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94 愛娘

 開かれた扉から十歳くらいの女の子が小走りでこちらに向かってくる。


 その後ろから侍女が追いかけるように入ってきた事から、恐らく彼女を止められなかったのだろう。


 女の子は客である僕達がいるのも構わずに公爵に話しかけた。


「お父様! お部屋にレミがいないわ! 何処に行っちゃったの?」


 公爵はいきなり部屋に飛び込んで来た娘に頭を抱えている。


 幼いとはいえ貴族令嬢としての立ち居振る舞いとしては最悪だ。


「グレース。お客様の前だよ。淑女としての振る舞いを教えられたはずだが、もう忘れてしまったのかな?」


 公爵にやんわりと嗜められ、グレースと呼ばれた娘は慌てて僕達に淑女の礼を取る。


「失礼いたしました。はじめまして。デュラン公爵家の娘、グレース・デュランと申します」


 お辞儀をしてニッコリと微笑む姿は一輪の花が咲いたようにあでやかだった。


 テオが代表してグレース嬢に挨拶をしたが、僕の隣に座る兄さんはグレース嬢に見とれていた。

 

 …もしかして、兄さんはグレース嬢の事が好きなのか?


 挨拶を交わすとグレース嬢はようやく自分がこの部屋を訪れた理由を思い出したようだ。


「そうだわ。お父様、レミは何処に行ったのかしら? お部屋の檻ごと消えていたのよ」


 先程からグレース嬢の口から語られるレミと言うのはもしかしてアーリン兄さんの事だろうか?


 そう思いアーリン兄さんに目を向けると、兄さんは視線をあちこちに彷徨わせている。


 公爵もグレース嬢にどう答えるか迷っているようだ。


「…その事については今から説明するからそこに座りなさい」


 公爵はとりあえずグレース嬢を自分の隣のソファーに座らせた。


 僕とアーリン兄さんの真向かいにグレース嬢の姿が見える。


 こうして正面からまじまじと彼女を見ると、アーリン兄さんが彼女を好きになるのも頷ける。


 柔らかそうにゆるくウェーブのかかった長い金色の髪に宝石のような緑色の瞳、可愛らしい唇でにっこり微笑まれたらイチコロだな。


 公爵はコホン、と咳払いをすると意を決してグレース嬢に話しかけた。


「グレース。落ち着いて聞いてくれ。…実はあの狐は獣人だったんだ。それでここにいる人達が探していたのがあの狐でね。狐に着けられていた首輪を外しに来られたんだよ」 


 それを聞いてグレース嬢はようやくこの場に空っぽの檻が置いてある事に気付いたようだ。


「…待って、お父様。もしかしてここにいる人達の誰かがレミだって言うの?」


 グレース嬢の視線が僕達に順に注がれた後、ピタリとアーリン兄さんの所で止まった。


「…もしかしてあなたがレミなの?」


 一人だけ自分と同じ年頃のアーリン兄さんを見て何かを感じたらしい。


 グレース嬢に聞かれてアーリン兄さんは恥ずかしそうに軽く頷いた。


 アーリン兄さんがレミだと確信したグレース嬢は両手で自分の口元を覆い目を見開いた。


「グレース。私は彼に狐の姿でここに居て欲しいとお願いしようかと思っているんだが、グレースはどうしたい?」


 公爵はニコニコとした笑顔でグレース嬢を見つめているが、当のグレース嬢はポカンとした顔で公爵を見つめ返している。


 普通の父親ならば身内でない男性が自分の娘の近くにいるのを嫌がるはずなんだが、どうして公爵はそんな提案をするのだろうか?


 そこで僕は檻の中に残されている首輪に目をやった。


 そうか!


 あれがあるからだ!

 

 あの首輪を着けられればアーリン兄さんは人型にはなれないし、喋る事も出来ない。


 普通の狐としてグレース嬢の側に置くことが出来る。


 そして人型に戻す時にはグレース嬢に近付けなければいいだけだ。


 流石は奴隷を承認している国の公爵だ。


 アーリン兄さんも金で買った以上、奴隷と同じような扱いをしてもいいと思っているのかもしれない。


 グレース嬢がアーリン兄さんに側にいて欲しいと願えば力づくでも実行しかねない。


 テオ達もそんな公爵の意図を感じたのか険しい表情になっている。


 皆が注視する中、グレース嬢はしばらく俯いていたが、やがてゆっくりと顔を上げてアーリン兄さんに微笑んだ。 

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