ…浮きが…足りない…っ!)




