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第7話 星の協力者


 カーテン越しの柔らかな日差しで目が覚める。

 ベッド横のデスク上にあるデジタル時計を見れば5時50分と表示されていた。

 アラームが鳴るよりも前に起きてしまったらしい。昨日はあんなに疲れていたというのに。やはり心の何処かでは緊張しているのだろうか。


 ベッドからゆっくりと身体を起こす。

 俺は余計な考えを振り払うように自分の頬を一発殴った。頬にジワリと痛みが滲む。

 身体に残る痛みだけは、俺がここに存在するという事実を教えてくれる。


「今日はオリエンテーションがあるんだったか」


 俺はボソリと呟きながら、パジャマを脱いで制服に袖を通していく。一通り準備を終えた後は鞄を持って部屋を出た。ガチャリと音がしてドアが閉まる。どうやら部屋はオートロックで施錠されるらしい。


 俺は学生寮の廊下を進み、フロントの正面にある玄関から外に出ようとした。


「鹿羽さん、朝食のご用意が出来ていますが」


 ホテルで言う所のフロント係と思われる人物が話し掛けてくる。

 歳は30代前半くらいだろうか。青髪のショートヘアーが印象的な美しい女性だ。

 彼女は胸元に『管理者 福富葵ふくとみ・あおい』と書かれたネームプレートを付けている。


「すみません。朝食は抜きでお願いします」


 俺は目を逸らして答える。


「そうですか…本日はオリエンテーションの関係で昼食は持参となっておりますので、食堂からお弁当、軽食を持って行ってください」

「……いや、要らないです」 


 俺がそう返答すると彼女は困った顔をする。


「食事は強制ではありませんが…健康のためにもきちんと栄養を取るようにお願いします」

「……努力します」

 

 俺は彼女との会話を切り上げ、学生寮の玄関を出て校舎へと向かった。




 時刻は午前8時30分。

 俺を含めた20人の生徒が教室の席に大人しく座っている。皆、どこか浮かない顔をしながら担任教師である瀬野紘子の到着を待っていた。


「……メグル」


 後ろの席から声が掛かる。俺は後ろを振り返り、美瑠々の顔を見た。目元にはクマが出来ていた。昨日はよく眠れなかったのだろうか。


「どうした?」

「………今日、オリエンテーションが終わったら…話したい事があるの」


 彼女は目を伏せながら消え入るような声でそう言った。


「…ああ、分かったよ」


 俺がそう返答すると、彼女は安堵した表情を見せる。その控えめな微笑みは不覚にも、俺の心を揺さぶった。その事に気付かれないように、俺はすぐに前を向いた。その時、教室のドアが開く。


「はーい! 皆さん、おはようございまーす!」


 場違いとも思えるほどに明るい声で挨拶をしながら瀬野先生は現れた。クラス中の視線が彼女に集中する。


「……ずいぶんと遅いじゃないですか。生徒の手本となるべき教師が遅刻とは、聞いて呆れますね」


 教卓前の席に座る無愛想な男子が瀬野先生に向かって不満を含んだ言葉を掛ける。


「ごめんなさ~い! これから皆さんのお手本になれるように頑張りますから許して~」


 瀬野先生は舌をペロリと出して頭を下げる。その時、どこかから机を叩きつける音が聞こえた。


「ふざけないでよ! 昨日からアタシ達はアンタに馬鹿にされ続けて腹が立ってんの! しかもココ、ネット使えないし最悪なんだけど!」


 ツインテールギャルの榊原がグギギ…と歯を食いしばりながら声を上げる。おそらく不満の大半の原因はネットが使えない事によるものだろうが…


「榊原さん、私は皆さんを馬鹿にしている訳ではありませんよ。今のところ、皆さんに価値を感じられないから…このような態度を取っているだけです」


 瀬野先生は目を細めて微笑む。榊原は言葉も無いといった様子でヘタリと椅子に座り込んだ。


「ネット規制については学校側の方針で決められた事ですから、逆らうのは許されません」

「それでも…規則とか、罰則とか…色々あり過ぎじゃないっスかぁ!? これじゃあ充実した華の高校生活なんて送れないっスよぉ…」 


 瀬野先生の言葉に金髪チャラ男が半ベソをかきながら抗議している。その言葉に、周りの生徒達は静かに頷く。


「まぁまぁ…この学校では存分に恋愛が出来ますから! 生涯を共にする素敵なパートナーが見つかるかもしれないんですよ? 皆さんは恋愛がしたくてこの学校に入学したんですよね?」


