第48話:Youth & A Moment
。。。。。
それから、怪我が落ち着いて漸く走れるようになっても、私は部活に参加しなくなった。
走りたくない。というよりも、走るとどうしても思い出してしまうから。ノアくんの事を。
…それが走りたくない、ってことか。
あの後、男子の100mの決勝。
お兄はノアくんに負けた。お兄がそう言っていた訳じゃないけど、お兄が私に、大会のその後の話をしなかったから、自分で調べてその結果を知った。
お兄が大会の話をしなかったのは、怪我をした私を気遣ってだとは思うけど、多分自分が負けたのが悔しいって気持ちもあったんだと思う。
部活に参加しない妹に、お兄は1回も「部活に出ろよ。」とは言わなかった。
それに、家族で集まる時には、決まって私とお兄の陸上の話をしていたが、それもしなくなった。
次第に私は、部活に参加しない時間を使って、勉強をするようになった。
新しい知識を身につける時間は、あの日の事を忘れる事ができた。
私が中学3年生になる年に、お兄は高校に進学した。
"羽瀬高"は、陸上が特段強い学校って感じでは無かったけど、400mトラックや跳躍、投擲の設備がそこそこ揃っている大きな学校として、私も少しは知っていた。
それから半年経つと、今度は私が進学先の高校を考える時期が訪れた。
ある時、お兄が珍しく私に「ちょっと外行かね?」と誘ってきた。
中学3年生になってから半年程、確かに学校から帰ってからも休みの日も、私は部屋に篭って勉強をしている時間が多かった。
もちろん、ずっと勉強だけをしていた訳じゃなかったけど、誰かと遊んだり、家族と話す時間すら、気づかないうちに少なくなっていた。
そんな私を心配したのか、お兄は私を柄に合わないお洒落で有名なコーヒーショップに連れて行ってくれた。
注文した商品を受け取って、店内窓側の景色のいい席に座ると、お兄は自分が頼んだオレンジジュースを一口飲んで話し始めた。
「…なぁ、巴月。羽瀬高来て、陸上部のマネージャーやんない?」
お兄が突然そんな事を言うから、私は飲んでいた季節限定のマロン風味のドリンクを吹き出しそうになった。
「…え…?なんで?」
「…本当は、お前がもう1度選手として活躍する姿を、俺は見たいと思ってる。
…だけど、巴月自身がそれを望んでないのなら、いくら兄貴とはいえ、それを強要するのは違うかなって。だからこれまで、俺はお前に陸上の話はしないようにしてきたし、親父と御袋にもそうしてくれって頼んだんだ。
ただ、折角これまでお前が頑張ってきた努力を、俺は知っているつもりだ。
だからこそ、これまでの経験を無駄にして欲しくないし、お前には陸上を嫌いになって欲しくない。
俺の勝手なエゴだけど、俺は陸上が好きだし、陸上で強くなりたい。
だけど、妹がその陸上が好きじゃないってのは、なんか嫌なんだよな。
だから、俺がもう1度、お前が選手としてじゃなくてもいいから、陸上楽しいって思えるように、俺の走りや仲間の姿を近くで見て欲しいんだ。」
お兄が私に、こんな話をしたのは初めてだった。
私が怪我をしたあの日から、お兄はそんな事を思っていたんだ。
…違うんだよ、お兄。私は陸上が嫌だから部活に行かなくなった訳じゃないの…。
本当の事を兄に説明すれば、この話は簡単に完結するのかもしれない。
けど、お兄には話しづらいというか、何か恥ずかしい…。
「…そっか。お兄はそんな風に思ってくれてたんだね。ありがとう。
お兄が頑張ってるの、全然応援できてなくてごめんね。でも、私はいつだってお兄を応援してるから。
とりあえず、高校はまだ迷ってる。だから羽瀬高も考えておくね。」
お兄は優しかった。その優しさに、私はずっと甘やかされていた。
…甘えているだけじゃダメだな。
結局、私は羽瀬高を受験して、羽瀬高に入学した。
そして…
「1年2組、七槻 巴月です!兄、翔馬がいつもお世話になってます!
