63 - 意外な一面
次の日、菜優は朝からタンスと椅子を抱えて孤児院へと向かいました。孤児院に辿り着くと、マリーの姿を探しました。しかし彼女の姿はどこにもなく、代わりに、子供たちと洗濯物を干すデールの姿が見えました。デールが菜優の姿を見つけると、大きな声で話しかけてきました。
「お、ナユさんだ。おぅい、おはようございます!マリーなら宿屋の手伝いに行ってるっスけど、何か用っスか?」
マリーが居なくて少し残念に思いましたが、今日の用事はタンスと生ものの椅子のプレゼントです。特段、マリーに会いに行く必要もないでしょう。
「ううん、大丈夫!ちょっと貰って欲しいもんがあるからさ、持ってきたの!」
「了解っス!ニーマ、ブリジット、チビ達を任せて良いかい?」
そう言ってからデールは、ばたばたと菜優のもとに駆け寄ってきました。両肩に抱えたタンスと生ものの椅子を、驚いた様子で見上げながら言いました。
「……貰ってほしいものってコレっスか?てかこんなおっきなもの、よく持ってきたっスね」
「うん。もらったはええんやけど、家まで持って帰るわけにもいかんし、邪魔くさいしでさぁ」
「何をどうやったらこんなものもらえたんスか」
「なにをって…お仕事でピアノ弾いてねぇ」
菜優がタンスをもらった経緯を話していると、デールがぎょっとした顔で菜優の事を見ているのが分かりました。目は大きく見開かれていて、いかにも信じられない、と言っているようにも見えました。
「え、ナユさん、ピアノ弾いたんスか?ガッツあるっスね……」
「まぁね。おでこに石かなんか喰らって撃沈したんやけどさ」
そう笑いながら答えた菜優の、頭に巻かれた包帯を見て、デールは合点がいったように手を叩きました。
「おひねりがもらえるほどのピアノ演奏かぁ…一度聞いてみたいっスね」
「ピアノないからまた今度ね」
「え?ピアニストなのに、ピアノ持ってきてないんスか?」
菜優は思わず、「そんな重たいもん、持って来れるわけないやろ!」とツッコミを入れそうになりました。が、質問をしたデールの表情はどちらかと言うと拍子抜けしたような感じで、ピアニストがピアノを持ち歩くことが、さも当然であるかのような雰囲気すら感じます。
「……もしやとは思うけれど。ピアニストって、ピアノを常に持ち運んでるものなの?」
「何言ってんスか、ナユさん。そんなの、当たり前じゃないっスか。"ピアノの重荷に耐える事が、ピアニストとしての第一歩だ"って、よく聞く話じゃないっスか」
菜優はまた、額に石礫をぶつけられたような衝撃に襲われました。何言ってんスか、とデールが言った瞬間には、そんなことあるわけないという言葉が続く事を期待しただけに、がっくりと項垂れてしまいました。やはり、この世界の住人は怪力だらけだ、という認識が改まることはありませんでした。
タンスと椅子の引き渡しが無事に終わって、帰ろうとしたその時、振り返った先にいつもいるはずのケルがいない事に気付きました。慌てて周囲を見回していると、子供達に囲まれて、好き放題弄り回されているケルの姿が遠くに見えました。菜優の顔が、にわかに青ざめていきます。
子供達は、相手が可愛いワンちゃんとしか思ってないことでしょう。わんわん、わんわんと口々に呼びかけながらべたべたと撫でたり、尻尾を引っ張ったりしています。が、相手は熊でさえ殴り倒せてしまうほどに強い猟犬なのです。徒党を組んだ盗賊達を一方的に、それも一瞬で蹂躙してしまう彼女のことですから、周りにいる子供達を殴り斃してしまうことなど、造作もない事でしょう。
それに、彼女は撫でられる事を酷く嫌います。現にケルはとても不機嫌そうに牙を剥き出していて、グルルと喉を低く唸らせています。ああ、やばい。菜優は直感して、ケルを止めようとしました。しかし菜優の言葉が届くよりも先に、子供がケルのヒゲを引っ張ってしまいます。とうとう辛抱ならないと、ケルはすっくと立ち上がって、子供達を睨みつけました。
「アンタ達ねえ…あたしが黙ってやられてるからって調子づいちゃって」
「ケルちゃん、ダメ!」
一応止めてはみたものの、菜優の言葉も、ケルには届いてないようです。ケルがもし暴れ出したなら、とても菜優では止められません。子供達がケルの一挙一動によって吹き飛ばされていくのを、黙って見守ることしか出来ないでしょう。
ケルは自分を取り囲む子供達を、端から端まで見回しました。そして、牙を剥き出させたまま、子供達に言い放ちました。
「あたしね、ただのワンちゃんじゃないの。怖ぁいワンちゃんなの。だからね、あんた達みたいな悪ぅい子はね……みんなまとめて、食べちゃうぞぉ!」
ケルはその言葉を皮切りに、子供達を追い回しはじめました。子供達は散り散りに逃げていきますが、その誰もに、ケルが追いつく様子はありません。どころか、ケルもゆっくりと子供達を追いかけながら、「こら、待ちなさいよあんた達!」と言いながら、心なしか楽しそうに追いかけ回しています。
菜優は目を点にしながら、ケルと子供達を見守っていました。子供達も特別足が早いわけではありません。元の世界にいた頃の、幼稚園の様子をたまに見た時の、子供達の足の早さと大差がないように見えます。そんな子供達に、本気を出せば空気すらも切り裂いて、轟音と衝撃波を撒き散らしながら駆け抜けるケルが、子供達に追いつけていないのです。
やがて、菜優の頭が現実に起こっている事に追いついてきました。どうやらケルは子供達を追い回して遊んでいるようだと、ようやく分かりました。気付けばケルは数人の子供を背中に乗せて、勢いよくあたりを駆け抜けていたりします。ケルの意外な一面を見て、菜優は頬を綻ばせました。
やがてそこに「こらぁ!お前達、洗濯終わってないじゃないっスか!」と叫びながらデールと二人の子供達も乱入して、孤児院は大騒ぎとなりました。そこにマリーが帰ってきて、仰天しながら疑問をなげかけました。
「ただい……え。何やってんの?」
「あ、マリーちゃん。ウチのケルが遊んでもらってるようで」
「おお、ナユさん。そういうことだったんですね。そういうことなら、私も」
そう言って、マリーもその混乱の中飛び込んでいきました。マリーのことはしっかりものだと思っていたのですが、こういうところはやっぱりまだまだ子供なんだな。菜優はそうやって日が暮れ落ちるまで一匹の猟犬と、彼女を追い回したり、乗っかったりしている子供達を見守っているのでした。
「さ、ケルちゃん、そろそろ帰るよ」
日が地平線の彼方へ姿を隠して、街灯のないルナーの街を歩かねばならなくなる前に、菜優達は孤児院を発つことにしました。わんわんと遊べなくなるのを惜しがる子供達を「また遊んであげるわよ。けどもう遅い時間だから、また今度ね」と宥めていました。
孤児院から離れて、ルナーの街中を菜優達は進みます。家の前に据えられた電灯がちらちらと灯りはじめています。そんな暗がりの中、ケルは菜優が生暖かい目でこちらを見ていることに気づきました。「何よ、その目は」と問い立てても、「いんや、なぁんも?」とはぐらかされるばかりです。
けれも、どこか気味の悪い笑みを浮かべたままの菜優を、ケルは訝しげに睨んでいました。そして菜優が不意に、「食べちゃうぞぉ」なんて茶化すように呟くものですから、ケルも「張っ倒すわよ!」と怒声をあげるのでした。