 先生がそう問いかけると、クラスは沈黙した。

 その重い静寂をかき消すように黒板の上に設置されたスピーカーから音声が聞こえてくる。


「新入生の皆さん、おはようございます。生徒会副会長の白鳥星河しらとり・せいがです。本日は初めてのオリエンテーションという事で、当企画の立案者である生徒会長より内容の説明をお願いしたいと思います……生徒会長」


 爽やかな男性の声が聞こえたと思うと、ブツ…というノイズを挟んで声が切り替わる。


「1年生の皆様方…ご入学おめでとうございます。私は恋命高校生徒会長、重織姫かさね・おりひめと申します。本日はこの学校における恋愛教育カリキュラムの初回オリエンテーションについてご説明させていただきます」


 スピーカーから儚げな女性の声が聞こえてくる。生徒会長、重織姫の話を聞いている間、俺は昨日の電話について思い出していた。


 非通知で電話を掛けてきた奴は『ベガ』と名乗った。ベガという単語で真っ先に思い浮かぶのは星の名前だ。夏の一等星、こと座のベガ。七夕伝説では『織姫』と言われている。


 つまり…?


 いや、とっさに名乗ったとはいえ、こんな単純なコードネームを付けるだろうか。

 奴はわざわざ自分の情報を隠してまで接触してきたのだ。ベガ=織姫…なんて、あからさまに自分の存在を主張しているようなもの。


 となると別の何かが動いているのかもしれない。誰かが生徒会長に成りすましているのだろう。しかし、一体何のために?


「今回のオリエンテーションは『恋愛小論文』です。2人1組のペアになり、恋愛をテーマにした小論文を作成していただきます。内容は自由です。制限時間は6時間、3600字から4000字でまとめてください。なお、ペアごとに個室で作業していただきます。私からは以上です」


 オリエンテーションの概要を説明し終えた生徒会長はその後、喋ることは無かった。代わりに白鳥副会長が注意事項を説明していく。


「課題に取り組むペアの内、1名が代表者となり、個室の開錠権を持ちます。小論文の提出が完了し、代表者が同意した場合のみ終了予定時刻より先に個室を出る事ができます。なお、制限時間を過ぎても論文が未提出の場合、代表者に『劣等生チケット』を1枚配布します。6時間後に部屋は自動的に開錠されますのでご安心を」


 副会長がそう言うとクラス内がざわつく。俺達は小論文を書くために6時間も拘束されるらしい。親しくもない同級生と共に…


「それでは新入生の皆さん、ご検討をお祈りします」


 副会長は一言、そう締めくくり校内放送は途切れた。教室は沈黙する。


「はーい、皆さん! それでは早速、一緒に課題を取り組むペアを発表したいと思いま~す」


 陽気な瀬野先生の声が教室内に反響する。次の言葉を遮るように、海パン好青年の東が慌てて手を挙げる。


「先生! その…質問があるのですが…」


 東が気まずそうに周りを見回しながら立ち上がる。


「あら、東君。どうしましたか?」

「さっきの説明で副会長が言っていた『劣等生チケット』というのは一体…?」


 その言葉を聞いた瀬野先生は不気味に口元を歪ませる。


「……まぁ、集めない方が良いモノ……とだけ言っておきましょうかね」


 彼女は目を細めて静かに答えた。その異様な雰囲気に、クラスメイト達は動揺した様子を見せる。


「じゃあ、気を取り直してペア発表と行きましょうか! 完全にランダムでペア分けされていますので他意は無いですよ~ご安心ください!」


 瀬野先生は意気揚々と前置きをするとクラスメイトの名前を呼んでいく。


「1組目は藍川千里あいかわ・ちさと、東海斗ペア。代表者は東君です」

「は、はい!」


 東は元気よく返事をするが、藍川という優等生らしい雰囲気を纏った女子は静かに頷いただけだった。


 次々に名前が呼ばれていく。聞いている感じ、男女ペアもあれば同性ペアもある。ペア分けに特出した法則性は無いようだ。


「6組目は鹿羽巡、半田弥生はんだ・やよいペア。代表者は半田さんです」


 俺の名前が呼ばれた。どこかから視線を感じたのでそちらの方を向くと、メガネの女子が悪戯な笑みを浮かべながらこちらに手を振っている。入学式の前に話し掛けられた長身の女子生徒だ。俺は反射で彼女に会釈をした。


「7組目は白ノ江美瑠々、三善幸太郎みよしこうたろうペア。代表者は白ノ江さんです」


「は、はひぃ!」


 俺の後ろから情けない涙声の返事が聞こえてくる。美瑠々のヤツ…いきなり知らない男と二人きりなんて大丈夫か?