中学生までは私も競技者でしたが、高校では皆さんが全力で活躍できるよう、精一杯サポートしますので、よろしくお願いします!」
お兄の仲間たちの前で、自己紹介した時のあの言葉は、決して嘘ではない。
"皆んなが全力で活躍できるように、精一杯サポートする。"
それには、私なりの2つの考えがあった。
1つは、私みたいな惨めで中途半端な思いを、お兄の仲間にして欲しくなかったから。
私がマネージャーとしてサポートする事で、私みたいな思いをする人を他に生まない為にも。
2つ目は、あそこまで真剣に考えてくれたお兄への恩返し。
あくまで、表向きにも私の中でも、こっちの思いの方が強い。
。。。。。
そしてすぐに、跳哉くんに出会った。
彼は何となく中学生の頃の私に似てるのか、近いような経験をしてる気がした。
実際は、彼は私に比べたらもっと悲しい思いをしてるし、私以上に陸上から離れたかったと思う。
それでも彼は、『誰よりも、高い空を跳ぶ。』って目標を真剣に追いかけている。
そして今回、都大会で3位に入って関東大会出場を決めた。
全中チャンピオンって実力も勿論あるんだろうけど、インハイ予選では悔しい思いもしている。
そんな彼の活躍を見てると、時々何だかもどかしい気持ちになる。
…跳哉くんは、どんな事があってもそれを跳ね除ける"才能"があるのかな?それとも、負けない"努力"をしているのかな?
…ううん、きっとそんなんじゃない。
彼は私よりも気持ちが強い。
好きになった男の子に彼女がいた事で、走れなくなった私とは違う。
お父さんが自分と同じ種目の競技中に、事故で亡くなってしまっても、折れずにちゃんと続けてる。"努力"を続けている。
跳哉くんだけじゃない。陸、紀良くん、杏珠が必死に頑張ってる姿を見ると、もどかしくなると同時に、胸が苦しくなる。
…それでも、私はもう皆んなと同じ所には戻らない。戻るつもりはない。
折角、お兄が私が変わるチャンスをくれたから。
恩返しするつもりで、私も一生懸命、皆んなをサポートする。
。。。。。
「…いやぁ、悔しい。悔しいぜマジで!!何なんだ?あいつ。"村上"って言ったか?あいつに負けたのが悔しいっ!」
都大会の男子100m決勝で、惜しくも4位で関東大会出場権を逃した陸は、終わってからそんな事を口にしていた。
…よりによって、相手が"彼"だなんて…。
「…でも俺、次はあいつに絶対勝ってみせるからな!」
陸は最後にそう言ってた。
陸らしいといえばらしい発言だったけど、私の中で、その言葉がずっとずっと頭から離れなかった。
。。。。。
久しぶりに、今日は私も皆んなと一緒に走る日。
体育祭の日がやってきた。
もちろん、あの時の捻挫など今は何て事はない。普通に走れる。
…気持ちを保つ事が出来れば…。
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「跳哉ぁぁぁ!クラスリレー、絶対負けないからな!!!!」
新人戦東京都大会が幕を下ろした次の日の朝。
陸上部の部室に響き渡る蘭奈の声は、都大会での悔しい結果など既に忘れているのかという程、元気がよかった。
「…ったくうるせぇなぁ…。まあ、クラスリレーは、望むところだっ!」
先に部室にいた若越も、伍代や江國に対する悔しさは感じられなかった。
何やら2人とも、純粋に今日という日を楽しみにしているようであった。
今日は彼らが高校生となって初めての一大行事、"体育祭"の日だ。
前日までの週末2日間、文化祭が行われていたが、陸上部は都大会のスケジュール上、文化祭には参加できなかった。
よって、文化祭と体育祭を合わせたこの3日間行われる学園祭、通称"羽瀬祭"への参加は、この体育祭が若越や蘭奈たちにとって初めてとなる。
体育祭のプログラムは、大きく午前と午後に分けられており、午前、午後それぞれでいつかもの種目が行われ、最終的に部門ごとの表彰、そして全体優秀賞が与えられる。
「この際、2、3年生もぶっ倒して優勝しようぜ!!」
グラウンドのトラックの外側を囲うように、それぞれクラス毎の応援席が設けられていた。
若越は隣の1年2組の集団で、蘭奈がそう言って盛り上がって姿を、斜に構えて眺めていた。
(…怪我して関東に影響与えたくないけど…負けたくねぇ。)
若越の闘志が、静かに火を灯し始めた。
いつもはチームメイト。しかし、今日はライバル。
100mを10秒台で走る蘭奈に対しても、その気持ちは持っていた。
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体育祭が幕を開けた。
まずは、徒競走が行われる。
選抜された若越は、選手控え場所でストレッチをしていた。
筋肉の緊張感を解きながら、足の動きを細かく確認し、これから走る200mのレーンを見つめていた。
