75 - 小さな巨人
食堂を飛び出した菜優は、改めてシノの姿を探しました。しかし真っ暗闇の廊下を照らすのは、菜優が手に持つ燭台の、上に立てられた小さな蝋燭のみです。目で追って見つかるはずがない、と思いきや、左手のほうからぼんやりと明るい―まるで、新品に取り替えたばかりの蛍光灯のような、真っ白の―光が見えてくるではありませんか。それにどたどたと、なにか争うような物音もそちらのほうから聞こえて来ます。シノはそちらのほうに向かったのだと菜優は確信して、その光の元へと全力で駆け寄りました。あんなに明るいのなら、蝋燭は要らないなと、燭台を食堂に返してから。
むこうから漏れ出てくる白い光が、わずかに差し込んできてくれるおかげか、暗闇の廊下の中でも、わずかに見通すことが出来ます。菜優はその中を全力で駆け抜けて、シノの元へと急ぎます。とはいえ、この宿屋も、そこまで大きくはありません。数刻もしないうちに、シノの姿を認めることが出来ました。彼女は自分の二倍ほどは背丈の高い男と対峙していました。男は、大きな戦斧を正面に構えて、シノの動きを伺っているようでした。
「シノちゃん、大丈夫!?」
「む?ナユか。どうして来た」
シノは菜優の声を聞いて、ぐるりとこちら側に翻りました。男は好機とばかりに斧を大上段に構えて、力強く振り下ろそうとしました。その刃先がシノの小さな体にせかからんとした、その時。シノがぐるりと回った勢いで広がった、後ろ髪に薙ぎ払われるかのように、男の体がぐねりとうねると、勢いそのままに横になぎ倒されていきました。
「まったく。それが一端の淑女に対する態度かね。荒事は苦手だというのに。そんなことばかりしていたらモテないぞ」
ぱっぱと払うようにスカートの裾を伸ばしながら、シノは伸び上がった男を見下ろしていました。その近くに、既に簀巻きにされた男が二人ほど、床にころがされているのを、菜優は見つけました。
「…強いね?シノちゃん」
「なに、伊達にルナーで暮らしてないさ。そんなことより、来てくれたんなら手伝ってくれないか。彼奴らを晒し首にしたいものだが、如何せん、わたしは非力なもんでね」
非力。菜優はその言葉に耳を疑いながらも、「…運べやんの?ホントに?」と聞いてみますが、「ああ。先に述べた通り、わたしは非力さんでね」なんて、眉一つ動かすこともなく、声色一つ変わることもなく答えられてしまいます。
「さっきはあんな、ごぉんって、この人なぎ倒してたのに?」
念押し気味に菜優は尋ねてみますが、
「なんてことない、魔法の力に頼ってるだけさ。そして生憎、今日はもう店じまいさ。ガス欠でね」
シノはにべにもなくそう言うのみです。そして、気を失った男を一人担ぎ上げようとして、担ぎ上げられずにいました。一方で、シノは大げさに肩を上下させてみたり、そしてこちらをちらりと見てから、また担ぎ上げようとしたりする素振りを見せていたので、わかりやすく、そういうフリをしているだけなのだと、菜優には一発でわかりました。
しゃあないな、なんてわざとらしく―しかし、わざとっぽく見えすぎないように―肩をすくめてみせてから、男たちを担ぎ上げようとした、その時。菜優は一瞬だけ、廊下に立ち込める暗闇のなかに、ぎらりと光る銀色の光を見た気がしました。そう思うが早かったか、菜優はすでにエーテルソードを抜き身にして、正面に構えます。その瞬間には、既に斧が菜優の眼前に向かって飛んできていて、斧がエーテルソードの刀身にぶつかりました。金属と金属が打ち合ったときの、カチッとした感触が手に伝わってきます。次の瞬間には真っ二つに分かたれた斧が、菜優の頬のとなりをすり抜けていきました。
「シノちゃん、大丈夫!?」
菜優は叫びながら、後ろに振り返ります。その次の瞬間には急激に視界がぼやけ、気持ち悪さが襲ってきたので、エーテルソードを慌てて鞘にしまいました。ぐらりと揺らぐ視界が輪郭を取り戻すと、シノは眉間に皺を強く寄せ、目も大きく見開きながら、菜優の遥か後方を見ているようでした。彼女の長い髪が、炎が燃え上がるかのように広がっていて、彼女が烈火の如き怒りを視線の先の何かに向けていることは、火を見るよりも明らかでした。その視線の先の向こう側に、菜優は振り向き直ろうとしました。その瞬間、後ろからぐいと、首が襟で締まりかねないほどの力で引きこまれて、そしてシノの胸元に引き込まれます。そして、「見ない方がいい」というシノの声と共に、彼女の小さな手に視界を遮られてしまいました。
暗闇に閉ざされた視界の中で、菜優は考えていました。見ない方がいいものとはなんだろうと。考えてみるものの、答えはおよそ出そうにありません。そうしているうちに、にわかに木が割れるような音が鳴った後に、石が転がり落ちていくような、ぱらぱらとした音が鳴り響いて、やがて止まりました。菜優は突然、なんだか恐ろしくなって、シノの手を引き剥がそうと試みました。しかし、頭二つ分くらいは背丈の低いシノの力は思いの外強く、菜優が両手を使って剥がそうとしても、その片腕はなかなか剥がれてくれません。
「…むう、いかんな。カタはついた。戻るぞ」
シノはそう言いながら翻り、急かすように菜優の手を引きました。その隙に菜優は、シノがそれまで見ていた方向を盗み見てみました。あれだけ明るかった光は既に幾分と弱まっていて、あまりはっきりとは見えませんでした。しかし大きな穴と、その周りになにかが飛びっ散ったような跡があったことを、菜優は確かに、目にしたのでした。