 少し気になったので後ろを向いてみる。案の定、美瑠々は目に涙を浮かべながらブルブルと震えていた。


「メ、メグル! わ、私…むむむ、無理かも…知らない人となんて話せないし、6時間も一緒に課題とか…どどどどど…どうしよう……」

「まぁ、なんとかなるだろ。お前は代表者なんだから、どうしても嫌ならさっさと論文を提出して部屋から出たらいい。4000字くらい、お前なら20分で書けるだろ?」


 俺がそうアドバイスすると、美瑠々の表情はパッと明るくなる。


「そ、そっか! 早めに終わらせちゃえば良いって思えば楽かも……ありがとね、メグル」


 美瑠々に微笑み掛けられる。俺は照れくさくなって前を向いた。

 気が付けばペア発表は終わり、クラスメイト達は指定された個室へと向かい始めていた。


「メグル、オリエンテーション頑張ろうね!」

「ああ」

「終わった後の約束、忘れないでよ?」

「分かってるよ」

「よろしい! じゃあ、またね!」


 美瑠々は元気に手を振って俺から離れていく。


「相変わらず仲のよろしいことで」

「うわっ!」


 突然後ろから声を掛けられた。さっき俺にアイコンタクトをしてきたメガネ女子だ。

 俺を見下ろしながらニヤニヤと腹の立つ笑顔を浮かべている。


「さあ、私達も行きますかねぇ…鹿羽クン」

「ああ、そうだな……」


 

 俺たち二人は校舎内の一般学習棟と呼ばれるエリアに移動する。自習や授業で使われるのであろう教室が並ぶその場所で、「学習室6」とプレートが掛かっている個室を見つけた。


 代表者である半田がドアにスマホをかざすとその部屋の扉が開錠される。引き戸の感覚で扉を開けると、そこは1年教室にも置いてあるような簡素な机と椅子が二つずつ置いてある。そして机上には小さなノートパソコンが一台。


「まあ…課題をするためだけの部屋って感じだな」


 俺は室内を見回しながら机の横に鞄を掛ける。その時、扉の方からガタガタと派手な音がした。


「あっちゃ~…マジで扉、開かなくなってんじゃん」


 半田は扉に手を掛けながら後ろ頭を掻いている。


「閉じ込められるってのは、脅しじゃなくて本当だったんだな。しかし、トイレとかどうするんだ?」

 

 俺がそう呟くと半田が奥の壁を指差す。


「ああ、それならそこの扉の先にあるよ」

「マジかよ…本気で監禁しにきてんな……この学校…」


 俺は呆れて溜め息を零しながら椅子に座る。半田も俺の隣に座った。


「改めて、よろしく鹿羽クン。私は半田弥生、適当に呼んでよ」

「じゃあ…半田…でいいか?」

「ふ~ん、君は初対面の女子をいきなり呼び捨てにするのか。大したもんだなぁ」

「……適当に呼べって言ったのはアンタだろ」

「ごめんよ~」


 悪戯を成功させた子供のように無邪気な笑顔を見せた半田は机に肘を付いて脚を組んでいる。フワフワの栗色の髪と穏やかそうな容姿からは想像も出来ないくらいに、なんだか偉そうな奴だ。

 

「さぁて、鹿羽クン。まさか君は、このオリエンテーションを真面目にやるつもりかい?」

「はぁ? 当たり前だろ。俺はこんな所から早く出たいし、何より内申点に響くかもしれないだろ」


 俺は机の上に置いてあったノートパソコンを起動して、文書作成ソフトを立ち上げる。


「鹿羽クン、君はこの課題の意味を何も理解していないね」

「何…?」


 指先で髪の毛を弄る半田を睨む。彼女は一息吐くと俺の方に向き直った。


「何のために6時間なんてクッソ長い時間が用意されていると思う?」

「何のためって…」

「親睦を深めるために決まってるじゃないか」

「はぁ?」


 ニヤニヤとした表情を浮かべる半田と呆れ顔の俺。この二人を傍から見たらさぞ滑稽に見える事だろう。


「親睦って…深めてどうするんだよ。アンタにとって良い事でもあるのか?」

「当たり前だ。無かったらこんな事言わないよ」


 半田は得意げに笑う。俺は彼女の次の言葉を待った。


「鹿羽クン、私の協力者にならないか?」

「協力者…?」


 俺は彼女の提案に首を傾げる。彼女は鞄から昨日配布された『汝は恋人なりや?』のルール―ブックを取り出し、机の上に広げた。


「ときに鹿羽クン、このゲームにおける勝利は何だと思う?」


 半田はルールブックにトントンと指を突きながら俺の返答を待っている。


「そりゃ……賞金を手に入れる事だろ」

「ふふふ…なるほど、なるほどねぇ…」

 

