33 - 白髪の少女と対峙して
菜優は夢現な心持ちのまま、ケルが暴れ回るのを見ていました。非力な菜優ですら振り払える程度の力しかない白髪の少女達と、熊ですら容易く殴り斃せてしまう膂力の持ち主であるケル。少女たちが集団でかかろうが力の差は歴然で、ケルが一方的に蹂躙しているような有様でした。
菜優は意識がだんだんと遠のいていって、同時に気持ち悪さを感じて、へなへなとその場にへたりこみました。そういえば、エーテルソードを鞘から抜いたままです。菜優はやっとの思いでエーテルソードを鞘にしまうと、気持ち悪さからは解放されました。
しかし、腰が抜けてしまったのか、その場から全く動くことができません。それに意識もぼうっとしたままで、戻ってくる様子もありません。やがてとてつもない眠気のようなものが襲ってきて、菜優は体を地面に預けて、そのまま眼を閉じました。
「全くあのバカ、すっかり安心しちゃって。狩場で眠ったりしたらどうなるのか分かってんのかしら」
ケルは菜優の方をちらりと見やって悪態をつきました。そして最後の一匹を軽く蹴散らすと、菜優の元へと歩み寄り、その五体を背に乗せてイースターの方へと歩き出しました。
菜優は、ベットの上で目を覚ましました。目を覚ますやいなや、ここはどこだろう、と首を傾げました。菜優の記憶が確かなら、確か村の外へ出ていって、そこで白髪の少女達に襲われて、そして…。
菜優自身によって切り裂かれた少女の姿がフラッシュバックしてきて、菜優は思い出すのを止めました。
でも、いくら止めようと思っても、止めようと思えば思うほどに、切り裂かれた少女と、そこから飛び出てきた血や肉や、その血生臭い匂いから、聞いたことのない少女の絶叫まで、鮮明に脳裏に描かれてしまうのです。
菜優は恐ろしくなって、また寝込もうとしますが、目が冴えてしまって思うようにいきません。それでも菜優は布団を頭から被り込んでまで、無理矢理意識を奥底へと沈めようとしました。
しばらくして、布団を被り込む菜優の耳に足音が聞こえてきました。目が冴えきって眠れない菜優は、その足音の主を、布団からそっと覗き込むように確認しました。
そんな菜優の様子に気付いたのは、宿屋の女将さんでした。ころころと愛らしい体躯をしていて、口角の上がった口元から、今にも朗らかな笑い声が聞こえて来そうです。
「おお?気がついたかい。あんたもひどい目にあったもんだねぇ」
女将さんは明るさを漲らせた声色で、菜優に話しかけました。そして、ベッドから離れた位置で丸まっているケルを差しながらこう続けます。
「そこのワンちゃんにお礼を言っておくんだよ。傷まみれのあんたを運んできてくれたんだからね」
そこでようやく、菜優は合点がいきました。村の外で意識を失ってはずなのにどこかの部屋の中で目を覚ましたのは、ケルがここまで運んでくれたからなのか、と。
菜優の声が聞こえてもそちらをちらりとも見やらない彼女ですが、片耳が菜優の方に向いているので、菜優が目を覚ましたのことにはきっと気がついている事でしょう。菜優はそんなケルの方を向くと、「ありがと、ケルちゃん」とお礼を言いました。ケルは何も言いませんでしたが、フン、とでも言いたそうに鼻を鳴らしていました。
「しかし、お利口な子だねえ。怪我まみれの主人を運んでくるだなんて。それに、会話まで出来るなんて」
そう言って女将さんがケルを撫でようとすると、ケルは瞬く間に飛び退いて、
「あんた、あたしが撫でるなって言ってるのが分からないのかしら。それともなに、あんた、本当に腕の一本でも引きちぎられないと気が済まないのかしら。とんでもないマゾヒストね」
なんて脅すものですから、菜優は鋭く「ケルちゃん!言葉がきついよ!」と叱りつけました。ケルはまたフン、と鼻を鳴らすと、その場に伏せて体を丸めました。
「そうだ、ラバンとこがメニーナを仕留めたってさぁ、その肉を分けてもらったんだが、食べるかい?」
