36 - 迷子はどちら?
しばらく駆けていると、なにやら背丈の高い男どもに絡まれている菜優を発見しました。菜優は嫌がっている様子で、しきりに逃げ出す機会を伺っているようです。ケルはやれやれと独り言ちがながら男達に近づき、鋭い剣幕で脅したてました。
「ちょっと。あたしのツレが嫌がってるじゃないのよ。離しなさいよ」
とは言っても、男達からしたら自分よりもはるかに体躯の小さな猟犬が相手です。喋ることに驚きこそ見せましたが、怯む様子は一切にありません。一方の菜優は安堵したような表情で、ケルの方を見やって言いました。
「あっ、ケルちゃん!やっと見つけた。もう、どこ行っとったんよ」
「それはこっちのセリフよ。あんたどうせ、あたしが見つからないからってその辺歩き回ってたんでしょ。それでそこのつまらないヤツに捕まってね。全く、世話ないわ」
ケルのいつもの毒舌に、男達は思うところがあったようです。菜優から手を離し、ケルのほうへと歩み寄ってきます。
「なんだと思えば、随分と生意気な猟犬じゃねぇか。人間サマを舐めるなよ?」
男達にそう言われて、黙ったままでいるケルでもありませんでした。売り文句に買い文句と言わんばかりに、ケルも言い返します。
「弱っちいくせに生意気なのはどっちよ。驕るつもりはないけれど、あんたらごとき、簡単に組み伏せられるわよ」
ケルは不機嫌そうに牙を剥き出します。男達はどこからともなくナイフを取り出して構えます。二者の間に、ぴりりと緊張した空気が張り詰めました。
それを見た菜優は、どうにかうまいことこの場を収められないか、考えていました。この男達とケルがもし喧嘩したとして、ケルが一方的に勝つに決まっています。というか、男達の命の保証が出来ません。それはなんとしても避けなければ。
逡巡する菜優の肩に、ひやっとした感触がやってきました。見やると、コアトルがそこにいました。
「ナユ、どこに行っていたのですか。まったく、ケル共々心配したのですよ」
そういうコアトルを見て菜優は、あることを思いつきました。そういえば、この前コアトルとケルが大喧嘩した時に、道路ごと壊されそうになってなかったっけ。うまくいけば、あるいは。祈るような気持ちで、菜優はコアトルを掴み取りました。
「え?ナユ?いきなり何を…」
「コアトル、行ってきて!」
そしてコアトルを、ケルの足元に向かって放り投げました。勢いよく投げ出されたコアトルはやがてケルの眼前を通り過ぎて、地面にべちゃっと降り立ちました。
「いきなり何をするんですかナユ!小生を突然投げるだなんて!」
おどけたように怒るコアトルの頭上に、何やら不気味な影が差しました。コアトルが恐る恐る見上げると、悪い笑みを浮かべたケルの顔がそこにありました。
「ええと、ケル様?あのー、小生は別に食べても美味しくないというか、お取り込み中だったのではとか思わなくはないのですが…」
「ええ、そうよね。でも、今のあたしはすんごく腹の虫の居所が悪いの」
ぎらぎらと光るケルの牙を見て、コアトルは恐れ慄きました。
「ケルちゃん」
「何よ。あたし今すんごく怒ってるんだけど」
「コアトルにならええよ。八つ当たっちゃって!」
菜優の号令に、二匹は口々に答えました。
「はぁ?ちょっとナユ、貴方何をおっしゃって!」
「そうこなくっちゃね!」
ケルが右前足を上げて、それからコアトルめがけて思い切りよく踏み締めました。直後、地鳴りがして、地面を覆っていた石畳に亀裂が入っていきます。ケルが前足をどかすと、その下は小さく窪んでおり、白く粉々に砕けた石の破片がそこに散らばっていました。
「チッ、捉え損ねたか」と、ケルは悪態をつきます。そして耳を澄ませ、鼻先に意識を集めながら、コアトルの逃げ行く先を追っています。そしてコアトルが地面から飛び出してきたところに飛びかかりました。あたりの石畳は真っ二つに割れて、ケルを中心に大きな窪みを作っています。
次にコアトルが飛び出してきた時には、ケルは飛びかかろうとして、その足をぴたりと止めました。なにしろその先には菜優がいて、コアトルに向けて手を差し出しています。今までの調子で飛びかかると、石畳どころか、菜優の腕も真っ二つにしてしまいかねません。ケルは舌打ちをしながら、コアトルを睨みつけました。
菜優は二人に「もういいよ」と言って、ちょいちょいと指を差しました。その先には先刻までナイフを取り出して粋がっていた男達が、半ば放心状態のままケルを見やっています。その視線には恐れのようなものが混じっています。
「どう?これでもやるってんなら、相手になったげるけど。そうでないなら失せなさい」
ケルがもう一度脅したててやると、男達は蜘蛛の子を散らすように逃げ去りました。ケルは「フン、腰抜けが。喧嘩売る相手を間違えるんじゃないわよ」と不機嫌そうに鼻を鳴らしています。
しかし、ケルも派手に暴れたものです。たった二回とはいえ、踏み締めた場所の石畳は酷く壊れてしまっています。その瓦礫の下に緑色に輝く石のようなものを見つけました。あまりに透き通っていて綺麗だったので、菜優はそれを拾いあげました。
やがて騒ぎを聞きつけたガード達が、菜優達の元に駆けつけてきます。それを見た菜優は、どことなく気まずくなり、こっそりと、しかし素早く、その場を離れることにしたのでした。




