44 - 脱出作戦は続く
ケルのおかげもあり、菜優を探していたガード達はうまく撒けたようです。一方で、菜優の事を捜索している部隊がいる事もこれで明らかになりました。
早く街から出なければ、早晩にもまた見つかって、またケルに蹴散らしてもらうことになりかねません。菜優は、とにかく早く街から出る事を考えていました。でも先に、菜優はケルに言いたかったことがあります。
「ありがとね、ケルちゃん」
「やらざるを、得なかったまでよ」
ケルは息を荒らげながら、きょろきょろとあたりを見回しています。
「一応言っておくけれど、あんたを乗せて、あのペースで、走り続けるのは、無理だからね」
今までどれだけ戦っても涼しい顔をしていたケルが、こうも息を荒らげているのですから、結構な無理をしているのでしょう。菜優は改めてありがとう、と言いました。
「ちょっと休憩しよか」
「こんな時に、休憩なんて、してる暇があるのかしら」
「それでも、やな。ケルちゃんがいざ、って時に動けんとは思わんけどさ、ケルちゃんが十全に動けん事には、私一人で動くのは危ないやろ?」
とはいえ、そう長い事時間が取れるはずもない事は、菜優もわかっていました。菜優はケルを休ませながらも、あたりを観察するなど、できる限りの事をしていました。
すると近くにピッケルらしきものが落ちているのが目につきました。時間が多少かかるかも知れませんが、これを使って壁を掘れば、うまくいけば勘付かれる事なくひっそりと脱出できるかも知れません。
菜優はピッケルを手に取ると、また外郭壁に近づいて行きました。焼けこげた壁に狙いをつけると、菜優は思い切りよくピッケルを壁に打ち込みました。
こつっ、と軽い音がして、壁は脆くも抉れて崩れ、数センチほどの窪みが出来ました。この調子なら思ったよりも早く、穴は向こうまで開通してくれそうです。菜優はいつか夢で見たように、ピッケルを振るい始めました。
ピッケルはこつっ、こつっと高くて鈍い音を響かせています。その音の響くたびに、菜優はあたりをきょろきょろと見回してみますが、しばらく打ち続けても、人の寄ってくる気配はありません。そしていつしか、ピッケルを打ちつける度に深くなりゆく穴に、無我夢中になってピッケルを振るっているのです。
やがて、壁の向こう側が少しばかり見えてきました。まだ穴は小さく、菜優が通れるほどではありませんが、着実に成果は現れています。あと一息、とばかりにもう一度ピッケルを振るおうとしたその時。
「誰かが来ます。隠れましょう、ナユ」
と、耳元で誰かがささやく声がしました。菜優は慌てて瓦礫の下に身を隠します。現れたガードたちは狼こそ連れていませんでしたが、壁に空いた穴を不審そうに観察しています。
彼らはいつまで経っても穴の近くをうろうろとしていて、離れる様子がありません。菜優がじりじりと焦れていると、またも耳元でささやく声がしました。
「今のうちに、ここから離れませんか」
「やけど、あっこまで穴開けたのにさ」
「そうは言うけど、あそこから人の匂い、離れないじゃないのよ。そのうちあの狼どもが追いついて来るわよ?」
「けどさぁ…」
菜優はしばらくごねていましたが、それで状況が変わるものでもありません。やがて菜優も諦めて、気付かれないようになるべくこっそりとその場を離れました。
また適当に壁を見つけて、ピッケルを振るいます。また人の気配をケルが、またはコアトルが察知して隠れます。そしてまたまた、別の場所に目星をつけてピッケルを振るいます。
しばらくは、この繰り返し。菜優はなかなか進展しない現状に、そこそこ進んではやり直しになる現状に、菜優は苛々が募ってきましたが、それでも諦めるわけにはいきませんでした。
やがてそうやって人を避けて掘り進めるうちに、一度開けた穴の元へと戻ってきたようです。そこに、ガードの姿は見当たりません。菜優はしめた、と思い、大急ぎでピッケルを振るいました。
そしてようやく、菜優でも通れそうな大きさの穴が出来上がりました。それを潜って外に出ようかとしたその時、ケルが何かを察知しました。
「誰かくる…狼共も一緒よ!」
「それって、さっき私らが煙に巻いたガードさんらの?」
ケルは、首を縦に振りました。菜優の顔に、焦りの色が浮かびました。もはや隠れる事が適わない相手です。急いで脱出しなければ!
幸いにも、脱出口は出来上がっています。菜優は地べたに這い這い、脱出を試みました。途中まではするすると調子良く進めましたが、ある時を境に、菜優は身動きが取れなくなりました。
「もたついてんじゃないわよ。もうすぐそこまで来てるのよ!」
「そんなこと言うたって、ケルちゃん。お尻が引っかかってまって…」
「はぁ!?」
なんとベタな事でしょう。ケルの言う通り、こんなところでもたついている暇などないと言うのに!菜優は必死に抜け出そうと試みますが、引っかかったお尻はなかなか通ってくれません。外郭壁がそれなりに厚くて、お尻がすっぽりと壁の中に隠れているのは不幸中の幸いでしょうか。
「ナユ、あたしが時間を稼ぐから急ぎなさい!」
「分かった!」
ケルが叫び、菜優が答えます。ガードがもう目の前にまでやってきたのでしょう。キンキンいう金属音が、鳴り響き始めました。
お尻が引っかかってしまっている以上、穴を広げるしかないでしょう。しかしピッケルは壁の向こうに置いてきてしまっていますし、向こうではケルとガード達が必死に戦っています。引きかえして、ピッケルを回収して穴を広げる…なんて暢気なことは出来そうにない状況でしょう。
ならばと言わんばかりに、菜優は素手で壁を掘りにかかりました。菜優は右利きでありましたので、右手で壁につかみかかりますが、砕けた岩を剥がすのが精一杯で、なかなか穴が広がりません。
左手でも同じく掘りにかかりますと、なんと不思議、指が容易く壁の中に入っていくではありませんか。そのまま壁を掻き出すように左手を振るうと、さも土をスコップで掘るかのように、壁が抉れるではありませんか。
右手と左手でこんなにも違うなんて。菜優は不思議に思って左手を見ると、いつかガロックという大男―背が高く、無愛想だったので、少しだけ怖かったことを覚えています―がくれた、くすんだ金の留め具の付いたウサギ皮の腕輪がありました。
そういえばこの腕輪の材料になったウサギは、菜優がご飯にするために屠殺した、穴倉に暮らすアナウサギでした。そんな彼が授かった神の祝福が、菜優を助けてくれているのでしょうか。菜優は涙を堪えながら、必死に壁を掘り進めました。
やがて穴も大きく広がり、お尻がようやく抜けてくれました。菜優が壁の向こう側で「ケルちゃん、早く来て!」と急かすと、「遅いのはあんたよ!」と怒られてしまいました。やがてケルも同じ穴をするすると通って来ると、それを追いかけるようにガードたちが穴から顔をのぞかせて来ました。
菜優はすかさず、穴に向かってクラッカーとスモークボールを投げ込みます。バチバチ!とクラッカーの炸裂する音でガードたちを怯ませ、スモークボールで視界を奪います。ごめんなさい、でも殺されるわけにはいかんので。菜優はそうつぶやきながら、街の外へと消えて行きました。