メニーナ…菜優は聞いたことのあるようなないような名前を聞いて首を傾げましたが、聞いたことのない生き物の肉と聞いて、興味が湧いてきました。
と言いますか、これまでノウサギや、ニワトリ、うどんなどと、食べ物が日本に居た頃と代わり映えしやんだよな、と菜優は思い返していました。元はと言えば迷い込んだ世界ですが、せっかく来たのですから、異世界ならではものを食べたいよな、と前々から思っていたものです。
それが、ここにきて、メニーナというモンスターっぽい名前のお肉が食べられるとは!やっと、異世界ならではの味にたどり着くことが出来そうで、菜優は半ば興奮しながら、首を縦にふりました。女将さんは「そうかい。それなら、支度をするかね」と言って、一足先に部屋を出ていきました。
菜優が食堂にやってきた時にはすでに準備が出来ていたらしく、女将さんはメニーナの肉のステーキを出してくれました。菜優はそれを受け取ってテーブルにつき、思い切りよくステーキにかぶりつきました。
肉は柔らかに歯を受け入れて、力を入れずとも簡単に引きちぎれ、甘みに溢れた肉汁を溢れ出します。噛めば噛むほど溶けるように形を失っていき、そのたびに肉の甘みで口内を満たしていくのです。
いくばくも噛むこともなく、肉はほとんど形をなくし、滑るように喉元に落ちていきます。それが胃に到達するとまたじわっと甘みが胃に満ちていくのです。
初めての味に、菜優は舌鼓を打ちます。興奮気味に、「おばちゃん、これめっちゃ美味しいわ!」と叫んでいます。そんな様子を、女将さんは微笑ましそうに見守っています。
美味しいものは、誰かと分かち合いたくなるものです。そこで菜優はコアトルを呼んでみました。ややあってどぎつい緑の体躯をしたスライムが菜優の元に現れると、菜優は聞いてみました。
「コアトル、このお肉めっちゃ美味しいんよ。食べる?」
「ほう、メニーナですか。なるほどさぞ感動したご様子で。しかしながら小生、生憎とヴェジタリアンでして。肉は消化出来ないんですわ」
そっか、それは残念。と、菜優は肩を竦めます。返す刀と言わんばかりに、ケルにも聞いてみます。
「ケルちゃんは?」
「あたしも要らないわ。さっき食べたばっかだし」
そっか、それは残念…とまた肩を竦めるところでしたが、菜優は不意になんとなく、違和感のようなものを感じました。さっき食べた?いつ食べたんだろう、と。
意地っ張りで天邪鬼な彼女ですが、相応にプライドが高く、ご飯を人からもらいたがりません。女将さんがあのお肉をケルにあげるだろうことも想像に易かったですが、他方、ケルが頑なに食べようとしないのも想像に易くありました。では、いつ食べたのでしょうか。
それに、メニーナという言葉について、聞き覚えがあるような気がしてきました。あれ?そういやあの農夫さんが言ってたモンスターの名前ってメニーナだったっけ?なんだか嫌な予感がして、ケルに尋ねてみます。
「え?さっき食べた?いつ、どこで?」
「さっきよさっき。あんた、そいつらに襲われてたじゃないの。あん時よ」
「え、ということはこのお肉ってもしかして…」
「もしかしてもなにも、あの白いの肉でしょ、それ。なんか酒っぽい匂いも混ざってるけど」
あの白いの。菜優は確信しました。この美味しいお肉は、あの白髪の少女たちのものであると。そして自分は、そんな人型のもののお肉を、おいしい、おいしいと食べていたのだと。
なんだか、食べる気が失せてきました。いっそ残してしまおうか、そんなことを考えたその時に、ふと、あの言葉が頭をよぎってきました。
「生き物ってのは難儀なモンでさ。他の生き物の命を頂戴せんかったら、生きていくことは出来やんのや。やから、その相手の命に対して感謝と尊敬の念を込めて、"戴きます"って言うんやに」
…このときばかりは、命の尊さを教えてくれた父のことを、恨めしく思うのでした。




