73 - まるで主人公のような
ルナーの薄暗い街を、ナルラが菜優を両腕に抱き抱えながら歩きます。細身な彼の体躯からは信じられないほどしっかりと抱き抱えられていて、多少暴れてみるくらいでは、ぴくりとも動かせそうにありません。菜優はなんだか頼もしいやら、気恥ずかしいやらで、バクバクと早鐘をうたせながら、ナルラの腕の中でじっと縮こまっていました。
やがて宿屋の前にまで来るとナルラは菜優の方に向き直りかけて、ぷいと顔を背けしまいました。そしてどこか遠くの方を向いたまま、「歩けますか?」と聞いてくるので、「うん、大丈夫。ありがとう」と答えました。
ナルラは顔をなお背けたまま、しかしゆるりと丁寧に、菜優を足元から降ろしました。菜優はスニーカー越しに地面の感触を確かめると、そのまま、二、三度ほど、コンコンと地面を踏み締めました。恐怖に竦み上がって、動けなくなっていた足がきちんと動くことを確認すると、菜優はほっと胸を撫で下ろしました。あのままナルラに抱えられたままでいたら、どうなってしまうことか、分かったものじゃありませんから。
ナルラは、また菜優の方に向き直って、一度口を開きましたが、俄かにそれを閉ざしてしまって、俯いてしまいました。やがてナルラは菜優を先導するように宿屋に入っていきます。そんなナルラの様子を、訝しげに菜優は見ていましたが、とりあえずついていくことにしました。
宿屋の中にはいくつかの燭台があって、そこに立てられた小さなロウソクが、ほのかに廊下を照らしていました。これなら、道に迷うこともそうないでしょう。菜優は安心してお手洗いに向かおうとしましたが、下腹部にあったはずの痛みが、きれいさっぱり失くなっていることに気付きました。まさかと思ってズボンや靴下を触ってみると、それらが濡れていることが確かめられました。そんな折に、先導していたナルラが、背を向けたまま、
「あの。お、お風呂はまだ空いてますので。お着替えは、こ、こちらで用意しておくので…」
と尻すぼみ気味に言うものですから、菜優は顔を真っ赤に染め上げながら、お風呂に向けて、全力で駆け出しました。
あまりの恥ずかしさに転がり込むように脱衣所に駆け込むと、衣服を投げ捨てるように脱いでいきます。ホントは今すぐにでも湯船でもなんでもいいから狭いところに飛び込んで、顔まで隠してしまいたいのに、服を脱ぐのに手間取ってしまっていて、じりじりともどかしさが募っていきます。やがて脱ぎ終わった服をかき集めて、カゴの中に放り込むと、そのままお風呂へと飛び出していきました。
念入りめに掛け湯をしてから、浴槽の中に飛び込みます。水面がざぶん、と音をたてて、荒々しく波立っては、やがて何事もなかったかのように落ち着きを取り戻していきます。菜優は両手で顔をすっかり覆い隠しながら、湯船の中へと沈んでいきました。
「おい。風呂くらい静かに入らんか」
暗がりの中から、シノと名乗った、あの少女の声が響いてきました。菜優は必死に、聞いてこないで、聞いてこないでと、心の中で叫び続けました。そんな菜優の祈りが届いたのか、話したくなさそうな態度を見てのことなのかは分かりませんが、シノが何かを聞いてくることはありませんでした。
静寂が、二人を包みこみました。菜優は顔全体をお風呂に埋めて、真っ赤に染まり上がった顔を隠したい気持ちでしたが、そんな事をしては息が出来ないので、口元までに止めておいて、膝を抱いて項垂れてしまっていますし、シノはひたすら、黙りこくったままです。時々、お風呂を沸かすために燃やされているだろう薪の、ぱちぱちと爆ぜる音がするくらいです。
幾分時が経ち、菜優も流石に落ち着きを取り戻してきていました。すると流石に、隣にシノがいるらしいのに、話しかけないでいるのがなんだか気まずくなってきました。
「ねえ、シノちゃん」
問いかけてみますが、返事がありません。二、三度呼びかけてみましたが、やはり返事がありません。菜優はどことなく胸騒ぎを覚えながら、手探りでシノの事を探しました。やがて人のような感触を探り当てると、それを両腕に抱きよせました。その体は同じく浴槽で温まっていたはずの菜優ですら熱さを感じるほどでした。緊急事態と判断した菜優は、シノを抱き上げたまま急いでお風呂から出ました。
脱衣所にバスタオルを敷き、その上にそっとシノを寝かせました。彼女の小さな体躯は燃えるような緋色に染まっていて、内に秘めた熱を表しているようでした。菜優はもう一枚バスタオルを持ってきて、それを肩幅程度の大きさにまで畳んで、うちわ代わりにして扇ぎます。途中でお腹を冷やすのは良くないな、と考え、もう一枚バスタオルを持ってきてそれをシノのお腹にかけてあげようとしました。
そんな折に、脱衣所の中に入ってくる人がありました。タオルや着替えを手にしたナルラです。二人は互いの姿を認めると、互いに固まってしまいました。やがて菜優が、自分がお風呂から上がってきたままの姿であることに気がつくと、涙目になりながら、手当たり次第に近くのものを掴み取っては、ナルラに向かって投げつけました。その疾風怒濤の如き勢いに、ナルラはすっかり気圧されてしまって、手にしたタオルやら着替えやらを置いて逃げ去ってしまいました。