 彼女は口元を手で抑え、不気味な笑い声を溢している。


「おかしいと思わないか? この学校は若者に恋愛を学ばせることを目的としているはずなのに、学生たちの大半の目的は『金を得ること』になってしまうんだよ。この学校のシステムだとね」


 俺は言葉を失った。確かにそうだ。昨日の入学式においても、莫大な賞金を提示されて、クラスメイト達は金に意識が向いていた。


「つまり、この学校は…まともに恋愛させる気なんて無いのさ。恋愛はゲームを面白くするための味付けでしかない」


 半田はノートパソコンを人差し指でさらりと閉じる。


「私はこの学校の秘密が知りたい。何のために私達をこんなゲームに参加させるのか……その先に意味はあるのか…をね」


 彼女は立ち上がり、左手で俺の顎をすくい上げ、目を合わせる。


「君には情報を集める手伝いをして欲しいんだ」

「……あいにく、俺はそんなくだらない探偵ごっこに興味はない」


 目の前にあるムカつく顔を睨んだ。彼女の翡翠のような瞳が揺れる。


「ははは! そうか、じゃあ仕方ないね!」


 半田は仰け反り豪快に笑うと再び席に着いた。


「鹿羽クン、ボーっとしてないで課題を手伝ってよ。早く出たいんだろう?」

「……は?」


 半田はノートパソコンを開いて俺の方に画面を向ける。


「き、切り替え早いな…てか全部俺にやらせる気かよ」

「私はパソコンのキーボードを打つのが苦手なんだよ。アイデアは出すから打ち込みは頼んだ」

「はぁ…」


 俺は強引な彼女の言う通りに文字を打ち込んでいく。タイピングという単語が出てこないあたり、本当に苦手なのだろう。当の彼女はあくびをしてはメガネを拭いている。呑気というか、自己中心的な自由人。俺の嫌いなタイプだ。



 室内にある時計を見れば、現在の時刻は午前10時を指している。オリエンテーション開始から1時間が経過していた。小論文の方は構想がある程度まとまったので、本文をパソコンに打ち込んでいる………俺が。


「クッソ…なんで俺が雑用みたいな事を……」


 ブツブツと文句を呟きながら半田が指示した内容をひたすら打ち込んでいく。悔しいが、彼女が考えた小論文のテーマは興味深く、完成度の高いものだった。


 題名は『愛の設計』。


 彼女の主張は「他者への愛は自己に戻るように設計されている」というものだった。ややこしい哲学的なテーマだが、俺はそれを面白いと思った。


 他人を気遣う、好意を伝えるといった一見親切な行為は、他人を愛することなのか。なぜ人を気に掛け、手を差し伸べる?

 その動機は自分の為だ。他人に優しくすれば自分の評価が上がる。誰かを愛すれば自分も愛される。他人に必要とされることで埋まらない心の隙間がふさがっていく。全ては自己愛に過ぎない。