「…若越、本当に速いんだろうな?」
応援席では、未だに疑いの目を向ける大橋が、そう呟きながら若越を見ていた。
「…大丈夫だよ。寧ろ、跳哉くんくらいしか着いて行けないよ…。
…だって彼、速いもん。」
その大橋の呟きに、巴月がそう答えた。
彼女が1着に予想しているのは、蘭奈であった。
隣の2組の観客席も、何やらザワザワし始めた。
「…ねぇ、蘭奈って本当に速いのかな?」
「さぁ。無駄に気合いだけあって、実は遅かったりして。」
「…3組はあの若越だろ?全中出てるんだから速そうだよな…。」
蘭奈のクラスメイトですら、彼の実力を疑っていた。
威勢は人一倍良いが、自分の記録や実力を自慢げに話したりはしないからこそ、彼の本気の走りを見たことがない人にとっては、ただの威勢がいい奴に見えてしまうのも仕方がない。
僅か30秒後、その状況は見事に一変するとは、まだ誰も知らずに…。
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第3コーナー入り口には、第2レーンから第7レーンまで6つのコースが設けられた。
1学年6クラスずつなので、それぞれ1人ずつそのレーンに入って走ることになる。
レーンはくじ引きで決められた。
まずは1年生女子のレース。
高津は第2レーンと最も内側でのレースを余儀なくされる。
(…まぁ、このメンツなら…。)
他のクラスからは、運動部に所属する、各部でも次期主力候補と言われるメンバーが挙って選抜されていた。
唯一の陸上部である高津。少なくとも、共に走るそのメンバーは彼女に注目している。
『位置についてー!』
スターターを務めるのは、聞き慣れた声。
陸上部マネージャーの桃木が、その役割を担っていた。
何回もその足を置いてきたスターティングブロック。
他のクラスの子達が、なれないそれに違和感を覚えながら位置に着くのに対し、高津は1人別格のオーラでそのブロックに両足を構えた。
(…こんな時、蘭奈なら何を考えてるのかな…?光季…。)
『よーい!!!』
パァァァァァァン!!!
ピストルの音に合わせて、6人が一斉にスタートした。
しかし、その差は歴然。高津以外の5人は完全に出遅れていた。
コーナーを抜けて、最後のストレートに入った時点で、結果は明らかであった。
高津は1人独走状態。残りの5人も必死に走るが、200mという距離に徐々にその速度を落としていった。
高津がゴールテープを巻き込みながらゴールした。
大きな歓声がグラウンドに響き渡る。
(…あぁ…勝つってやっぱりこんなに気持ちがいいんだね…。)
高津は両手を腰に当てながら、余裕の表情で息を整えながらそう感じていた。
(…さて、次はお楽しみ。あの2人の戦い…か。)
1年生女子のレースを終えると、次は1年生男子がレーンに登場した。
若越は第5レーン、蘭奈は第3レーンでのレースとなる。
(…こんなにしっかり走るのも、久しぶりだな…。)
若越は足元のスターティングブロックを見下ろしながらそう考えていた。
…ふと、若越は異様な空気を感じ取った。
背後に感じる殺気。肌に突き刺さるような鋭い空気。
若越は、その正体がすぐに分かった。
振り向いたら刺される…。若越は僅かな恐怖を感じながらじっと正面だけを見つめていた。
『…位置についてー!』
桃木の合図が、若越の耳に届いた。
(…桃さん、陸に着いて行って見せます。…見ててくださいね。)
スターターの桃木は、合図を出しながらレースに挑む2人の後輩を見た。
(…さて、若越くんも蘭奈くんも、陸上部の次期エース2人の実力、みんなに見せてあげてねっ!)
『…よーい!』
6人全員がスタートの構えに入った。
若越は背後から感じる"圧"を、強く感じていた。
パァァァァン!!!
6人全員一斉にスタートした。
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スタートから50m越えた辺りで、若越の左から黒い稲妻のような影が通り過ぎた。
蘭奈は、トップスピードを上げながらコーナーを曲がると、ストレートに突入していく。
前を行く蘭奈の後ろ姿を、若越は更にスピードを上げて追いかけた。
(…はぁ?何だよあれ…追いつける…気がしねぇ!)
若越の横には人影はない。
必死に目の前の蘭奈の姿を追って、走った。
『…先に行ってるぜ!跳哉っ!』
蘭奈がそう言っているように感じた。
『…させるかぁっ!』
若越は必死に喰らいつく。
_ゴールまであと50m
若越は必死に走る最中で、目の前の蘭奈がどんどん小さく見えていた。
それと同時に、何故か脳裏で江國や皇次、霧島や九皇院第一のメンバーの姿が浮かんできた。
(…ダメだ、このまま陸から離れたら…こいつらにも負ける…気がする…っ!)




