35 - 海を臨む首都、マリーナ
菜優は久々の-イースティアに来てからは初めての-大都市に興奮しながら、街の中を巡りはじめました。ヴァレンタインも交易商やら市場、職人やらで活気のある街でしたが、マリーナの人の多さはそれの比になりません。市場は人の海に揉まれ、一寸先ですらまともに見えないほどです。
菜優はその人の海の中に飛び込み、その波に揉まれながら市を巡っていきます。市にはヴァレンタインで見たそれよりも、よりたくさんの種類のアクセサリーや服、雑貨や食べ物が立ち並び、とても刺激的でした。
しかし、人の波に揉まれて思うように進めず、また思うように留まれずにいるうちに、少しずつ、菜優の中に疲れが溜まっていきました。菜優は一旦市場から退避し、近くに広がった芝生の上に適当に腰を落ち着けました。
「すっごい人やな。まるでお祭りみたいや」
そんなふうに独り言つと、芝生のなかからにゅにゅいとコアトルが這い出てきて言いました。
「そりゃあ、首都ですから。水国からの使者、水の民達がここから上陸し、ここにイースティアで初めての都市を建設して以来、水国からの交易品を求め、多くの人が集まるようになりました。やがて水の民がイースティア全土を征服し、王をここに擁立したのは、ここ数十年の話だったと記憶しております」
コアトルは体を傾け、遠くに見える王宮の方を見やりながら言いました。もっとも、人の波が視界を阻むので、ほとんど見えないのですが。
「ここ数十年って。ここの歴史ってそんに短いん?」
「左様。それまでは原住民が各々の部族に別れて、時に助け合い時に諍いながら生活していたものです。あれがこうも大人しく、文化的な生活を送る事になろうとは…」
コアトルがなにか懐かしげに語るのを見て、菜優は不思議に思いました。ただでさえ喋るスライム、というだけでもなかなか不可思議な存在であるのに、数十年より昔-ともすれば、百年近く昔かもしれません-を、さも知っているかのように、さも自分の目で見たように語るなんて。この蘊蓄スライムは、どれほどの歳を経ているのでしょうか。
そしていつものように、コアトルの蘊蓄語りが始まります。菜優は適当に相槌を打っていますが、関心はひとかけらもありません。そのうちに、ケルが近くにいない事に気づきました。菜優は慌てて、ケルを探しに、また人の波の中へと埋まっていきました。一方のコアトルは蘊蓄語りに夢中で、菜優が離れたことに気付いていないようです。
しばらくして、蘊蓄語りを続けるコアトルのそばに、ケルが現れました。彼女は「ああもう。嫌になる人の多さね、まったく」なんて毒づきながら、体を左右に捻ってから伸びをします。そして菜優がいないことに気がつくと、近くにいたコアトルをつつきながら問いました。
「ねぇ、さっきまでここにナユがいたでしょ。あんた、どこ行ったか知らない?」
「おお、ケル様。ナユならそこに…あら?」
「…心当たりなしってところかしら。ちゃんと見てなさいよこのバカ。ああもう、どいつもこいつも…」
ケルはまた愚痴をひとつこぼしながら、人混みの中に埋ずまっていきました。そんなケルの頭に、コアトルが素早く這い寄り乗っかってきました。
「…乗っていいなんて、言ったつもりないんだけど」
「まあまあ、細かいことは気になさんな。これでも小生、失せ物探しは得意でして」
険しい口調のケルを、コアトルは適当になだめすかします。そして二人は人混みの中に消え去っていきました。
しばらくして、菜優が戻ってきました。しかし、そこで蘊蓄語りをしていたはずのコアトルが見当たりません。菜優は「あれ?コアトルがおらんやん。おっかしいな、ここにおると思とったんやけどな…」なんて独りごちながら、それまで自分たちが居た場所を探すように、人混みの波の外を歩き始めました。
そしてまたしばらくすると、今度はコアトルを頭に乗せたケルが戻ってきました。地面の匂いを入念に嗅いで、
「…さっきまでここに居たわよね、ナユ」
と確認するように言いますと、
「小生も同じ意見です。であれば、ほぼ間違いないでしょう」
とコアトルが答えました。ケルは、「まったく、逸れたらその場に留まれって、教えて貰わなかったのかしらあのバカは…」なんて愚痴りながら、ナユの匂いを辿るように、人混みの外を駆け出しました。