 他者に本当の愛を与える事など出来ない。

全ては自分を愛するための、まやかしに過ぎない。


 そういう話だ。とても高校生が考えるとは思えないほどに後ろ向きな思想だが、納得する部分もあったので渋々この内容に同意した。


 挑発的な彼女のイメージからは想像できない虚無的な内容だ。人は見かけによらないとは言うが…彼女の場合は温度差が凄くて接し方が分からなくなってしまいそうだ。


「おーい、手が止まってるよー鹿羽クン」


 半田は俺の肩を指で突いて催促してくる。


「……少し、休憩する」


 俺は深い息を吐いて項垂れた。


「ちょ……大丈夫かい? なんか視点が定まってないっていうか…顔色が悪いよ」


 半田が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。散々俺の事をこき使ったくせに…


「休めば大丈夫だ。やはり気疲れするな、優秀な奴と一緒にいると」


 俺は乾いた笑いを零す。半田は一瞬、驚いた表情を見せたが何も言わなかった。

 10分程休んで小論文作成を再開する。


「……協力者の話、考え直す気はないかい?」

「ハァ……またか。俺は興味ないって言ってるだろ」


 半田が机に肘を付きながら俺の顔を覗き込んでくる。


「じゃあ、言い方を変えよう。私が君の協力者になる」

「は?」


 先程の主張と異なった提案に俺は動揺する。


「君がこのゲームで何を得ようとしているのかは知らないが、金であれ恋人であれ、欲しい物を手に入れる手伝いをしてあげるよ」


 半田は目を細めて笑った。


「どうしたんだ急に…」

「まぁ、とは言っても? タダで力を貸す訳にはいかない」

「ハァ…そういう事かよ。要はお互いの協力者になる事で自分の目的を果たそうってか」

「その通り」


 彼女はフフンと鼻を鳴らす。


「しかし、私も無能とは組みたくないのでね。少しテストをさせてくれ」

「……俺はアンタと組みたいなんて一言も言っていないが?」

「まぁまぁ、君の悪いようにはしないよ。なんなら…お金をあげようか?」


 俺はその言葉に反応する。金に反応した俺に気付いた彼女は口元を抑え、堪えるように笑った。


「どんな手段を使っても良い。この場で私に1万円を払わせてみろ」

「はぁ?」

「それが君と組むかどうかを判断するテストだ。もちろん、成功したら金はやるよ」

「……営業職の面接みたいだな。このペンを1万円で売れ、的なヤツか」

「まぁ、そんなところだね」


 半田はニヤニヤとムカつく笑みを向けながら俺のアクションを待っている。

 さて、どうしたものか。俺は1分程黙り込み、思考を巡らせる。

 そして、一つの可能性に賭けることにした。今日1時間ほど話して理解した彼女の特性。半田弥生、彼女の目的に漬け込むこと。それが俺の勝機だ。


「半田、少し時間を貰ってもいいか? 論文を書き進めながら考えたい」

「ああ、もちろん構わないよ」


 俺は半田に確認を取り、彼女も何の疑いを向けることなく頷いた。そのまま俺はパソコンに向き直り、続きの文章を打ち込んでいく。その間も彼女はスマホを弄り続けていた。


 30分ほど経過し、小論文が完成した。俺は、いくつか操作を加えて半田に話し掛ける。


「小論文、完成したぞ」

「お~おつかれ、チェックさせてもらっていいかい?」

「……ああ」


 俺は半田にパソコンを渡す。彼女は確認しようとその画面を覗き込んでは神妙な顔をしていた。


「おい、なんで文書にパスワードなんか付けてるんだ」


 半田は俺の顔を睨みつけて尋ねてくる。


「アンタのテストを受けるためだよ、半田弥生」

「…はぁ?」


 俺の言葉に彼女は不機嫌そうに首を傾げている。俺は彼女に『取引』の言葉を掛けた。


「俺はこの論文を提出しない。アンタは制限時間を過ぎるまで鍵の掛かった文書と睨めっこする事になるだろうな」

「………何をふざけている。そんな事をして…君に何の得があるんだ?」

「得…? そんなの決まってるだろ。アンタから金をブン盗るためさ」


 俺は口元を手で抑えて控えめに笑う。その様子を見た半田は怪訝そうな顔でこちらを見ていた。


「鹿羽クン、私は別にこの論文を提出しなくたって何の問題もないんだ。内申点に響くと言って真面目に課題に取り組もうとしていたのは君だろう。こんな事をする意味が分からないよ」


 彼女は困惑した様子で俺の方を見ている。彼女を『取引』に乗らせるため、俺は彼女に説明する事にした。


「本当にそうか?」

「……は?」

「本当にアンタはこの論文を提出しなくて良いのか?」

「………何が言いたい?」


 違和感に気付いた半田は目を細めて俺を見る。彼女はズレたメガネを中指で直していた。俺は椅子から立ち上がり、彼女を見下ろす。


「じゃあ説明するよ。このオリエンテーションでは部屋の開錠権を持つ代表者が明らかに有利だ。自分がさっさと論文を書き上げて部屋から出るも良し、ペアの相手を拘束するも良し……そういう状況下でこの課題は行われる」


「ああ、そうだね。私は代表者だからある程度は自由が利く」

「……ただし、ある条件下では代表者にのみペナルティが発生する」


 俺がそこまで言うと半田は理解したと言わんばかりに深い溜め息を零した。


「時間切れ、論文未提出による罰則………『劣等生チケット』か」


 彼女は目を伏せ、机に頬杖を付いた。


「私に論文を提出させないようにしたという訳か、悪知恵が働くねぇ」


「俺は『劣等生チケット』の詳細など知らない。しかし、この学校では階級制度があると踏んでいる。昨日、俺は『特待生』を名乗る先輩に絡まれた。俺達1年は一般の生徒って事なんだろう。そして…」


