38 出来事
そこはかつてリリアーナがランベールを出産した部屋だった。
「…何故、こんな所にいるの?」
その質問に答える者は誰もいなかった。
ただ遠くで赤ん坊の泣き声が聞こえるばかりだ。
その赤ん坊の泣き声があの日の事をまざまざとリリアーナに思い出させる。
リリアーナが王子を出産したという知らせを受けて国王がリリアーナの元にやってきた。
生まれたばかりの赤ん坊と一緒にベッドに横たわるリリアーナに国王は笑いかけた。
「リリアーナ、良くやった。礼を言うぞ」
側妃として王宮に上がって初めて国王の心からの笑顔を見た。
その笑顔を見た途端、今までの国王の不誠実な態度もすべて水に流せる気がした。
ようやく国王もリリアーナ自身に向き合ってくれるのだと喜んでいた。
だが、現実は違った。
生まれたばかりの王子に「ランベール」という名前を付けて、国王がランベールを抱き上げようとした時だった。
まるでタイミングを測ったかのように正妃の侍女からの伝達が届いた。
「正妃様が産気付かられました」
それを聞くやいなや、国王はランベールに伸ばしていた手を引っ込めて、そそくさとその侍女と一緒に部屋を出て行ってしまった。
後に残されたリリアーナの叫び声すら聞こえないふりで…。
リリアーナの泣き声に呼応するようにランベールも激しく泣き出した。
「うるさい! 誰か、この子を向こうへ連れて行って! もう顔も見たくないわ!」
侍女達がとりなそうとしてもリリアーナは聞く耳を持たなかった。
それどころか、泣いているランベールの口を手で塞ごうとしたので慌てて侍女がランベールを部屋から連れ出したのだ。
その日以来、リリアーナはランベールの面倒をすべて侍女や乳母に任せきりになった。
そんな昔の事を思い出しているうちに、いつの間にか赤ん坊の泣き声が聞こえなくなった。
部屋も気が付けば先程の場所に戻っている。
「…嫌だわ。疲れているのかしら…」
そう呟くと誰かが近付いてくる足音が聞こえた。
鉄格子の嵌った扉が開く音がしなかったので不思議に思っていると足音はリリアーナの側で止まった。
リリアーナが顔を上げると、その人物はニコリと笑いかけてくる。
「…陛下?」
国王は優しく微笑んだまま、リリアーナに手を差し出してきた。
リリアーナが恐る恐るその手に自分の手を重ねると、国王はゆっくりとリリアーナを立ち上がらせた。
リリアーナが立ち上がると国王はリリアーナの体を抱きしめてきた。
突然の事に驚いていたリリアーナだったが、国王が自分を抱きしめていると認識したリリアーナはゆっくりと国王の背に自分の腕を回す。
「…ああ、陛下。…こうして抱きしめてもらえる日をどれほど待ちわびたことでしょう…」
涙を流しながら国王を抱きしめるリリアーナの耳に、小さな囁きが届いた。
「…許してください」
…え?
何を言われたのか理解するより先に、リリアーナの下腹部が熱を持ったように熱くなった。
ぱっと体をよじって国王の顔を見ると、そこにいたのはリリアーナと同じ赤い髪をした人物だった。
「…ランベール?」
その後の言葉を続けるより先に、リリアーナの胸にナイフの切っ先が吸い込まれる。
リリアーナは自分が息子であるランベールに刺されたと理解するより先に事切れた。
******
僕は自分の目の前で起こった出来事が理解出来なかった。
ランベール様に頼まれて、ランベール様が生まれた時の部屋を再現して欲しいと言われてこの部屋の前に連れてこられた。
そこは貴族の罪人を収容するための部屋だった。
部屋の中にいる人物が誰なのか知って僕は驚いた。
まさかランベール様の母親であるリリアーナ様が入れられているなんて思いもよらなかったからだ。
それでも頼まれたとおりに部屋を再現すると、リリアーナ様は当時の事を色々と思い出されているようだった。
そして、その後で部屋を元に戻してランベール様をさも国王であるように幻影魔法をかけた。
そこまでは良かったんだ。
リリアーナ様がランベール様を国王だと思い込んで抱きついた途端、ランベール様はどこからかナイフを取り出すと自分の母親であるリリアーナ様に突き立てた。
僕が驚いた途端、幻影魔法が解けてしまったけれど、僕がランベール様を止めようとするより先にランベール様は再度、リリアーナ様にナイフを突き刺したんだ。
「ファビアン樣! これは一体!」
思わず側にいるファビアン様に詰め寄ると、ファビアン樣は苦しそうな表情で僕に告げた。
「シリル、すまない。だけどこれが兄上の望みだったんだ。せめて自分の手で引導を渡してやりたいとね」
ランベール様の気持ちも分からないではないけれど、あまりにも辛すぎる。
やがてランベール様はゆっくりと崩れ落ちていくリリアーナ様の体をソファーに横たえた。
「……」
ランベール様がリリアーナ様に向かって何か呟いていたが、次の瞬間、ランベール様は手に持っていたナイフを自らに突き立てた。




