34 - 菜優、初めての驢馬車
イースターにて野菜達を受け取り、無事にヴァレンタインに帰り着いた菜優は、暗くなった街の中で依頼人の元を尋ねました。
その依頼人がいないことを認めると、疲れを遠くに押しやりながら荷車を引いて、仮住まいにしている洞窟へと向かいました。
次の日には依頼人とヴァレンタインで落ち合い、無事に野菜を引き渡す事に成功しました。
お金を受け取ると、ポーチの中のお金を数えます。大体五十ティミほどあり、一日分ご飯を食べるのに五ティミほどかかることを考えるなら、多少の余裕があります。
そこで菜優は、腰に一応下げているエーテルソードの事を思い出しました。先日、白髪の少女達に襲われた時もそうでしたが、エーテル酔いが酷いために、まともに扱うことが出来ません。
しかし、それもこれほどお金があれば、何とか出来るかもしれない。そうなれば、ケルちゃんの手がもし回らなくなったとしても、ある程度自分で自分を守れるかもしれない。そう思って、菜優はシイラに相談しました。
「そうねぇ…遠いけれど、マリーナやハロウィンの街になら何かあるかもしれないわね。ロバ車の定期便、あったかしらね…最近物騒な噂も聞くし…」
そう言いながら、シイラは資料を漁り始めました。そしてそのうちの一つを菜優に見せてくれました。
「五日後に、マリーナ行きの便があるわ。行けるならそのタイミングかしらね」
菜優は、公共交通機関を利用するのに、五日も待たないといけないことに驚きました。菜優の地元では電車が二路線ほど通っていましたが、本数が少ない方の路線を考えても、一時間に一本はきてくれたものです。
それが、こちらでは次に来るのが五日後というのです。単純に考えて、電車の待ち時間のおよそ百二十倍です。とても長いように感じましたが、見るからに中世ファンタジーっぽい世界だし、それくらいが普通なんかな?などと、菜優は思ったりしたのでした。
菜優はロバ車の定期便が来るまでの五日間を、ヴァレンタインの街でお手伝いすることに費やしました。五日あるからといって家でぼうっと待っているのは性に合いませんでしたし、ただ待つよりも、体を動かしていたほうが幾分か気持ちも楽でありました。
そして五日目の朝。運賃を支払って、幌で覆われたロバ車に乗り込みます。中には座席の一つもなく、あるのは、申し訳程度にひかれた絨毯くらいなものでした。そこにケルも乗り込もうとすると、
「あーダメダメ。ペットはお断りなんだ」
と御者が言うものですから、ケルは「誰がペットですって!」と声を荒らげました。菜優がどうにか宥めすかしましたが、だからと言って、規則がどうにか出来るものでもありません。なので菜優は、
「ケルちゃん、ごめんやけどさ、外からついてきてくれやん?」
と、ケルに言い聞かせました。するとケルは、
「仕方ないわね。でも、何かあったらすぐに呼びなさいよ。その荷車、ひっくり返してでも助け出すから」
と、諦めてくれたので、菜優はほっと胸を撫で下ろしました。あまり素直な性格とは言えませんが、こう言う時には聞き分けが良いようで助かります。
しかし、荷車-おそらく、客車と呼ぶべきでしょうが-をひっくり返してでも助け出すって、心強いことこの上ありませんね。
そして人がひとしきり乗り込んだのを確認すると、ゆっくりとロバ車は走り始めました。道路の状態が良いとは言い難いので時にひどく揺れますが、自分の足で歩くより遥かに楽です。菜優は密かな優越感にひたりながら、ロバ車に揺られていました。
途中で休憩を挟みながら、ロバ車はゆっくりと進んで行きます。ゆっくりとはいえ歩くよりは遥かに速く、自転車を漕いでいるときと同じくらいの勢いの風が、幌に覆われた客車の中を吹き過ぎて行きます。
そして一日も経たないうちに、ホワイトデイへ行った時に見た、三叉路と看板のあるところまで辿り着きました。それを北へは曲がらずに、まっすぐ進んでいきます。
そこから先は、菜優の通ったことのない道です。ただし、その景色は一面に原野が広がるのみで、それまでの景色とも、ホワイトデイへと至る道とも、何も変わらないのですが。
一方の菜優は、ああ、これからホントに知らない街へと向かうんだなと、内心ワクワクとしていました。
一日目の日没を迎え、簡単に据え付けられた駅舎のような所に一度、ロバ車は駐留します。ロバ達も御者もお休みするので、今日は一旦ここまでです。
菜優達も、隣にある簡単な客室のようなところへ通され、そこで睡眠をとりました。ベッドも枕も、藁の上にシーツを被せたような質素なものでしたから、寝心地が良いとは言えません。
周りを見やれば、皆が思い思いに寝袋なり、ベッドなりを持ち込んでそれぞれに寝ています。菜優は、またシイラさんに寝袋を借りれば良かったかな、と先に立たない後悔をしました。
それにしばらくの間、ずっと隣にいたケルは、ここまで入ってこれませんから、当然、菜優の近くにいません。加えてさあさあと雨の降る音を聞こえてきたので、菜優はなんだか落ち着かないまま夜を過ごしました。
翌朝。雨こそ上がっていたものの、雲は辺りを覆ったままですし、ひんやりとした空気が、いつ雨が降ってもおかしくないような予感をはらめていました。
それでもロバ車は、ぱしゃぱしゃ、びしゃびしゃと泥を跳ねさせながら道を進みます。時折ぬかるみにはまったりして立ち往生することもありました。それでもロバ車はずいずいと進むうち、いつしかぱしゃぱしゃという泥を跳ねさせる音は、かつかつという、蹄鉄が石畳を叩く軽やかな音へと変化して行きました。
その頃になって、やっと菜優は前方に大きな街が見える事に気づきました。外壁が白に塗り固められた建物が立ち並び、海の美しい青とコントラストを描いていました。
そう!あれこそが、イースティアの首都、マリーナです。見るからに美しい街に、菜優はうっとりとしていました。
興奮冷めやらぬまま、菜優はロバ車から降ります。そしてその場で立ち止まったまま、また美しい街に見惚れていました。
「あー疲れた。全く、あんたも無茶言うわよね。外から付いてきてだなんて。お陰で足が棒のようになりそうだわ。ねぇ、ナユ」
菜優はキラキラとした目で街を眺めるばかりで、足元で響く小言が耳に入りません。
「ねぇ、ちょっとナユ?聞いてるの!ねぇ、ねぇったら!」
ケルは語気を強めますが、それでもなお、菜優の耳には届かないようです。ケルは苛々としながら、菜優の頬を殴りつけました。
「痛った!なにすんのさ、ケルちゃん」
「なにすんのさ、じゃないわよバカナユ!あたしを蚊帳の外へ放り出して、挙句無視ですか。全く、いい御身分なことね!」
「ごめんて」
菜優はケルの方を軽く見やりながら謝りました。しかし、次の瞬間には街のほうへと関心が移っていました。
「しかし、ホントに綺麗な街やね、そう思わん?ケルちゃん」
「あんたから見たら綺麗なのかもね。ぼやけててよく分からないのだけれど」
犬の視力というものは、人間でいうなら〇.二ほどしかありません。そんな調子ですから、何かがあるとか、色の程度がわかったとしても、それが綺麗かどうかなんてケルには判別もつきません。
菜優はこの感動を分かち合えない事にがっかりしました。しかし菜優はすぐさま気を取り直して、街の中へと進入していきました。こんなに大きくて綺麗な街に来たのにも、きちんと目的があるのですから。




