56 - 宿屋の主人
「先程は見苦しいものを…すみません」
店員さん、改めマリーは半ば呆れながら、菜優に頭を下げました。菜優はとんでもないと言わんばかりに、手を振ってみせました。
「そんな、家族が多いと大変よんなって、テレビ見てても思うし。それよりさっきの子は?」
「ああ、デールとピコのことですか?あの子達も同じく孤児で、ナル兄に拾われてここにいるんです。デールは、私と同じくここでは年長なほうで、面倒見は良いのですが中身がああですし、ピコはピコでやんちゃが過ぎて…困ったものです」
未だ頭を抱えているマリーを見て、とにかく大変そうだと思いました。しっかり者には、しっかり者なりの気苦労があるようです。
菜優は孤児という言葉を初めて聞いたように思いました。言葉の存在自体はもちろん知っていますし、意味も分かるものですが、実際に孤児と呼ばれる存在に、出会ったことがありません。
菜優の通っていた学校の近く学童保育があって、クラスメイトの数人がそこのお世話になっていたのなら覚えています。しかし彼らも漏れなく親の迎えが来て、そして、彼らの家に帰っていくのです。菜優が出会ってきた人々は、それくらいが精々なもので、身寄りのない子供達を目の当たりにするのは初めての経験です。
菜優は一瞬可哀想、とも思いましたが、マリーが言った「家族のようなものですから」というひと言を思い出します。本物の家族はいなくても、ここの子供達は家族同然の絆で結ばれているのでしょう。であればきっと、寂しくありませんね。いえ、小さな子が多いとなれば、騒がしいくらいでしょうか?
やがて一つの部屋にたどり着くと、「こちらの部屋を使ってください」と通されました。部屋を開けると、岩で出来たタイルの敷かれた、三畳ほどの小さな個室がそこにありました。外の様子と比較すると綺麗に掃除もされていて、菜優は感動を覚えました。
荷物を下ろすと菜優は、やはりお風呂に入りたいと考えていました。そこでカウンターまでもどってマリーにこのことを伝えると、「すみません、今の時間は開放してないんです。もう少しあとでもいいですか?」とマリーは答えました。
理由が気になって聞いてみると、どうやら今の時間帯は従業員…というか、デール達孤児が利用している時間帯だそうで、トラブルを避けるために分けたいのだとか。菜優は渋々承諾して、カウンターを後にしようとしました。
その時ちょうど、入り口の外から、がやがやと騒がしい声がしてきました。外の様子を伺ってみると、菜優と同じくらいの歳だろう男の子が五、六人の子供達と手を繋いで帰ってくるのが見えました。子供達はぐるりと男の子を囲んでいて、なんだか歩きにくそうでもありました。
菜優はその様子を微笑ましく見ていましたが、すぐに違和感に気づきました。中心にいる男の子は、彼の着ているマントのせいで見えづらいのですが、子供達全員と手を繋いでいるように見えるのです。人間の手の本数は二のはずで、子供は少なくとも五人はいます。なのに、子供達全員の手は、男の子のものだろう手を確かに握っているように見えるのです。本来あるべき腕の本数と、子供達の数が合いません。
それによくみると、買い物をしてきたのか、手提げ袋まで持っているようです。不思議に思いながら見ていると、後ろからマリーが、菜優に話しかけてくるのが聞こえてきました。
「あの真ん中にいるのが、ナル兄です。くれぐれも、腕と目の事は触れないであげないでくださいね。とても気にしてるので…」
腕と目…?と思って、菜優はその男の子の顔を見ました。確かに、右目が包帯に巻かれて隠れているのが見えました。
もしかして、あの包帯の裏は赤い瞳に三つの勾玉の形をした瞳孔があって、相手の術をコピーするような力があったりするのかな?とか考えたりしました。しかし、本人は気にしているようなので、触れないようにしておこうと、菜優は心に決めました。
やがて男の子たちは宿屋に入ってきて、ナル兄と呼ばれた男の子の手を離れて、各々に洗面台へと走っていきます。一方のナル兄は菜優の姿を認めて、挨拶をしました。
「は、はじめまして。この宿屋を経営しています、ナルラ、といいます。ご準備できるものも多くありませんが、ぜひゆっくりとしていってください」
ナルラはどこかおどおどとした態度で、菜優に頭を下げました。菜優もつられて頭を下げます。ナルラは頭を上げると、マリーと何かを話しはじめました。詳しい内容までは分かりませんが、どうやら仕事の引き継ぎをしているようです。マリーは時折菜優の方を手で指し示すようなジェスチャーをしているので、多分、菜優の事も喋っているのでしょう。やがえマリーが子供達を連れてカウンターを離れると、ナルラが菜優に声をかけてきました。
「お風呂、ですよね。今、開けられるか確認してもらってるので、し、少々お待ちください」
ナルラは、相変わらずのおどおどとした態度で、そう言いました。菜優は八日ぶりのお風呂を堪能できると考えると、今からも楽しみで仕方ありませんでした。そしてわざわざ都合をつけようとしてくれるナルラに、感謝せずにはいられませんでした。