 俺は息を吸って、彼女の顔を覗き込む。


「『劣等生』と認定された場合、学校生活において何かしらの制限を受けるんじゃないかと思ってね。学校の秘密を探りたい半田にとっては不都合が生じるんじゃないか?」


「フン、そんな脅しに私が従うと思うかい?」

「ああ、提出できなくて困るのはアンタだ。パスワードが掛かったままの文書を提出したとしても内容を確認できずに再提出の指示を出されるだけだろう」


 半田は目を逸らして黙り込んだ。そんな彼女に俺は優しく声を掛ける。


「金を払えばパスワードを教えてやるよ」

「………私がパスワードを解ければその取引は何の意味も無いな」


 半田はそう言うと、軽快にパソコンを操作し始める。パスワードの入力テンキーにいくつかの文字を打ち込んでいるようだ。彼女が打ち込んだ内容は外面上では黒丸で伏せられているので確認はできない。


「でたらめにやっても通る訳ないだろ」

「…うるさい」


 彼女は一瞬、手を止め、何かを迷うような素振りを見せるともう一度打ち込みを再開する。しかし、結果は同じで、その文書が開かれることは無かった。


「………分かったよ。これ以上は時間の無駄だ。1万渡すからパスワードを教えてくれ」


 半田はそう言ってパソコンに向き合って座りながら俺の方を見上げていた。


「いいや、3万だ」

「……は?」

「3万でパスワードを教えてやる」

「おい…! いい加減にっ…!」


 俺は彼女が提示した金額の3倍を要求した。昨日の時点で初期所持金として5万円が配布されているため、彼女はその金額を払えるはずだ。反論しようとした彼女の前で、俺は恍惚とした笑みを浮かべる。


「今、主導権は俺にある。俺の要求を飲まないなら、アンタはペナルティを受けるが?」


 俺の言葉に彼女は黙り込んだ。そして重たい口をゆっくりと開く。


「……私の負けだ。要求を飲もう」

「助かるよ、半田」


彼女は渋々とスマホを弄り出した。その数秒後、俺のスマホに通知音が鳴り響く。


〈(差出人 半田弥生)3万円が入金されました。所持金ページをご確認ください〉


 俺はホーム画面の『所持金管理アプリ』をタップする。アプリを開くと差出人からの入金を許可するかといった旨の確認画面が表示されたので、「許可する」を選択した。


「………どーも」


 俺は所持金が増えたことを確認すると、パソコンを半田に渡した。半田が「早く教えろ」と言わんばかりに目線を送ってくる。


「まぁ、金は貰ったから俺が文書を開いても良いんだけど」

「……いいや、答え合わせはさせろ。納得がいかない」

「そうかよ」


 半田は俺を睨みつけて催促してくる。おお、怖い怖い。


「『VEGA』だ」

「は?」


 困惑する彼女の手元に『VEGA』と手書きで書いたメモを置く。


「…あまり見ない英単語だな」

「身に覚え無いか?」

「……無いな」

「そうか」


 半田はパスワードを打ち込んで文書を開いて内容を確認すると、それを運営に提出した。彼女は深い溜め息を吐いてパソコンを閉じる。


「全く…鹿羽クン……やってくれたねぇ」

「俺はアンタのテストを受けただけだが?」


 半田はオリエンテーション前のような余裕が見えるムカつくニヤケ顔に戻っていた。


「控えめで無害そうな見た目からは想像も出来ないくらいに腹黒じゃないか」

「……アンタも人のこと言えないだろ」

「ははは! そうかい?」


 俺は椅子に座ったままの彼女を置いて、出口である扉へと向かう。


「全く、レディを置いて行くとは酷い男だね」


 半田は後ろからポンと俺の肩を叩き、ニヤリと笑った。半田が扉の前に立つ。


「提出完了。扉を開けてくれ」


 半田が宙に向かって言葉を掛けると、ガチャリと重い音が響いた。


「今は12時か…時給換算で1万円。美味しいテストだったよ」


 彼女に聞こえるように呟くと、俺はその部屋から脱出した。当の彼女は俯いたまま部屋から出ようとはしなかった。俺は無視して廊下を進む。


「私の見立てに間違いは無かった。協力者の件、忘れるなよ」


 後ろから聞こえた声。振り返っても、そこに彼女の姿は無かった。

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